SAIYUKI
NOVELS 19
貴方が羽を広げる場所  2000.7.16
SANZO×HAKKAI
「ここなんて、どうですか?」
 目の前にそびえたつ建物。
 ことの発端は八戒の何気ない一言だった。
「僕たちこんなに頑張ってるんですから、たまにはゆっくりどこかで羽を伸ばしたいですよね。たとえば温泉とか…」
 八戒にすれば本当にただ軽く、ふと思ったことを口にしただけだったのだが。
 それに敏感に反応したのが、残りの3人だった。
 悟空が思い描くのは。テーブルの上に所狭しと並べられる食事の数々。お刺身は舟盛りで、まぐろ、鯛、はまちなど、ここぞとばかりに新鮮なお魚さんが四角く切られて乗っている。いかにも甘そうなピンク色した海老は踊り食い用で。ぐつぐつと音をたてている鍋には、お肉をいれたりして。最後には華やかに飾られたデザートまで出てくる、この素晴らしさ。
 うわー、うまそー。
 よだれを垂らしそうになりながら、想像を膨らませている。
 悟浄が思い描くのは。まずは美人の仲居さんが玄関のところでおで迎え。部屋に案内されしばし待てば、艶かしい女将がおしとやかに挨拶にきて。館内には美女で一杯。髪をかきあげれば、「きゃあ〜、ステキーっ」という黄色い声が大合唱する。加えてお風呂は混浴で、ほんのり薄ピンクに染まったナイスバディのお姉さんが手招きをする。
 うわー、今夜はオレ、寝れねーかも。
 本人自身、嬉しいのか悲しいのかよくわからない気持ちになりながら、想像を膨らませている。
 三蔵が思い描くのは。広く落ち着いた雰囲気の館内。木の薫りが鼻をかすめ、静寂が空間を支配している。醍醐味である温泉には体にいい成分が多く含まれており、檜でできた浴槽は広々としていて気持ちがいい。露天風呂ももちろんあり、湯船に浸かりながら、絶景の景色を肴に、ゆっくりと美味しいお酒を味わう。
 …骨休みができるかもしれん。
 うるさい奴らと離れられることを期待しながら、想像を膨らませている。
「よし。八戒、右だ」
「えっ」
 突然のことで驚いたとはいえすばやくハンドルを切った八戒をさすがと言えよう。
 ジープが目指すは北。
「どうしたんですか、急に」
 八戒はまだ気付かない。自分の一言が、今日の予定を狂わせてしまったということに。
「温泉だ」
「は?」
「今日は旅館に泊まる」
 イエーイッ、と声を揃えて喜んだのは、もちろん「喧嘩するほど仲がいい」と言われている悟空と悟浄。
 三蔵はいつもと変わらずに前を凝視しているが、ただ違うところは、彼が探しているのが旅館という2文字だろう。
 八戒はと言えば。まさか本当にこんなことになるなんて、と苦笑するのみ。
 そして三蔵一行は、今、とある旅館の前に来ていた。





 三蔵は露天風呂へ。
 悟空はお土産コーナーへ。
 悟浄は館内散策といっていたが、彼のことだから美女探しだろう。
 個々が好き勝手にこの時間を満喫しているとき、八戒もまた1人外へと出ていた。
 部屋から見えた庭園。
 全体がどれくらいものなのかはわからないが、散歩コースは30分とある。それくらいなら、みんなが戻ってくるのにちょうどいいころだろうと思い、八戒は1人庭園へと足を踏み入れる。
 旅館の庭園なので小さいのが当たり前。なのに、予想以上に広そうなのが歩いていて伺えた。木々もそれなりに植えてあり、その中の背が高い木が日光をさえぎり、影をつくって、散歩を快適なものにしてくれる。
 その歩道を、1歩1歩踏みしめるように、ゆっくりと、のんびりと歩く八戒。
 いきいきとした葉をつけている様々な木が両側に並んでいる道を抜けると、小さな池が八戒を迎えた。
 赤や白などの鯉が優雅な泳ぎを披露して、水面を泳ぐ恋人同士の鴨は仲良く寄り添いながら2人の世界を作っている。
 その微笑ましげな姿に自然と浮かんでくる笑みを口元に乗せたまま、その場に座り込んでしばしこの光景を楽しむ。
「あれ?」
 あんなところに橋があったなんて、気付かなかった。
 散歩コースとは違うところに、池を渡れる橋がある。
 木でできたその橋はみごとに弧を描いており、まっすぐな木からどうしてここまで綺麗な弧を作れるのか、不思議になるくらいだった。
 せっかくだから橋を渡って、中腹からの眺めを見ることにした。
 遠くではわからなかったが、橋の手すりには均等の距離を置いて小さな石造が置かれている。
 七福神かもしれなかった。
「八戒」
 大きな声を出しているわけではないのに、よく通るその声。
 彼の瞳と同じように、揺るがないまっすぐなその声は、ただ1人のもの。
「三蔵…」
 彼は真っ白なタオルを手に、黄色い浴衣といういでたちだった。
 急ぐふうでもなく、しかし八戒の元へと向かってきてくれる三蔵に、八戒は微笑みを向けて近づいてきてくれるのを待つ。
「何してる」
「三蔵こそ。ずいぶん早いんですね、お風呂」
「まだだ。まだ行ってねえ」
「あれ?まだだったんですか?」
 三蔵が温泉を楽しみにしていたのには気付いていた。だからとっくに浴場に行っているのだとばかり思っていたのに。
「行くぞ」
 三蔵は八戒の手をにぎると、スタスタと先導して橋を渡り出した。
 大人しく手を握られたまま後について歩いていたが、弧を描く橋の頂点に達したとき、ぐいっと八戒が三蔵の手を引いて主張する。
「待ってください。ちょっとだけ…」
「…早くしろ」
 ぶっきらぼうに言う三蔵だが、ちゃんと意見を聞き入れて、自分のことを待っていてくれる。
 まったく不器用なんですから。
 そんなに早く温泉に浸かりたかったのなら、どうして早く行かなかったのだろうか。
 そして思いたつ。
 自分のことを待っていてくれたのだ。
 確かに三蔵は八戒より先に部屋を出ている。そのまま浴場に向かったのも確かだ。しかし入り口で八戒を待っていたのである。本当なら部屋を出るときに八戒に声をかければよかったのだが、そのときにはまだ部屋には悟浄がおり、なにか言ってくることはすでに今までの経験から安易に想像できるし、それがうざったかったりする。それに三蔵もまた、八戒が温泉好きなのを知っているから、すぐにくるだろうと予想していたのだった。
 ふふっと笑みを浮かべて、くるりと振り返る。
「有難うございました」
「早いじゃねーか」
「これ以上、お待たせしては可哀相ですからね」
 にっこりと三蔵を見て話す八戒に、答えは返ってこなかった。だがその八戒の言葉で、彼が自分の行動をすべて理解したのを悟った三蔵は、あわてて前を向くと手を引いて先を目指す。
 ふふ。照れてる。
 そう思っても、決して八戒は口にしない。
 機嫌を損ねられたら困るし、そこまで命知らずでもないから。
 それに今のこの状況を壊したくなかった。
 三蔵は手を離す気配がなく。
 八戒も手を離すつもりがない。
 いつまで続くかわからないが今が幸せと呼べるから、このままいつまでも甘受していたいと、八戒は三蔵の背を見て内で呟く。
 この手を離さないでくださいね。
 散歩コースはあと20分。
 この時間が壊されないことを祈る気持ちは、どちらも同じだった。




END