SAIYUKI

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暖かい贈り物 2000.6.28
SANZO×HAKKAI
 お買い物の帰り道。
 手荷物は綺麗に半分こ。方や荷物を左手に持ち、方や荷物を右手に持つ。そして空いた方の手は、2人で仲良くしっかりとつないでいる。
 悟空はこの時間が好きだった。
 きゅっと手を握れば、きゅっと握り返してくれる。
 顔を上げてへへと笑えば、ニッコリと笑い返してくれる。
「なあ、八戒。俺のこと好き?」
 と、聞けば。
「ええ。好きですよ」
 笑みを深くして、優しく答えてくれる。
 暖かくなごやかな、八戒との帰り道。
 しかし今日はきまぐれで、質問を加えてみた。
「八戒、欲しいものってなんかある?」
「欲しい、もの、ですか…」
 誰にでも優しい彼は、自分にも例外なく優しい。いつでも何があっても、変わらずに接してくれる彼に、たまには自分も何かしてあげたい。そう思って口にした質問だった。
 簡単な問題だと悟空は思っていたのだが、意に反して八戒は顔を少し上げ、考えるように遠くを見つめている。
 光に当たって肌がより白く見える八戒の顔はとても綺麗で、晴れた青々とした空が彼の綺麗な顔をさらに引きたてているようだった。
「そうですねえ……もの、ではありませんが…」
 やっぱり八戒は綺麗だと実感していた悟空の思考を現実に戻したのは、彼のそのセリフだった。
「何、なに?」
「内緒です」
 悟空の方へ顔を戻すと、ニッコリと彼は笑って言う。
「えーっ」
 これじゃあ、何もしてあげられない。
「じゃあ…見えないもの、とでも言っておきましょうか。それがヒントです」
「そんなんじゃ、わかんねーよ」
「どうしてこだわるんですか?」
「何でもねー」
 ちぇっと小石を蹴りながら、少しいじけてみたりする。
「簡単なものかもしれないし、難しいものかもしれない。…でも…」
 八戒は顔を上げ真正面を向く。しかしその彼の眼差しは、やはりどこか遠くを見ているようだった。
「それを貰えるなら、僕は何でもするかもしれませんね…」
 呟くようなその声はいつもの八戒の穏やかな声とは、少し違うような気がした。
「………」
「?…どうしました、悟空?」
 なんとなく感じた違和感ですぐには返事ができないでいた悟空に、呼びかけてきた八戒は、しかし、いつもの彼だった。
「ううん。何でもない」
 気のせいだろうと、一瞬浮かんだものを否定した。それでも悟空はさきほどの違和感を、どうしても忘れることができなかったのである。
 そして八戒がそこまでして欲しいものが、結局悟空はわからなかったのだった。





 室内に新聞をめくる音が響く。
 いつもより音が大きく感じるのは、沈黙のせいだろうか。
 三蔵は椅子に座って新聞の活字を目で追う。
 悟浄はそんな三蔵を、窓辺に寄りかかり煙草を口にくわえて、じっと見つめる。
 その2人の間には沈黙が流れていた。
 沈黙といっても2種類ある。居心地のいいものと、そうでないものと。ここでは明らかに後者の方だった。
 いつもだったら、悟浄の視線に何か言う三蔵だったが、今日は居心地が悪くても我慢している。何となく今は言葉を口にしてはいけないような気がしていたから。この沈黙を破ったら、悟浄のもたらす言葉に振りまわされそうな気がしたから。
 ここはさらぬ神にたたりなしである。
 そんな三蔵の懸命な努力もなんのその、沈黙をいとも簡単に悟浄は破ってくれた。
「なあ、小猿ちゃんからのクイズ、聞いた?」
「クイズ?」
 こんなことなら我慢せず、銃でも一発ぶちかましておけばよかったと、不機嫌を露に返事をし、顔を上げて悟浄を見る。その三蔵の瞳に映った悟浄は、瞳にはいたずらな色を浮かべて、にやにやしている。そんな彼の姿は、色恋事を探るそれに似ていた。
「目に見えないもので、人が欲しがるもの。さて、いったい何でしょう」
「くだらん」
「くだらねーか。でもそれがお姫サマの求めてるものなんだそーだ」
 遠まわしの言い方に誰のことを指しているのか考えてしまったが、すぐ今までまだ名前が出ていない八戒のことだと理解した。
「………」
「欲しいものがあるんだと。それが手に入るなら何でもするくらい、欲しいんだとさ」
 目に見えないもの、それは物質ではないということだ。
 じゃあ、何?空気、思い出、幸福、愛情…。
「悟空の奴、すげー必死なんだワ。優しい俺様はほっておけなくて、色々考えてみたわけよ。で、出た結果が」
 スタスタと三蔵の元へと近づいていくと、向かい側の椅子へと無雑作に座る。
「言葉は大切にしろよな」
 ニカッと笑って悟浄が言った。
「………」
「何か考えているよーだな、あいつは。不安は早めに解消してあげないとね、三蔵サマ。じゃねーと…」
 それまでの笑い顔から、挑むような眼差しをした真剣なものへと一変する。
「俺、取っちゃうよ?」
「………」
 ぶつかり合う視線。敵を見るような瞳。糸を張ったような緊迫した空気。
 先に壊したのは、今度は三蔵だった。
 まだ読みかけの新聞を綺麗にたたみ、目がねをはずすとおもり代わりに新聞の上に乗せて立ちあがると、三蔵は部屋を出て行こうとする。
 その後姿に一言。
「お姫サマに、王子サマがよろしく言っていたと、伝えてくれな」
「召使の間違いだろ」
 こちらを振り返ることなく、三蔵は部屋を出て行った。





 八戒は優しい光で地上を照らす白い月を、窓からぼんやり眺めていた。
 心ここにあらずの彼は、今日のことを振り返っている。
 今日1日、頭から離れなかった言葉。
 強い意思を表しているような声。自分が好きなその声で。
「いつまでも、ぬるま湯につかった幸せが続くとは、限らなねーんだよ」
 それは朝、とある村を通ったときに三蔵が言ったセリフ。
 小さい村だった。人っ子1人いないその村は、全員殺されていたのか、残った村人がどこかへ移住してしまったのか。しかし、村のいたるところに、大きなものから小さなものまである人の骨が転がっているだけで、状況を把握するのは充分だった。
 ここまで大量だと、人間業とは到底思えない。
 あまりにも小さな村なので、妖怪の狂暴化の噂を「ただの噂」としか考えていなかったのだろう。何も対策を練っていなかったところに、妖怪が襲ってきたというところだろうか。
 この情景を見て「ひでー」と呟くように言った悟空に対して、三蔵が言った言葉が先ほどのものだった。
 それは、少しは危機感を持ってという、もう誰も玄奘三蔵の言葉を聞ける人はいない、村人に対して遅い忠告だったのだろうが、でもそれは八戒の胸をひどく痛ませるものだった。
 ここ最近思っていたこと。
 この4人、誰1人として欠けることなく、無事旅が終ればいい。
 いつまでもこの4人の関係が続けばいい。
 そして……いつまでも三蔵の傍にいられたら…。
 その思いを、甘いと指摘されているような気がした。
 三蔵本人から、否定されているような気がした。
 そのときの痛みを癒せぬまま、夕方悟空からあんな質問を受けてしまったものだから。
「あんな答えをしてしまったんですよねえ…」
 まだまだ人間できてないな、と八戒は思った。
 別に真面目に答えなくても、さらっといつもなら流してしまう、そんな質問だったのに。
 欲しいものは何?
 もしそれが手に入るなら、自分は何をしても手にいれるだろう。
 少しでも長く彼の近くにいたいから。
 暖かいぬくもりを思い出してしまったから。
 もう、1人になりたくないから。
「まあ、あれだけじゃあ、わからないでしょうけど」
 ただの自分の希望。適わぬ願い。でも強く願ったら、もしかしたら……。
「…それでも無理、ですね」
 彼の性格を想像して出た答えに、八戒は苦笑した。
 彼が口にするわけがない。
「八戒、入るぞ」
「え、ええ」
 びっくりした。まさか本人がくるとは思ってもいなかったから。
 図ったような絶妙なタイミングだった。
「どうしました、三蔵?コーヒーでも入れましょうか?」
「ああ」
 肯定したところを見ると、三蔵は長居をするつもりらしい。
 ああ。悟空から聞いたんですね。
 八戒は勝手にそう理解すると、三蔵が椅子に座ったのを確認して、彼のために支度を始める。
 そのさまをじっと見つめる三蔵。
 やはり見ただけでは、八戒が不安を抱えているとは思えない。さすが食えない奴だと思う。
 それくらい、いつもの八戒。
 笑顔を絶やさず、常に周りに気を配り、自分を犠牲にしてまでも手を差し伸べる彼。
 悟空の気持ちが、三蔵にはわかる気がした。
 たまには彼のために自分が犠牲になっても構わない。そんな気が湧き上がる。
「欲しいものがあるんだそうだな」
「悟空から聞きました?」
「いや、河童だ」
「悟浄にまで話がいってたんですね」
 いやだなあ、筒抜けなんて。
 そういう八戒の背中からでは、さすがに表情を読み取ることができなかった。
「そんなに欲しいものなのか?」
「ええ」
「お前の不安がなくなるくらいにか?」
「不安、ですか?」
 とぼける八戒に、三蔵は確信した。やはり心にわだかまりがあるようだと。
 それなら。
 これで、それがなくなるなら。
 八戒がコーヒーを持ってくる。
 三蔵の前にそれを置く。
 自分の向かいに八戒がいる、そのタイミングを計って。
「好きだ」
「えっ…」
 八戒は三蔵の前にコーヒーを置いたその格好のまま、三蔵の顔を凝視した。
 何?彼は今何て?
「愛してる」
 もう一度。
 今度は八戒の瞳を見つめて。
「…三蔵…」
 三蔵はゆっくりと、目を見開いて自分を見つめる八戒に、近づいて行った。
「何が不安なのか、俺にはわからん。だが、欲しいのなら、いくらでも言ってやる」
 三蔵を凝視して立ち尽くしたままでいる八戒をふんわりと抱きしめて。
 彼の耳元に。いつもよりも少し低い声で。
「愛してる…お前だけだ…」
「三蔵…」
 どうしてわかったんだろう。あんな抽象的な答えだけで。
 何をしても手に入れたかったもの。
 彼からの言葉。
 何よりも変えがたい、彼からの…。
「…僕も…愛しています…」
 ゆっくりと腕を上げて三蔵を抱き返す。
 まだ大丈夫。
 いつまでも三蔵の傍にいられるとは限らない。確かにその事実は変わらない。
 それでも。彼が出してくれたこの勇気で、氷が少しずつ溶けるように、ゆっくりと心のわだかまりがなくなっていくようだった。
 もう大丈夫。
 いつまで傍にいられるのか。そんな不安を抱えているなら、出きるかぎり彼の傍にいよう。
 そう思う、いつもの前向きな自分に戻れる気がした。
 彼からの、暖かい贈り物で。




END