SAIYUKI
NOVELS 3
cherry-blossom viewing 2000.4.4
SANZO×HAKKAI
 この村にたどり着いたのは、太陽が少し傾いた、お昼すぎのころだった。
 本当だったらここで昼食をすませて即次の村に向かうところだが、次の村までの行程が3日間もかかるということと、まだ比較的に早い時間のため宿屋の部屋が4つ確保できること、それと三蔵が悟空のいびきで最近よく眠れていないこと。この3つが重なって、すでに本日のはこの村で朝を迎えることになっていた。
 今日1日時間はまだあるので、悟空は裏の森へ探検に。悟浄ははやばやと賭場へ嬉々として出かけて行った。三蔵は早々にベッドにもぐりこんでいる。
 そして八戒はというと。やはり1人で森にいる。
 キョロキョロして何かを探している様子だが、名前を呼んでいないところを見ると、悟空を探しにきたわけではないようだ。
 実はときをさかのぼること少し前、買い物していたとある店の、お世辞にも若いとは言えない店主であるおじさまがいたく八戒を気に入ったようで、結構な時間、立ち話のお付き合いをしてあげていた。そのときに興味深い話を語ってくれたのである。
 裏の森に樹齢千年の桜の木があるというのだ。花はすでに咲かなくなってしまっているので花見の今時分でも綺麗な花を見ることはできないが、その桜の木の幹の太さがそうとうなものだという。
 せっかくだから見てみるといい、と薦められた店主の言葉にひかれ、八戒は今その噂の木を探しているのである。
「この辺のはずなんですけどねえ…。ああ、あれですね」
 思った以上に森の奥まで足を踏み入れてしまったが、よく考えればそれも至極当然のことだった。
 樹齢千年。そんなとても背の高い大樹が村に近い方にあったのなら、村を訪れた時点で気付いたはずなのだから。
「それにしても…すごいですねえ…」
 見知らぬはるか遠いところから来たと言う噂の桜の木。
 以前何かの本で読んだことがある。
 1年に1度暖かい時期になると、薄いピンク色をした小さい花が1本の枝に何十も咲くという。
 ましてこの桜の木は店主の言うとおり、幹の太さには目を見張るものがあり、三蔵・悟浄・八戒の大の大人が3人、両手を広げて木を囲んでも、もしかしたらまだ足りないかもしれないと思うほどだ。
 これだけの太さなら枝の数もそうとうのものだろうし、もし花が咲いていたらそれは素晴らしいものだったに違いない。
「…花が見れないのが残念ですね」
 桜の木全体を見ながらしみじみと八戒は呟いた。
「でも、もうお仕事が終ったんでしょうね」
 1歩1歩近づき、幹に両手をつけて、上体を少し木にあずけると。
「お疲れさまでした」
 実際は何年花を咲かせていたのかは皆無だが、千年に近いのは確か。
 その気の遠くなりそうな長い間、一生懸命花を咲かせて、人々を楽しませてくれていたはずだ。
 そう考えると労いの言葉が自然と口から出ていた。
 その体勢のままで少しの間じっとしていた八戒の視界の端に、何かが映ったような気がした。
「…えっ……」





 夕食後ののんびりとしたひととき。
「これからお花見に行きませんか?」
 気分転換になると思いますけどと付け加えて、ニッコリ極上の笑みを浮かべると、八戒は皆を誘ってきた。
「お花見?」
 聞きなれない言葉に怪訝そうな表情をして、悟空は八戒に意味を尋ねる。
 悟空はこういうようにわからない言葉などが出てくると、めったなことがないかぎりほとんど八戒に聞いてくる。悟浄も三蔵もちゃんと教えてはくれるのだが、悟浄はバカ呼ばわりするのが大抵だし、三蔵なんてはハリセンが飛んでくることがままあるので、2人とは対照的に、ニッコリと優しく丁寧に教えてくれる八戒についつい聞いてしまうのだ。
「今の時期は色々な花が咲き始めるでしょう。それを飲物を飲んだり、ものを食べながら、皆で楽しむんですよ」
 花見というのは別に物を飲んだり食べたりしなくてもいいのだから、少し意味が違うような気がすると悟浄は思ったが、多分八戒は悟空にとって一番有効な説明としてこの言い方をしたんだろうと考えなおし、納得した。
 案の定、悟空はさきほどの険しい顔とはうってかわったものになっている。
「もの、食えるの?」
「ええ。ちゃんと肉まんとカステラの用意ができてますよ」
「肉まん…カステラ…。俺、行く。ぜってー、行くっ」
 やっぱり。
 三蔵と悟浄が同時にそう思っても仕方がないことだった。
 八戒はニコニコと、絶えず笑みを浮かべている。その表情からは何を考えているのかは想像しがたい。
 そして、その笑みに悟浄がかなうはずもなく。
「で、飲物は?」
「お店によって行くつもりでいます」
 すでに八戒の頭には目的地までのルートが描かれているようだ。
「オッケ。じゃあ、さっそく行こーゼ、三蔵」
「…俺の意見はないのか」
「さんぞー、早くーっ」
 言いたいことだけ言って、出て行く2人。
「ちっ」
 そして、くすくす笑いながらも三蔵を待っていてくれるのは、八戒ただ1人。
 いつも彼はさりげなく装って、最後の人を待っている。
「…タバコ屋もよるんだろうな」
「もちろんですよ」
「ならいい」
 少々不機嫌になりつつも、三蔵もまた八戒にかなうわけがないのである。
 宿屋のマスターから肉まんとカステラの入ったバスケットを譲り受け、お酒とジュース、タバコを購入してから森へと入る。
「肉まんー。カステラー」
 1歩先を歩く悟空は、さっきからその2つを歩調に合わせて口ずさんでいる。
「しっかしさー、森のしかもこんな奥に、花が咲いているところなんかあんの?」
 八戒は花見という名目でここにつれてきているのだから確かにあるんだろうが、何となくジメジメしてそうなところを見ていると、ついつい疑ってしまいたくなる。
「これが、不思議とあるんですよ」
 どれもこれも似たような木がひしめき合っているこの森の中を、八戒は迷うことなく先へ先へと進んで行く。その軽い足取りは、自分の庭みたく熟知しているようにも感じられるほどだ。
「なー、八戒、まだ?」
 口外に早く物が食べたいと言っている。
 ここまで来るのには結構な距離がある。例え食後に出たとはいえども、悟空ならお腹をすかせて当然かもしれない。
「もう少しですよ、悟空」
「花はいっぱい咲いているワケ?」
「いっぱい、っていうほどでもないんですけどね。でも、面白いものが見れますよ。わざわざ来たかいはあると思います。…あ、ここです」
「……ここ…?」
 三蔵と悟浄はたくさんの花をつけている木を、悟空は色とりどりのお花畑を、それぞれ想像していたので、まったく違った今まで歩いてきた風景と同じにしか見えない彼らは、ただ呆然とするばかりである。
 ただ1つ今までと違ったことといえば、とても太い幹の木が1本まじっていることだけ。
「すっげー、ぶってェー」
「たけーな。本当に、お前なんて、この木からすれば小猿じゃん」
「猿って言うなっ」
 ギャンギャン騒ぎたてている悟空と悟浄の声とは対照的な、静かにのほほんとした八戒の声が誰かに話かけた。
「お待たせいたしました」
「へっ?」
 自分たち4人だけだと思っていたが、他にも人がいたんだろうか。
 しかし、あたりを見まわしても、暗闇が広がるばかりで、人っ子1人いやしない。
「…なあ、悟浄。八戒って、誰に話しかけてるんだと思う?」
 悟空は1つ考えが浮かんだ、それだけは違っていてほしいと願っている答えを否定してほしくて、悟浄にたずねる。しかし返ってきた答えは。
「…俺たちに見えなくて、八戒に見えるもの」
「ぎゃあ〜っ」
「の、訳ないだろがっ」
 冷静に事の全体像を監察していた三蔵が、まったく検討違いな方向へと話をもっていこうとしている2人に、ハリセンで終止符を打った。
「ってー」
「何すんだよ」
「見てみろ」
 三蔵の視線の先には、大樹に向かって八戒が話かけている。
「お約束通り、仲間をつれてきました。少しの間、楽しまさせてくださいね」
 すると八戒に答えているように、その木の枝の一部分に花ばパッと咲いた。
「…すっげー…」
 とたんに騒ぎ出す悟空。
 対して、今まで以上に冷静になる2人。
「…不気味だよな」
「また変なのを見つけやがって」
 木が人の言葉を理解するなんて。まして自由自在に花を咲かせたり閉じたりすることができるなんて。
 そんなの今まで見たことだってないし、初耳だ。
「えっと。紹介しますね。こちらが悟空」
「よお」
 短い悟空の挨拶に反応するように、また花がパッと咲いた。
「で、あちらにいる法衣を着ているのが三蔵で、赤い髪が悟浄です」
「…何で、俺たちのときだけ、反応なしなんだと思う?」
「嫌われてるからだろう」
「簡単に言うねえ」
 木が言葉を発していたならば、だから何、と言っているような、冷たい反応だった。
「まあまあ…。では、少しの間一緒に楽しみましょうね」
 そう八戒が言うと、木は花を自分たちに近い、下の方だけを咲かせてくれる。
「有難うございます」
「すっげーな。なあ、八戒。これって何の木?」
「桜の木ですよ」
「サクラ…」
「そう。ここからずっと遠い、どこか私達が知らないところから来たそうですよ」
「ふーん。大変だったんだなあ」
「くすくす。じゃあ、そろそろ始めましょうか」
「いっただっきまーすっ」
 桜の木の下でバスケットを広げ、調達してきたお酒もくばり、宴会が始まった。
「あっ、てめっ、今のフライングだぞ」
「んなことねーよ」
「意地汚い猿は、これだからいやだねェ」
「どこが意地汚いんだよっ」
「別にお前だなんていってねェけど?やっぱり自分で猿ってみとめてんじゃん」
 またもやぎゃいぎゃいと騒ぎ始める2人。
 たかだか少しのフライング程度でいちいち言っているようでは、悟浄も意地汚いような気がする八戒だったが、どうせ彼らなりのコミュニケーションの1つなので、いつものことと1人持参したコーヒーをゆっくり味わいつつ、今回特別に咲かせてもらった桜の花を愛でていた。
 それに、どうせもうすぐこの騒ぎもおさまることでしょうし。
 八戒がそう思った直後、計ったように脇から発砲の音がした。
「うわーお」
「うるさいぞ、きさまら」
「せめて言葉を先にしてほしいんですけど」
 ちっ、よけたか、とどうせ本気であてるつもりはないくせに、三蔵はぼやいている。
「ホラよ。お前にも」
 悟浄は木の根元にお酒を大量にかけていく。
「ちょっと、悟浄」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
「いいなー。俺もお酒飲みたい」
 仲間はずれにされた子供のような頼りなげな表情で、悟空は酒瓶を凝視している。
「いーんだよ、お子様は」
「そうですよ。僕だってお酒飲んでませんし、それにお酒を飲んで悟浄のような人になったらどうするんですか?」
 自分の意思で飲まないのと飲めないのとでは大違いだし、それに八戒だけには飲んでほしくない、と残っているお酒の量を見ながら思ってしまう三蔵だった。
「…やっぱ、やめとく」
「それが賢明ですね」
「おいっ。どーいう意味だよっ」
「だって俺、エロ河童にはなりたくねーもん」
「なっにー」
 今度は食後の運動のつもりか、それともただ単にこのお騒ぎを三蔵に邪魔されたくないのか、少し離れたところに移動して争っている。
 その2人の姿を目で追って変わりない日常を感じて口元に笑みを浮かべ、視線を三蔵に移す。
「…ちょっと、三蔵。ペース早すぎませんか?」
「ん?」
 …目が据わっているような気がする…。
 三蔵の様子を窺うように見ていた八戒へ、何を思ったかにじりよってくる。
「あ、あの。…三蔵?」
 逃げの体勢をとろうとした八戒に気付いた三蔵が、いち早く右手を八戒の首に回し、引き寄せて口付ける。
「………」
 ある程度八戒の唇の感触を味わって口を離す。
「…三蔵。わかっているとは思いますが、ここには悟空も悟浄もいるんですよ」
「そうだな」
 小さい抵抗もなんなくかわして、もう一度三蔵は口付ける。
 今度は唇の感触だけでなく、何度も向きを変えて濡れた口内をも貪っている。
 ばさっと音がしたのはそんなときだった。
「…っ」
 三蔵が頭を押さえて上を仰ぎ、そして地面を見た。
「なぜこんなのが落ちてくるんだ」
 そこには桜の枝が1本落ちていた。
 多分というより、100%故意的だろう。
「これを僕にくれるんですか?」
 なんとなく察した桜の意志を確認すると、風もないのにさーっと音とをたてて枝が揺れた。
「有難うございます」
 花が咲くようにほわっと笑って礼を述べると、おまけとばかりに八戒の上に桜の花弁が舞い落ちてきた。
 ハラハラ、ハラハラ。八戒に幸あれといわんばかりに、とめどなく落ちてくる。
 めったにない演出に、八戒の笑顔は極上のものへと変わって行く。
「すっげーキレイ…」
 思わず呟いたというような、ため息交じりの悟空の言葉。
 目を向けると悟浄までもが、呆然とたちつくしている。
「…ヤな奴だと思ってたけど、案外にくいコトしてくれるじゃねーか」
 儚げな花が降りしきる中、綺麗な笑みを浮かべ空を見上げる八戒。これが日中の明るく、暖かい陽がさしているときだったら、さぞや目に焼き付く光景だっただろう。
「じゃあ、そろそろお暇しましょうか」
 それは悟空が目をこすり始めたのが合図だった。
「今日は有難うございました。僕らは明日この村を経つんですが、またいつか近くを通ったときには、寄らせていただきます」
 またいつか。それがいつになるかもわからない。1年後か、それとも5年後か。もしかしたら会いにこれないかもしれない。
 そんなあやふやな約束だが、今日のこの素晴らしいときを忘れなければ、もしかしたら生きようと思う力の1つになるかもしれない。
「それでは、お元気で」
 また明日から冒険が始まる。その現実へと足を戻したとき。
「あれっ。ホラ、木っ」
 悟空の言葉で振り返る。
 今までとはうって変わった、淡いピンク色の花を満開に咲かせた桜の木。
 老体のために力がでなくなったのか、それとも他に理由があったのか。
 どうして花を咲かせなくなったのかはわからないが、桜の木は特別に彼らのためだけに自分の本来の姿を見せてくれた。
 有難うといっているつもりなのか。それとも去って行く彼らを応援してくれているのかもしれない。
「ここまでくると圧倒するな」
 悟浄の言葉は皆の言葉だった。
 そして彼らが木々に隠れて見えなくなるまで、桜の木は満開だった。



END