SAIYUKI
NOVELS 14
珍華かの人 2000.6.20
SANZO×HAKKAI
 だんだんと近づいてくる元気な足音。
 いや元気と思っているのは八戒だけで、三蔵はうるさいと思っているのだろう。眉間にしわをよせているその顔が物語っていた。
 そんな彼の様子にふっと口元に笑みを浮かべ、今度は悟浄の様子を見てみる。すると彼とは視線が合った。同じことを考えていたらしいことをお互い悟って、悟浄と八戒は笑みを深めた。
 そして八戒はドアを見つめる。
 あと少し。もう少し…。
「八戒っ」
 バタンと、盛大な音をたてて大胆にドアを開くと、嬉々とした症状を浮かべた悟空は、三蔵と悟浄には見向きもせず、八戒の元へと近寄っていく。
「どうしました、悟空」
 可愛いという言葉がよく似合うその動作に笑みを更に深くして、保父さんの顔になりそうな自分を自覚しながら悟空を見る。
「これ」
 にょきと腕を前に出すと、パッと手のひらを開ける。
 ほんのりと赤く染まった手のひらには、魚の卵くらいの小さな粒がひとかたまりになった、コインほどの大きさの赤い実があった。
「木苺ですか」
「きいちご、って言うの?」
「ええ。これは甘そうですよ。食べてみてください」
 オレンジ色をした実。
 可愛らしい形をしたこの実を悟空はじっと見つめる。
「これ、食べれるんだ」
 以前、森の中の獣道を移動中、美味しそうな木の実がなっていたのを見つけた悟空は、それを食べようとして八戒に慌てて止められたことがあった。それ以来、必ず物知りの八戒に見てもらっている。
 許可が出た「きいちご」とかいう実を、大きい口をあけてパクッと食べる。
「うまーいっ!」
 にっこり幸せそうに笑って、悟空は感想を述べた。
 よかったですね、と自分のことのように笑って喜んでいる八戒。
 そこはのほほんとした一種違った空気が流れているようだった。
 それを面白く思わないのは、蚊帳の外の2人である。
 悟空の奴、八戒の笑顔を1人占めしやがって…。
「なあ、八戒。これ、もっと食いたい」
「そうですねえ…じゃあ、一緒に取りにいきましょうか」
「うんっ」
 やはり2人の世界を作っている。
 食いたいなら、一人で取って来い!
 それはどちらが思ったことだろうか。
「三蔵と悟浄は、どうします?」
「行く」
「せっかくだしな」
 その返答に一番驚いたのは、尋ねた八戒本人だった。
 八戒はただ誘わないと不機嫌になりそうだから誘っただけで、Yesの返事が返ってくるとは思ってもみなかったのである。
 どうした心境の変化だろう。
 いつもの悟浄だったら、この誘いの言葉を蹴って、街へとくりだして行くだろう。
 いつもの三蔵だったら、「くだらん」の一言ですませてしまう。
 …何かあったのだろうか。
 2人の心境など、まったく理解できない八戒だった。





「悟空っ、赤いのを取ってくださいね」
「赤?」
「オレンジ色のを取ってください」
 とある森の中。
 一段高くなっているそこに、木苺はなっていた。
 たくさんの刺がある木なので、苺を取るには慎重にならざるを得ないが、それでもたくさんなっている実の中でオレンジ色のを見つけては、少し力を入れて斜めに取り持参したビンに入れていく、その単調な作業が、結構楽しかったりする。
 背丈の低い木。スレンダーな木。ぶどうのような房がなっている木。小さな白い花がいくつもなっている木。さまざまな樹木の中に、身を隠すようにひっそりと、それでいて緑の中に鮮やかな色彩をもってはなやかにしている木苺は、ほとんど人の目に触れることはなかったのだろう。
 今だって、実を取っているが、取られたあとは見られない。
 悟浄はただ熱心に摘んでいる。彼は見かけに寄らず、こういうのに一生懸命になってしまうのだ。
 悟空は八戒の言う通り、濃いオレンジ色のした木苺を嬉しそうに取っている。
 木苺の入っているビンを振っては、手にかかる重さに、視覚以上に実が取れていることを実感してにこっと笑う。そしてたまに口に運んでは、噛んだときの独特のぶつぶつ感と、口内に広がる独特の甘さとに、にぱっと笑って幸せそうにしている。
 その微笑ましい彼の姿にいつの間にか笑みを浮かべている八戒も、お付きあいで木苺摘みにせいを出している。
 何年振りだろう。この実と対面するなんて。
 遥か昔の、記憶の奥の方に追いやられた思い出を、引き出してみたりする。
 あのときはまだ大人の汚れを知らない、無垢な子供だった。
 それが今では…。
 チラリと三蔵を見る。
 悟空とどちらがより多く摘めるかの競争をしている悟浄とは違い、三蔵は木に寄りかかり、持参した新聞を広げている。
 別に今のこの関係が嫌ではない。むしろ嬉しいことだが、自分が大人になったことを実感させられる。
 彼を離したくないという、エゴイスト。汚い大人。昔は大人の自分を想像できなかった、その大人に。時間の流れは早いものだ。
 八戒がそんなことを考えている間、ずっと三蔵から目を離さずにいたため、視線に気付いたのだろう。新聞を少し下へずらすと、突然八戒を見つめた。
 どちらともそらさない視線。絡み合い、瞳の強さに身を打たれる。
 いたたまれなくなって、先に瞳をそらしたのは八戒だった。
 まったく、彼のあの瞳にはかなわない。
 顔が赤いのをみんなに知られないように、八戒は場所を移動する。
「うわっ」
「えっ…」
 足元には草がたくさん生えていて、よく見えない。そんな悪条件が悟空の足を滑らせた。
 ちょうど時を見計らったように、悟空の後ろを通る八戒。
 2人はもつれて倒れ込んだ。
「おいっ、大丈夫かっ!」
「いてて、ごめん八戒」
「いえ。こちらこそ…」
 八戒の上に乗るようにして倒れ込んだ悟空は、慌てて勢いよく身を引く。頭の上に木の枝が伸びているのを知らないで。
 バサバサッ。
「痛ーっ」
 案の定、悟空は枝に気付かず、豪快に頭をぶつけた。
 その反動で木が大きく揺れる。
 ぱらぱらと上から降ってくる緑の葉と小さい白い花。
 八戒の頭の上に落ちたそれらは、みごとに草で作った冠のようだった。
 草むらから上半身だけを出し、草の冠のつけた翠の瞳をした八戒は、さながら精霊のよう。
 あまりにも自然と同化している八戒に、一瞬目を奪われる。
 そんな中、いち早く自我を取り戻したのは、やはり三蔵だった。
 無言で草むらに入ると、ぐいっと腕をひっぱって立たせると、被っている草と花とを払った。
「有難うございます」
「………」
 三蔵からすれば、ただいつまでもその格好でいられるのが、気に入らなかっただけだった。

 住む世界が違いそうだから。
 自分から離れて行ってしまいそうだから。
「もう、いいだろう。帰るぞ」
「そうですね」
「ちぇっ。もう少しいたかったな」
「もう、いいだろー。これだけありゃあ」
 つめかえれば丸々ビン2つ分はありそうなくらいはある。すごい収穫である。
 いつまでも満面な笑顔でいる悟空にビンを託して、みんなはのんびりした歩調で帰路についた。
 先ほどの花だろう。八戒からはほんのりと甘い香りがする。しつこくないその香りは、決して不快に思わないものだった。
 少し先を歩く悟空と悟浄を視界に入れて、三蔵は八戒に軽く口付けした。
 もう、と軽く睨む八戒に、口の端に笑みをのせたことで三蔵は返事をする。
 ごちそうさま、と。
 そして八戒から漂う香りは、部屋についてからも消えることはなかった。
「三蔵。何でお前からも、あの花の香りがするんだあ?」
 この花の香りはすぐ人に移るようだった。
「花を払ったからだろう」
「ふーん。それだけかねえ、三蔵サマ?」
 悟浄には気付いていた。
 花が八戒の上に落ちてきたとき、一番近くにいた悟空からは、まったく花の香りがしていないことを。
 まったく。ホントに手がはえー奴だな。
 悟浄には、全てが理解できてしまっていた。
 なぜなら珍しく赤面している八戒、それが答えだったから。



END