SAIYUKI
NOVELS 11
硝子の砦 2000.5.27
SANZO×HAKKAI
 三蔵が怪我をした。
 意図的にできた流砂によって地下に導かれたとき、三蔵は敵の爪によって毒を盛られ、その体で動いた結果さらに体調が悪化した。
 重態の彼を黄泉の国の案内人は入り口まで連れて行き、3日もの間引き止めてしまったようだ。
 その間、悟浄も肋骨を折る大怪我のためあまり動けずじまい、悟空は三蔵が意識不明の重態というショックと悟浄に大怪我をさせてしまった罪悪感とで、いつもうるさいほど元気な彼がひどく落ち込み、無口で暗い表情になっていた。
 そんな中、八戒だけは笑顔を絶やさず、元気に彼らの面倒を見ていたのだった。
 元気のない悟空には気分転換のために一緒に買い物に行ったり、気を紛らわすために無邪気な小動物の面倒をお願いした。悟浄にいたっては大怪我をしている自覚がかけており、「運動不足は体に毒なのよ」などとのたうちまわって出かけて行こうとするので、その監視の目を強くした。
 それ以外の時間は混沌と眠り続ける三蔵の看病、食事の支度など、やることはもりだくさん。
 なりふり構わず、一つ一つのことを懸命にやっていた。
 みんなの祈りが届いたのか、八戒の看病のおかげか、はたまた神が追い返したのか、3日後に三蔵が目を覚ました。
 とたん、重症なのになんでもないように振舞う彼。
 三蔵はじょじょに傷が癒えていくだろう。悟空だって彼の姿に安心して元気を取り戻してくれる。悟浄は悟空にまかせてしまおう。これなら悟浄もあきないだろうから。
 これでまたいつもの日常に戻る。
 そう思って肩の力を抜いたとき、八戒の意識は暗転していき、体を支えられなくなって、倒れてしまった。





「すみません。ごめんなさい」
 ベッドの上で上体を起こして座る八戒に、合唱してペコリと頭を垂れる悟空と悟浄。
 こんな姿の八戒を見て、やっと自分たちの過ちに気付いた彼らだった。
 自分のことしか考えなかった。八戒のことなんて何にも。
 何も言わずに一生懸命世話をしてくれた彼。
 自分だって怪我をしてたのに。色々心配もしていただろうに。
 いつも心にしまってしまう彼だから。口にしない彼だから。
 だからこそ、気をつけなければならないことなのに。
 わかっていて…この結果だ。
 後悔先に立たずという言葉を身をもって体験した2人は、しゅん…とうなだれている。
 こんなときにも2人の息はピタリと合っていて、本当に兄弟のようだ。
 そう思って、くすりと八戒は笑う。
「僕の方こそ、こんなことになってしまって」
 台所で倒れている八戒を発見したのは悟空だった。
 顔は真っ青で、呼んでも返事のない八戒。
 半ば泣きながら三蔵に助けを求めてきたのだ。
 宿屋の人に手伝ってもらって、八戒の部屋のベッドへ寝かせてから数時間。やっと目を覚ました八戒は、近くに腰掛けて新聞を読んでいた三蔵に、苦笑いをしながら一言「すみません」と謝った。
 内臓が悲鳴を上げていたのにもかかわらず、その声を無視して気力だけで動いていたものだから、安心したとたん倒れ込んでしまったようだ。目を覚ましたときにはすでにベッドに寝かされていて、しまったと心の中で舌打ちしたくなったほどである。
「もう向こうに行け。休ませなければならん」
「俺っ、看病するっ」
「却下。八戒の気が休まねーだろ」
 即答で拒否した三蔵には取りつく島もなく、視線は早く出てけと言っている。
 いつもならこんなことで引き下がる悟空ではないが、何しろ三蔵も怪我人なのだ。今こうして起きていることが不思議なほど、重度の傷を負っている彼。
 そんな彼を相手に喧嘩などできるわけがない。
 三蔵も早く休めるように、悟空と悟浄はすごすごと割り当てられた部屋へと戻って行った。
 無言で2人を見送った三蔵は、まだ自室に戻るつもりはないようで、窓を開けて煙草に火をつけ、くつろぐ様子を見せ始めた。
「…無理してんじゃねーよ」
 何度か肺に煙を送り込んでから、八戒に容赦なくいう。
「はは。やわな体じゃないはずなんですけどねえ」
「どうせお前のことだ。俺の看病にあいつらの世話。休む間もなく体を動かしてたんだろ。体力は永遠じゃねーんだ。少しは限度を考えろ」
 にべもなくするどい口調で言い放つ。しかしそれが彼が心配していたゆえのことだとわかる。
 でもあのときは、他にどうすればよかったのだろう。
 唯一怪我をしていない悟空はあのふさぎよう。自分よりも三蔵と過ごした年月はくらべものにならないくらい長いから、悲しみも自分より何倍も強いはずだった。そして何より今のような暗い顔は似合わない。そう思うと早く元気になってもらいたくて色々動いてしまっていた。
 悟浄にしてもあの大怪我。まして悟浄の場合は自分がぶつかったときに肋骨を折ってしまったという、怪我の原因に荷担しているうちの1人なので、ある程度は動けるもののそれでも制限があるため彼は暇をもてあましていたようだが、気軽に手伝ってほしいなどと言えるはずもなかった。
 そして、怪我が一番軽かったのは自分。
 だから自分が動くしかなかったのだ。それに…動いていた方が気がまぎれるから。
 大人しくしていたら、悪い方へ悪い方へと考えを巡らせてしまいそうだったから、何も考えられないほど体を動かしていたのは事実だった。
 三蔵は八戒に叱咤したものの、人のことは言えない立場なのに気付き、ばつが悪そうにそっぽを向くと、眉根を寄せた。
「…心配したんですよ」
 その声が振えているように三蔵には感じられたが、彼の顔はにこやかに笑っている。
「………」
 じっと八戒の顔を見つめる。
 探るように。刺すように。
「怪我はひどいし。あなたは綺麗なんですから、体に傷跡を残すようなことはしないで下さいね」
 やはり気のせいだと普通の人なら騙されてしまうほど、それははっきりとした口調だった。
 三蔵の瞳の奥がきついものになる。
 道化師のようだと思った。観客だけではなく、自分をも偽り続ける、悲しい道化師。
 しかし八戒の思惑通り騙されてやるほど、お人よしでないのが三蔵だった。
「言いたいことはそれだけか?」
「えっ?」
「そんなはずはないな」
 窓のサンで煙草の火をもみ消すと、その吸殻を窓から捨てて三蔵はベッドへと近づいてくる。
 そして彼の動向がわからずにじっと見上げる八戒のあごをとり。
「笑顔で本音を隠すな」
 ゆっくりと口付けた。
 優しく唇をなぞっていくその舌が、自分に安らぎをくれる羽のようだと思った。
「その仮面をはいでみろ」
 息がかかるほど近くで静かに言う三蔵の言葉は、自然と八戒の心に浸透していった。
「…まったく…あなたは……」
 せっかく作った笑顔だったのに。
 瞳は大きく揺らぎ、顔は今にも泣き出しそうなものへと変化していく。
「……本当に心配したんです。でもそれ以上に不安でした」
 さきほど感じたものと同様に震えてる声。とても弱々しいその声は、本当に八戒のものかと疑ってしまいそうなほど痛々しいく、出会ってからは初めて耳にしたものだった。
「あなたは微動だにしないし、呼吸だって浅くて消えそうなほど細いものだし。今にもあなたはいなくなりそうだったんです。だからもしこのまま目を覚まさずに逝ってしまったら、あなたとはもうさよならだと思って」
 三蔵の視線は八戒の手にあった。
 めったに見せない本心をさらけ出すのには、大変な努力が必要なのだろう。
 それが膝の上で握り締めている手には現れているようだった。
 両手をさらにぎゅっと握りしめて、八戒は言葉を綴る。
「あの世でだって会えない。あなたは天国に行くでしょうが、僕地獄ですし、もしかしたらそれ以前に消滅してしまう事だってありえる。本当にこれが最後だって思ったら…」
 八戒は突然身を震わせると、錆びた機械人形のようにぎこちなく手を動かし、そっと自分の体を抱きしめた。
 ぽたんと音をたてて落ちたものは、1つのしみを布団につけた。
「…すごく怖くなりました…」
 その言葉がつっかえの役目をしていたのだろう。はらはらと涙がこぼれ落ちた。
 瞼を閉じれば、いくつもの雫がいっぺんに落ちて行く。
「あ、れ。すみません。…なんでだろ。止らない…」
 拭っても拭っても静かに零れ落ちる涙は、いっこうに止る気配を見せなかった。
「止めることはないだろ。たまには必要なんじゃねーか」
 たまには本音を出してほしい。自分がいることを忘れないでほしい。
 うわべだけの付き合いのようで、あかの他人だと思われている気がして、悔しくなる。
 八戒の気の回しすぎにいらだつ自分がいることを三蔵は知っていた。
「…今日の三蔵は優しいんですね」
 ほんのりと笑い顔。
 それでも流れる涙は、少し落ち着きを見せていた。
「有難うございました。もう、大丈夫です。…三蔵?」
「………」
 突然がばっと布団をめくる。
 セミダブルのベッドに男2人は苦しいが、それでも三蔵はおかまいなしに無言で潜り込んできた。
「そこまでしてくれなくても大丈夫ですよ、本当に。それに三蔵は怪我人なんですから」
「まだ震えがとまらん奴をそのままにしておくと、夢見が悪いからな」
 悟られないように体に力を入れて耐えていたのに、めざとく見つけていたようだ。
 八戒の腕を掴み布団の中に引きずり込む。
「…っ」
「だから言ったのにっ。早く戻ってください。体に毒です」
「そう思うなら大人しくしていろ」
 ゆっくり腕を回して八戒の体を懐に入れると、三蔵は力を抜いて目を閉じた。
 沈黙が訪れる。
 静かな夜。
 そういえばこんな和んだ夜を過ごすのは久々だという事実に、八戒は今更ながらに気付いた。
 三蔵の顔を見つめる。
 目を瞑っている彼の顔は昨日まで意識のなかったものと変わりはなかったが、あのときあった不安がすっかり感じられないのは、今三蔵の暖かさを感じるからだろう。
「…すみません。さっきのことは黙っておいてくださいね」
 やはり彼は起きていたようで、瞳を開けるとじっと八戒を覗き込んみ、次いで人が悪いように口の端を上げて笑う。
「口止め料次第だ」
 ゆっくりと三蔵が顔を寄せてくる。
 八戒の瞳が閉じられたと同じころ、唇に暖かいものがふれた。
 どちらからともなく深くしていくそれを2人は堪能する。
 三蔵は八戒を慰めてくれるように。
 八戒は三蔵の存在を感じるように。
 唇を離した後も、いつまでも抱きしめてくれている三蔵の体は暖かく優しく、涙を流した後のささくれ立った心に穏やかさを与えてくれる。
 その心地よさにそのまま甘えることにして、八戒も瞳を閉じる。
 今回のことは人に見せたくない醜い弱さをさらけ出すことになってしまったが、三蔵の優しさに触れられたことが何より嬉しかったことだと、今日1日を振り返りながら八戒はゆっくりと眠りの淵へ入っていった。



END