SAIYUKI
NOVELS 60
だからこその想い 2002.3.8
SANZO×HAKKAI
 太陽が沈む準備を始めた、夕方にほど近い時刻。やっと着いた町は大きくもなく小さくもなく、それでいて穏やかな時間が流れていそうな、温かみのあるところだった。
 今の彼らの旅の目的地は西域の天竺国だが、目的は三仏神からの命令、「牛魔王蘇生阻止」である。だからこそ、三蔵がたまに「急ぐ旅ではない」と口にしてはいても、実際のところは牛魔王が蘇生される前に天竺国につかなくてはならないわけで、そうそう時間がたっぷりとあるわけではなかった。ましてや途中には敵などの障害が多く、いつも危険と隣り合わせだったりするのだ。だからこそ、日々駆使している身とそして疲れている心にゆとりを持たせるためにも、ときにはこのような町でのんびりと時の流れを感じつつ、楽しい時間を過ごすことも必要なのではないかと、八戒は常々考えてたりする。
 そんな彼は、うるさいメンバーが1人もいない個人体で、オレンジと黒で描かれた大きなポスターに真剣な眼差しを向けていた。





 今日はハロウィンである。どこの町も村も、この日だけはオレンジと黒が目に付くハロウィン一色となり、夜は大人も子供と同様に騒ぎまくる。だからこそ、ぜひ今回の町でもハロウィンに参加してお菓子をたくさん手に入れようと、悟空は町に着く前から意欲満々だった。そんな悟空を手助けするように、今回着いた町では、様々な場所にかぼちゃが置かれ、一時だけ顔をランタンに変えられ、とんがり帽子をかぶせられたカカシまで立っているという念の入りようで、今日1日限りのお祭りであるこの日を心から楽しんでいるようだった。おかげで悟空もまた、ハロウィン気分がさらに高まったようである。
「早く夜にならないかなあ……」
 悟空はかぼちゃの煮付けを口に放りこみながら、かぼちゃの絵と『ハロウィン』という文字で飾られた窓を見つつ、心ここにあらずという状態で小さく呟いた。
 それはまるで、夜更かしなど許されない子供が1年でたった1度だけ許される大晦日の夜を楽しみにしているような、そんな印象を受けるほどしみじみとしたものだった。
 彼らは今、とある食堂に来ていた。空いた小腹に餌を与えるためである。ところが八戒のみはまだそこに姿がなく、彼の仕事はまだ終っていないとばかりに、隣にある宿屋で部屋の確保をしているのだ。
 そんな仕事熱心な彼が戻ってくるなり、開口一番の台詞が。
「ゲームをしましょう」
 だったのである。
「……は?」
 もちろん話しが見えなければ、まったくもって訳がわからない。彼らが呆れたような表情をして見せたのは仕方がないことだろう。
 肩にポンと優しく乗せられた八戒の掌を感じた悟浄は、一瞬にして身を固くする。
 八戒の帰りが思いの他遅いので、鬼の居ぬ間に、大好きなかぼちゃの煮付けの、苦手なかぼちゃの皮だけを残してウエイトレスに片付けてもらおうと、企んでいたのである。ところが残りあと1つというところで、鬼の登場となってしまったのだった。
「ゲームですよ。先ほど宿屋にポスターが貼ってあったんですが…」
 悟浄に「お茶が足りなければ僕の分を差し上げますよ」と笑顔で言いつつ、同じものなのにどこか違うように感じられる笑顔を三蔵に悟空に向けて、八戒は説明をし始めた。
 『ハロウィンの今日は町全体で盛り上がろう』というキャッチコピーが書かれてあった、八戒が先ほど見ていた2色のポスター。それは町が主催するゲームの告知で、内容は宝捜し。ルールはいたって簡単で、町中に隠してある直径三センチほどのミニマムなかぼちゃを制限時間内にできるだけ多く探し出すというものだった。
「かぼちゃの中身は着色されていて、最後に半分に割り、その人が見つけたかぼちゃの中で、一番多い色の商品が頂けるということだそうですよ。だからハズレはなし、なんです」
 宿屋の主人から聞いた詳細を八戒は話してくれるが、彼と同じように楽しそうにしているのは、この仲間の中には誰1人としていなかった。
 たしかに楽しそうだとは思う。しかし自分たちはこの町に着いたばかりなのだ。今回ここまでの道程はさほど険しくはなかったし、前の村からも移動時間は1日という、どちらかと言えば楽な方だったのだが、ところが途中刺客と2度も遭遇してしまったために、今日ばかりはもう運動は控えさせていただきたいというところが本音だった。実際同じ体力を使うなら、悟空は1件1件家を回った方がお菓子がたくさん手に入るし、悟浄はこの後の夜に備えておきたいところだ。三蔵にいたっては、ただ面倒なだけだろうが。
「それってさ、事前に参加希望とか出さなくちゃなんねーんじゃねえの?」
 この一言で絶対に諦めてくれると思った悟浄だったが、彼よりもうわ手なのが八戒であることを、このときすっかり失念していたようだ。
「ええ。でもご心配なく。それはもう済ませましたから」
「事後承諾かよ…」
「まあまあ。楽しいですよ、きっと。悟空、賞品の中にはグルメ商品券っていうのがありましたよ」
「えっ、マジ!?」
「そうそう。それと参加者は老若男女問わないそうですから、悟浄」
「何時からだ、八戒?そのゲームは」
「始める前に説明があるので、6時半集合だそうです」
「猿、頑張るぞ!」
「おうっ!」
 ほんの少し前まではまったくやる気がなかったくせに、今ではすでにやる気満々で、登録済ませてきた八戒を「よくやった」と讃えている始末だ。
「んじゃ、まだ時間もあることだし?一度部屋に戻ってゲームにそなえっか。な、三蔵?」
「なぜ俺までやらねばならん。お前たちで勝手にやれ」
「えっ。三蔵、やんねーの?」
「体力がもたねえんだろ。さすがの三蔵サマも年には適わないってか?」
「明日に備えて無駄な体力を使わんだけだ。キサマと違ってな」
「それが年だっつってんだよ。明日の体力をとっとかなくちゃなんねえっつーのが、弱ってる証拠だろーが」
 ガウン。
「てめっ!いい加減分が悪くなったからって、銃打つクセ直せよな!」
 一瞬にして険悪なものへと変わった空気に、か細く悲しそうな声が混ざり合った。
「…そうですよね、やっぱり嫌ですよね……」
「あーあ、せっかく八戒が皆で楽しもうとしたその心遣いを、お前はムダにすンだな」
 その悟浄の言葉に、三蔵はチラリと視線を八戒へと向けた。八戒はといえば、一人酔いしれた口調で話す悟浄へと、「そんな大袈裟な」と呟きながら、苦笑いを向けている。
「協調性って言葉、知らねーんじゃねえの?」
 誰もあなたに言われたらお終いですよ、と八戒なおも突っ込んでおり、続いて何かを口にしようとしたようだが、ようやく三蔵の視線に気づか、苦笑を消さずに今度は三蔵に対して言葉を綴った。
「気にしないで下さい、僕たちで行ってきますから。すみませんが、お留守番しててもらえます?」
 さらっと、本当に何でもないことのように言う彼だが、そう安々とその言葉に騙されたりはしない。もうどれくらい彼を見てきたのか分からないのだから。
 三蔵はすっと席を立ちあがり、歩を一つ進めながら、苛立たしさを隠しもせずに言う。
「……早く戻るぞ。休む時間がなくなる」
「そーこなくっちゃ!」
 声を揃えて、席を立つタイミングまで同じで。嬉しさを一杯に宿屋へと向かって行く悟空や悟浄とは反対に、八戒は慌てて三蔵の背を追いかける。
「本当にいいんですよ、三蔵?」
「あのエロ河童に目に物を言わせるためだ。それ以上でも、それ以下でもねえ」
 宿屋へと続くまっすぐな道を前から視線を逸らさずに、三蔵はぶっきらぼうに返事をする。
 それが彼なりの優しさ。
「……ならいいんですが」
 こうして三蔵一行のハロウィン限定イベントへの参加が決定したのである。





「…主催者の神経を疑いたくなるね」
 悟浄は小さなかぼちゃを掌で遊ばせながら、呆れたように口にした。
 彼が今いるのは宝捜しの範囲内に建てられている、とある家の寝室。手にしているかぼちゃは、室内にあったティッシュペーパーの箱の中に入っていた物で、だからこそ、そう悟浄がぼやいてしまっても仕方がないことだろう。
「ったく、先が思いやられる…」
「悟浄」
 ひょっこりと顔を出したのは八戒だった。
「どうですか、調子は?」
「どうもこうもねえよ。ったくナニ考えてンだか、この主催者サンはさ。これ出てきたの、ティッシュの中だぜ、ティッシュの中。んなトコ、隠すかフツー」
「僕はお塩の中でしたよ」
「なんだ、そりゃ。そのうち枕とかから出てくンじゃ、ねーだろーなあ」
「後で見てみましょう」
 八戒はクスクスと小さく笑い声を立てている。
「まあ、でも楽しいじゃないですか。どこにあるのか予想できないところが」
「たしかにそうなんだけどね…」
 大げさに悟浄が肩を落としたその姿が、また八戒の笑いを引き出すものだった。
 そんなとき。
「八戒、次に…」
 突然姿を見せたのは三蔵だった。もともと彼はこのゲームに乗り気ではなかったで、どうやら八戒とともに行動することで、楽しみを見出しているようだ。
 そんな彼の言葉がふいに止んだ。八戒の後ろに悟浄がいたからだろう。現に悟浄を目に留めたとたん、一変して片目を細め眉間にしわを寄せたのだから。
「キサマもいたのか」
 心なしか声音をも、違うような気がする。
「露骨にイヤそーな顔してくれちゃって。はいはい、お邪魔ってコトね」
 悟浄は椅子代わりに座っていたベッドから重たそうに腰を持ち上げると、三蔵の脇を急ぐことなく通りすぎる。そのまま外へと向かうのこと思われたが、部屋のすぐ外でピタリと立ち止まった彼は、振り返ることなく口を開いた。
「言っとくけどな、三蔵。男の嫉妬は醜いぞ」
 ガウン。
 三蔵の反応も早かったが、それよりも早かったのは悟浄の方で、すでに彼の姿はどこにもなかった。
 銃からは硝煙の香りが漂ってくる中、たった今空いてしまった壁の穴を見つめながら、三蔵は悟浄の言葉を反芻していた。
 そんなこといわれなくても分かっている。だが場所が悪かった。
 ここは寝室。2人のことだから、たとえ2人きりだとしても、何かがあるわけではないことくらいわかっている。そして八戒が自分のことを好きでいてくれることも、わかってはいる。それでも、何とも言葉にできない醜い感情が、拭おうとしてもそれに反して次々に湧きあがってきてしまうのだ。
 それが嫉妬というのかまでは、三蔵にはわからなかったが。
「そうなんですか?」
「あ?」
 三蔵は振り向いて八戒を見つめた。
 彼の顔には表情と呼べるものは一切浮かんでおらず、ただ三蔵を見つめているだけだった。そのまま彼は疑問を投げかけてくる。
「嫉妬、してたんですか?悟浄に?」
 しかし、今三蔵の内にある感情のことなど、素直に口にできるはずがない。
 だから。
「くだらねーこと言ってねえで、さっさと行くぞ」
 そっけなく背を向けただけだった。
 ところが、そんな態度を取った三蔵の背中に向けられた言葉は。
「有難うございます」
 その言葉だけでも耳を疑うというのに、声音がどこか嬉しそうだったから、ついつい三蔵は振り返った。
 心持ち俯いている彼。その表情を伺うことはできない。
「ちゃんとした言葉が欲しいとか、態度で示してほしいなどとは思ってません」
 たまに三蔵が見せてくれる態度や向けてくれる言葉で、いかに自分が愛されているか計り知れる。だが本当にときたま、それは自分の自惚れなのではないかと思ってしまうこともあるのだ。
「でもやはり形として見せられると…」
 八戒は顔を上げた。そして瞳を細めると。
「やはり嬉しいものですね」
 はんなりと笑顔へ変わった。
 口元に乗せられた柔らかな笑み。それはとても綺麗で。
 こんなにも左右される自分がいる。
 彼の何気ない言葉やで、こんなにも心が熱くなったり冷たくなったりする自分がいる。
 初めての存在。
 初めての自分。
 恋人という位置になってずいぶんとなるが、「初めて」ばかりなそれらは、未だ戸惑うことばかりで。
 それでも腕を伸ばせば容易に触れられる、この温かなぬくもりを手放すつもりはまったくなかった。
 それでなくとも八戒が纏う空気は、誰もが触れたくなってくるものなのだ。それなのにあんな綺麗な表情を見せられては、何匹の虫が寄ってくるかわからないのではないか。
「…ちっ。どうかしてる」
 八戒の喜ぶ顔はみたい。彼を悲しませることなどしたくはない。だから形で出して喜んでくれるのなら、たまには形として現してみてもいいとは思う。
 ただ場所にだけ気をつけて。
「……そう…です、ね。あなたらしくないですしね」
「俺らしいとか、らしくないとか、そんな問題じゃねえ。今のようなお前の表情を」
 三蔵はふと視線を逸らせた。
「俺以外の前でさせたくないだけだ」
 少しだけ瞳を見開いた八戒を、もちろん三蔵は見ることができなかった。八戒が瞬間うっすらと浮かべた笑みさえをも。
「…まったく…」
 優しい笑顔。優しい声音。優しい空気。
 八戒の優しい腕がそっと三蔵の首へと回さる。続いて近付いてくる顔に三蔵が見とれていた間に、唇には柔らかくふんわりとしたモノが感じられすぐに離れてしまうと、八戒の顔を見ぬままにコトンと肩に軽い重みを感じた。
「僕にはあなただけです」
 囁くような少し掠れ気味の声。甘味が含まれたそれはじんわりと三蔵の心を温かくしてくれる。
「あなたじゃなきゃ、嫌なんですよ、三蔵」
 それまであった醜い感情が、氷が解けていくように少しずつ解け消えていく。そして後に残ったものは彼に対する愛しさだけだった。





 イベントも終り、今は参加賞として全員に配られた豚汁を食しているところだ。
「結局、一番は八戒か」
 悟空はグルメ商品券を目当てにしていたはずだったのに、いつの間にか競争ということになっていたようである。
「俺も可愛いおねーさん、口説けなかったしなー。こん中で一番美味しい思いをしたのは八戒か?」
「温泉宿泊券、ですか?」
 今回の宝探しはそれぞれの色のかぼちゃの個数で商品が貰えるだけでなく、見つけたかぼちゃの合計でも商品が貰えるようになっており、4人の中で唯一八戒だけがその商品を頂いたいた。ちゃっかり最多賞という名目で。
「それってさ、八戒。たしかペアだったよな」
 悟浄はすでに妄想している。
 室内には立ち込める白い湯気。たまにその湯気に混ざるように、ぽちゃんと水の音が聞こえてきて、温泉に浸かっている背中はほんのりピンク色に染まっている。
 夢見ごこちに言葉を更に綴った悟浄だったが。
「じゃあ…」
「俺とに決まってるだろうが」
 即座に否定したのは三蔵だった。
「何でテメエが決めてんだよ。俺は八戒にきいてんの」
「すみません…」
 苦笑しつつやんわりと否定され、結局は三蔵の答えと同じだった。
「ちぇっ、やっぱり三蔵サマかい…。あ、じゃ、こんなのど?三蔵と八戒がこの宿屋で2人っきり」
「えー。俺、悟浄となんて、ぜってーイヤ」
「んで、俺は温泉美人、猿は豪華な夕食ということで」
「さんせーっ!」
「……なんでそんな…」
 あ…と、八戒が思ったときにはすでに遅く。
「面倒なこと、しなくちゃなんねーんだっ」
 怒鳴り声と、スパパーンという見事な音が、綺麗に合唱した。
 つまるところ、三蔵もまた、悟浄と同じようなことを想像していたようである。






END