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確かに以前少しは考えたことがなかったこともない。
ましてや1度ではなく、何度かあることも事実で。
それはまだ旅を始めていないころのこと。
後に起こる度重なる戦いと西を目指す旅の中で、薄れ、今はもうそのとき何を話していたのかさえも思い出せないほど、遠い遠い昔のことだった。
確か本当に何気ない会話だったと思う。そんな中でふと八戒が告げた一言。
「可愛げのない子供でしたよ」
その言葉は今の人当たりが良くいつも笑顔を絶やさない彼からはあまりにも想像できないことで、三蔵はどういうふうに可愛げがなかったのか見てみたいと思ったことを覚えている。
それは西への旅をしているときのこと。
ある街で宿をとるためたちより、たまたま一緒に八戒と買い出しに出たときのことだった。
追いかけっこでもしていたのだろうか。突然勢い良く路地から飛び出してきた小さな子供が、八戒へとぶつかってきた。
子供はぶつかった人物に怒られるのではないかと、恐る恐るというように八戒をゆっくりと見上げた。そんな子供を安心させるようににっこりと微笑むと、少しかがんで優しげに語りかけた。
「大丈夫ですか?」
「うんっ」
八戒の笑顔に安心したのだろう。それまであった不安げな表情は一切なく、その子供もまたにっこりと笑い返すと、八戒を降り返ることなく元気良く走り去って行った。
その子供の背中を目で追いながら、八戒は独り言のように小さく呟いた。
「あの子、三蔵と同じ金髪をしていましたねえ。あなたもさぞ子供の頃は可愛かったんでしょうね。見てみたかったなあ…」
真剣な眼差しと声音で言いながらも、溜め息混じりだったその言葉。
しかしそれはこっちのセリフだ、などと三蔵こそ真剣に思ってしまったことを覚えている。
それはつい先日のこと。
リビングでテレビを見ながら菓子を食べ、散らかしたままで出て行こうとした悟空に、ハリセンでお灸を据えた後、片付けるところをしっかりと見届けているときのことだった。
1部始終を目にした悟浄が、ハリセンを握り締めたまま悟空を監視している三蔵へと近付くと。
「お父さんは大変だねェ。やっぱり次は女の子が欲しいワケ?」
などと冗談を言ってきたので、やはりハリセンできっちり3回叩いたことで、返事代わりとした。
ところが、八戒に似た子供ならな、とマジで瞬間考えてしまったことは記憶に浅い。
確かにそんなくだらないことを思っていたこともあったのは事実だ。しかしそれは現実にありえないことだとわかっていたからこそ考えるだけですんでいただけで、実際にそれをつきつけられた日には、どうしたらいいかまでは考えたことがなかった。
それなのに。
「よう」
事件というものは、突然降りかかってくるものだ。
露出狂なんだと信じてしまうほどスケスケの服を身に纏っているが、その堂々とした姿から受けられる自信が真実であるように素晴らしいプロポーションの、いつも神出鬼没で現れる神とは思えぬ神様は、リビングで八戒がいれてくれたコーヒーをお供に新聞を読んでいた三蔵の前に、今回もまた突然現れた。
三蔵は観世音菩薩のことなどまったく知らないというのに、対して向こうは自分のことを知っているふうな話し方をしてくる。それがどうも勘に触るのだが、それだけではない何かが、観世音菩薩を苦手とするところが三蔵にはあった。
それなのにこういうときにかぎって、八戒は悟浄と買い物に出かけていて、悟空は外へ1人でお散歩中。必然的にこの家には三蔵1人というわけで、菩薩の相手をするのももちろん三蔵ただ1人である。
実際のところ菩薩は偶然ではなく意図的に、三蔵が1人の時間を狙って彼の前に現れたのだ。彼にだけに用があったから。
こんなことなら自分も街へ出てしまえばよかったと後悔していたが、とにかくここは触らぬ神に祟りなしとばかりに見てみぬふりをすることにした。
そんな三蔵の態度をなんとも思ってないようで、菩薩はきょろきょろと室内を監察しては、三蔵に聞こえるように独り言を言う。
「ここが新居か。少し狭いが…」
(うるせえ。人の家にケチつけんじゃねえよ)
「まあまあじゃねーか。…ふうん…お前が…」
(何が言いたいんだ。その知ったふうな話し方はやめろ)
「他人のためにねえ。ああ、八戒は他人じゃねーか」
「………」
どこまで知っているのか、考えるだけ気分が悪くなってくる三蔵だった。
「何の用だ」
さすがにいいかげん菩薩の言葉を聞いていたくなくて、予定を急遽変更し、早々に退散してもらうべく相手をすることにした。それでも気持ちを切り返るまではできなかったようで、しぶしぶというのが手に取るようにわかる表情を隠しもしない三蔵だった。だが、今回はどんなことをやってくれるのかという不安が募る内心そのままに、三蔵は険しい顔へと変わっていく。
「お前にいい物をやろうと思ってな」
不敵な笑みを浮かべて言う菩薩だが、いい物というのが本当に三蔵にとって当てはまる言葉なのか、疑いたくなってしまうのはなぜだろう。
「いらん」
「遠慮すんな。神の俺がお前ら新婚のために作ってやったんだ。ありがたく受け取りな」
「いらんと言っただろう。なぜかきさまが持ち込む物は、ロクなもんじゃない気がする」
「まあ、そう言いなさんな」
強引に話しを進める菩薩は、透明なビニールに赤いリボンで飾られた小さな袋を、テーブルの上へと置いた。その中には、ピンク、黄色、薄緑色と、3種類のデコボコした小さな星型の固形が、いくつも混ざり合って入っていた。
「…コンペイトウか?」
わざわざ自分たちのために、ご丁寧に菓子なんぞ作ってくれるとはどうしても思えない三蔵は、その一見可愛らしく、そしてとても似合わないお菓子を不審気に凝視する。
「いや、薬だ。子作りのな」
こづくり?まさか自分に渡す薬なのだから、まさかあの「子作り」ではないだろう。
そう三蔵は思っていたのだが。
「これで八戒の子供でも作るんだな」
ガウン。
「んなもの作ってんじゃねーよ」
「すげーだろ?なんといっても神だからな」
などと悪ぶれもなく、とんちんかんなことを自信満々に言ってくれるのだった。
「別に難しいことはない。お前ら2人ともこれを食って、あとはことを起こすだけさ」
簡単だろ?と片目を瞑ってお茶目にウインクなんぞしながらニヤッと口元に笑みを浮かべる顔は、神どころか悪魔のように感じられる。
「………」
「お前が何を考えてるかなんてお見通しなんだよ。クク、八戒の子供ならさぞや可愛いだろうなあ。八戒の女バージョンってのもいいな。まあ俺的には、お前の女ガキバージョンってのが、一番面白そうだと思ってんだけどな」
想像してみたのか、突然ぶっと吹き出し笑い出す菩薩に、三蔵は再度鋭い視線を投げかけた。
「とにかくチャンスは今夜だけだ。明日になれば普通の菓子に戻るようになってるからな。ま、頑張れよ、金蝉」
「おいっ、待て…」
一方的に用件だけ言うと、用は済んだとばかりに菩薩は姿を消していた。
三蔵は机の上に残されたコンペイトウを凝視する。
そう。確かに今まで考えたことがないわけではなかった。八戒とならこれ以上輪をかけて騒がしくなる家庭を持ってもいいとも思うし、猿だけでもうるさいしガキはわめいて苦手だが、八戒と自分との子供なら育ててみてもいいという気もしてくる。この家も自前なら職業だって安定しているし、最高僧という肩書きはこの先の収入面を心配させることもない。
ただ1つ。三蔵が気にすることといえば…八戒である。
八戒のことだから反対するのは目に見えているし、黙っていたらいたで知られたときにとんでもないことになるのは安易に想像できる。この中で一番気をつけなければならない人物が実は八戒であるということは旅をしていたときに充分知らされたことで、普段大人しい者ほど怒らせると恐いという話が真実であることを3人とも身をもって知ったのである。
そんな八戒になんと言って説得すればいいだろうか。
『僕は嫌です。三蔵が女役をしてくれるなら、かまいませんけど』
いつも発する優しい声音とは打って変わった冷たい口調。それは簡単に想像できることで。
視線を窓の外へとうつせば、森の木々の隙間から覗ける空が少し赤みがかっていた。
悟浄と八戒が出かけてから、かれこれ1時間が経とうとしている。そろそろ2人が戻ってくるだろう。それでもまだ深夜には充分時間があることだから、検討の余地はある。
三蔵は菩薩が置いて行ったコンペイトウの入った袋を懐にしまった。
再度新聞を広げてそれに視線を向けながら、胸にはコンペイトウの存在を感じている。
2度とないことだ。
完全に菩薩は楽しんでいるだろう。奴を楽しませるのはしゃくだが、それでも手を伸ばせば届きそうな更なる幸せを、奴のために逃すのも嫌だった。
それならば。
言い訳は後に考えるとして、このチャンスをいかしてみてもいいだろうと思い直している三蔵だった。
END