SAIYUKI
NOVELS 5
a firm promise 2000.4.23
SANZO×HAKKAI
 早い時間に到着したその村は思いのほか発展していて、住民も多くまた店も多種多様だった。
 つい先日まで祭が催されていたようで、祭のときはどれくらいの人がこの石畳の道にひしめき合っていたのだろうかと考えてしまった悟浄は、それだけで気分が悪くなった。
 煙草の煙が充満しているいかにも換気されていない感じの、空気の悪いところにいても大丈夫なのだが、人が多すぎるところは気分が悪くなるときがある。
 そして三蔵も、先ほどから人が肩やら腕やらにぶつかってくるので、彼をとりまく空気がだんだんと重たいものへと変化している。
 反対に元気なのは悟空で、軒を連ねているお店の一つ一つを覗いては、瞳を輝かせていた。
 そして八戒はそんな3人のさまを見ながら、やっぱりと苦笑する。
 今から約30分前。
「買い物に行ってきますけど、何かありますか?」
 村についたときのいつもの一言。
 たとえここからジープで半日のところに次の村があったとしても、いつも必ず保存食などを買い足していた。
 何があるかわからないからだ。
 この前のがいい例だ。
 次の村まで行くのに2つの道があった。1つは砂漠を通る10時間コース。1つは森を抜ける半日コース。
 たった2時間の差だし砂漠はもう勘弁、と駄々をこねた悟空と悟浄の意見もあり、森を通過することにしたのだが、途中からぐんと木の量が増えてジープでは移動不可能になってしまった。最終的には徒歩となってしまったがために、ペースが落ちてしまい、もちろん日没までに森を抜けられるはずもなく、結局その日は思いもよらず野宿とあいなったのである。
 まだ記憶に新しいそのできごとが、余計に補充という八戒の役割を重要視させる要因でもあった。
 とにかく村につくたびに買い物に出かける八戒だったが、たいてい1人で行くか、荷物が多そうなときは悟浄を連れていくのが常だった。
 なのにもかかわらず…。
「俺も用がある」
 三蔵が同行すると言ってきた。
 めったにないその言葉に八戒が無言で空を仰いで天気を確認してしまったのは、仕方のないことだろう。
 しかし三蔵にも考えるところがあってのことだった。いつも夜のしかも宿屋の部屋くらいしか八戒と2人きりになれないので、たまには白昼外で行動するのもいいだろうと思ったのだが。
「俺も行くっ!」
「しゃーねーな。俺も付き合ってやっか」
 邪魔者が2匹入ったおかげで、三蔵の思惑はパーになってしまった。
 今思えばそのときから少し機嫌が悪かったのかもしれない。しかし時間が経過するごとにそれは増していくばかり。
「後は僕1人で行きますから、先に戻っていてください」
 とうとう見かねた八戒が口にした。
「どうせあと少しで終りますし、荷物も少なくてすみそうですから」
 大丈夫ですよとにっこり笑う八戒の笑顔を見て、今日の笑顔は天使の笑顔、と悟浄は心底感謝した。
 自分から言い出した手前、途中で帰るわけにも行かなかった三蔵にも、この言葉にはすくわれた。
「……かせ」
「持って行ってくれるんですか?有難うございます」
「三蔵さま、やっさしー」
「くだらんこと言ってないで、行くぞ。猿っ、お前もだ」
 聞こえているのかいないのか、見栄え良く並べてある食べ物を熱心に見つめている悟空に、三蔵は声をかける。
「えー、俺も〜?」
「とーぜんだ」
「ちぇっ、ケチ」
「殺すぞ、貴様」
「八戒。夕飯までには帰ってこいよな」
「もちろんです。そこまで時間はかかりませんよ」
 夕飯まであと2時間。まったくもって余裕だろう。
 結果的には皆で出かけることになったとしても、いつも留守番の三蔵が付き合うと言ってくれたことがすごく嬉しかった。
 三蔵を見送りながらこみ上げてくる幸福感に、更に笑みを深める八戒だった。





 ぐる…。ぎゅるるるる…。
「うるせーぞ、悟空」
「だってしょーがねーだろ。腹減ってんだもん」
 あっ、と口に手を当てると、悟空はジリジリと後退って、三蔵から距離をあけて攻撃範囲外へと逃げる。
 夕食の時間から1時間半が経過していた。
 なのに八戒は帰ってこない。
 始めのうちは、時間に正確なあの八戒が、と珍しい気持ちが先だったが、さすがにここまでくると何かあったのではないかと心配になってくる。おかげであの悟空でさえ、八戒を待っていると言って食事に手をつけていない。
 しかしさすがに悟空のお腹はついていけないらしく、先ほどから音を鳴らしては主張しっぱなしで、加えて悟空は「腹減った」を連呼する。そのうるさいダブル攻撃にうんざりした三蔵が食えと言ったのだが、悟空は断固として食べようとしない。
 何度か繰り返した結果、三蔵は「食わねーなら、黙ってろ!」とハリセンで反撃に出た。
 それからというもの、悟空は「腹減った」を言わないように心がけていたのだが、たとえポロッと出てしまったとはいえ、一度口にした言葉は取り消すことはできない。
 また三蔵のハリセンが飛んでこないかとびくびくしている悟空だが、ただひと睨みされただけですんだようだ。
「もうガマンできねー。ちょっくら行ってくるわ」
「あっ、俺も行くっ」
「待て」
「何でだよ、三蔵ー。八戒のこと心配じゃねーのかよ」
「うるさい」
「………」
 その威圧的な口調に、誰も異を唱えることができなかった。
 しかし悟浄にはわかっていた。
 さきほどから新聞の活字を追っている三蔵の目が、ときおりドアと時計に向けられることを。普通の人からすればわからないであろう、そのくらい微細な行動。
(素直じゃないねー、まったく)
 冷静沈着な彼の精神が探しに行くことを留めているのか、それとも八戒を信じようとしているのか。悟浄にはよくわからないが、そんなに気になるのなら探しに行けばいいのに、と考えてしまう。
 めったに見れない三蔵のその姿に、八戒はやっぱりすごい奴、と改めて思い知らされた。
「すみませんっ。こんなに遅くなってっ!」
 バタンと豪快な音を珍しく立てて戸を開けた八戒は、開口一番に謝罪の言葉を述べる。
 彼の額にはうっすらと汗が浮かび、息は荒れ、髪は少々乱れていた。
 どれほど八戒が急ぎ走ってきたか容易く想像できた。
「八戒ィ〜っ」
「どうしたんだ、八戒。心配してたんだぜ」
「すみません。買い物帰りに、道に迷ってらっしゃる老婦人に声をかけられまして。ご自宅までご一緒したら、引きとめられてしまって。断りきれずに、ついつい…」
 さすが八戒。老人には特に優しいだけのことはある。
 どうせ悟空たちのことが気になって帰ろうとする八戒の腕を掴み、「ここまで付き合ってくれたのだから、お礼に…」などと必死に引きとめる老人の手を、彼は払えずにいたのだろう。
「んで?こんな時間?」
「いえ。そうしたら今度は僕が迷っちゃいまして」
 一生懸命老人の家を探すあまり、帰り道を虚ろにしか覚えてなかったんだろうな、とふんだ悟浄だった。
 何事にも完璧で、口には勝てる奴がいないのではないかと思わせる八戒だが、たまに見せるボケがまた可愛らしかったりする。
「まっ、いいさ。それよりメシにしようぜ」
「えっ、まだだったんですか?」
「ああ。めずらしく悟空も待ってるって言ってさ」
「…本当にすみませんでした…」
 もうすぐ夕食から2時間が経とうとしている。
 いつもならとうに食事を終えて、くつろぎタイムだろう。もしくは割り当てられた部屋に引き上げているころだ。なのにもかかわらず、何よりも食事が大切の悟空までが自分を待ってくれていた。
 どうしてあのとき、きちんと断らなかったのだろう。口車に乗せるのはうまいはずなのに。
 八戒は後悔でいっぱいになった。
「あー、そんなに気にすんなよ。無事ならそれでいいんだから。じゃ、行こーゼ。悟空の腹もうるせーことだし」
「メシーっ」
「あっ、てめっ。1人で先に行くなよな」
「早い者勝ちだもーん」
 ぎゅるると効果音を残していち早く食堂へと向かう悟空を、慌てて悟浄が追いかける。
 このままの勢いでいくと、悟空にほとんどの食事を食べられてしまいそうな感じだ。
 そして部屋に残された三蔵と八戒。
 先ほどから三蔵が一言も口を開いていないことを、もちろん八戒は気付いていた。
「本当にすみませんでした、三蔵。怒ってらっしゃるのはわかります。でも悟空も悟浄も食事に行ってしまいましたし、早くいかないと食いっぱぐれますよ。お小言は後で聞きますから」
「お小言とは何だ。それじゃ、まるで俺が口うるさい母親みたいだろうが」
 悟空と対面しているときは充分そう見えると、口うるさいのを抜かせば八戒も同様なのを棚に上げて、思っていた。
「…お前は何もわかっていない」
 眼鏡をはずすと、新聞を読むのをやめて立ち上がる。
「人の世話ばかりしてないで、自分のことを考えろ。それとも…」
 1歩を踏み出した三蔵は、八戒を優しく包み込む。
 現実か幻かわからない物を触るかのように、優しく、そしてゆっくりと。
「俺のことも考えろとでも言わせたいのか。その方がお前には効果的か?」
 三蔵が怒っていないことがその言葉でよくわかった。
 彼は心配していたのだ。
 連絡もとれず、何をしているのか、どこにいるのかもわからない。
 何もわからない状況下の中で、長いと思わせる時間をただひたすら無事を祈って待つ。
 それがどんなに辛いことか。
「…あなたは強いのか弱いのかわからない…」
「それはこっちが言うセリフだな」
 ゆっくり近づく顔。
 ゆっくりと閉じるまぶた。
 そしてゆっくりと振れる唇。
「すみません。次から気をつけます」
「そうしてもらいたいものだな」
 優しい八戒は自分を顧みず、また同じように人助けのために自分を投げ出すことだろう。
 だからその言葉を100%信じることはできない。
 やっかいな相手を好きなったものだ。
 少しでもその約束が固いものになるように、今度は深く口付けた。



END