現代ウチナーグチが元気がいい。NHK朝のTV小説『ちゅらさん』のこと。ウチナーグチ(沖縄の言葉)は難しく、沖縄でも若い人は話せなくなっている、などとよく嘆かれる。 そうだろうか……。92〜93年、大好きなウチナーグチのため那覇に移り住んだ“僕”(=RYO=ヤマトンチュ)は、沖縄の若い人たちの、ちゃんとウヤファーフジ(先祖)から受け継いだ“若いウチナーグチの感覚”をいっぱい楽しませてもらった。僕からすれば立派なウチナーグチ!!! このメルマガは、その現代ウチナーグチの元気を、ヤマトンチュの側から発信していく。
第1回 |
1972年5月15日、小浜島の古波蔵家に長女誕生。命名、恵里。
●『ちゅらさん』……このドラマのタイトルでもある、“ちゅらさん”は形容詞。清らさん。沖縄の形容詞は、清らさ+あん(ある)の形で出来ている。高さん、嬉(う)っさん、珍(みじら)さん、難(むちか)さん‥‥‥。
●[〜であるわけさあ]………[〜やるばあやさ]〜である場(場合・理由)だよ、のヤマトグチ(共通語)訳。現代ウチナーンチュが多用する。
●「ちゅらさんどー」……[ど(ー)]助詞の〈ぞ〉にあたる。《例》命ど宝
●[〜しましょうねえ]………これも[〜さびら]のヤマトグチ訳。我行かむ、の〈行かむ〉と同じで、意思、志向をあらわす形(志向形)。だから、現代ウチナーンチュは、「私が行きます」と断言しないで、「行きましょうねえ」と言う。そのための誤解の笑い話がよくある。僕も、若いきれいな娘に、「帰りましょうねえ」と言われて、誘われてるのかと思って、うれしくなったことがある。
●[だからよー]………これも、[あんさびーくとぅ]あのようにしていることだから、の訳。そうだよね、くらいの意味で使うので、これも奇異に感じることが多
い。《例》「今日はいい天気ですね」「だからよー」
第2回 |
古波蔵家の民宿に東京からお客! 難病の和也君と弟の文也君の家族。和也君の希望で小浜島へ。
●[てぃだ(天道)]太陽のこと。ことわざ・故事によく登場する。
沖縄らしいこういうのもある。
《例》「太陽の萎えてから行け」(ティーダヌネーティカライチ)暑い盛りにワサワサ
動き回るのは、金儲けのヤマトンチュくらいのもんだよ。
●[いちゃりばちょーでー]==[行き逢えれば兄弟]……沖縄の夏、ビーチパーティー、誰が誰かわからなくなるほど、最後にはみんないっしょになる。
《沖縄の母音》は、ア・イ・ウの3母音。エ→イ、オ→ウに変化する。だから、心はククル、帯はウビ。その他の特徴として、キ→チ、アイ→エーとなることを知っていれば、「いきあえればきょうだい」も、「イチアリバチョウデー」と読める。ヤマトの名前も、赤城(アカジ)、新木(アラチ)、篠田(シヌダ)、清野(チユヌ)、羽鳥(ハトゥイ)、……
残念ながら、田中さん、岡村さん、南原さん、こういう名前はそのまま。
第3回 |
●「あんし、礼儀正しいやる」……[やん]は、[〜である]という動詞。関西弁で「これ本やん」と言うのと同じ。ただし例文のように連体形がある。「これこそ本である」と言うとき、「これど本やる」(クリドゥホンヤル)となる。古文の時間、頭を悩ました《係り結びの法則》が、現代語の中でも生きている。
[あんし]は、[そして][それで]という接続詞。ただし、必ずしも前後の関係を接続するばかりでなく、例文のように、「それは、礼儀正しいことだねえ」の[それは]のようにも使う。
第4回 |
●「オバアはどうして頑丈かねえ」……沖縄の健康観=頑丈(ガンジュー)………決してスレンダーなのをよしとしないようで、それをよく表したのが、女性の美しさを表現した[ハチャーガマクー、ヒーラーカタバイ、ラッチョークンダ]。ハチャー(蜂)のようなガマクー(腰)、ラッチョウ(らっきょう)のようなクンダ(足)。問題なのが、ヒーラーのような、とたとえられたカタバイ(肩)。沖縄の娘たちが一様に「なんでー!?」と不快感を口にするヒーラーとは……。あまりにも有名な、あのカブト虫ほどの大きさの沖縄のゴキブリ。
第5回 |
●“小浜節”
●[ジョートー(上等)]……品質の等級(上等・下等)を言うときだけでなく、これはいい、それはダメと白黒つけたがらない気質だから、「ジョートーヤサ」と言うとき、それはbetterだね、というくらいの気分のよう。
●《ヌチドゥタカラ[命ど宝]》===沖縄の心を語るとき、文句なしに第一の言葉だろう。日本で唯一の地上戦を経験した沖縄。明治以降、差別されつづけた沖縄、第2次大戦のとき、今こそ沖縄の地位を高める絶好の機会とばかりに沖縄は皇軍のために戦った。「女子ニ至ッテハ自ラ挺身隊ヲ志願スルモノマデ有リ……云々」(日本軍守備隊の大本営への最期の電文)。しかし、その結果が――日本軍による集団虐殺‥‥‥。沖縄の絞り出すような“悟り”、それが〈命こそ宝〉なのだ。さらに電文はこう続く。「沖縄県民斯ク戦ヘリ。後年格別ノ御高配ヲ」 そして終戦。7年後、日本は沖縄を切り捨てて独立した。
物量作戦の米軍の艦砲射撃の砲弾の数を沖縄諸島の面積で割ると、2発/坪。その中を生き残った人々が自らをこう呼ぶ。「カンポウヌクェーヌクサー」(艦砲の喰い残し)
第6回 |
東京に帰る文也君に恵里がミンサ織を手渡す。
●「ミンサ織の五つと四つの意味はねえ……」===ミンサ織には五つと四つの四角の柄が織られている。そこには、いつ(五つ)の世(四)までもあなたと一緒に、という思いが託されている。女性が島を出ていく男に手渡す、なんて最高の場面。僕も沖縄を離れるとき、一人の女性が空港まで見送りに来てくれた。そして、じっと僕の目を見つめたまま、このミンサ織を差し出した。いま僕がちょっとあらたまった気分のときにつけるようにしているネクタイ。この女性、今年、七十一歳くらいになるのかな。
●「教えない」=ナラーサン(習ーさん)……ウチナーグチでは教えるという語はなくナラースン(習わす)。
第7回 |
●[テーゲー](大概)……東京なら母親が「いい加減になさいよ!」と叱る。博多なら「大概にしんしゃい!」 どちらも〈ほどほど〉とか〈もうそこまで〉とか限界を言ってる感じ。でも沖縄の[テーゲー]にはニュアンスがある。〈ほどよく〉といった感じ。
●「大変だよー」「大変さあ」……[デージ](大事)のヤマトグチ訳。「デージナトーン」(大事になってる)を直訳して、「大変になってる!」と大騒ぎするが、やや緊迫感に欠ける気がする。
●「どんなしているかねえ」の[〜している]は、ウチナーグチの[〜ソーン]の
訳。ウチナーグチには〈何々〉+〈何々〉+〈〜ソーン〉という言い方がある。何々のところを2回繰り返す(畳語)。だから、「食べよう食べようしているよ」なんていう言い方をよく耳にする。
●「ハイサイ!」……喜納昌吉の『ハイサイおじさん』で有名になった。「ハーイ!」といった感じの親しい挨拶。接尾辞[〜サイ]は男性で、女性は「ハイタイ!」
第8回 |
●[アイ!](あれ!)感嘆の声。[アイー!][アイエナー!]とも。ri音は欠けやすく、[トゥイ(鳥)]、[シュイ(首里)]、[ムイ(森)]など。木が1本もなくても“ムイ”。盛り上がるの“モリ”から。ちなみに、原っぱでも木が茂っていれば[ヤマ]。日本語の祖先。
●[アガ!](あ痛!)……皇民化教育の時代、ウチナーグチは禁止された。学校ではウチナーグチを喋ると『方言札』を首にかけられた。次に喋った子を見つけないと札が外せない。子どもたちは、友達の足を踏んづける。「アガ!」とっさにウチナーグチが口をついて出る。悲しい時代。
第9回 |
●“カナヨー”
●[〜はず]本来のウチナーグチでは[ハジ]だが、最近は[はず]と言う。共通語の〈はず〉ほど当然そうなるという強さはなく、〈〜だろう、〜になるだろう〉くらいの気軽さ。shallでなくwill。来るはずと言って来なくても不思議ではない。目の前の人から「会いたいはずよ」と言われたことがある。第三者が会いたがってるというのでなく、いま話してる(私が)(あなたに)会いたいはずよ、というのだ。“will”だとすればわからないでもないか……。
第10回 |
●[チバリヨー!](気張れよ)頑張れ。甲子園の応援席の看板でおなじみ。エ→イとなるので、気張れは〈チバリ〉、気張れやとやわらかく言うと〈チバレー〉。「飲み」より「飲めー」の方がやさしい言い方というのはなかなかピンとこない。
第11回 |
●「〜そうなってしまったわけ」……[〜しまった]はウチナーグチでは、[〜ネーラン(〜無いらぬ)] 食べてしまった、読み終えてしまったというときには、もう無くなっているというわけ(語源としては)。[無い]と[ぬ]では二重否定じゃないか、と文句をつけたくなった方、こういう言い方って結構あるんです。《例博多弁;「行かんめえ」の[ん]と[めえ(まい)]
●「勝子のためやくと全員で買いなさい」
[やくと]は[〜だから]理由の関係ばかりでなく、語尾をやわらかくするため多用する。
《例》「ワーガイチュクトゥ」(我が行ちゅくとぅ)私が行くからさ。
例文はヤマト風にわかりやすくしてある。本来なら、「勝子ぬたみやくとぅ、んな(皆)っし買(こ)ーれー」
●[はッ、はッさ]あきれた、というときに発する声。妙なこと言う人に、
「はッさ、もう信じららんさあ」と。
第12回 |
●[アメリカー]アメリカ人。語尾を長音で伸ばすと、〈〜する人、するもの〉となる。
[アッチュン]歩く―→[アッチャー]歩く人。海アッチャー=海を歩く人(?)
インタビュアー「世界チャンピオンにならなかったら、何していたと思いますか
?」
具志堅用高 「海を歩いていたと思います」
インタビュアー「?????」
これは有名すぎるエピソードですね。
●恵達が飲んでいたコーラを彼女が回し飲み=よく見る光景。「平気さあ!」という顔で。茶道のお手前のように口のところを指でさっと拭くしぐさもよく見たが、とても自然だった。
●「他人の振りするさあ」 本来なら
「シランフージグヮスルサア(知らん風儀グヮするさあ)」となるところ。
[グヮ(小)]は語尾につけて、[〜のもの]と何でも名詞化して便利。
《例》若い(形容詞)+グヮ=若いグヮ(若い者)
●〈カチャーシー〉[掻き合わし]が語源。『琉球の風』のロケでのひとコマ。群集(エキストラ)が港でカチャーシーを踊って御冠船を見送るシーン。監督の「カット!」の声が二度三度しても、ウチナーンチュ、一旦踊りだすともう止まらない。監督、異例の“お願い”が入った。
第13回
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●「何しみじみしてるね」 これもウチナーグチ独特の、[状態]+[〜している]のパターン。ほかに
[ワジル](動詞)怒る、いらいらする、これから出た[ワジワジ](副詞)に[〜している]を付ければ、[ワジワジしている]。「ヌーワジワジソーガ?」何をいらいらしているのか。いらいら、というと悪い印象だが、具志堅用高さんは、ある雑誌で、
「ワジワジという言葉を聞いただけで、何か胸の高鳴りを覚える」
と語っておられた。武者震いのような意味合いにも使えるのかもしれない。
[ヤマトワジワジ]新語。これを聞くと、ウチナーンチュが一斉に笑う。「大雨の中でも歩いてるのは内地のビジネスマンか観光客さあ」
●「間が悪いさあ」 いまでこそ“左は世界を制す”などと言うが、昔から左利きは不器用に見られてきたが、ウチナーグチでは、左利きは不器用のほかに、間が悪いという意味にも使う。結局は不器用ということか。「間がいい」ときは、
「イイマニアーシ(いい間に合わせ)ドー!」と歓声。
第14回
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● 「であるよね」 別にウチナーグチでもなさそうだが、非常にウチナーグチ的。よく使う。
[ヤサヤア]のヤマトグチ訳。[ヤン(である)]+[サ]+[ヤア(〜よね)] 「やさやあ↑」「やさやあ↓」「やがやあ↑」「やがやあ↓」……これら微妙なイントネーションを使いこなせれば、もう充分会話に参加できる。
●「ぞっこん惚れてるさあ」ちょっとヤマトグチ風な感じ。「惚れる」は「惚(フ)リユン」 「ぞっこん」は
[シンティー(心底)] ならば、「シンティーフリトーン」か。おかしい。強調の接頭語[ウチ]をつけて、
「ウチフリトーン」ぐらいか。言ってくれた人がいないからわからない。
よく観光パンフなどに、“I love you”を
「ワンネー ウンジュ イッペー シチュン」と紹介してるが、これもおかしいという。
[ウンジュ(あなた)]が敬語だからというのもあるが、[シチュン(好きゆん)]では“like”。 「(あなたのことを)ウムトーン(思っている)」の方が叙情的。
●「ナンクルナイサア」なんとかなるさあ。借金と商品の山を前にしてのこの台詞、明るい!
[〜クル]は[ころ] [ドゥー(自分)]+[クル]自分ころ。つまり「自分で」の意。ほかに[ワンクル(私自身で)]、[ヤンクル(あなた自身で)]などなど。
妻に連れ子があっても、夫は「手間が省けるさあ」と、それが何だと笑い飛ばす。オバア(義母)も「私の孫だよ」と。連れ子も、実の子も大きくなるまで気づかずに育つ。クリドゥウチナーヤル(これこそが沖縄!)《沖縄》はいつも「“人”として当然でしょう」を語りかけてくる。
第15回
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● 「今日ももやしと豆腐なわけ?」 と、文句言うかなあ、という気もする。
沖縄料理というと、豚・豚・豚・・・というイメージだが、日常は、
マーミナー(豆菜=もやし)、豆腐、デークニバー(大根葉)、クーブ(昆布)、かんぴょう、フーチバー(よもぎ)……といったベジタリアン。昆布と豆腐の消費量日本一。いま納豆が二位で猛追中。体にいい物は取り入れるというところ。そして、二十四節季にあわせ行事料理(年16回くらい。清明祭が有名)のときに、親戚が集まって、ワー(豚)、フィージャー(山羊)といった動物蛋白を摂る。このバランスが長寿の秘訣だと言われているのだから。
「ジヨウナタンドー(滋養になったよー)」=ごちそうさま。
「クヮッチー(ご馳走)サビタン」とも。初めての物を、これおいしいよとオジイに勧めると、
「ジヨウアミ?(滋養あるか)」と必ず聞かれる。ほかに
「ヌチグスイ(命薬)」=いい料理、食事という語も。
●「サーターアンダアギー」サーター(砂糖)アンダ(油)アギー(揚げ)。
砂糖てんぷらなどと訳されてる、有名なお菓子。アンダ+アギーだから、アンダーギーとは発音しない。
アンダグチ(油口)=おべっか、
ティーアンダ(手油=母親の愛情の染み込んだ料理)
第16回 |
第16回〜
●(会って間もない人に)「友達さあ」……これこそ
《イチャリバチョーデー》 この言葉は、人生観とか道徳といった大げさなことを言ってるのではなく、このくらいに気軽なもの。
[ドゥシ(同士)グヮ]友達。ルシとも。親しくなると「一番ルシさあ」
と、よく言われた。
●《オキナワタイム》超有名な“沖縄的時間” 沖縄を好きになれないという人の多くはこれを指摘する。ある高三の女子が、「ヤマトの子に言われたさあ。『ウチナーンチュは笑って遅れる』って」と。 僕もその子で充分経験した。本当にうれしそうににっこり笑って現れる。怒れなくなる。(ら抜きか)
●「顔が広い、‥‥顔が大きいということではありませんよ」ヤマトンチュならそんなことわざわざ断らなくても解ってる、と言いたいところだが、ウチナーヤマトグチの微妙なズレをたくさん経験してるので、こういう心配をしたのかな。
アパートを借りに不動産屋に寄ったときのこと。
「雨露しのげればいいんです」
「ヤマトの人はすぐそう言いますけどね、沖縄の台風を知らないんですよ」
真顔だった。後でよくよく考えてみて、しばらく笑っていられた。
第17回 |
●「陸(アギ)の(ヌ)ふれもの(フリムン)や男(イキガ)」
[フリムン]のふれるは
[気がふれる]のふれる(フリユン)。惚れるも[フリユン]。
●〈58号線〉復帰後58番に。復帰前は1号線。ただし“軍用道路1号線”
●「青年!」という呼びかけ、本来なら
「ニーシェー(二才)!」
●「琉装」=ウチナースガイ(姿) ちなみに、これまでのウチナーグチの発音の法則
で「きもの」も読めるはず。‥‥‥‥‥‥〔答え=チン〕 「那覇(ナーファ)はクイ
ドーリ(食い倒れ)。スイ(首里)はチドーリ(着倒れ)」
●「なにかそれは」……その言いかた。この後に、あきれたさあ、とか、信じららんさ
あ、とかが聞こえてきそう。[ヌー(何)]は、what、whyの疑問詞のように文頭につけ
て、
「ヌーソーガ」(何してるか)、「ヌーダマトーガ」(何黙ってるか)と使うので、
先ず口をついて「ヌー」が出てくる、その気分を残した、これもやはりウチナーヤマトグ
チ。
●「うるさい!」=ウチナーグチでは
「カシマサヌ!」 強く言うなら、接頭語をつけて「ユンガシマサヌ!」 どんなに怒鳴っていても語尾に[ヌ(〜だから)]が付い
ている。
第18回 |
●「この目で見たんだのに」 こういう言いかたよくある。「静かだはずよ」とか。
●「恋してるさ」 これも[恋+してる]の感じ。
●「沖縄の人は親しくなるとみんなあーなるのかなって」 《行き逢えれば兄弟》と微妙なところ。難しい。友達関係なのだろう、と思っていた二人が「結婚(ニービチ:根引き)します」なんてことも。「沖縄の男はしつこい」と言ってたヤマトの女性もいた。
●「思いもかけなかったさあ」………[思いも(ん)掛けも(ん)=ウミーンカキーン]しなかった。だから、例文のほか「思いもかけもしなかったさあ」という言いかたも。
第19回 |
● 「東京は怖いよう」===ヤマトでも地方では同じことを言う。ただその程度が違う。前出のある沖縄の高三の女子の場合、東京の大学を受験するために母親に1週間風呂に入ることを禁止された。何があっても耐えて生きていかれるように、との親心。
●《全国離婚第1位》連れ子のことを関係ないさあと受けとめるおおらかさと"生涯現役"という女性の強さと……。「50歳、折り返し? とんでもない! これからさあ!」と40代後半の女性に言われたことがある。
●〈オバアのムルウチナーグチ(もろ沖縄口)〉より〜
「いい加減にみなり!家人衆(ヤーニンジュー)んでぃ言ゅる物や(ムノー)、互いに(タゲニ)むちくましく暮らする家庭んでぃ言しやる。えーッ!一人(チュイ)のれいのれいそーと親と言やっしぇー(だーッ)家人衆あらんどーや。ぐとーる家人衆やる。我や(ワンネー)、この(クヌ)家庭(チネー)から出でて(ンジティ)行ちゅんどー!」
(※この時点で聞き取れなかった部分があり、これは正確ではありません。第51号に訂正したものを掲載しています。)
[んでぃ]〜と。引用の助詞。古語[にて]から。
[んでぃ言しやる]〜と言いし(もので)やる。
《例》「わんねー、古波蔵んでぃ言しやいびーん(私は古波蔵と言うです)
[チュイ]=(一人)。[タイ(二人)][ミッチャイ(三人)][ユッタイ(四人)]
「〜物や……言しやる」「〜る(ドゥ)……やる」二箇所も係り結びオバアの怒りが伝わってくる。
第20回 |
●〈亀甲墓〉あの狭い島にこんなに大きな墓じゃ……と心配になるが、一族の門中が入ってるので、かえって一件ずつの墓が林立するよりは場所をとらないのかもしれない。清明祭で集まった日には、まるで知らない人もたくさんいるそうだが、「ここに来てるんだから親戚なんだろう」ですむそうだ。オバアやオジイの頃までは、洗骨の習慣があって(火葬せずに安置し、次の仏が出来たときに、前の仏を洗骨し、甕棺に納める)、「子どものときは泣きながらやったもんだよ」と。
●「アキサミヨー!」===Оh my god! [アキジャビヨー][アッサ
モー]など、その場なりのイントネーションで。
第21回
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●息 子「老いては子に従えと言うさあ」
オバア「何か、それは。ヤマト言葉か。沖縄では老いては子を従えと言うさあ」
ホントかなあ??? さて正解は↓
民謡『てぃんさぐぬ花』二番より〜
"夜(ユル)走(ハ)らす船(フニ)や子方星(ニヌファブシ=北極星)目当て(ミアティ) 我(ワン)産(ナ)ちぇる親(ウヤ)や我どぅ目当て"
[歌意]夜間航行する船は北極星が頼り、私を産んでくれた親は(老いては)私を頼りにしてください。
一番は有名ですよね。"てぃんさぐぬ花や爪先に染めり 親ぬ寄事(ユシグトゥ
=教訓)や肝に染めり"
● 「沖縄を好きになって帰って欲しいさあ」===ヤマトへの警戒感から、なかなか入り込めないということもある。ところが、ちょっとしたきっかけで、嘘のように、「さあ食べろ、さあ食べろ(噛めえ噛めえ)」の攻撃に遭うことになる。心をゆるせば。
第22回 |
● 「雪は降らんさあ」………有史以来降ったことないのか、と人に聞いたことがある。一斉に「ないさあ」という答え。しかし最近降ったとのこと。異変!!!と新聞にも出た。ヤマトの影響も受けて、文学にはよく登場する。
《琉歌》諸純(シュドゥン)女童(ミヤラビ)ぬ雪(ユチ)ぬるぬ歯ぐち 何時(イツィ)か
夜(ユ)ぬ暮りてぃ御口(ミクチ)吸わな
[歌意]諸純村の娘たちの雪のような歯茎。いつの夜か、あの口を吸ってみたいものだ。
● 「特別におまけしようね」 おまけ=シイブン(添分)
《例文》「ちゃー添分し呉(クィ)みそーち、一杯(イッペー)二拝(ニフェー)でーびる」いつも
おまけしてくださって有難うございます。
●「土産はいらんよ」 土産=チト 古語[つと]から。
第23回
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● 「人が多すぎて頭が痛い」
頭=チブル、痛い=ヤムン(病む)。ウルトラマンに出てきたチブルマンはここから。
● 《歩く速さ》東京なら、健康のため早朝夫婦で早足してる人の速さか。沖縄ではあの陽射しの中、それは無謀。「ヨーンナ(ゆっくり)アッチョーン(歩いている)」[ヨーンナ]の速度とは赤ん坊くらい。
● [頑張れ]≠[チバリ(気張れ)] イコールではない。「頑張ってます」「一生懸命やって
ます」ヤマトでよく聞くこのことを言うなら、
「ハマトーン(はまっている)」もっと心がこもると「ウミ(思)ハマトーン」 強迫感がなくていいな。
● 〈ウェートレスに「こんにちは!」〉奇異に感じるが、これは外国人でもするから、どうなのだろう? 無表情のウェートレス……。恵里にとって東京の人の顔は、
四角い袋(カマジ)や堅い木(ギークヮ)に見えるかも。いずれも無愛想な人のこと。
●《沖縄のオバアと東京のオバア》30年程前、沖縄でオバアにあるビーチへ行く道を聞いた。いっしょにそこまでバスに乗ってくれ、着いたらいっしょに降りた。振り向くと反対側のバス停に立っていた。
第24回
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● 「ウートートー」神仏にウガン(御願)をかけるときの詞。「オバアがまたウートートーしているよ」居眠りしているわけではない。
● 「見守ってくださいよ」=「見守て(ミーマンティ)御給(ウタ)ビリシェービリヨ」
● 《御守り》……恵里が持っているのは、那覇波ノ上宮のもの。地元で"なんみんさん"と親しまれている。僕が沖縄で乗っていたバイク、何日放置していてもイタヅラされない。通常1週間もすると無残な姿をさらすもの。
「マース(塩)グヮがぶらさがってるからだよ」と教えられた。ある夜、食堂で、これからバイクで遠くまで行くと言ったら、店の娘が厨房からマースをビニールに入れて持ってきてくれた。それをずっとぶらさげていたのだ。
●(ナレーション)「月曜日が待ち遠しいねえ」[待ち遠しい]は
[マチカンティ(待ちかねて)]
女性グループ'ねーねーず'の歌の中にも、"7月エイサー待ちかんてぃー…"と出てくる。
第25回 |
●「とにもかくにも」……[疑問詞]+[である、する]+[も(ン)]の形で、@[ヌーヤティンクィーヤティン],A[チャーシンカーシン],B[アンシンカンシン]など。@は、何であってもこれであっても。Aは、[チャー(如何)]してもこうしても。Bは、ああしてもこうしても。[アン(ああ)]があるのでちょっと否定的な意味になる感じ。どうしたところで。
●「オキナワにいるよ」「???」===ここでオキナワはオバアがいうように沖縄本島のこと。[琉球]はリューチュー。ちなみに、中国では、[大琉球]が沖縄で、[小琉球]は台湾のこと。ヤマトは今では本土、古くは鹿児島。ついでに"西洋"は
"ウランダ" 英語やフランス語は総じて"ウランダグチ" 「アイー! (日本語で言えばいいのに)ウランダグチニナティネーランサア(外国語になってしまったよ)」と。
●「嫌い」=好(し)かん。
第26回 |
●「慌てて帰りよったからさあ」……[慌てて〜]は[アーティーソーティ](慌てて+していて)副詞的に。 このように繰り返すと慌てぶりが強調される。[アマ(あちら)ハイ(走り)クマ(こちら)ハイ(走り)]とも。
[〜しよった]という言いかた、共通語では表せないニュアンス。九州方言でも、「雨の降っとった」と「雨の降りよった」の言い分けがある。ウチナーグチでは、この[〜しよった]をよく使う。
たとえば「笑った」は=[笑たん]、それが→[笑いたん]となる。これが[笑いよった] 同様に「泣いた」 =[泣ちゃん]
→ [泣ちゅたん]、「食べた」 =[食(か)だん] →[食むたん]と。
これを現代ウチナーグチ(ウチナーヤマトグチ)にして、「着いたら、はーッ誰々のもう食べよったさあ」となる。
第27回 |
《フィージャー汁》山羊汁。山羊をシメてご馳走のときは、近所中の人が出て賑わう。通りがかりの人もお相伴にあずかるのが礼儀、と聞いた。
岡本太郎氏が復帰前の沖縄を撮った写真の中に、生きた山羊を丸焼きするのを近所の子どもたちがワーワーはしゃいで見守っている様子の写真がある。わあッ、残酷! ヤマトンチュの平均的感想。琉球料理の食卓などでも、ドーンと豚の顔が。ここでも、ヤマトのギャルのキャーッなんて喚声が。ある著名なヤマトの文化人も、パーティーのスピーチで「それを見るや私の食欲は萎えた」などと言って笑いを取っていた。しかし、これを辛口のウチナーンチュが「嘘っぽい」と批判する。「"命あるものの命を奪って我々が食事としていただく"ということの意味を知らなすぎる」と。
「人里はなれたところで屠殺し、形のなくなったものは平気で食べ、しかも食べ残し、そしてその仕事は卑しむ……。私たち沖縄では豚で残すところは何一つないんです」
一昔前ならどこのうちでも家畜として豚や山羊を飼っていた。子どもたちは、ペットのように山羊とも遊んだ。その山羊の丸焼き。喚声を挙げていた子どもたち。考えさせられる。
第28回
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●「(東京へ行きたい気持ち)どんどんどんどん強くなるのにぃー!」……この
[のに]の使いかた、共通語とちょっと違う感じがするが、
[ムンヌ](ものの、ものを)のヤマトグチ訳だろうか。ムンヌはよく聞く。
「チノウ(昨日)渡シタルムンヌ」(昨日渡したものを) 恵里の東京へ行きたいという抑えがたい感情が、「強くなるものを」と、こう言わせたのかもしれない。
●《ニライカナイ(儀来河内)》===海のかなたにあるという幸福の国。ニライカナイという言葉までは持ち出さなくても、この発想そのものはいろいろな場面で感じられる。波照間島のさらに南に南波照間島があると信じて、島の人たちは苦しい生活にも希望をもちつづけた、という話とか、源頼朝漂着の伝説とか。いろんな人に、ニライカナイは北? 南? 東?……、と尋ねてみたことがある。感覚としてどっちの方角をイメージしてるんだろうと。みんな、ウーンと唸るばかり。
●「あー、もう、だからー……」=もう言ってもしようがないさあ、あきれたさあ、といった感情。
第29回
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いよいよ明朝、家を出ていく恵里。それを知っていて無理に止めようとしない。最後の晩の寝顔をそっと見守る父、母、オバア。"人の心"に対し自然だし、とてもやさしい。あたたかい雰囲気。ナニナニしてはいけない、こうあるべきだ、という何か目に見えない常識のようなもので押さえつけようとするヤマトの親の場合と比べるからなおさら。「かっこうつけやがって」と言うようなときの[かっこう]を何と言うか。[キザだア][ツヤにしとー]いろいろあるが、ウチナーグチでは、
[カタグヮ(型小)]。かたちをつける、の意。かたちをつけるということは、生きかたとして"かっこう悪い"。
●[んじれー旅]……[んじゅん=出る(動詞)][んじれー]は仮定形。出れば、の意。一歩家を出れば、もうそこからは旅
。狭い島だから、沖縄で旅というと、島から出ていく旅をイメージする。
[トータビ(唐旅)]は、死と背中合わせの言葉。
第30回
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いよいよ東京の生活が始まり、恵里は隣室へオバアと母の作ったサーターアンダアギーを持って挨拶に伺った。
「"宜しくお願いします"ということで、これどうぞ」……こんな言いかたで恵里はサーターアンダアギーを差し出す。"宜しく〜"の
挨拶(ウェーサチ)は、一応ウチナーグチにすれば
[ユタシクウニゲー(お願い)サビラ]ということになるが、この言葉、ヤマトほど万能ではないらしく、ヤマトのように何にでもくっつけて使うというところを耳にしない。僕もヤマトで「宜しく〜」と教会に挨拶に行って外国人たちから大爆笑をもらったことがある。日本語のこの「宜しく〜」ほど解りにくいものはない、という話をしていたところだったそうだ。恵里も、「宜しく〜」のヤマト的使用法に慣れてなかったということだろう。それでこんな未熟な挨拶になってしまった。
もっとも若いウチナーンチュの恵里には、首里の老女のようなこんな挨拶は無理というもの。
――来(ち)ゃーびらたい。寄(ゆ)しりやびら。今日(ちゅー)から、隣り(とぅない)に暮らすることぅんかいなたる、我(わん)ねー、古波蔵恵里んでぃ言しやいびーん。見ー知ーっちょーてぃ御給(うた)び召(み)しぇー侍(び)り。とぅないびれー、ゆたしくうにげーさびら――
第31回
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恵里の住むところ(一風館)も、アルバイト先(ゆがふ)も決まって、先ずは一段落。
●"沖縄料理の店『ゆがふ』"………
[ゆがふ]は世果報。この世のしあわせ。[ゆ、ゆー(世)]はこの世の中、社会、世界という意味によく使う語。"ヤマトぬ世からアメリカ世、ユー、ユー、ユ、ユ、ユー‥‥"と、りんけんバンドが唄った。
●[シマザキ(島酒)]=泡盛のこと。正式にはアームイと読むが、アワモリで通っている。一昔前、米不足騒動で、緊急輸入して話題になったタイ米が原料。三線(蛇皮線)同様貿易立国ならでは。黒麹を使う。新酒を寝かせ、5年もの、8年もの、20年もの、と熟成させた『古酒(クース)』は有名。芳醇。ただ寝かせるのではなく、毎年甕の中から1合汲み出し、そこへその年の若い酒を入れる。それを1年ずつ古い5つの甕で順送りにやる。つまり5段階。
●一風館の女流作家(菅野美穂)が気味悪そうに匂いを嗅いでいたのは
[コーレーグス(高麗胡椒)]。唐辛子を泡盛で漬けたもの。
第32回
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那覇北高校時代の野球部キャプテンの誠がひょっこり「ゆがふ」に現れた。
●「中味汁、懐かしいねえ」……《中味汁》'中味のお吸い物'とも言うくらい、澄んだお汁。マチグヮ(市場)でも売っている豚の内臓を、何度も何度もよく洗って、生姜を入れて煮た物。濁りが出ると失敗作。内臓と聞くとお吸い物のイメージとはかけ離れているが、味は"深みのあるサッパリ感"。この"深みのあるサッパリ感"(こういう表現が当っているだろうか?)、沖縄の味には欠かせない。
[クーベ−サン](形容詞)味がこまやかである。と、沖縄語辞典にはあるが、ジョージ(上手)な中味汁、イラブ(海蛇)汁、山羊汁に出会ったときに、この「クーベーサンヤー!」の賛辞を得ることになる。
第33回 |
誠の「東京は人の住む所じゃない」という悪口に、啖呵を切って出て行こうとする城ノ内真里亜に、「ゆがふ」の店長、
●「また来ようね、……また来てちょうだいね」==[来ようね]というウチナーグチ独特の言いかた。こういうときはなおさらやさしく響く。ヤマトグチに言い換えると、来てちょうだいね、くらいなのかな。
●誠「オレの沖縄訛り、下に見られてるようで……」==コメントしづらい、ヤマトンチュとしては……。本土の沖縄観光客がタクシーに乗って運転手に、「現地人を見せてくれ」なんて話は、掃いて捨てるほどあるのだから。
第34回
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沖縄に帰る決意をした誠は、恵里にいっしょに帰ろうと誘うが……
● 「(東京に来て)まだ何もしてないのにぃ」……東京に残るという恵里。東京が合わないと言って沖縄に帰った人はたくさんいる。「沖縄の人は温かく迎えてくれるさ。――でもそれが沖縄のよくないところかな……」とゆがふの店長。
以前'イラン人が悪いことをする'という風評がたって、埼玉で登下校の際、保護者が付いたという話があった。それを聞いたウチナーンチュの一人が「日本から海外に出て現地の人に支えられて頑張ってる同胞がたくさんいるというのに、今度は外国人をその"お返し"として支えてやろうという発想がなぜ出来ないんかねえ」と。
沖縄で数人寄って話をすると、必ずその中の叔父さん伯母さんとかいう人が、ブラジル、ペルーとかに住んでいるという話になる。だから沖縄では、外国人は暮らしやすい。本国では差別されている黒人も、ヤマトで暮らしづらい朝鮮籍の人も、中国大陸の人も、台湾の人も。あれだけの米軍の檻に囲まれていながら、沖縄に憲法9条の理想を見るような気がする。
第35回
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沖縄に帰る誠と思い出づくりの恵里のデートはフランス料理店で。
● 恵里「食べるのもったいないようだね」
誠「だからよー」
第1回でも、この[だからよー]には触れたが、"そうだよね"くらいの意味に置き換えると納得できる、と言ってはみたものの、頭で理解できてもやはりヤマトンチュにはこの場面では使えない。
[やくとぅ]=(だから)の訳なのだから、"そうだよね"というよりは、"だろ!
(やっぱり)そうだろ"くらいの気持ちが加わるのかもしれない。
● 誠 「――力強い男が一人沖縄にいるってことを覚えておきなさい……わかった?」
恵里「……はい」
何度も出てきたが、あらたまって、恵里が「ハイ」と返事する場面。とても素直に言う。親に叱られたときの「ごめんなさい」も素直。「はい」という返事、ヤマトのように硬い感じを与えない。上下関係で使うのでないから。逆に「はい、はい、はい」もよく使う。こちらは下手をすると、小ばかにした印象を与えかねないが、そうではない。文字通り、「はい」の気持ち×3なのだ。
第36回
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第36回
小学5年のときの、ニービチ(結婚)のチジリ(=契り、約束)を、ずっとウミーチヂチョール(思いつづけている)恵里、城ノ内真里亜にさんざん笑われる。ウソッグヮ(うそ小=ままごと)だと言って。
● [チジリ]契り、男女の契り。[語る]という語は、人に話し掛けるという意味だが、そこから仲間に入るという意味に広がっていったようで、福岡でも、「かたろうよ!」と言えば、'仲間にはいろうよ、加わろうよ'の意味だ。そう言って、横浜の友人に「何を話す?」と聞かれた。「語ろう!」なんて、なんとキザなヤツなんだという顔で。東京・横浜なら'まざろうよ!'と言うところ。ウチナーグチでも、カタレーは仲間に入ることで、さらに、男女の語り合い=契り。'まざろう'よりずっと叙情的!
● [〜〜クヮ(グヮ)]=小。接尾辞。ティッシュグヮ、ハンケチグヮ……、と何にでも付ける。こういう使い方も。
[ウソッグヮっし]=うそごとして、[シラン(知らん)グヮっし]=知らんふりして、[ジンブン(存分)グヮっし]=頭いいふりして。
●(ナレーション)「青春だねえ、いいねえ」 青春は
[ハナジャケー=花盛り]
第37回
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誠が沖縄に帰って、心にポッカリ穴があいた恵里……。
● 店長「マブイでも落としたかねえ、恵里ちゃんは」
客の柴田に
「マブイ?」と聞かれて、店長「魂のことさ」と答えるが、[マブイ]は生きた人の魂。[マブヤー]とも。ウチナーグチで[タマシイ]と言うときは死んだ人の魂。
《マブイウティ》(マブイ落ち)……魂が抜けること。ド、ドーンと大きな音がして、ギクッとしたときなど、「マブイ ヌギユン(抜ける)」と言って、手で掬うしぐさをする。
ヤマトのおまじない、とはちょっと違う感じ。生活の中に根付いている。10代の若者が真剣な顔でやるから。
《マブイグミ》(マブイ込め)……マブイを手で掬うしぐさもその一つだが、もっと本格的にするときは、マブイの抜けた人の着物を、マブイを落とした所に持っていって、
「マブヤー、マブヤー、ウーティクーヨー」
と祈願する。[魂よ、追って(ウーティ) 来いよ(クーヨー)]の意。ご馳走を捧げ、水を三度ひたいにつける。着物にマブイを込めたら持ってかえり、本人に着せる。
この説明をしてくれた若者の、マブイが落ちたときマブイを掬えなかったら大変!と言ったときの、緊迫した顔が印象に残っている。
第38回
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恵里の大切なスーパーボールが転がって……。
● 「なんでー!?」……ボールを探してるときも、それから現金を盗まれたことに気づいたときも、この「なんでー!?」。
ヤマトグチなら「どうして・・・(テン、テン、テン)」と深く沈むセリフとなるところだろう。前にも言ったように、この沖縄の疑問詞[ヌー(何)]の直訳ウチナーグチは、whatよりもwhyで聞くことの多いような気がする。
「なんでかね」「なんでそうなるわけ」
ヤマトンチュが、「雨さあ。なんで行くかねえ」と聞かれて、「バスで」と答えたなんて、チンプンカンプンは日常茶飯事。
文也君との思い出の大切なスーパーボールが見つからず、へなへなと座り込む恵里。
「どうして・・テン・テン・テン」のうなだれた気分で、ウチナーヤマトグチの「なんでー」は発せられている、というように聞いてやってほしい。明るく、軽く受け取られてしまいがちなのが心配。
●今日5月15日は復帰29年目。29年前のこの日、政府主催の復帰記念式典が日本武道館で開催され、いまなら、ダパンプ、安室奈美恵、スピード、MAX、Kiroro……といったところか、当時は、仲宗根美樹、南沙織らが招かれた。が、その多くの人が出席を辞退した。日米の密約に抗議して。
第39回
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恵里がバイトから帰ると、一風館では大家さんの音頭でパエリアパーティー。
● 恵里「おいしい! わたしパエリアはじめてです」
すぐに隣りの城ノ内に「昔の田舎者って感じ」と皮肉られるが、確かにパエリアがはじめてというのは現代ウチナーンチュでは珍しいかもしれない。スペイン料理、ブラジル料理、メキシコ料理……、多国籍の料理がふんだんにあるところだから。しかも、その中に沖縄の食材がちゃっかり取り込まれていたりする。まさにチャンプルー。
ハンバーガーだってゴーヤーバーガーというのがある。すっかり有名になったのが、メキシコ料理のタコスの味付けで炒飯にした
"タコライス"。古典的琉球料理もよいが、「こういうのを食べないと、現代"OKINAWA"は理解できないですよ」10代の青年に言われた。
● [マーサン]=おいしい。 ※死ぬ=[マースン]の過去形、マーサンと間違わないよう発音しないと。
「おいしい?=マーサミ?」「おいしかったよー=マーサタンヤー」
非常においしかったときには、大変!という意味の[デージ(大事)]を使って、「デージ マーサタンドー」
第40回
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自分探しで落ち込んでいた恵里に、弟恵達から電話。新曲を最初にネーネーに聞かせたいと。電話口から聞こえる恵達の曲に
涙(ナーダ)が溢れる(アンディユン)恵里。
●恵里「元気が出てきたさあ」 元気は
[クンチ=(根気)]チクンとも言うよう。
ちょっと消沈してるフージ(風)な若者に、
「くり飲まーにクンチグヮ付きれー」(これ飲んで元気つけろよ)
食堂で全くの他人にそう言って飲み物を置いていくオジン。珍しくない風景。これこそ元気のもとかも。恵達の曲のように。
● (彼女でなくネーネーに新曲を聞かせたと聞いて)
「恵達も沖縄の子だねえ」 どういう意味だろう? 沖縄の
"をなり神"信仰のことを意味してるのだろうか。沖縄では姉、妹が兄弟の守り神。男にとっては、結婚しても妻でなく姉妹が守り神となる。
● 《ソーミンチャンプルー》茹でたそーめんにオイルしてニラ、トゥナを入れて塩味だけで炒めたもの。母親がこどものおやつなどに簡単に作ってくれる。
[トゥナ]ツナ缶のこと。米軍統治下にあった沖縄は、耳から入った英語の音をよく残している。[イエンピー]なんて言われると何のことか解らないが、MPのこと。オバアが[ジッセン]だったよ、なんて言えば、十銭じゃない、10¢のこと。セントとは発音しない。
●「胸がワサワサするさあ」胸騒ぎする。ムル(もろ)ウチナーグチだと、「チム(肝)ワサワサするさあ」
第41回
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弟の恵達が東京に出てきてしまったさあ。
● 恵達(一風館の玄関での第一声)「こんばんは」この
イントネーションが真似できない。(こんばんは ̄\_ _ )か。ヤマトなら( __/ ̄ )か。
それに、家出をしてきたのに、何もなかったかのようなこの第一声。沖縄でのこと、あるときいくら電話しても出ない。しびれを切らして(=ヤマトワジワジ)行ってみると、ちゃっかりそこにいる。「ずっと電話してたのに!」と文句を言うより早く、本当に嬉しそうな顔でにっこり。何も言えなくなる。
● 父恵文の「じゃ、誰をマークしてたわけ? 」に、勝子、オバアが同時
に恵文を見る。
恵文「あれ! 」‥‥‥‥こここそ、
「アイ! 」だろうのに。
● 恵里は恵達を引き連れて容子を起こしその足で城ノ内の部屋へ。
城ノ内「こんな夜中に! 」‥‥‥am2:00や3:00でたまげていてはいけない。沖縄は夜型社会、とよく言われるが、半端じゃない。ウチナーンチュの友人で僕の沖縄文化の師匠、O氏が(今日はじめてあったという日に)はじめて電話してきたのも2:00だったし、大家さん(80代のオバア)は、12:00過ぎて、
「カラオケ行くよー、来なさいねえ」だ。
[夜中に相談]=ユナカニチュウゴウ(協合)
●「ゆがふ」にまたイフウ(異風)なあの客が。店長、
「何をそんなにごめんなさいしてるわけ? 」
何度も登場、ウチナーグチ十八番。[○○+している]の構文。
● 《イリチー炒飯》イリチーは炒め物一般の語。ただし、沖縄の炒め
物は、チャンプルーのようなしっぽりしたものと、このイリチーのよう
にかりっとしたものと二種類あるよう。かんぴょうイリチー、クーブ
(昆布)イリチー、グンボーイリチー……。
第42回
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「ゆがふ」の昼間営業を思いつく恵里。
● 《ジューシー》ヤマトの炊き込み御飯のようなもの。沖縄は米がまずい。僕は沖縄にいる間、沖縄の物しか口にしないと決めたが、どの店に行っても、「沖縄の米はまずいよ」と新潟米などを勧められた。だから、ジューシーのようなものが発達したのだろう。
〈クファ(五穀)ジューシー〉〈クーブ(昆布)ジューシー〉〈フーチバー(よもぎ葉)ジューシー〉〈チリビラー(ニラ)ジューシー〉等々。
やわらジューシーというのもある。こちらは'おじや'に近い。
● 《アンダンスー》'アンダ'は何度も出てきた。油。[ンス]は味噌。油味噌とも言う。豚肉を炒め味噌を加えたもの。ラードをとったカスで作ったものはアンダカシー。
● 沖縄料理の作り方をオバアに電話で尋ねる恵里。
オバア「あー、それはねえ、適当。……それもねえ、適当……
ああ、それは少しだはず」
恵里 「オバアに聞いても何もわからんさあ」(怒る恵里)
沖縄の"テーゲー(大概)"を誇張しているかに聞こえるが、そうではない。その家その家の味がある、ということ。初心者には辛い。僕が実際に買った料理の本がそうだった。"味付けは好みで加減します"
すべてがその調子なのだから。
第43回
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《東京ゆんたく》
● 《ゆんたく》==おしゃべりのこと。[ユンター]とも。おしゃべりするは
[ユンタクスン]、おしゃべりな人は[ユンタクー]と伸ばす。
ウチナーグチの特徴、繰り返しで、[ユンタクヒンタク]となれば盛んなおしゃべり。
例:「またオバアがユンタクヒンタクしているよ」
もやしの芽を摘みながら、なんて光景が目に浮かぶ。
● 「ゆがふ」で出そうと恵里が思いついたメニューの名前"あんまー定食"
[アンマー]=お母さん。琉球王国の時代にうんと複雑化した首里言葉の敬語はヤマトグチの段ではない。王家らデーミョー(大名)とサムレー(侍)と呼ばれる士族階級と、ヒャクショウと呼ばれる平民階級では、親族の呼び方も、返事のしかたも違う。
おじいさん[タンメー/ウシュメー]、おばあさん[ンメー/ハーメー]、お父さん[ターリー/シュー]、お母さん[アヤー/アンマー]
※ [士族/平民]の順。もちろん、今ではこんな厳密な使い分けはしないだろうが。だから、"あんまー定食"はまさに、お袋の味、といったところ。
あるとき、首里の老女がエレベーターを降りるとき、感じの悪いおじいさんとすれ違った。ドアが閉まるや
「やなハーギー(禿げ)タンメー! 」(いやな禿げ親父)
上品なのか、乱暴なのか……。
● 父恵文までもが"家出!?"
[ンジハングィ]=家出。
[ンジュン(出る)]の連用形と、
[ハングィユン(解き放たれる)]の連用形。[ハングィムン(者)]は放蕩者。はぐれ者。
●恵文「親は心配なんだよー」……「二度と我家の敷居はまたがせない」と怒鳴りそうなヤマトの親と比べてほしい。本音先行のせりふ。ウチナーンチュによく言われる言葉「ヤマトは建前の社会」
「ウヤー(親は)シワ(心配)スルムンヤンドー(するものなんだよ)」とでも言うのかな。
[シワ]=心配。'世話'から。羽賀研二がTVで沖縄の親に
「シワサンケー、ハマトークトゥ」と言ったことがある。心配しないでね、頑張ってるから。
● 恵文まで来て部屋が狭いと城ノ内の部屋に転がり込む恵里。
城ノ内「…で、なんで私の部屋なわけ」「…だから、そういうことじゃなくて」
怒りだす城ノ内を理解してない恵里。この話に似ている。
食堂の客「オバア、指がどんぶりに入ってるよ」
オバア 「大丈夫、熱くないから」
第44回 |
オーディションに落ちた恵達を慰める父恵文。
● 恵文「音楽はオリンピックじゃない。人より頑張ったからうまくなるってもんじゃないでしょう」
沖縄の民謡酒場で、CDも出し全国的にも活躍している"一流"歌手が、一般の客と親しく歌う。ルシグヮ(友達)のように。権威なんてちらつかせない。「沖縄には星の数ほど〈歌三線〉やる人はいる。"凄い!"って人もいっぱいいる。
僕はいま歌っているだけ、頂点じゃないんだ」
家元制度のようなピラミッド型の発想とは全く違っていた。
● 恵里と容子に押しかけられて、相変わらず怒りまくっている城ノ内真理亜。
恵里「たのしくユンタクしましょうよ!」
容子「パジャマパーティーみたいでいいじゃないのよねえ」
真理亜「このアパートのプライバシーはどうなったのよ!」
この食い違い、おそらく、ヤマトンチュがオキナワタイムよりも難渋するものだろう。
かなりの沖縄病罹患者で、女学生時代に寮で沖縄の子といっしょだったという、S子さんでさえ「毎晩、マックヮ(枕)持って集まってくる。ユンタクヒンタクかしましく…」「…そのうち、『それせれ』『あれ取れ』と仕切りだす…」「…あれだけはあわなかった…」と。
そこで、僕は質問、「『部屋の主は私よ、あなたは客人でしょ』という意識が根底にあったんじゃない?」答えはYes.
ヤマトンチュは人と付き合うときに、序列の中に自分が何番目かという位置付けをして、その位置が確定すると居心地がいいものなのだそうで、いつでもその意識は働いているらしい。女子寮の部屋の中ででも。
だから「そんなの関係ないじゃない」と垣根をすっかり取り払われると、ヤマトンチュは居心地が悪くなる。
文化財保持者とかいう大家が紅型を染める手を止めて観光客の話に応じているのと、大した腕もないのに、ヤマトの若僧の職人が職人ヅラして施主様の挨拶にも返事をしないのと。
沖縄では、付き合うというのは
[フィラユン]。隣りとの付き合い[トゥナイビレー]は前出。フィラユンは平たくするということ。
沖縄の酒席でとても楽なのは、'さしつさされつ'がないということ。さっきさされたから今度は返さないと、なんて気遣いを酒の席でもやっているって、考えたらバカバカしい。
第45回
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ランチタイム第1号のお客は、「ゆがふ」の金を盗んだ八重山出身の黒島。
● 店長「お金を返せばいいということじゃない、その間のこの子(恵里)の気持ちはどんなだったと思うね…」「…18の子が沖縄から出てきて、働いて返すと言ってたんだよ」
恵文「黒島君、あんた神様が引き合わせたんだねえ、いや、オバアが引き合わせたんだね。……これからも来て元気なところを見せなさいよ」
恵里「……あの涙は嘘だったんですね…、私の料理がおいしかったからじゃなかったんですね」
全員が、お金のことはもう問題にしていない。きれいすぎやしないか、このシーン。
大河ドラマ『琉球の風』のロケ現場でのこと。ある殺戮のシーンに、エキストラで参加していたウチナーンチュとヤマトンチュの間で、議論があった。
史実じゃない、と言うウチナーンチュ。史実は、海賊に襲われたときに備えて、琉球の船が積んでいた竹ざおの先は丸く削り取られていたのだ。海中に落としさえすればいい、殺傷までする必要はない。それが沖縄の考え方だ。いろいろ議論の末、到達したヤマトンチュの結論。
「そこまできれいに描くと、'作り物'っぽくなってしまう。それを嫌って、信憑性を出すため少しドラマを汚したんだろう」
沖縄の"チムヂュラサ(肝清らさ)"=心の美しさ、を本当に描こうとすると、'作り物'っぽく感じる、なんて、ちょっと悲しい。
第46回 |
ついに、母勝子までが上京。その夜、勝子の家出人たちへの説教。
● 勝子「恵達、あなたは一度沖縄に帰ってから、また出なおしなさい」
ちょっとヤマトフージ(風)だな、と聞いていると、「ちゃんとみんなにお別れを言ってないのだから」と。どこでまたお世話になるかもしれないのよ、ということだ。
'世話をする'は、ウチナーグチで
[ミーカンゲーユン(見ー考える)] その人のことを心に掛けるという意味。だから「(うるさいと言われようとも)大人になっても、お母さん心配するのやめないよ」
'大人'は
[ウフッチュ]。大きい= [ウフサン(おほさん)]のウフ。'こども'は
[ワラビ(童)]
「ウフッチュニナティン、アンマーシワスシェー、ヤミランドー」
とでも言うのかな。
● 勝子「思いを語ってから行きなさい。お母さんは反対するよ。――それから出ていきなさい」そうしないと、家族でなくなってしまうよ、と。
意味が深い。出て行くことはいい。ただ心のつながりまで断ち切っていくことはゆるさない。そういうことか。世界中のどこにいても。黒島のオバアも「同じ墓に入れなくなるようなことだけはするな」と言った。
あるウチナーンチュがヤマトの理解できないことの一つに、"ご先祖の祟り"をあげた。
どうして、子(クヮ)に孫(ンマガ)に掛けた思いが祟りに変わるのか、と。沖縄では、ご先祖が子孫を見守るときの顔は、那覇の古波蔵家にも飾ってある、あの八重山の
アンガマーのお面の顔なのだ。
● 夜、恵文の三線と、恵達のギターの音が一つになる。まさに、
"オキナワンサウンド"誕生の瞬間。何も言わなくてもわかりあえる、底に流れているものは一つ。
● 恵里、甘えて母の布団にもぐりこむ。
勝子「ワラビヌグトーサア!」
[グトーン]=ごとくある。〜のようだ。
第47回
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『ちゅらさん』第47回 (ウチナーグチ散歩 第47号) 5月25日
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ランチタイムが忙しい恵里と、アルバイトに汗を流す恵達と。
●恵里「家族が自慢ですから」 店長「沖縄の子だねえ」
恵達(バイト先で)「一度沖縄に帰らないと家族でなくなってしまうんですよ」
(バイト先のオヤジは何を言ってるのかまるで理解できないという顔)
5月15日(沖縄の本土復帰の日)恵里の誕生パーティー
●父恵文「…古波蔵家にとってこの二人は宝物であります…」
長男恵尚(ゴリ)は行方知れず、恵里と恵達はそろって家出、父恵文も家出のようなもの。その恵文は、日頃働かず、まったく頼りない存在。それでいて、自慢は家族だと子ども達は言う。勝子も恵文を尊敬できる人だと言う。
「お父さんのようになってはダメよ」が母親の口癖のような家庭の父親の方が、恵文なんかよりずっと社会的には立派だというケースはいっぱいあると思う。一流会社の役職だったり、名誉教授で厚生省の諮問機関の長だったり……。そんなもの何もない恵文。ここでドラマがもっとも大切だと訴えようとしているものは何なんだろう…? それが次の場面の、恵里の踊り。
●《琉球舞踊を踊る恵里の顔 !》
踊ってる恵里の顔が、すっかり"琉球の顔"になっている。ウチナーヂラ(沖縄的な彫りの深い顔、チラ=面)と言うのではない。内面の感情を抑えて抑えて、それを目で表現する、あの琉球古典舞踊独特の顔になっている。内面の感情……、家族への感謝……、チムヂュラサ……。誠がいれば、「やっぱり沖縄の女は琉球舞踊だなあ」なんて言って、恵里にまた「オジンくさいさあ」と叱られそう。
"チュラカーギ(顔の美しさ)ヤカ(より)チムヂュラサ(肝清らさ=心の美しさ)"
第48回
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『ちゅらさん』第48回 (ウチナーグチ散歩 第48号) 5月26日
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沖縄へ帰る恵文と勝子を一風館玄関で見送る恵里。
● 恵里「私ももうシティギャルかね」 父「何にも変わらないさあ」
何にも変わらなくていい。恵里の大切にしたいと思うもの、心の中に温めているものは、何にも変わらなくていい。
そのとき限りのもの、一過性のものに飛びついて、変えてはいけないものまで変えてしまったような、ヤマトの近代化。沖縄と比べると、UGLY(大田昌秀前知事の言葉)に映るヤマトだが、かっては美しいヤマト心があったはず。いま、駐車場に車をいれるとき、後から来る人のために奥にいれておく、なんて心遣いするだろうか。この配慮、いかにもヤマト的、沖縄的ではけっしてない。しかし、復帰後の沖縄とて、その謗(そし)りは免(まぬが)れない。
雑誌に取材されて、「ゆがふ」のランチタイムが大繁盛!
● 城ノ内「あんなもの一過性のものよ」
お気づきだろうか、「ゆがふ」のテーブルにある箸。割箸ではなく、塗箸だ。
沖縄の食堂が塗箸が多かったかどうかは定かでないが、割箸は、一回使うと、汚れて使えない、使い捨てだ。人との付き合いかたにおいても、割箸のようだとたとえるときは、浅い、そのときだけのもののとき言う。
《ヤマトや白箸使い》ヤマトとはシルファーシ(=白箸=割箸)の付き合い、一過性のものだ。沖縄の格言。中国や南方、ヤマトとの貿易立国だった頃からの心得か。箸は通常
[ウメーシ]
沖縄の少女暴行事件のとき、ヤマトでも関心が高まったが、沖縄の新聞の論説にこうあった。――「今回は、珍しく本土の関心も持続している」――
第49回
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『ちゅらさん』第49回 (ウチナーグチ散歩 第49号) 5月28日
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「ゆがふ」目の回る忙しさ
● [アワ(ー)ティヒャーティ]慌てふためいて。副詞的に。
[ドゥマンギユン]慌てふためく。動詞。びっくりする、の意にも使う。
あるヤマトンチュが、「沖縄の娘は若いときはきれいなのに、どうしてオバアになると、ドゥマンギタような顔になるかねえ」と言って周囲を笑わせたことがある。鳩が豆鉄砲喰らったような顔と言いたかったのだろう。
そうまでして商売に精を出すのを、ウチナーンチュはあまりよくは言わない。冷ややかに「ジンモーキヤー(銭儲け屋)やさ」と言うだろう。
● 店長「頑丈なのもなにか切ないね。倒れてみたいさ」
[頑丈(ガンジュー)]健康、強健。ヤマトの「頑丈だ」に近いのは、
チュウバー(強い者) "沖縄の健康観"については第4回で述べた。
……………………………………………………………………………………
沖縄の健康観=頑丈(ガンジュー)・・・第4回より(再掲載につき省略)
………………………………………………………………………………………
● 客になじられた恵里に店長の方が「ごめんね」
小さきもの、弱きものに対しては本当にやさしい。ルールに無頓着な沖縄の道路では、高校生のバイクが近づくと、車はスピードを落とし中央線に寄る。
「さあ、先に行きなさい」と。
● 回想シーン〜〜〜元気に砂浜を走る和也君。オバアのナレーション……
……「《命どぅ宝》だねえ」
………………………………………………………………………………………
第5回より
《ヌチドゥタカラ[命ど宝]》===(再掲載につき省略)
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【編集部より】・・・バックナンバーで触れたことは、二度言わないように努めてきましたが、読者の方から頂いた質問が、以前の回で述べたものでしたので、方針を変え、第34回(購読者数が2名くらいだった頃)までのものについては再度載せることとしました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・from RYO
第50回
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『ちゅらさん』第50回 (ウチナーグチ散歩 第50号) 5月29日
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恵尚現る。TV取材申込みも。恵尚の《ゆがふ世界進出構想!》
● 店長「また大変なってるね、忙しくなるさ。よかったね恵里ちゃん」
「大変なってる」はウチナーグチの[デージナトーン(大事なってる)]のヤマトグチ直訳。いわゆるウチナーヤマトグチと呼ばれるもの、現代ウチナーグチ。ヤマト式に「大変だー!」と叫べば緊迫感があるが、「大変なってる!」と言われると、やや迫力に欠ける、とは第7回で述べた。が、ウチナーグチそのまま「デージナトーサ」と来られれば、これは迫力満点なのだ。
この直訳のためのちょっとしたズレ、ズレからくる軽妙さ、この辺がウチナーヤマトグチの楽しさ。
● 「忙しい」=[イチュナサン] 古語の[いとなし(暇無し)]から。
[暇無さ+あん]
〈例〉「グナ イチュナサアティ 御無礼サビタン」(ちょっと忙しくて失礼しました)
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【読者より】
Q.「ホントにあんなに『さあ、さあ』言うのかなあ?」
A. 言うようです。現代ウチナーグチの特徴というより、正調(?)の、本来のウチナーグチにもともとあるものですから。
「うち喰(か)でぃねーらんさあ」(すっかり食べてしまったよ)の
[さあ]。「〜だよ」と断定の意味を添える終助詞。ヤマトでよく聞く「〜〜へ行ってサ、××に会ってサ」の[サ]は、文の間に入れて、軽く念を押す意味の間投助詞。
ウチナーグチの[さあ]が、ヤマトにもあった[サ]に呼応して、すっかりはまった(固定した)というところじゃないでしょうか。
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● TV生放送の日、
恵里「ごめんなさい。ランチタイムの営業は、もうやめます」
城ノ内のリアクションがとっても良かった。「あのバーカ、……ウヮー!」
こういうときこそ、低い声で、「デージ!」 独特の抑揚をつけて。
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【編集部より】・・・皆さん励ましのメール有難う。S井上さん、ごめんなさい。僕のリスポンスcannot be delivered. Illegal host/domain name found.でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・from RYO
第51回
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『ちゅらさん』第51回 (ウチナーグチ散歩 第51号) 5月30日
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生放送中にランチタイム"終了宣言"
● 恵里「すみません、滅茶苦茶です。私、最低です」
店長「ありがとうねえ、苦しめてしまったね」
恵尚「感動したさあ、こんな大バカに」
滅茶苦茶(サンザンクンザン)になっても、ありがとうねえ、と言う店長の心に映った恵里の心根のやさしさ、正直さ……。この嬉しさは何にたとえられようか!
店長まさにこの琉歌の気分じゃなかったのだろうか。
《今日ぬ誇らしゃや何にじゃな喩てぃる 蕾でぃ居る花ぬ露ちゃたぐとぅ》
(読み)キユヌフクラシャヤ ヌウニジャナタティルツィブディウルハナヌ
ツィユチャタグトゥ
(歌意)今日の嬉しさを何に喩えようか 蕾のままでいる花が恵みの雨を受けて
元気よく花開いたようだ
ご存知、超有名な「かぎやで(カジャディ)風節」。最高におめでたい場面で歌われる歌。結婚式の冒頭で奏でられるが、新郎新婦にとっては、これを両家の誰にやってもらうかは、一番の難題。
嬉しさ、喜びはもちろん
[ウッサ][ユルクビ]とも言うが、今日のこの気分こそ、
[誇らしゃ(フクラシャ)]だろう。フクラサスン(喜ぶ=動詞)の形もあるというが、やや文語的。
● 恵里の《心の美しさ》
[マクトゥ(誠)]、[マッシグー(真直ぐ)]……本当の心の清らかさは、真直ぐで、純なものなのだろう。それを一番言い表してる言葉は、
[マーヂム]か。真実の肝(心)。
だから、那覇の勝子からのお詫びの電話にも、
● 店長「何を言ってるんですか。あんな心のきれいな子を育ててくれて同じウチナーンチュとしてお礼が言いたいですよ」
「今日の酒はうまいねえ!」
店長の心は、恵里の心の美しさでいっぱいだ。
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【編集部より】・・・・・4月30日放送の中で、オバアが、ムル(もろ)ウチナーグチでウフグィー(大声)でワジた(叫んだ)場面、聞き取れない部分があり解説できないでいたのですが、解りましたので、お知らせします。
「いい加減に止(や)みらに! 家人衆(ヤーニンジュー=家族)んでぃ言ゅるむのー、互(タゲ)に むちましく暮らすしどぅ家庭でぃ言いしやる。 ヒィー! 人(チュ)、ぬれー ぬれー そーてぃ おーえーてぃーえー すしぇー 家人衆やあらんどーやー。うんぐとーる家人衆やれー、わんねー、うぬちねーから、出(ン)じてぃ行ちゅんどー」
〈訳〉いい加減にしないか! 家族というものは、互いに むつまじく暮らすのを家庭と言うものだ。 コノヤロー! 人を、怒れ 怒れ して 喧嘩喧嘩するのは 家族ではないだろうが。このような家族なら、私は、この家庭から、出て行くぞー」
[んでぃ]…… 〜と。引用する助詞。[にて]から。
[ヒィー]…… 人を見下して言う接尾語。コノヤロウ。
[ぬれー]……「怒る(叱る)」=[ヌラユン]の命令形。直訳すると「怒れー、怒れー して」。[命令+命令+そーてぃ]の形はポピュラーで、「喰(か)めー喰めー そーてぃ」と言えば、食べろ食べろして、の意。オバアに気に入られでもして、この攻撃を受けたら、腹がパンクする。
第52回
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『ちゅらさん』第52回 (ウチナーグチ散歩 第52号) 5月31日
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島田大心 倒れる! 恵里病院へ、朝まで付き添うと言いだす。
●恵里「(付き添いがいないと)目が覚めたとき可哀想じゃないですか」
看護婦「他人のあなたが???……愛人?」
他人が朝まで付き添うなんて珍しいわね、と言う看護婦。
沖縄にいたときこんな経験をした。スタンドで給油していた僕の目の前で、ガッシャーンという音。振り返ると、人間がこんなにも高く弾むものかと思うほど、バイクと人が二度三度と道路の上をバウンドしてきた。そして人は
'く'の字に折れるようにして電柱で止まった。僕は思わず駆け寄ろうとした。が、その人の、生気が全くなく
気味悪くむきだした白目を見た途端、足がすくんだ。違ったのは周囲にいたおばちゃんたちの反応。駆け寄って大声で
「しっかり、しっかり」と叫びつづけている。抱きかかえて、
「死んじゃダメよー!」と揺り動かしている。まるで身内のように。
ウチナーグチで、[〜が痛い]というのは
[〜ヤムン(=病む)]
〈例〉「ワタ(腹)ヌ ヤムン」「ンニ(胸)ヌ ヤムン」
[動悸がする]は「チム(肝=この場合心臓)ドンドン」「チムダクダク」など。
首里の医師が『医学沖縄語辞典』を出している。本当の微妙な症状はウチナーグチの訴えを理解できなければ、ということだろう。岩手で『ケセン語辞典』を出したのも医師だ。
● 恋人は[サトゥ]だが、愛人は
[ニングル]。[ニン]は'二号'の二か。[ねんごろ]か。
● 勝手に病院を抜けアパートに帰った島田の部屋の前で。
恵里「開けてください……開けなさい……開けろー!」
珍しく激昂する恵里。恵里が怒るときとは……。
第53回
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『ちゅらさん』第53回 (ウチナーグチ散歩 第53号) 6月1日
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恵里の激しいノックに出てはきたものの、島田は……
●「大音響で迷惑かけたのは謝る。後のことはあなたたちが勝手にやったこと」
「何よ、その言い方!」怒る容子。「大丈夫なんですか?」心配する恵里。
恵里の差し出した薬に目もくれない島田。薬が治すんじゃない、とでも言ってるようだ。それは、多分恵里も同感だろう。
「ヌチグスイ(命薬)ナタンドー」(いい命の薬になったよ)とは、食事の後に聞かれる言葉。沖縄では"医食同源"という。
カミムンヨージョー(食べ物養生)とも。ただ、恵里と島田の大きな違いは、病気を治すのは薬でないけれども、***だというところ。
[シンヅィチ]=看病。病人の世話を見ること。"真実"
オバア「こうなったときの恵里は手ごわいよー」
● 〈イカスミ汁〉……イカの墨袋を破らないように取り出しておいて、イカ・豚肉・ニガナなどをだし汁で煮る。後からイカスミを入れ、ひと煮立ち。
〈アーサーのお汁〉……アーサー藻(乾燥)を水で戻し、だし汁で煮る。塩・醤油で味を調え、生姜・豆腐を入れる。
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"今日(チュウ)から六月(ルクグヮチ)"
ヤマトでは麦の秋。黄金色に実った麦畑、すでに刈り終わったところも。
若葉のころよりは色濃くなっている木々の緑だが、しっぽりした潤いに、うんと鮮やかさが増して見えるようだ。この時季になると、ウチナーグチの
《うりずん》を思い出す。'潤(うるお)い滲(し)みる'が語源という。あえて訳すと、若夏。広辞苑にも載っている語。ただし時差がある。沖縄のうりずんの時季は旧暦の二月〜三月。若夏だと四月〜五月。
一年で一番美しいといわれるこの季節、六月だが、沖縄にとっては「慰霊の日」があるのもこの六月。
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【編集部より】・・・・・お尋ねの件、
『医学沖縄語辞典』稲福盛輝編著 旧ロマン書房(現 Booksじのん)
Tel 098-897-7241 Fax 098-898-7039 定価\3,500
『ケセン語大辞典』山浦玄嗣編著 無明舎出版
Tel 018-832-5680 Fax 018-832-5137 定価\38,000・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・from
RYO
第54回
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『ちゅらさん』第54回 (ウチナーグチ散歩 第54号) 6月2日
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恵里の"看病攻勢"に辟易の島田。
● 恵里「オバアに『弱ってる人にはお節介しなさい』と教えられました
からね」
まず島田に勝ち目はない。沖縄の歌劇の中にも、
"人間(ニンジン)死ぬる命(ぬち)や救ゆんでぃちどぅ……"とある。超有名。
人間は、死のうとする命はどんなことがあっても助けねばならない、の意。
あのときアリアを聴きながら死にたかったと言う島田に、
恵里「そんなこと思ってはいけない。沖縄には《命どぅ宝》という言葉が
あります」
太平洋戦で生き残った人たちの絞り出すような"悟り"=《命どぅ宝》に
ついては第5回で述べた。同様に、
〈シーバイ飲んでも生きろ!〉……シーバイ(おしっこ)
〈塩漬けにしても生かせ〉…………患者の医者に言う言葉
あたら命を粗末に言っては、神様に与えられた命(ティンミー=天命)にそむく
ことになる。
[ミー(命)ヤ ティン(天)ニドゥアル]=人の命は天命だ。
恵里「もっともっと生きたかったのに死んでいく人だってあるんですよ」
小浜で亡くなった和也君のことだ。
オバア「和也君は神様に選ばれたんだねえ。命の大切さを忘れさせないために」
第55回
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『ちゅらさん』第55回 (ウチナーグチ散歩 第55号) 6月4日
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島田の看病、病院に日参、活き活きする恵里
● 看護婦の聡子「またあなたね。今日は何?」(呆れ顔)
島田「いったい何者なんだ、あの子は」
城ノ内「しいて言えば……宇宙人」(ここで画面に、笑顔で襲いかかっ
てくる善意のお化けのような恵里のアップ)
容子「沖縄の生んだ"天然記念物"ってとこかな」
大家のみづえ「……生まれたまんまの赤ん坊」
島田、聡子、容子、城ノ内、みづえ……らの感嘆(悲鳴?)の声、これはヤマトン
チュから一斉に噴き出た喚声を代表しているのではないだろうか。「いったい、
あんた何? バーカ! 天然ボケ??? どうかしてるよ。わかんないの?!…」
ちょっと間違えば、ヤマトで一番嫌われる"無神経""図々しさ""善意の押し
つけ"といったところなのに、どこか憎めない雰囲気を持っているのは、単に
恵里のキャラクターか。
"善意"というとき、往々にしてその善意の中に、実は善意を行う側の人の
'自分の心を満足させたい'という心が混ざってはいないだろうか。それら
挟雑物をすべて取り除いたら……。恵里のような天然記念物的笑顔になれる
のかもしれない。
●《チムヂュラサ(肝清らさ=心の美しさ)》に関する言葉
【シナサキ】(志情け)=情愛
【チムカキユン】(肝掛けゆん)=心に掛ける
【チムグリサ】(肝苦さ)=慈愛
【チムグリサン】(肝苦さん)=不憫だ、可哀想だ
【チムガナサ】(肝愛さ)=可愛いさ
【チムガナサン】(肝愛さん)=可愛い
【チムムチムン】(肝持ち者)=情のある人
これに関する語は多いので(つづく)
第56回
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『ちゅらさん』第56回 (ウチナーグチ散歩 第56号) 6月5日
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「もういいよ」島田に追い出される恵里
● "ひとりで生きる"ことについて、容子「いいと思う」、店長「寂しいね、
沖縄では放っておかんさあ」
難しい(ムチカサン)問題。ナーメーメー(ひとりひとり)のドゥカンゲー(自分
の考え)があることだから。
[ドゥチュイ イチユン(生きる)]=ひとりで生きる
[ドゥチュイ]=自分ひとり。[ドゥ]は自分。胴 から。[チュイ]は
ひとり。
[ドゥクル]=自分自身で。[クル]は ころ。犬ころのころ。「自身で」
という意味を作る接尾語になる。英語の '-seif'
[ドゥチュイ ムニイ]=独り言。[ムニイ]は 物言い、話すこと。
[ドゥチュイ ワレー]=ひとり笑い
[ドゥアガミ/ドゥウヤメー]=うぬぼれ。[アガミ]は崇(あが)め、[ウ
ヤメー]は敬(うやま)い
[ドゥグリサン]=心苦しい。[チムグリサン(肝苦さん)=可哀想だ]
より、[ドゥ]の意味が加わる分、他人に対して迷惑を掛けたときの、
からだを縮める感じになる。
●恵里の見つけた"てぃだ=太陽 "である看護婦
残念ながら、新しい語なので、ウチナーグチでも[カンゴフ]
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《 天 真 爛 漫 》="オキナワン・ナイーヴ"
以前にも紹介した彫刻家 岡本太郎氏の沖縄滞在記の中から〜
@ 岡本氏が泊まっていた小さなホテルには若い娘さんがいて、毎晩ロビ
ーのピアノを弾く。上手に弾けるからではなく、単に自分の遊びとして。
それこそ'猫踏んじゃった'が満足に出来ない、雨が上がったあとの破れ
た樋からポタンと落ちる滴のような演奏。プロ級の腕前の岡本氏にとって、
その音はイライラを募らせるばかり。ある日、思い余って、その娘の前で、
見事な演奏を見せつけてやった。――こういうのを聴かされれば、もう弾
けまい――岡本氏はほくそえんだ。その夜、ロビーからピアノの音は響い
てきた。いつにもまして"張り切って"
A 数日滞在したころ、地元新聞社の記者が、
「岡本さん、ホテルは如何ですか? 沖縄のホテルは世界一サービスが
悪いと言いますからね」記者は笑いながらそう言った。
「いやあ、そんなことないですよ」岡本氏の答えに、記者の方が驚いた。
「だって、サービスなんてものはありゃしないんですから」
この言葉を、岡本氏はうんと後悔することになる。それを伝え聞いたホテ
ルの方は、さあ大変。世界的な彫刻家、岡本氏に満足して頂かなければ!!!
その日から、岡本氏がホテルの中で動くとき、'何かご用はございません
か、何なりと遠慮なくお申し付けくださいませ、私どもでお役に立つこ
とはありませんか'そんなひたむきな表情でぴったりと人がついてまわ
るようになったのだ。四六時中張り付かれて、岡本氏は部屋から出るにも
出られなくなってしまった。
第57回
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『ちゅらさん』第57回 (ウチナーグチ散歩 第57号) 6月6日
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一風館恒例食事会で、恵里"看護婦宣言"
● 「私、看護婦になろうと思うんです!」
ウチナーグチなら、「我や(ワンネー)看護婦成ら んでぃ思やびーん」
(ワンネー カンゴフ ナラ ンディ ウムヤビーン)
[成ら]=成ろう。[成ユン=成る.(動詞)]の志向形。「我行かむ」の
「行か」にあたる。
[んでぃ]=〜と。引用の助詞
しかし、いまどきの恵里なら、「私、看護婦に 成ら んでぃ思(ウミ)いさあ!」
くらいか。
● 恵里「キーワードは"笑顔"さあ!」
[ワレーガウ]=笑顔
恵里は"天然記念物的"笑顔の持ち主。適職かもしれない。
●しかし、黙ってしまう周囲。何だ、この沈黙は?(ヌー、ダマトーガ?)
恵里のようなタイプは、看護婦に不向きだという意味の沈黙なのだろうか。
それとも、単に唐突な宣言に二の句がつけないだけなのか。その答えは、島田
のこのセリフ、
「適職かもしれない。でも、一番最初に挫折するのも、ああいう子」
● 上京してきた恵達に「『ここ一番の集中力』って言ったって大学落ちただろ」
と言われ、
恵里「やな子だねえ!」
「やな子だねえ」はウチナーグチの常套句、「ヤナワラバーターヤサヤー」の
ヤマトグチ訳。[ワラバーター]は童達の意。複数の場合とは限らずこう言う
ようだ。
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● 《チム(肝=心)》に関する言葉〜第2弾〜
【チムトゥヤースン】(肝取合すん)=心を取り合わせる→心を整える
【チムトゥヤーサラン】(肝取合さらん)=心が乱れる
【チム ヌ トゥクル ヌ ネーン】(肝の所の無い)=心の居場所が無い、
落ち着かない
【チム ヌ ネーン】(肝の無い)=熱意が無い
【チムフジュン】=満足する
【チムフガン】=満足しない
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【編集部より】・・・昨日、NHK の「フォーク大集合」で、メルマガ昨日号で取り上げた[ドゥーチュイムニイ]=独り言、この同名タイトルの佐渡山豊の曲、かけてくれるかと一瞬期待したが、残念(ジャンニン)! 70年代ウチナーンチュの代表曲やたるむんぬ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・from RYO
第58回
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『ちゅらさん』第58回 (ウチナーグチ散歩 第58号) 6月7日
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恵里の"看護婦宣言"那覇に伝わり古波蔵家パニック!
一方、恵里は夜勤明けの聡子と食事
● 聡子「本気なの?〜解ってるつもりです?〜そういうの頭来るのよね。
〜女としてのアドバイスね〜恋愛できない〜性格悪くなる〜白衣しか
似合わない‥‥‥」さんざんいやな話を聞かされる恵里。
聡子「どう?いやになった?」
恵里「いいえ」「一つ質問していいですか? それなのに、なんで看護婦
つづけるんですか?」
マッシグナ(一途な)気持ちというものは、マッシグナ(愚直な)、しかしながら
シン(核心)を捉えた質問ができるもののようだ。「‥‥喜びがあるからかし
らねえ」そう答えながら聡子は機関銃で打ちっまくっときながらたった一発
でやられた気分よ、とンジャワレー(苦笑)する。
恵里「やっぱり!!!」
目を見瞠いてモーイハニ(舞い跳ね=狂喜)する恵里と、負けたわという聡子
の表情が対照的。
● 店長「人の命を預かる仕事だのに簡単になられたら困るさあ」
[だのに]=ウチナーヤマトグチ風
しかし、
●島田「私は反対だ」
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● 《チム(肝=心)》に関する言葉〜第3弾〜
【チムアササン】(肝浅さん)=浮気っぽい
【チムベーサン】(肝早さん)=気が早い、ではなく、目覚めやすい
【チムビルサン】(肝広さん)=心が広い
【チムグーサン】(肝小さん)=気が小さい
【チムイチュナサン】(肝暇無さん)=気ぜわしい
【チムヨーサン】(肝弱さん)=気が弱い
【チムヂューサン】(肝強さん)=気が強い、ではなく、心強い
以上、いづれも、(肝)を除いた〜アササン、〜フェーサン、〜ヒルサン、
〜クーサン、〜イチュナサン、〜ヨーサン、〜チューサンは独自の形容詞となる。
第59回
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『ちゅらさん』第59回 (ウチナーグチ散歩 第59号) 6月8日
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イサ(医者)だったと明かす島田に反対される恵里
● 島田「…死、……辛い辛い現実を山ほど見るんだ〜」
恵里「胸がワサワサして、誰かが呼んでいるんです!」
イチュタ(一時)の思いつきではない、小浜で和也君の死を見た恵里だから。
[胸がワサワサする]=胸が騒ぐ。ンニ(胸)ヌ ワサワサスン
[ターガナユドーン]=誰かが呼んでいる。[ター]=誰 [ガ]=か
もちろん呼んでいるのは文也君。
恵里「文也君も同じ気持ちで医者になろうとしてるのかしら」
[同じ〜]=イヌ〜 〈例〉同じ考え=イヌカンゲー
イヌカンゲー、イヌウミー(思い)、でもここは、二人の思いが運命的なまで
に重なり合っているというところだから、
"チムティーチ(肝一つ)"=心が一つ
和也君の命は、
●オバア「この世に生きている人に命の大切さを忘れないように選ばれた命」
『クヌ(この)ユ(世)ニ イチチョール(生きている)チュ(人)ンカイ(に)ヌチ(命)ヌ
テーシチサ(大切さ)ワシリール(忘れる)クトゥヌ ネーラン(ない)グトゥ(如く)
イラバリタル(選ばれた)ヌチ』
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☆★☆★☆いよいよ恵里、医療の世界へ!〜命薬(ヌチグスイ)〜☆★☆★
「ご馳走さま」の代わりに「ヌチグスイになったよ」と言う、という話は
紹介した。〈医食同源〉のことも。ただヤマトンチュに誤解されている沖縄料
理のイメージ、つまり"豚・豚・豚・豚……"というイメージ、または"脂っこ
い"というイメージ、これにはまだ触れていない。大誤解を解いておきたい。
《沖縄料理の基本=豚の脂抜き》について
普通ヤマトで、4人家族で豚の角切り400gを使ってカレーライスを
作ったとしよう。翌朝、鍋に残ったカレーのルーを見たことはだれでもあ
ると思う。昨日の三分の一に減っているカレーの表面はラードで真っ白の
はず。ラードがアイスクリームのような食感でたまらない、なんて言って冷
えたまま食べる人はいないと思う。普通温めなおす。白いラードをスプー
ンですくって食べる気にはとてもならないが、温めなおしてラードがルー
の中にすっかり解けたものはぺろり平らげているわけだ。
沖縄料理の代表格"ラフテー"(ヤマトの豚の角煮に似ている)の場合は
まるで違う。同じくらいの鍋なら、1キロの豚のばら肉を使う。大体その
くらいのブロックで売られている。そのままの大きさで一旦ゆでこぼす。
これを二回やる。これが脂抜き。それから一口大に切って料理する。
翌朝残ったラフテーの鍋を見ていただきたい。澄まし汁のよう。温めな
おさず冷たいラフテーを味わうことができる。
僕が沖縄暮らしからヤマトに帰って、食事をしていてひとに言われたこと、
「脂がだめになったんだね」 すぐ気持ち悪くなる。お菓子の代表'サーター
アンダアギー'砂糖てんぷらと訳されているがこれも脂を使う。同様に砂糖を
使わない'カタハランブー'というてんぷらのお菓子もある。オバアが集まっ
て持ち寄ったカタハランブーでユンタク(おしゃべり)。ヤマトンチュが言った。
「これ野菜とか入れるともっとおいしくなるよね、きっと」即座に二人のオバ
アが同時に「ダメ! 脂吸ってしまうさあ」
沖縄の"命薬"の思想は、一朝一夕のものではない。
「サーターアンダアギーにバターいれると、まろやかになっておいしいです
よ」と教えてくれた人がいる。確かにそうかもしれない。が、それではもう沖
縄の"知恵"ではなくなる。
はじめに、僕がラフテーをヤマトの豚の角煮に似ている、と言ったのはそう
いうわけ。《似て非なるもの》だから。
第60回
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『ちゅらさん』第60回 (ウチナーグチ散歩 第60号) 6月9日
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恵里、バイトと勉強、過労で倒れる。診察する島田。
● 島田(帰り際に)「恵達君、私のところに来れば勉強見てあげると、恵里
ちゃんに言っといてくれ」
恵達「…馬鹿ネーネーさ。受験の時だってそうさ、いつ寝るんだって…
お金のことで絶対親に心配かけないようにするんだから…」
そんな頑張りも、島田塾では「あーあ、全然ダメだ、やり直しだ」と。
島田「『誰かに呼ばれてる』って言ったね。天職かもしれんなあ。英語で
天職は"CALLING"って言うんだ」
ウチナーグチ[チジスー]=先祖から受け継いだ定め。[チジ]は'継ぎ'、
[スー]は'数'、命数。西洋では神が"CALLING=呼んでいる"
先祖崇拝の沖縄なら、ウヤファーフジ(ご先祖)から ンマガ(子孫)へ受け継が
れる定め……《チジスウ》。 「定め」と言うと、制約的な響きがあるが、
ご先祖様がいつもミーマンティ(見守って)くださってるという意識の土地
だから、この語がよいかもしれない。とにかく日常、「ウヤファーフジヌ……」
と前置きしての言葉を耳にする。
見かねた容子、那覇古波蔵家へ。集金に来ていた島袋君、「僕への返済、恵里
ちゃんに送ってやってください」
● 勝子「それは出来ないさあ。やってはいけないことだよ」
オバア、恵文もうなずく。
やさしい口調のウチナーグチだが、このときばかりは、[ナランサー!]
[ナユン]=成る、出来る。 [ナランドー]と言われるとかなり厳しい。
そしていよいよ運命の瞬間!!!
● 恵里「文也君でしょ? 絶対そうさあ! 恵里ぃだよー」
文也「恵里ぃ? ……古波蔵恵里?」
恵里ぃ、と伸ばしたから、文也君わかったのだ。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
☆★☆★☆「 豚 は 私 で す 」★☆★☆★
ウチナーグチで豚は[ワー]
沖縄に住んでいるヤマトンチュにウチナンチュが必ず出す問題、
「豚はウチナーグチで何と言うね?」
にやりとしながら。大体オバア。沖縄に住んでいれば答えは簡単。即、
「ワーです」
それを聞くやオバア達、大爆笑。
ウチナーグチで[私]も[ワー(ワン)]だから。発音が違うのだ。
豚のワーは[?waa]、私のワーは[waa](?はフォントが無いので
代用) [?]は声門破裂音と言って、残念ながらヤマトンチュは弥生
時代くらいに失くした音。声門を1回閉じてすぐ開くときに作られる音。
声門でなく唇の破裂音なら出せると思う。[マ・ミ・ム・メ・モ( m音)]
[パ・ピ・プ・ペ・ポ( P音)]がそれ。唇を1回閉じて開いてるはず。
僕もオバアにやられた。ただし僕は特訓して出せるようになっていた。
「ワー(?waa)です」
オバア達、シラ〜〜〜。
実は[思っている]の[ウムトーン]なども、[?umutoon]
[?]のつく語は多い。ただ、[?waa]の場合と違って意味は通じ
るのでご心配なく。[?u]は[u]よりも発声器官の奥で作られるの
で"省エネ" [カ(ka)]は上あごの前、[ガ(ga)]は上あごの奥で作
られる。だから、[カ]よりも[ガ]の方が省エネなのは、発音して
みればわかると思う。今朝は全国で、「カ、カ、カ、ガ、ガ……」と
やってることだろう(呵々)
――――――――――――――――――――――――――――――――
【編集部より】・・・・・昨日のたけしの番組で、喜納昌吉と平良とみさんが出演されてました。ウチナーグチの「めんそーれ」や「うさがみそーれ」は〈候文〉と言っておられました。ウチナーグチが日本語の古い形をとどめているということをわかりやすく説明されたんでしょう。が、正確に言うと〈候文〉ではありません。それについては紙幅が尽きたので明後日。・・・・・・・・・・・・・・・・・from RYO
第61回
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『ちゅらさん』第61回 (ウチナーグチ散歩 第61号) 6月11日
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恵里ぃ & 文也君 ・・・・・「会ってしまったさあ!」
●文也(恵里を見ながら)「……大人じゃん」
恵里「うん。……文也君も大人さあ」
あとはぎこちない会話が続く。「オバアに会ったよ」「うん、聞いた」「み
んな元気?」「恵達ロックやってるんだよ」「へえ、あの低学年の恵達が」
そして、
文也「恵里ぃは?」
恵里「私は…私は…」
恵里は、肝心の"いまの恵里"を語れない。看護婦目指しているいまの
自分を。
● 真理亜ルームで
城ノ内「ええっ! 何も話さなかったの! バカじゃない」
恵里「言葉が何も出なくなってしまったんですよ」
チムドンドン(興奮)して、アマジチカー(動揺)して、チブル(頭)ヤマ(混乱)に
なってクチ(言葉)が固まって………。
[アマジチカー]=動揺したさま。副詞。
[アマジュン]は揺れる。「チム ヌ アマジュン」心が動揺する。
[ヤマ]=山。林野。高くなくても樹が茂っていればヤマ。接頭語にな
ると、[ヤマイン]=野良犬、[ヤママヤア]=野良猫。
[イン]は犬、[マヤア]は猫。
[カタマユン]=固まる。詰まる。促音状態のときも。
●那覇から帰った容子のチトゥ(土産)は?
ニーニー(恵尚)が送ってくれた現金。勝子「入学金にしなさい」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
☆☆★★★『めんそーれ』『うさがみそーれ』☆☆☆★★
[めんそーれ(いらっしゃい)][うさがみそーれ(召し上がってください)]
などの"〜そーれ"は「お〜〜になる」という敬語を作る助動詞[みそーん]
の命令形[みそーれ]。(不規則な動詞という説明もある) ウチナーグチは
古い日本語をよくとどめているので〈候文〉の[そーれ]かと思えるが、
' 候れ 'とは違う。
[みそーん]は、やはり敬語を作る[〜みしぇーびーん]の活用した一つ
の形。"〜みしぇーびーん"の方がもっと丁寧な敬語。命令形は、それぞれ
[めんしぇーびり][うさがみしぇーびり(お召し上がりください)]となる。
[みしぇーびーん]を分解するとこうなる。
[召し] + [や]+[あり] + [侍り] + [をり]+[む]
ミシ ェー ビ ユン
[さぶらふ]から転じた[そうろう]とは全く違う成り立ち。古文の時間、
サンザンクンザン苦しめられたあの〔ラ行変格活用『あり・をり・はべり・
いまそがり〕の世界。
最後の[ユン=をり+む]に注目。動詞の語尾に付く'ゆん'はこれ。
[生きゆん][どぅまんぎゆん][ちむかきゆん]
最近では'いん'と発音する傾向にある。
終止形(言い切り)の形そのものに、断定を避ける助動詞[む]が付いてい
る。この辺が、強く言い切るのを嫌う今日のウチナンチュの気質と関係ある
ような気がする。
第62回
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『ちゅらさん』第62回 (ウチナーグチ散歩 第62号) 6月12日
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机に向かっていても文也君を思ってポ〜っとする恵里
● 恵達「しあわせだねえ」(冷やかすように)
恵里「いいさあ」
何と言われようといいさあ。勉強が手につかなくても、こんなに幸せな気分
なんだもの、いいさあ。そういう「いいさあ」なんだろうか。ウチナーフー
ジ(風)な語感。 ♪いいじゃないの、幸せならば。
一方、那覇古波蔵家では、
● 勝子「文也君、ずっと信じていたりはしないよね」
オバア「(こればかりは我々には)どうにもならんかもね」
恵文「こどもの頃が良かったさあ。最近ずっと遠くから見てるだけさあ」
沖縄の親の"距離感"が出ていて温かい。
一人娘を東京の大学にやり、父親が病気で倒れても知らせない、沖縄のある両親。
「親はしてやれることだけをする」
城ノ内は気になって気になって眠れない。一睡も出来ずやつれ顔で「ゆが
ふ」へ。明るくケロっとした恵里に、
● 城ノ内「あんたのことでしょう! …約束を信じていたのかどうか…
そんなバカ、この世にあんただけってこと確認したいわけよ」
恵里(ワジワジする城ノ内に)「有難うございます。こんなに心配してくれて」
城ノ内「えーッ、どうしてそうなるわけ!?」
恵里十八番、"オキナワン・ナイーヴ"!!! 「どうして?」って、自分が他人に
そうだから。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◯〇o。恋する乙女、恵里o°◯〇o。°°。
胸のときめき(チムブトゥミチ)に、恋人(ウムヤー)の面影(ウムカジ)忍んで……
【チムブトゥミチ】=胸をときめかすこと。[ほとめき]からか。[ほ
とめく]は、コトっと音がして人が来た気配。ベートーベンの運命の
ようにジャジャジャジャーンと激しく鳴らさない。心の戸を誰かが
コトッと叩いて訪ねてきたという意味の言葉なら、叙情的。[ときめ
く]も、いままさに'そのとき'という、キュンとした胸騒ぎの語
だろう。
【ウムヤー】=恋人。[ウムユン=思う]の語尾を長音化して[思う人]
と名詞化するのはウチナーグチの特徴。[ンゾ][サトゥ][ウミカナ]
[ウミサトゥ]も恋人。[ウミ(思)]は接頭語になって'最愛の〜'と
いう意味を作る。
恋しくて恋しくて(ウミーウミティ)胸を痛める(チムヤムル) 娘(ミヤラビ)
【ウムユン】=思う、恋する。[ウムイ]名詞になると、恋。[ウミーウミ
ティ]=思い思いて。
【チムヤムン】=肝病むん。心を痛める。思いつづけて心を痛めるのは
[ウミイヤミイ]思い病み。もうそうなると、恋焦がれる(クガリユン)
状態。[ウチクリサ]になると重症。憂き苦しさ。
【ミヤラビ】=女童、娘。琉歌にもよく出てくるきれいな言葉。日常的
には、イナグワラビの方がよく聞く。
第63回
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『ちゅらさん』第63回 (ウチナーグチ散歩 第63号) 6月13日
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真理亜との"カーキー=賭け"(文也君が恵里との約束を信じつづけていれば
恵里の勝ち)、その結果や如何に?
文也に会いに行った恵里、大学の食堂で女学生と親しく話す文也
● 文也「初恋の人…恵里ぃっていうんだ…好きだったんだなあ…」
女学生「結婚するの?」
文也「だって、小学校のときの話だよ」
恵里の手から、スーパーボールがこぼれる‥‥
● 恵里「真理亜さんの勝ちでした…私は過去の女でした」
[ンカシ]=昔。'ンカシの女(イナグ)'これじゃ江戸時代の女か。
しかし、もともと比喩的な言い方なのだから。メーヌサトゥ(前の
恋人)では直接的すぎるか。
那覇古波蔵家では、ミッチャイ(三人)ウチスルティ(うち揃って)チムワサ
ワサー
● 恵文「勝子、泣いたらダメさあ」
そうはいうものの、電話の恵里の声を聞くともう泣き出す勝子
[ナチンジャスン]=泣き出す。 [泣く]はナチュン、[出す]は
ンジャスン
夜、文也、恵里に電話……話し中(恵里は那覇に電話中)
● ナレーション(オバア)「どうしてこうなるのかねえ、これも試練かねえ」
[ナンジ]=難儀、苦労。
《若さるうちの難儀や買うてもし(ワカサルウチヌナンジヤコーティンシ)》
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☆ 5月15日、「ゆがふ」での誕生パーティーで恵里が舞った踊り
(5月25日放送 第47回)
面影ぬ立てぃば 宿に居らりらん でぃちゃよ押し連りてぃ 遊でぃ忘ら
(読み)ウムカジヌタティバ ヤドゥニウラリラン ディチャヨウシツィリティ
アシディワシラ
(歌意)恋しい人の面影が目の前にちらつきはじめたら、家にじっとしている
ことができない。さあ、一緒に連れ立って、この寂しさを遊びで紛らわそう。
(加那よー節)
今夜は、恵里ぃ、思い切り、ナチゲーゲー(泣きじゃくる)しなさい!
第64回
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『ちゅらさん』第64回 (ウチナーグチ散歩 第64号) 6月14日
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マブイの落ちたような恵里
●恵文(電話で)「いつでも帰ってくるところはあるんだよー」
《親斬ゆる太刀やあてぃん 子斬ゆる太刀や無ーらん》(読み:ウヤチユル
タチヤアティン クヮチユルタチヤネーラン)
親を斬る太刀はあっても、子を斬る太刀は無い。深い愛。
オバア「簡単に諦めたらいかんよー。沖縄の女はね、自分で男を掴むん
だよー」
本当に沖縄の女は強い! 超有名な言葉に、
《女や戦の先走り》(読み:イナグヤイクサヌサチバイ)
女は戦の先陣。
戦後、焼け野が原の沖縄で、戸板を並べていち早く商いの賑わいを見せ
たのも女たち。国際通りは、"奇跡の1マイル"と言われる。恵達がゴキブ
リのようだ、と言うのもうなずける。ご存知、沖縄のゴキブリ、カブト虫
ほどの大きさ、堅さ。ハエたたきでは殺せない。もっとも、そのハエたた
きで、ハブを退治したというオバアもいた。沖縄の女は強い。
「チムトゥメーラヤー!」と励ます周囲の人たち
● 恵達「スーパーボールなくなってかえって良かったさあ」
そのスーパーボールを大学まで行って捜す柴田
島田「もう勉強は終わりにしよう。やっても無駄だ」
城ノ内(ゆがふで)「そこのフヌケ! 酒がまずくなる。 沖縄に帰れば」
容子「(働く女として)仕事にプライベート持ち込んではいけないのよね」
人それぞれのやり方で、立ち直らせようとしている。ときには厳しい言葉も
必要だと。
【クンケーユン】(踏み返ゆん)=立ち直る。 踏み直すの意。
[持ち直す]になると[クンケースン]
重い病気から快復したとき、大変な苦労を克服したときなどにも使う。
【チムトゥメーユン】=気を取り直す。[トゥメーユン]は求める。
[気を取り直させる]になると[チムトゥメーラスン]
恵里、早く、チムトゥメーリヨー!
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☆『ゆがふ』で容子が恵里にアドバイスしたとき、カウンターにあった料理
《 グルクンのから揚げ》
沖縄の代表的な魚、グルクン。タカベ、タカサゴ。
復帰後は、よく食卓にも上るようになったが、熱い沖縄、もともとは
刺身をあまり食べなかったようだ。サバが刺身になるために生まれて
きた魚と称するなら、グルクンはから揚げになるために生まれてきた
魚。胸ビレ、尾ヒレがピンと跳ねたその姿が美しいと思っていたら、
それは料理人の技だった。姿を傷つけないように、胸ビレの下あたり
から内臓を取り出し、ヒレをきれいに伸ばし、滑り込ませるように油の
中へ入れるのだそうだ。
第65回
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『ちゅらさん』第65回 (ウチナーグチ散歩 第65号) 6月15日
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よりによって柴田と文也がスーパーボール探し
●文也「僕が持っていたのもそういうヤツだったなあ、と思って……」
[僕が持っていたものも]=[我(ワー)ガ持(ム)ッチョータシン]
[シ]は、活用語について、[〜するもの、〜なもの]という名詞を
作る。〈例〉○○ンディ 言シ ヤイビーン(○○と 言う者 です)
"私の物"については面白い話がある。アメリカーが、"What time?"
と聞いたら、畑仕事していたオジンが、「あらんどー! ワームン(私の
物)どー!」と怒ったとのこと。ワームンは私の物、"ワッタームン"は
我々の物。
柴田が果たしてキューピットになるのだろうか?!
恵里、聡子'先輩'に会いにナースステーションへ。そこへ文也が……
●聡子「生の看護婦の声聞きたいんだって。いまどきいないわよ、あんな
熱心な医学生」
じっと見つめる恵里、
恵里「私もやるよ、文也君、きっとやるから」
【ニン】=念。熱心な。 [ニンイリユン]=念を入れる。 逆は[ニン
ヌ ネーン]念の無い、不熱心な。
【ミイチキユン(見付きゆん)】=見つめる。他に、[マンジュン][ミーマン
ジュン]もあるが、こちらは、見守るの感じ。
一週間早い食事会(恵里を励ますために)
●恵達「やめといたほうがいいですよ。バカバカしくなりますよ」
恵達の予言通り、
恵里「古波蔵恵里! 復活しましたあ!!」
"恵里ぃ、あったに、くんけーたんどー!"
【アッタニ】=突然
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【編集部より】・・・NGさんより質問Q.店名の『ゆがふ』はどういう意味ですか。A.『ゆがふ』は漢字で「世果報」。 豊年の意、と辞書にはある。が、これでは、この語に寄せるウチナーンチュの気持ちは伝わってこない。店長の藤木隼人さん(方言指導も担当)によると「五穀豊穣無病息災エトセトラ……。つまり世の中のいいことすべて、英語でいうパラダイス」とのこと。歌にも'この世の幸せ願って‥‥'という意味で、'ユガフニガティ‥‥'とよく使われる語。この店名は藤木さんの命名だとか。類した語に、「弥勒世(ミルクユー)」もある。弥勒(みろく)の治める平和な世、という意味。Milkと聞き間違わないように。『ゆがふ』の店内、ほぼ中央の柱に、白いお面と太陽と月の絵の団扇がある。これが弥勒。八重山の豊年祭で使うもの。入口入って画面右にある老夫婦のお面はアンガマー。これも八重山のもの。"ミルクユガフ(弥勒世果報)"という語もある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・from RYO
第66回
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『ちゅらさん』第66回 (ウチナーグチ散歩 第66号) 6月16日
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オバア「それからの恵里の勉強ぶりは凄まじいものがありました」
【ウスマサン】=凄い、もの凄い。
そして、いよいよ合格発表の日。またも容子が発表を見に会場へ。
恵里からの電話を待つ古波蔵家の人たち、そこへ……(オバア「鳴るよ」)
● 勝子「合 格 !!!」
モーイハニ(=舞い跳ね)する恵文、勝子、オバア。ちょっとだけオバアの
手がカチャーシーをやりだすのかな、と思わせたが。
【ディカシ】=成功≒合格 [ディカスン]は成功する、'でかす'
『ゆがふ』でウユエー(お祝い)の会。真理亜もいる。
●恵里「私は幸せ者です」
【シヤワシナチュ】=幸せ者
【クヮフーナムン】=果報者
もちろん、今日の恵里は合格したのだから、'シヤワシな人'であるけれども、
『ゆがふ』『一風館』のみなさまに支えられて今日まで来られた'クヮフウな
者'だと、ここではお礼を言いたかったのだろう。
古波蔵家でも、"ウユエー"
● 三人「乾杯!」
【カリー】=嘉例。=乾杯のときの詞。最近、ヤマトの風習から、乾杯を
するようになった。ウチナーグチのおめでたい慶事に使うこの語が、乾杯にも
使われる。もっと丁寧に言うときは、「カリーツィキヤビラ」=嘉例をつけ
ましょう
そもそも、乾杯に続いてご挨拶、なんて堅苦しいのはヤマトから入ってきた
のだろう。少なくとも庶民の宴席では。沖縄では、「ハイ始め!」の号令
なんてなくてもすぐに"大盛会"だ。
そこで、オバア、勝子が作っていた料理《ムーチー》
サンニン(月桃)の葉で餅を包んで蒸したもの。餅=ムーチー
これには、「鬼餅」伝説がある。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
■"What time ? "(ワッタームン)の話===【上級編(完全バージョン)】
オジンが焚き木(タームン)を拾っているところへ、アメリカーが来る。
緊張が走る。疑われてると思ったオジン、
「ワータームン(私の焚き木だ)」
アメリカー、What time ? と聞かれたと思い、
"Nine fourtythree(ナイン フォーティ トゥリー)"
と答える。オジン、「ナフィン ホーティ トゥリー」と聞き、疑惑が晴れ
たと思いニッコリ。アメリカーもそれに答えてニッコリ。
オジンは「ナフィン(もっと)ホーティ(這って)トゥリー(取れ)」と言われ
たのだから、いっそう身をかがめて焚き木拾いに専念したとか(なぜだか
腑に落ちないながら)。アメリカーもオジンの不自然な格好に首をかしげ
ながら立ち去ったとか。めでたし、めでたし。
(※昨日号の完全バージョンです)
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【編集部より】
「鬼餅」伝説は明日ご紹介します・・・・・・・・・・・・from Ryo
第67回
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『ちゅらさん』第67回 (ウチナーグチ散歩 第67号) 6月18日
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恵里、無事看護大を"トゥジマユン(卒業)!" 一風館へ'里帰り'
● 恵里「ただいまあ!」
たまたま集まっていた一風館の面々、ゾォ〜〜。
[トゥジマユン]=成就する。遂じまゆん。[トゥジミユン]になると
成就させる。
「ケーヤビタン」=帰りました≒ただいま。「帰ってきました」はケー
ティチャビタン(帰ーてぃ来ゃびたん)。ただし、日常は改まってこうは
言わないだろう。「ハイサイ!」くらいか。
その4年の間、みんなはというと……
●〈古波蔵家〉‥‥‥「(みんなは4つ歳をとったかもしれんけどね)オバア
は4つ若くなったさあ、なんでかねえ」
《若くなる思想》沖縄では、新年を迎えると1つ若くなる。「若く
なりましたねえ」の意味が新年の挨拶にもなっている。オバアが
ますます若くなるわけだ。
〈大家のみずえと島田〉‥‥ますますいい雰囲気。
〈真理亜〉‥‥‥ムッチョーフィッチョーしていた(スランプ)
[ムッチョーフィッチョー]はかどらないさま。副詞。
[ムッチョーリユン]=はかどらない。
〈容子〉‥‥‥‥部長昇進後不景気で会社倒産。別の旅行社へ。
〈ゆがふ〉‥‥‥この人たちは相変わらず。
この人たちが一番沖縄らしいのかもしれない。
〈恵達〉‥‥‥‥バンドに入れてもらって、自分の曲もレパートリーに。
● 恵里(一風館を見回しながら)「こういう雰囲気懐かしいなあ」
[アナガチサン]=懐かしい。[ナチカサン]=悲しい、と間違わない
ように。
真理亜「マタクングトールクラシヌハジマイーミ(またこういう生活が始
まるのか)」
● そして、恵里、いよいよ社会人。文也のいる病院に就職。
文也とすれ違っても、とても明るい。きっといつか、いまの自分を見て!
と言えるようになるんだから。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
☆★☆《 鬼 餅=ウニムーチー 》伝 説★☆★
ンカシンカシ(といっても舜天王の頃、約八○○年前)、首里の金城町に
兄と妹が暮らしていた。(観光地として有名な石畳のある町。恵里の那覇の
家もこの近くらしい。恵里が高校生の頃、自転車を押して上っていたのが
この石畳道)
家を出た兄は、その後、鬼となって人を食い荒らすようになった。伝え
聞いた妹は心を痛め、一計を案じる。
鉄の入った餅と、普通の餅の両方を作り兄を訪ねる。流石の鬼も'鉄入り'
では歯が立たない。妹は何食わぬ顔でおいしそうに食べている。怖気づ
いた鬼が崖の上に後ずさりしたそのとき、妹は着物のすそをパッとめくった。
鬼は妹のあらわになった[ホー](女性の恥部)に腰を抜かしそのまま崖か
ら落ちて死んでしまった。
十二月八日、沖縄の家庭では《ムーチー》という行事をする。サンニン
(月桃)の葉で餅をくるみ、蒸した料理を作って、一年の厄払いをする。この頃
の寒さを、ムーチービーサと呼ぶ。
その伝説と関係があるのだろうか。火事のとき、「ホーハイ、ホーハイ」と
叫ぶことになっている。この声を聞けば、男は水をもって火事場へ急行。
ホーハイの[ハイ]は[ハユン]=張る(動詞)の連用形。ここではさらすの
意。火事の鬼を追い払おう、ということだろう。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
【編集部より】・・・僕が沖縄にいたとき、十二月八日、マチグヮに〈ムーチー〉を買いに出かけた。ヤマトで五月五日に柏餅を買いに行くようなもの。ところが、どこにも見当たらない。一軒も売ってる店がない。それから一ヶ月くらいたったら、今度はいたるところでムーチーが売られている。―――バカだねえ、沖縄はウチナーグユミ(陰暦)だったのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・from RYO
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***GNさんより質問〜
Q.途中から購読してますが、それまでの分を入手する方法は?
A. melmaのサイトから『ちゅらさんウチナーグチ散歩』へ行ってバック
ナンバーをクリックしていただければ、第1号からすべてあります。た
だし、発行日時の一覧でしかないので、'第〇回'のを見たいというとき、
かなり面倒です。現在、ホームページ上にバックナンバーの全てをスク
ロールして見られるものと、メルマガで取り上げたウチナーグチの語を
50音順で引ける「ちゅらさんウチナーグチ辞典」を準備中ですので、
今しばらくお待ちください。
第68回
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『ちゅらさん』第68回 (ウチナーグチ散歩 第68号) 6月19日
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いよいよ看護婦の1日始まる
● ナレーション(オバア)「全然ダメでした。何がなんだかわからない1日
でした」
「ムル(全然)ナイハンチャル(できそこなった)フィッチー(一日)ヤタンヤー
(だったねえ)、ヌー(何)ガヌーガヤラ(何だか)ワカランタッサー(わからな
かったよー)」
シークイメークイ(フラフラ)になって帰宅。
●容子、城ノ内、みずえ、島田ら、恵里のクタクタの様子に、
「自信をなくすよねえ」「全く役に立たないからね、最初は」「乗
り越えるべき壁があるっていいわよね」
部屋に入るなりパッタリゲーヤー(バタンキュー)。
●恵里(寝言で)「すみません、ほんとにすみません」
恵達「いいよ、気にしなくていいよ」
恵里(寝言で)「ありがとうございます」
[シマビラン]=すみません [シムン](すむ)の否定が[シマ
ン]で、その敬語。しかし、シマビランと言ったらぞんざいじゃ
ないだろうか。「グブリー(御無礼)サビタン」が無難。友達同士
なら、「シマン、シマン」で通る。
[シワサンケ]=心配するな。 「〜するな」の打消の命令形は、
動詞の否定形+[ケ]でできる。食べる→カム、食べない→カマン
食べるな→カマンケ
ネーネー思いの優しい恵達。ネーネーウミイ(思い)ヌチムヂュラサル
(肝清らさる)恵達。
次の日、恵里の帰りを文也が待ち伏せ、「コーヒーでもどう?」
● 文也「学校で勉強してきただけの人間にすぐにできる簡単な仕事じゃ
ない、凄い仕事についたって誇りに思わなくっちゃね」
恵里「そーか……、そうだよね!」
「やがやー……、やさやー!」といった感じか。
《ガコーアランドー、ジンブンドー》人間'学'じゃないよ、'人間性'だよ。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
《若くなる思想》‥‥‥昨日オバアが「若くなったさあ」と言ったことに
関連して、沖縄の新年の若くなる思想について触れた。
その新年の挨拶、
・「若水ウサギティ 若年迎(ンケ)ーミシェービタガヤ」若水を召し上がって、
若年をお迎えになられましたか
・「ウンジュン若年迎ーミシェービティー」あなた様も若年をお迎えに
なられましたか。
もうちょっと簡単になると、
・「ウワカク(お若く)ナミソーチ〜」お若くなられて〜
――――――――――――――――――――――――――――――――
【編集部より】・・・・・『パッタリゲーナー』について以前、この語では失敗がある。ヤマトンチュの僕は、ウチナーンチュのようなネイティブな"語感"というのがない。「パタパタとヘリコプターが飛んでいる」と表現したくて沖縄語辞典を引いて、「パッタリゲーナーヘリコプターぬ……」とやったら大爆笑。[パッタリゲーナー]というのは、パタパタといっても、壊れて具合悪くなっているさま。ちょうど、釣り上げられた魚のパタパタか。・・・・・from RYO
第69回
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『ちゅらさん』第69回 (ウチナーグチ散歩 第69号) 6月20日
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恵里元気いっぱいにアッチョーン。徹夜で疲れた真理亜に、
●恵里「おはようございます!」
真理亜「ヒョロヒョロだったんじゃなかったっけ?」
[アッチュン]=歩く、行く、〜して暮らす、元気にやっている
基本的には「歩く」の意の語だが、そこから元気に暮らしている
ことまで意味が広い。「アッチョーミ?」=元気にやってるか、
「アッチョーティー?」=元気だったか。目上にはこれでは失礼。
'御(ウ)'を付けて、「ウヮーチミシェービーミ?」「ウヮーチ
ミシェービティー?」
[アッチョーン]は、その保存態(英語の進行形 〜ing)で[歩いて
いる]
[チューウガナビラ]=「おはようございます」「こんにちは」「こん
ばんは」 この言葉一つで、全部 用がすむ。本来の意味は、「チュー
(今日)ウガナビラ(拝まびら)」で、「今日、(初めて) お会いいたしましょう」
元気を取り戻した恵里のまた1日が始まった。
●恵里(患者に)「ビーチパーティー楽しいですよー」
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《ビーチパーティー》=沖縄の夏の風物詩。
海岸に繰り出してパーティーをやる。今度の日曜日に、というの
ではなく、ヤマトでいう「今夜一杯やる?」の感覚で。ビニール
シートを敷いて、バーベキューでカンパーイ! このあとが凄い。
最後は隣りのグループも何もない。花見で喧嘩が始まるヤマトと
は全く逆の方向。通りがかった者も「入れ、入れ」で引きずり込
まれる。シラフのうちは、「ハーイ! 会費2000円ね」と徴収さ
れるが、最後はどうだか。
《 毛 遊 び 》(モーアシビ)
これが現代ウチナーのビーチパーティーの源流だと思うのだが。
古くからある村々の夜の遊び。モー(野原)に出て、三線、歌、踊りで
夜を明かす。若い男女にとっての出会いの場。納屋の二階に連れ
立って入った二人がいたら、大人たちも近づかなかった、なんて
話も。梯子を外してしまった、とか。
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市川哲哉君という小児科の患者に、文也ジグソーパズルのプレゼント
● 文也「オレの兄貴と同じ病気なんだ」
哲哉「お兄さん、いま元気なの?」
文也「あー、元気だよ。もう、すっかり治ってピンピンだよ」
辛い嘘(ユクシ)。でも、いまはこう言うしかない。
[ユクシ]=うそ、いつわり。 [ユクスン]は動詞。横にする、から。
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【編集部より】・・・〈訂正とお詫び〉 昨日号で、[パッタリゲーヤー]について触れましたが、先ず第一に【編集部より】のところで[パッタリゲーナー]と表記しましたのは 間違いで、正しくは[パッタリゲーヤー]でした。第二に、やはり[パッタリゲーヤー]は魚がパタパタするようなさま(暴れるさま)なので、恵里がバタンキューと布団に崩れ落ちるのを形容するのには合わないようです。訂正してお詫びします・・・・・from RYO
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【ハナバターウッチェーユン】=帰り着くやひっくり返って寝ること
これが、バタンキューにぴったりだと思う。
[ウッチェーユン]は、ひっくりかえる、裏返る、さかさまになる。
第70回
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『ちゅらさん』第70回 (ウチナーグチ散歩 第70号) 6月21日
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帰りに同期の看護婦に呼び止められた。
● 「古波蔵さん、話、あるんだけど」
恵里、彼女を『ゆがふ』に誘う。そこで恵里は、「あなたはウッカー(スキ
だらけ)――」「ドゥンナムン(鈍感で)――」「シーヤンジ(失敗)してもツィニ
(平気)で――」とこきおろされ(誉められ?)、しまいには「私は'オール4'
の女、失敗したくないから」と。
[ウカットゥー、ウッカー]=スキだらけ、うっかり者。ウチナー
グチの特徴、'うっかりと'を長音化し名詞化した語。
[ドゥンナサン(鈍なさん)]=鈍感な。[ドゥンナムン]=鈍な者
[ツィニ]=平気。'常'だから、平常心。第1義は平素。
日常、よく聞く、「チケーネーン」は、「(気)遣いない」と書く。
だから、心配ないよの意味での「平気だよ」にあたる。
しかし、
「あなたがウレーマサン(羨ましい)。友達になってください!」
と。今日の話というのはこれだった。
さんざん、恵里の穴だらけの性格をこきおろしておきながら、だ。ここに、
また、"オキナワ"に振り回されながらもドンドンはまっていってしまう
ヤマトンチュの'被害者'が一人出てきたというわけか。
恵里「何言ってるの、もうお友達さあ!」
先ず、スタートがみんな友達なのだ。だから、イチャリバチョーデー。そこ
から都合が悪ければ減点法で削っていく。ヤマトは初め他人。
文也、哲也君の病室を訪ねるが、部屋は片付けられてバンバーラー‥‥‥。
●文也「何で死んじゃうんだよーッ!」「人が死ぬのいやなんだよーッ!」
そっと見守る恵里。
[バンバーラー]=空っぽ。がらんどう。
その日の帰りがけ、ロビーにいる文也に、恵里そっとコーヒーを差し出す。
● 文也「何か格好悪いところ見せちゃったな」
恵里、首を横に振る。
文也「あの後、看護婦さんたちにメチャクチャ怒られたよ。最低だね」
恵里「そんなことない! 最低なんかじゃないさあ、文也君」
文也「人の命を救える医者になろうって、ずーっと考えて生きてきたんだ。
恵里ぃは?」
恵里「‥‥‥」
恵里は言いたかった。ずーっと文也君との約束を信じて生きてきた、と。
「チャー(ずっと)、ワラビ(童)ヌ クルヌ チジリ(契り)マンティ(守って)、
ウミーチジチョータン(思いつづけていた)ドー」と。
第71回
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『ちゅらさん』第71回 (ウチナーグチ散歩 第71号) 6月22日
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ロビーで語りつづける二人。
● 恵里「文也君みたいに真直ぐじゃないけど、遠回りしたけど、私を看護婦にした
のは、やっぱり 和也君だと思う」
文也「ありがとう」
それから、仕事しないで昼寝ばかりの父のこと、頑張ってる母のこと、那覇北高野
球部の快進撃、オバアのこと‥‥。話しつづけた。ワラビヂム(童肝)になって。
[トゥーミグイ]=遠回り。遠巡り。
[ムドゥルチュン]=まよう。もどろ、から。
[ワラビヂム]=童心。
しかし、文也の同期の西宮遙が現れ中断。
●「上村先生ッ」
遙はやはり恵里の‘ミガタチ’になるのだろうか。
[ミガタチ]=恋敵。女敵(めがたき)。
遙がいつも文也を呼ぶときは、「上村ぁ」だ。文也が遙を呼ぶときも姓で「西宮」だろう。これが、「上村君」や「西宮さん」と呼ぶよりも、ヤマト流の同期の親しさを表している。姓の呼び捨て。(あくまで家と家の付き合い? せいぜいここまで) これが、「遙ぁ」と名前の呼び捨てになれば、これはデージ! ただならぬ仲。沖縄なら、この「上村君」や「西宮さん」にあたるのが、「恵里ぃ」「文也ぁ」と名前の方の呼び捨てだ。恵里が野球部のキャプテンを「誠ぉ」と呼んでいたのを覚えていることと思う。近所のよその子を呼ぶときもこの調子で。
さっき、西村は「上村先生ッ」って割って入ってきた。
恵里は文也を、小さいときから「文也君」と呼んでいる。幼なじみの気安さよりはちょっと距離を取ってきた。東京からのお客さんということもあったかもしれない。そして、いま、‘大切な人’という意味が加わって、やはり“文也君”なのだ。
那覇に電話する恵里ぃ。
● オバア「まだまだ子供だねえ、二十歳すぎて親に電話して泣くんじゃ」
恵文 「いい子さあ、恵里ぃは」
オバア「ついに来たかねえ、オバアの出番が。‘お待ちどうさまでした’」
[マールー]=順番。 [ワーマールー]で私の番≒出番
ついにオバア東京へ。
●オバア「東京行き1枚もらおうね。‘オバア割引’でねえ」
「もらおうね」この言いかた、何度も出てきた現代ウチナーグチ、いわゆる志向形(〜しましょう)の直訳型。
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【編集部より】・・・・・あす、『 沖 縄 慰 霊 の 日 』沖縄では8月15日よりずっとずっと重たい一日。1945年のこの日、未明、沖縄守備隊の隊長牛島中将、長参謀長の両名の自刃によって、沖縄戦の"組織的戦闘の終結した日"とされている。この意味お解りいただけると思う。この日より8月15日までの間、武装解除の命令の下されることもなく、住民、日本軍兵士が戦火の中をさまよい、集団自決…、日本軍による虐殺…、ウチナーンチュをスパイ視して斬首…、日本軍を頼って山から降りてきたこどもを敵に通じたとして銃殺…、壕の中で日本軍に子供を殺すことを強要された母親…、地獄絵のような日が続いた。沖縄戦のもっとも悲惨な部分がこの期に集中している。〈国体=国の体制〉の護持のため、本土攻撃引き伸ばしのため、捨石にされた沖縄。まさにその縮図がこの6月23日以後の沖縄戦に見られる。だから「国の体制を護持せんがため‥云々」の8月15日は、沖縄では意味がない。国よりも、人の命がどう扱われたか、そのことを忘れさせないこの日のほうがずっと重たい。・・・・・・from RYO
第72回 |
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『ちゅらさん』第72回 (ウチナーグチ散歩 第72号) 6月23日
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オバア、飛行機の〈オバア割引〉断られ、次に「立っていく」と言い出す。
● オバア「何も心配いらんよー。オバア、足腰は丈夫だからね」
心配してるんじゃない、困ってるんだ。
一方、恵里は、遙に呼び出される。
● 遙「私と上村、お似合いだと思うんだけど」「同士って感じなのよね」
やっぱり、遙は恵里のミガタチ(恋敵)だった。
遙「あなただけはイヤだなあ。あなたみたいな人にだけは負けるの納得できないなあ」
どういう意味だろうか。‘高い理想を持つ、同士‥‥’‘あなたみたいな‥‥’負けたくない、じゃなくて‘納得できない‥‥’
ウチナーグチの同士(ドゥシ=友達)という言葉がかえって輝いてくる。“限定的”でない言葉だったんだなあ、と。
看護の方は少しずつジョージ(上手)になってきて、同僚の祥子ともいっそう親しくなれた。サキジョーグー(酒上戸)の祥子と「ゆがふ」へ。
●恵里「いまは、ちゃんとした看護婦になるのがデーイチ(最優先)」
[ジョーグ]=上戸。 [〜ジョーグ]は、〜好き。
[デーイチ]=第一。 [マッサチ]=真っ先。
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☆★☆ 沖 縄 オバア 旋 風 ★☆★〜〜〜〜〜来週、吹き荒れるか?
沖縄のオバアの凄さについては、『ゆがふ』の店長、藤木隼人さんも本に書かれている。オバアだけで1冊の本になる! 行き先の違うバスに乗っておいて、運転手に「何でえ、連れてってえ」と迫る話。どの車でも手をあげて止め「ワンニンヌシレー」と乗り込んでくる話。マチグヮのオバア「何でタバコ置いてないのか」と客に言われ、「だってオバアはタバコ喫わんさあ」と答えた話……。とにかく抱腹絶倒! ブルーな夜にお勧めの1冊。
この「ワンニンヌシレー」だが、ワンニン(我にも)ヌシレー(乗せれや)の意。ウチナーグチでなく「私も乗せなさい」と言ってくる場合も多い。このケースに限らず、オバアはよく「〜しなさい」と命令形で言ってくる。どういうわけか、この命令形が強く聞こえない。ヤマトでも、おばあちゃんが孫に「食べなさい」と言っても強く聞こえないのと同じ。ただこれを全くの他人にやったとしたら――。
人生の先輩、若い者への深い愛に裏付けられている‥‥、と言ってしまえばそれまでだが、沖縄のオバアの不思議さ。とにかく沖縄のオバアに、「乗せなさい」と言われると、可愛らしいほど受け入れたくなる。元が「乗せれや」だからだろうか。いたわりや同情でなく嬉しくなってしまう。沖縄のオバアには何かがある。
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【編集部より】・・・きょう、『沖縄慰霊の日』〜《平和のイシジ(礎)》〜
激戦地だった摩文仁の丘に、平和のイシジがある。沖縄戦で亡くなった方の名が刻まれている。日本人も、アメリカ人も、軍人も、民間人も、ウチナーンチュも、ヤマトンチュも、韓国人も、フィリピン人も、仏教徒も、クリスチャンも……。これが長年のウチナーンチュの夢だった。靖国神社とは違うところ。大田前知事のとき実現した。サミットでは前知事は招かれなかった。小渕前首相夫人は招かれた。
いつになっても、ヤマトンチュには解らないのだろうか。沖縄のチムグクル。
稲嶺さーん!(現知事)、チムグクル マディン(までも)カタヅィキタンディヤ(片付けたのでは)アランドーヤー(ないだろうねえ)?
トゥナカ(海上)ンカイ(へ)
第73回 6月25日 |
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『ちゅらさん』第73回 (ウチナーグチ散歩 第73号) 6月25日
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オバア、すでに飛行機の中から旋風巻き起こし(=恵達がお世話になるはずの我那覇猛を'ポーター'にしてしまって)上京!!!
恵里に荷物はと聞かれ、
● オバア「アイッ、アッサミヨーッ! 大変してる忘れていたさあ!」
現代ウチナーグチの総集編のようなセリフ。もう何度も登場、「アイッ(あれっ)」「アキサミヨー(Oh
my God)」「デージナトーン(の直訳)」「〜さあ(ウチナーグチ定番)」
ただオバアが言うといい! なんともイントネーションがいい。
● 我那覇猛「オバアに飛行機に乗ってる間中、説教されっぱなし。荷物まで持たされ、『ここに送りなさい』って。」
「送りなさい」、オバアの命令形じゃ断れない。しかし、彼もウチナーンチュだ、ワジワジしないで、
●我那覇「頼むよー、オバア」
「頼むよー」これもよく聞くセリフ。いい加減にしろっと言いたくなる場面で。ヤマトンチュも目くじらたてず、こういう受け返しを覚えたいもの。
城ノ内はまだスランプ、恵達は我那覇に演奏を聞いてもらう。柴田はオバアの東京見物の案内役に。
● オバア「‥‥銀座、原宿、浅草、うりから、宝塚も見たいさねえ」
聞き流してはいけない。'宝塚'が入ってたことを。沖縄から見た"ヤマト観"
沖縄のテレビの旅行会社のコマーシャルで、
「道南の秋を眺めるもよし、長良川で鵜飼を楽しむもよし、坊ちゃんの湯につかるもよし……」
とやっていた。そんなに回れるかよッ。
[ウリカラ]=それから。 [ウリ(それ)、アリ(あれ)、クリ(これ)]
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◆ 前回(第72回:6/23放送)のあるシーンについて◇
遙にねちねち言われた後、恵里が化粧室に入って、ウラーッ(?)と叫んで鬱憤を晴らすシーン(と、僕が勝手に解釈を断定してよいものか)
この場面について、あるヤマトンチュが「あの"ウリャーッ"が良かった」と。に対して、ネイティブのウチナーンチュからは「???‥‥。あれは'ウリャーッ'だろうか。ウチナーグチで喧嘩をしてきた僕らにとってあの場面は、気合を入れる'ウリャーッ'ではなく、'馬鹿野郎ッ'と発散する意味の'フラーッ'ではなかったんでは」と。
[フラー]=馬鹿。
よく聞きなおしてみた。「ウラーッ」と聞こえる。声を張りあげるとき、'ラー''リャー'になることより(=母音のa音がやわらかなja音に変わることより)、'フ'が消えてしまう(=無声音のf音がなくなる)可能性の方が高いと思う。第一、気合を入れなおすだけでは、遙のねちねちが消えない。
あれは、"フラーッ"だったのでは。
しかし、さすがネイティブ、聞き逃さない。僕はそこまで叫び声に関心なかった。
ちなみに、オーエー(喧嘩)のときだけはウチナーンチュも言葉が凄い。
「タックルサリンドーッ!」(タッ殺されるぞーっ)
〈チュ(人)ニ クルサレー(殺されても)ニンダリーシガ(眠られるが)、チュ クルチェー(殺せば)ニンダラン(眠られない)〉と言うウチナーンチュが、である。
※ [クルスン]には傷つけるの意もある。傷つけて抵抗できなくすること、それがつまり殺すこと、という意味。
※バックナンバー45号(「琉球の風」ロケ現場でのこと)も参照してください。
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☆★☆〈ラフティー〉の語源★☆★〜〜〜HKさんの質問に答えて〜〜
漢字では「火腿」と 書く。中国語でゼラチンとハムの意味だそうです。
14世紀から15世紀にかけての琉球王朝時代、沖縄が中国に朝貢をしていた頃に持ち込まれたものと見られています。沖縄料理は全体として中国料理の影響が大きいが、ラフテーは豚肉の旨味をもっとも味わえる豚肉料理の代表格です。(以上、沖縄の友人YO氏より)
※第59号で、ラフテー、豚の脂抜き(ヤマトンチュ必読)の話を取り上げています。
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【編集部より】・・・お待たせしました。ようやくバックナンバーの全部ホームページに載せ終えました。一部、まだ清書してません(コピペしただけのままになってる)ので見苦しいですが、ご勘弁のほど。おいおい直します。
URL http://www.gem.hi-ho.ne.jp/ternam/tyurasann.htm
・・・from RYO
第74回 6月26日 |
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『ちゅらさん』第74回 (ウチナーグチ散歩 第74号) 6月26日
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「ウソッ!」オバアが病院に現る。文也君にサーターアンダアギーを。
●文也「恵里ぃも頑張ってますよ」
オバア「そーねー?」
文也「オバアのク‐ブイリチーうまかったなあ」
《クーブイリチー》刻み昆布、豚三枚肉を短冊に切ったもの、こんにゃく、椎茸、沖縄のかまぼこなどを、豚出し汁、砂糖、醤油、泡盛などで炒めた物。昆布の味が引き立った料理。
恵達、我那覇猛に呼び出される。
● 我那覇「恵達一人なら、オレは協力する」
ソロデビューが条件。さあ、どうする恵達。こういうときウチナーンチュは。
(クングトールバー、ウチナーンチョー、チャースガヤー。ミームンヤッサー)
[チャースガヤー]=どうするか
[ミームンヤッサー]=見ものだよね
夜、恵里の部屋で。
● オバア「困らせてしまったらごめんねえ」
恵里「ううん、オバアは何も悪くないよー。嬉しかったさあ」
[チムヤマスン]=心を悩ます
[スックェースン]=バツの悪い思いをさせる
このやりとり、何気ないけど優しい。これがなくなってしまってるさあ、
近頃は。
オバア「東京は変わったねえ」
恵里 恵達「‥‥‥‥‥」
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『私、沖縄なんですけど‥』(看護のときそう言いながら回っていた恵里)
――隔世の感がする――
□ヤマトの大学に進学し、女子寮に入寮した沖縄出身のGさんの経験。
その初日、先輩が来て、
「この部屋に沖縄の子が入ったっていうけど、どの子?」
(ミシムン=見世物になったようでイヤだった)
□予備校を
アラタミ(下見)に来たM子の場合。
「電話しておいた沖縄の〇〇ですけど」
「オ、キ、ナ、ワー?!」(と同時に事務室全体が爆笑の渦)
こんなことを書き始めたら枚挙に暇がない。いわゆるウチナーヤマトグチ(現代ウチナーグチ)にコンプレックスを感じ寡黙になり、風土の違いから奇異に見られ
ユクガン(誤解)を生み、国家に滅私奉公の精神など
チリ(微塵)もないので覇気がないと疎んじられ……。
これまでの上京してきたウチナーンチュの先輩たちは、恵里のように自ら「沖縄なんです」「私、沖縄です」と吹聴して回ることはけっしてなかったろう。
そしてなにより、現代ウチナーグチがこんなにも市民権を得たことは嬉しい。関西弁や、博多弁がそのままドラマになるように、現代ウチナーグチのドラマがもっともっと増えるといい。ヤマトンチュの精神の浄化のためにも。
最後に一つ。
□ 三線教室のオバア達のユンタクで、「うちの
ヤマトムーク(=ヤマトンチュの婿)は山形で高校の教員してるけど、修学旅行先に沖縄を提案しよったら猛反対にあったってよ」
「何でかねえ」
「土人でも住んでると思ったんじゃないかねえ」(大爆笑)
これら三つの話では、最後のオバアの話が一番新しい。こういうことを
冗談にして笑い飛ばせるようになった。
――隔世の感がする――
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【編集部より】・・・「慰霊の日」についてのご意見いただきました。
「沖縄の人々の気持ち」。ヤマトの人達が本当に理解し、共感、同苦できるようになって欲しいですね。(YSさんより)
第71号の〈6月23日、この日より8月15日まで〜(中略)〜沖縄戦のもっとも悲惨な部分がこの期に集中している。〉これは正確ではありませんでした。実際には敗戦を知らず9月に入っても悲劇は続いていたのでした。訂正致します。
そして一つ大事なことを付け加えます。
その地獄絵のような彷徨する人達の一方では、同じ時期に、米軍に捕まり食料を与えられ、充分な治療を施されていた人達がいたということを。日本軍と行動を共にした人達が一番悲惨であったということを。(
RYO)
第75回 6月27日
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『ちゅらさん』第75回 (ウチナーグチ散歩 第75号) 6月27日
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新人の勤務評価出る。恵里"B"ばっかり。
●祥子(恵里の成績見ながら)「羨ましいわ、こういうバラバラ」
婦長に「とにかく時間がかかりすぎよ」と言われたものの、患者さんの
新しいパジャマを見るや、もう、
恵里「ウヮーッ、可愛いさあ!」
[エーラサン]=(子供などに)可愛い
[スーラーサン]=しおらしい、愛らしい
[フッチャギサン]=可愛らしい
[クースーラーサン]=可愛らしい
[ンゾーサン]=可愛らしい、愛らしい
[ウジラサン]=(女の子、子供に)可愛らしい
一番よく耳にしたのは、[ウジラサン]で、「この子はほんとに利口な子だよー、可愛いねえ」の感じ。
●オバアは東京満喫、真理亜は書き始めた、恵達は仲間にも言えず我那覇にもイレーララン(返事できない)。
[イレーユン]=返事する、答える。返事は[イレー]
恵達がどういう選択をするかが、とても興味あるところ。一見冷たいヤマトはこういうとき簡単に仲間を捨てそうで、ウチナーンチュが迷い悩みそうだが、さにあらず(と、僕はにらんでいるのだが)
ただ残念なのが、仲間がウチナーンチュでないこと。
● 仕事帰り、恵里、祥子とロビーで。そこへミガタチが。
遙 「恨むのは筋違いよ。選ぶのは上村だから」
祥子「感じ悪い、私嫌いッ」
恵里「悪い人じゃないよー」
祥子「はぁー?」
この人ほんとに天然バカ??? そう言いたくなるのも無理はない。でもよく考えるまでもなく、やはり恵里の方が正しい。悪い人ではないのだから。
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《 沖 縄 は 梅 雨 あ け 》
沖縄の雨で印象深いのは、やっぱり
"カタブイ"。片降り、と字をあてるとイメージが湧く。道路の右側は
[ナガシ (夏の通り雨、夕立) ]のような激しい雨脚、左側はアミヌハリトーン(雨が晴れている)。高い所から見ているとよく解る。グマアミ(小雨)では、起こらないようだ。'狐の嫁入り'と無理して訳した人がいたが、ちょっと違う。
[アッタブイ (にわか雨) ]とも、
[ティーダブイ (天気雨) ]とも違う。春雨は穀物を潤す
[ククウ(穀雨)]。秋雨で霧のようにサッと振るのを
[タカヌシーバイ(鷹の小便)]。梅雨は
[スーマンボースー(小満芒種)]。たたきつけるような
[デーウ、ウフアミ(大雨)]になると、イン(犬)とマヤー(猫)が喧嘩する、cats and dogsで英語と同じ。
第76回 6月28日
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『ちゅらさん』第76回 (ウチナーグチ散歩 第76号) 6月28日
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「ゆがふ」にニィニィ現る! その場にオバアを発見。
● 恵尚「マブヤー、マブヤー、びっくりしたさあ」
あまりの驚きにマブイが落ちたか。(「マブイ」は第37号に掲載)
恵里「ニィニィに感謝してるよ」「看護大、ニィニィが送ってくれたお金で入れたん
だのに」
● 今はニィニィよりもオバアの話が大切〈オバア物語青春編〉
オバア「19のとき東京へ来たさあ。石垣島の測候所に勤めてる人でねえ、東京の人だったさ。転勤で東京に戻って、オバアは毎日泣いて暮らしたさあ。東京で会えたけど結婚していたさあ。だけどね帰りの船でオジイと出会ったさあ」
[トーチョー]=東京
[ツィトゥミユン]=勤める
[ムドゥユン]=戻る
[メーナチ]=毎日
[クラスン]=暮らす
[イチャユン(行ち会ゆん)]=出会う
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★ ☆ 恵 達 の 選 択 ☆ ★
「ミームンヤッサー」と昨日号で意地悪く言ったのは、僕のウチナーンチュに対する、ある一つの考えがあったから。大げさに言えば"ウチナーンチュの組織観(個人の組織への帰属意識)"とでもいうもの。平たく言えば、"個人が大切か、組織が大切か"
ズバリ、個人優先。組織への帰属意識薄い! はじめに人ありき! それが沖縄。はじめ国ありき、ではさらさらない。伝説の中でも(後日紹介する)、「国民のためにならない王ならいらない」という発想が出てくる。ヤマトの'お上の決めたこと'という発想とはまったく逆。シークヮーサー(ではなかった)マックヮーサーが戦後、民主主義を持ってきたのではなく、沖縄にはもともと土着の民主主義があった、そういうふうに思える。
だから、組織を維持するために自分を殺して参加しつづける、というようなことはしない。そんなことはバカバカしい。いとも簡単にグループを解散する。アーティストが自分の芸術を殺してまで、会を存続させようと努力するだろうか。それと同じ。僕が沖縄で関わった2つのグループ、もうすでにどちらもない。1つはウチナーグチを広めようと集まったグループ。もう1つは、ウチナーグチで映画を作るグループ。考え方が違ってきたので別れ、いまそれぞれの道を選んでいっそう活躍している。
"スケールメリット""占有率"といった寡占の方向とは違うので、企業戦士勇ましき頃、ヤマトの企業からすれば、ウチナーンチュのそういう姿勢は、はなはだ頼りなく映ったことだろう。
大きな機械の1つの歯車、それが集合した社会をヤマトと呼ぶなら、
個性の強いひとりひとりのアーティストが集まったような沖縄。
だから、恵達の選択、とても待ち遠しい。
[シークヮーサー]=柑橘類の一つ。橘。果汁としてポピュラー。料理でもレモンのような使いかた。酢(シー)喰わさー、の意。ヤマトでも濃縮してビンで売られている。
第77回 6月29日
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『ちゅらさん』第77回 (ウチナーグチ散歩 第77号) 6月29日
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みずえと島田デートへ、オバア大家代理。
●オバア「泊まってきてもいいよー」
こういう
色っぽいジョーク、沖縄のオバアはたいへん得意。イナグワラビは
アカヅィラ(赤面)になるくらい。そして屈託なく笑う。一緒にいて同じように笑おうとすると、よく解る。いままでこういう話題でこんな明るい笑い方はしなかったと。
恵里、祥子2ヶ月間の研修終わる
● 婦長「独り立ちしてもらうわよ」
心細そうな顔の二人、不安いっぱい。でも無事こなしている。
[チュイダチ]=独り立ち
[クシヨーサン]=心細い
恵尚、終日オバアの初恋の人探し、しかしすでに故人。恵里の部屋で、
● 恵尚「言えないよー、オレは、
そういうのダメー」
字で書くとヤマトグチと変わらないが、現代ウチナーグチのイントネーション。特に、「そういうのダメー」と下がる言いかた。いかにも気の弱そうな。
そこへオバア、「お墓はどこねえ」(恵尚の顔色で気づいていた)
恵尚「ごめんねえ」
オバア「何でおまえが謝るか。ありがとうねえ」
なかなかこの場面で、「ごめんねえ」は出ない。あえてヤマト風に言い換えれば、「さぞかしがっかりだろうけど、気落ちしないでね」くらいか。相手の気持ちを思いやってのこと。とすれば簡潔で"名言"
恵里、オバアと墓参り
● オバア「東京のお墓は小さいねえ」
(沖縄の亀甲墓については第20号で触れた)
オバア「初恋は実らん方がいいさあ」
オバア、恵里の文也君への思いが実らなかったときのための布石か。
いや、オバアの、ひとりの女としての感情吐露か。
第78回 6月30日
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『ちゅらさん』第78回 (ウチナーグチ散歩 第78号) 6月30日
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●オバア「初恋というのは、いい思い出さあ。甘酸っぱい気持ちになれる。
恵里は、今のままではいい思い出にならんさあ。傷つくことから逃げ
てるんじゃないかねえ。こわいねえ?」
[ならん]=ならない、ではなく、出来ない。
[フィンギユン]=逃げる
●恵尚「仲間一人が売れたとするさあ、おまえ、裏切り者と思うか。――
あっしぇーっ、こわいんじゃないか、傷つくことから。――それは失
礼だよ、仲間に」
ニイニイいいこと言う。これは見もの、と僕が言った《恵達の選択》答えが
見えてきた。(予想通りになりそう)ウチナーンチュは自分を殺してまで組織
防衛はしないだろう(第76号 6月28日)
[ウジユン]=怖がる。怖じる。
恵里、恵達、二人とも同じことを言われた。自分から逃げてはいけない。
オバアあす沖縄に帰る。みづえを沖縄に一度いらっしゃいと誘う。
●みづえ「沖縄は簡単に考えられなくて。気軽には遊びに行けなくてねえ」
オバア「悲しいこといっぱいあったからこそ、沖縄は人に優しいよー」
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☆☆☆ 悲しいこといっぱいあったからこそ人に優しい。★★★
〜〜二つの恵里の表情〜〜
@ 一風館の食事会で、城ノ内がスランプ脱出したという話題になり、オ
バアが「スランプって何ね」と恵里に聞く。説明を聞いて理解したオバア、
「スランプ、 オバアにはないねえ」
すると恵里、いたずらっぽい笑みを浮かべて、低い声で念を押すように、
「ないない」‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐(第73回、6/25放送)
A 初恋の人に再会したら「再婚するかもよ」と言うオバアに対して、恵里、
「うへぇぇぇぇ」
横目で睨みつけおどけてみせた。‐‐‐‐‐‐‐‐(第77回、6/29放送)
いずれにしても、こういう受けかた、特に沖縄的というのではないのだ
ろうが、若い人に多く見られる。「おい、おい(勘弁してよー)、たのむよー、
だからよー」ボケといて間髪いれずツッこむ、ツッこみを外すと、「おい、
おい」だ。彼ら、いい間合いを持っている。
映画の撮影に参加したときのこと。
ウージ(さとうきび)の畑の中の一本道、日傘をさしてバスを待つ女。
この映画最高のシーン。ヒロインの娘も感情移入しきっている。
「ハイ、カット!」監督のOKが出て、戻ってきた彼女に、僕は、
「なんだ、カメラ通すと長く見えるんだ」と言って彼女の足に目をやっ
た。まだヒロインになりきったままの顔でいた彼女、僕が言い終わるよ
り早く、腰に手を当て反り返るような姿勢になった。
「おいッ!」(怒ったわよ、のポーズ)
色っぽい話に歓声をあげるオバアたち、朝から晩までダジャレを連発し
ているオジイたち。そして若者たち。きっかけさえがあればいつ踊りだし
ても不思議はない。腹を立てる場面があれば、笑っちゃおう、生活はエ
ンジョイするもの。そんなスタンス。
悲しいことがいっぱいあったからこそ、沖縄は人に優しいよー。
第79回 7月2日
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『ちゅらさん』第79回 (ウチナーグチ散歩 第79号) 7月2日
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●文也と遙、恵里のいる内科勤務に。恵里、
アマジ(動揺して)
シーヤンジ(失敗)続き。「失敗、出来そこない」=第68,70号で紹介。
一方、恵達も
ダルークヮルーしている。[ダルークヮルー]=だらだら、ぐずぐず。ハジリ(歯切れ)のないさま。[ダンジャムンジャ]と言う語もあるが、こちらは同じぐずぐずでも不平顔でいる様子。[ダルー]は、ダレるから。クヮルーはウチナーグチの特徴繰り返しの語。
●誠と琉美子が結婚、二人して恵里を訪ねる。
琉美子(恵里に)「勇気出して捕まえなさい! 沖縄の女でしょう」
誠 (恵達に) 「沖縄のみんなが応援してるからさあ」
いい友人、いい
シージャーカタ(先輩)に恵まれた二人。オバア、
「ターチュー(双子)のようだねえ」
[イジリ]=気力、意気地、勇気。
[カツィミユン]=掴まえる
[イジリ(意気地)ムッチ(持って)イカン(行かん)ダレー(と)ナランドー!]
オバアなら、そう"檄"を飛ばしそう。自分をしっかり持ちなさい。沖縄――他人に対して優しいが、それは自分に対しても優しいからか。
病院の廊下で,恵里また遙とツィチアタユン(衝突)
●遙「ねえ、わざと? 動揺した振りして上村の気を引こうって」
[ツィチアタユン]=衝突する。突き当たる。
[ウッターティ]=わざと。
転がった遙の道具の中に,あのスーパーボールが……
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
第76号(6月28日)で触れた、"沖縄の民主主義の源流"を伝える伝説
☆ ☆ ☆ 『 物 呉 り し ど 我 御 主 』★ ★ ★
これは沖縄の諺。
「ムヌクイシドゥワガウシュウ」=物を与えるのがわれらが王だ、の意。15Cの琉球第一王統の最後の王、尚徳王が滅んで、次の王に誰を立てるかというとき、一人の老人が立ち上がって言った、とされる言葉。〈民の暮らしを安定させ困窮から守る者こそが王である〉
総理大臣に聞かせてやりたい言葉だ。と、こう言うと、これもまた、ヤマトのお上の決めること、という受身の発想になってるかもしれない。この伝説の大切なことは、この言葉が、王を決めるそのときに発せられたものだということ。
リコールという言葉がある。罷免と訳されている。辞めさせるという意味。しかし、recall――もともとの意味は、"呼び戻す"ということ。我らが、"送り出した"のだという意識でいなければ、"呼び戻す"という発想も出てくるはずがない。
まさにこの伝説は、この"送り出す"の発想に立っていると言えまいか。
伝説は史実でなくてよいそうだ。いや、史実からかけ離れた部分にこそ、民衆心理が込められているのだという。とすれば、この話、なおさら、沖縄の土着の民主主義だと言うことができるように思う。
第80回 7月3日
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『ちゅらさん』第80回 (ウチナーグチ散歩 第80号) 7月3日
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みづえと恵里、一風館のロビーで。
● みづえ「オバア大変な時代を生き抜いてきた自信のような素敵な顔をしてる。そして、いい恋をした女の顔をしてる」
一方恵達は、チュフィササチニ(一足先)にチワミユン(決心)。我那覇を訪ね、
● 恵達「宜しくお願いします。あの曲、置いてきました」
[チュフィサ]=一足、一歩。二歩はタフィサ。
[サチ]=先。サチバイ(先走い)は、さきがけ。
サチナイナイ(成り成り)は、でしゃばり。
[チワミユン]=決める。極めるから。
しかし、まだ
ハリーバリー(晴々)としない恵達、
●恵達「辛いことと、嬉しいことと……」
恵里「何でひとは大人になってしまうんだろ」
恵達「小浜の頃のままで、文也君に会いたかった?」
恵里「‥‥‥」
そして、いよいよ恵里もチワミティ、那覇へ電話。
●恵里「お母さん、何も聞かないで『頑張れ』って言って」
勝子、恵文、オバア、ニイニイ「頑張れ! 恵里ぃ、頑張れー!」
娘の恋をこんなに応援する親子の関係って、どういうんだろう。しかも、いい距離―自分でやることはやりなさいという距離―は保って。(心中は飛んでいきたいほどなのに)
病院のロビー、仕事帰りに本を読む文也。
●恵里「文也君、私さ‥‥、私さ‥‥‥」
(チジチュン)=つづく
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【編集部より】−−−〈ラフテー〉の語源について(HKさんより)
HKさん‥‥‥「先日教えていただいた(第73号6月25日)「ラフティ」の語源について中国人の友人に聞いたところ、
爛火腿(ランフオトゥイ…「爛」は、とろけるように柔らかい、「火腿」はハムの意味)ではないか?と言っていました。どうでしょう?」
‥‐‥‐‥‐‥‐‥‐‥‐‥
HKさん、有難うございました。意味、読みとも間違いなさそうですね。
もとは中国語だろうという語は多いようです。首里の「お父さん」にあたる
'ターリン'や、「満腹だ」にあたる
'チュファーラ'も'吃飯了(チーファンラ)'ではないかと。「ワンネー チュファーラ ナトーン」と使います。冊封貿易の時代、琉球人が遠来の中国人を接待し、中国人が「もう食べられない」と腹をさすりながら'吃飯了'と言ったのを、琉球人がウチナーグチに取り入れた、なんていかにもありそうですね。例によって、'カメカメ(食べろ食べろ)接待'した琉球人にとって、中国人が悲鳴に近い満足感から発する'吃飯了'の音は、このうえない喜びだったでしょう。
[チュファーラ]の語からその喜びが伝わってくるようですね。(RYO)
第81回 7月4日 |
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『ちゅらさん』第81回 (ウチナーグチ散歩 第81号) 7月4日
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ついに恵里ぃ文也君に
ウチアキユン(打ち明ける)!
●恵里「文也君が好きで 今の文也君に会ってどんどん好きになって…」
「私 やっぱり文也君のことが好きです」
「小浜の思い出が辛い思い出になるのは私いやで。私の大切な思い出だから」
廊下を曲がってへなへなと座り込む恵里ぃ。
[ビーラクヮーラ]=へなへなと。
「ビール」は蛭(ひる)。
「ビーラー」はぐにゃぐにゃした者 弱虫。
[フィラッテーン]=平たく ぺたんと。
『ゆがふ』にみんな集まっている。
●城ノ内「変な気分‥‥」(悪いことが起こる
シルシ=予感) そこへ恵里登場。
恵里「文也君に自分の気持ちをですね 全部言いました」
城ノ内が差し出した原稿は恵里が主人公だった。その最後のページにオバアが書き込んでいた。
―――ハッピーエンドな
チビククイ(結末)にしてあげてね おばあ―――
(小浜の回想シーン)
〈イチヌユマディン(いつの世までも)〉‥ミンサ織に託された意味(第6号)
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【編集部より】−−−【今週のタイトル『ガジュマル』について】
ガジュマルという言い方については大変怒り出す方がいる。沖縄の某大学のN教授。ある著書で「いつからこう言うようになったのか」と憤慨されていた。正しくは
ガジマルだとのこと。ところが観光パンフなどを見ても最近はほとんどガジュマルと書かれている。せっかくだから正しい方を使おう。
第82回 7月5日 |
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『ちゅらさん』第82回 (ウチナーグチ散歩 第82号) 7月5日
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『ゆがふ』でウィークルビ(酔いつぶれる)恵里。
● 店長「ワラビヌグトール ニガウ(寝顔)ヤサヤー」
城ノ内「こどもみたいじゃなくて、こどもよー!」
恵里(ニグトゥ=寝言)「ごめんねえ、文也君」
城ノ内「何であんたが謝るのよ」
[ウィーユン]=酔う。
[ウィークルビ(酔い転び)]=酔いつぶれて寝る。
[ウィーフリユン]=酔いしれる。
[ニンジュン]=寝る。
何か考えているフウジ(様子)の村田‥‥‥。
ナーチャ(翌日)、明るく振舞う恵里。
●恵里(出勤して)「おはようございまーす!」(元気いっぱいの声)
その夜の食事会でも、
●恵里「古波蔵恵里"ツー"でーす」(復活をアピール)
でも、婦長には、
●聡子「何かを忘れるために仕事に没頭する、そういうの好きじゃない」
と、厳しく突かれ、ヌチヌシンタク(リフレッシュ)のため3日間の休暇を与えられる。
[ヌチヌシンタク]=命の洗濯。
●ディッカ 小浜へ! 城ノ内に連れられて。
恵里「懐かしいさあ」
[ディッカ]=Let's〜 さあ、いざ。
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《 文 也 の 選 択 》‥‥‥イキガヌチムグクル(男性心理)
病院にきたオバアに遙のことを「恋人ねえ?」と聞かれ、文也ははっきりしない感じながら、しかし「えっ、えぇぇ…」と肯定している。遙とは、同士という意味で、結婚相手としてはいいかもしれない、これまでそういうふうに考えてきたのだろう。
ムチャガル(突き上げてくる)ような思いはなさそう。
恵里とは運命的なものを感じながらも、単なる幼なじみの域からは出ていないということ。
ところが、ゆうべ恵里に告白された。
メルヘンチックすぎるからと、「こどものときの約束だよ」と自分に言い聞かせるように笑い飛ばしてきたが、机の中のすぐ出せるところに、恵里からもらったミンサ織が大切にしまってある。10年もの間、ずっと。
クヌクトータダグトーアランサー(このことはただごとじゃないよ)
文也、運命的なものを再認識しているところだろう。
何より、一番バカにして笑った城ノ内が、いまやハッピーエンドの結末を信じ始めている。メルヘンチックが運命的なもの――和也君の死をともに経験したという――によって現実となりうるか。
あとは文也が何を選ぶか、にかかっている。誰を、でなく何を。
第83回 7月6日 |
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『ちゅらさん』第83回 (ウチナーグチ散歩 第83号) 7月6日
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小浜島で、
シークタンディ(バテバテ)の城ノ内。
●城ノ内「ここは日本? なんでこんなに熱いの?……」
● 恵里「沖縄ですよー」
古波蔵荘へ。
●城ノ内「ここでンマリ(生まれ)ウイータチャン(育った)ヤー(んだあ)」
[ンマリユン]=生まれる。
[ウイータチュン]=育つ、生い立つ。
《ヒンプン(屏風)》‥‥‥古波蔵荘の門の前に立って、正面から見たとき、家の前にある石積みの衝立状の物。外部からのプライバシー保護と、シーサーと同じように魔除けの意味。
《キジムナー》‥‥‥もう、すっかりおなじみの木の精。赤いおかっぱのような頭をした子供の精。
キジムナードゥシ(友達)となると、切っても切れない友人。
ガジマルの樹の下で。
●恵里「和也君、約束守れなかったさあ」
ついに泣き出す恵里。これまでのことを全部、和也君に報告。
● 城ノ内「少しわかった気がする。こういうとこで育つとあんたみたいのができるってこと 」
何もないことは何もないことでなく、一番大切にしなくてはいけないものを、見えやすくしてくれていることなのかもしれない。現代人、
ブッタクヮッタ(べたべた)と不必要なものまで身にまとわりつけすぎてきた感がする。城ノ内の胸中もそうじゃないだろうか。前にも紹介した、岡本太郎氏の言葉、
―何もないことの眩暈(めまい)―――
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☆☆☆
ハナリ(離島)ヌ(の)ユル(夜)★★★
"100%の
ツィチユー(月夜)"というものを体験したのは離島だった。
民宿のオヤジに気をつけろと言われ、夜、桟橋の方まで歩いていった。懐中電灯を渡されたが、いらなかった。ツィチ(月)が出ていた。月明かりに映し出された自分の影に驚いた。
サケーミ(輪郭)がくっきりしている。黒画用紙で人の形を切り取って白画用紙の上に貼ったよう。
しかし、そのときはまだ、これが100%の月明かりだということには気づかなかった。気づいたのは次の瞬間。月が雲に隠れた。都会のネオンもない、車や船の明かりもなければ、飛行機の点滅もない。この
ナカビ(空間)には、海と島と僕と空と月しかない。月以外に光るものは一切ない。月が隠れると、何も見えない。自分の顔の一寸先で手を振ってもそれが見えない
クラシン(暗闇)。
次に再び月が出たとき、この空間の物の全てが僕の目に飛び込んできた。白い砂の海に続く道、
チイル(黄色)っぽい桟橋、鬱蒼と生い茂るねむの木の
オールー(濃い緑)、
エーイル(紺碧)の海、その一つ一つの波の細かな筋、珊瑚礁でしぶきを上げる白い波……。昼間のように総天然色で。
繁華街のきらびやかなどんな明かりよりも、強く
シンチリユル(清澄で)限りなく白い
"フィカリ(光)の白"――100%の月明かりだと思った。
帰り、今度はねむの木に無数に群がる
ジーナー(蛍)を見た。蛍の明かりがウフサン(大きい)。1つが野球のボールほどの大きさで明滅している。それが、おそらく何千という数。宿に帰って、感激してオヤジに報告したら、
「その中で2つ一緒に動くのはなかったろうね」
神妙な顔でそう聞かれた。
「それはハブの目だから手を出すんじゃないよ」
夜行性のハブが、獲物の体温を察知してきょうきょうと狙いを定めているのだという。
その夜、島の若者たちが三線を弾いてくれた。
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小浜に文也君、追いかけてきて、そんな夜が実現しないだろうか。(RYO)
第84回 7月7日 |
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『ちゅらさん』第84回 (ウチナーグチ散歩 第84号) 7月7日
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波の音、静かな古波蔵荘の夜。
● 恵里
(ニグトゥ)「和也君、ごめんね」
一方、恵達は、文也に会ったことがあると言う村田と病院へ。
● 恵達「大丈夫ですよ、顔を見るだけですから。俺は古波蔵家で一番冷静な男ですよ」
しかし文也の顔を見るや、「…何で!…何で!」もう抑えられない。
恵達「ずっとずっと、ネーネーは信じてたんだよ、俺にあんたが覚えてるわけないと何度言われても、バカみたいに約束信じてたんだよ。ネーネーはバカでも世界一さあ。ネーネーを傷つけるヤツはあんたでも赦せない!」
解ってはいる。ネーネーのほうがバカだと。でも、解るか、ネーネーのような純粋な気持ちがこの世の中にあるってこと。まさに、"ちゅらさん"
恵達に殴られた文也、遙に'兄'を語る。
●文也「親に心配かけまいと子供のときから自分を抑えてきた。でも…」「でも、いまさあ、人にバカじゃないと言われるようなことをしたい、してみたいなあ!」
文也の心を揺すぶったのも、結局は"ちゅらさん"
小浜の恵里と真理亜。恵里をファインダーにおさめようとしたが、
●真理亜「やめた。頭に焼きつけることにする」「小説は、ハッピーエンドにしてあげるわね」
真理亜の小説家的冷静さまで覆させたのも"ちゅらさん"
恵里「最後にもう一度だけ……(ガジマルにお別れを)」
ガジマルの樹を見上げる恵里の背後から、「恵里ぃー!」の声。
振り返ると、近づいてくるのは文也。
● 文也「兄貴との約束、果たしに来た。恵里ぃ、結婚しよう」
オバア「よかったねえ、恵里ぃ」
真理亜「うぅゎーっ、こんなのあり?」
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☆★☆"ぞっこん惚れてるさあ"★☆★ (SSさんより)
(恵里の母のこのセリフに触れて書いた第14号についてとても貴重なご意見を頂きました)
『私たち昭和40年代の人(多分ほとんど)は
"ましそーん""まししてる"と言ってました。"わんねー、でーじましそーんよ。" みたいに。結構くだけているかも知れません。だけど、"ふりとーん"では"ふらーになっている"とおんなじなんで使わないかな・・って思って。』
SSさん、どうも有り難うございました。くりからんゆたしくやー!
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【編集部より】‥‥‥きょう7月7日
新暦ではあるが(旧暦ではまだ5月17日)、きょうは七夕。ヤマトではきょう幼稚園児たちが笹飾りを持って帰っていくだろう。
沖縄の七夕(来月8月25日)にはこの祭りはなく、お墓の清掃をする。しかし、彦星と織姫の伝説はちゃんとある。恵里と文也もガジマルの樹の下で再会を果たした。
第85回 7月9日 |
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『ちゅらさん』第85回 (ウチナーグチ散歩 第85号) 7月9日
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恵里、文也を連れて古波蔵家へ。真理亜も同行。
●恵里「ただいま。文也君だよ、お母さん」
勝子「文也君? 大きくなったねえ」
真理亜(オバアに耳打ち)「ハッピーエンドになったわよー、オバアー」
[グマグィー]=小声。
グマは「小さい〜、ちょっとした〜」という接頭語。
「グマサン」=小さい。
「グマムヌガタイ」は内緒話。
[クウサン]=小さい、もある。「グマサン」の方が物質的な小ささ。
恵文イイチビンチカン、「飲んで寝ちゃおうねえ」「煙草買ってこようねえ」…
[イイチビチカン]=尻が落ち着かない様子。[イイ]は
[イユン]=座る、の連用形。
[チビ]=尻。座ってる尻も落ち着かない。
文也「実は……」と、いよいよ本題に、というそのとき、
●ニーニー「文也君、娘さんを僕に下さいと言うときの青年のようだねえ」島袋君「こんばんわー」、誠と琉美子「あいっ、恵里ぃ、ほんとにいたねえ」とミーサゲーネーラン(次々と)、アヤメークサメー(邪魔)が入る。
[ミーサゲーネーラン]=ひっきりなしに。
[アヤメークサメー]=邪魔。
真理亜「何なの、この家は。集会所?」
そして、
ヤットカット(やっと)、
● 文也「突然で驚かせたと思いますが、兄との約束果たしたいと思います。恵里さんと結婚させてください」
オバア「文也君やっと言えたねえ」
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☆★☆古酒(クース)で勝負(スーブ)★☆★
クースの寝かせかたについては第31号で述べた。いま20年物なんていうのも比較的楽に入手でき泡盛百花繚乱の感じだが、復帰の頃はヤマト同様ウィスキー全盛で振り向かれなかったこともある。米兵横流しのジョニ黒を安く入手して喜んだ。僕も3,000円で買った。その当時、こよなく泡盛を愛した人たちが、いいクースを作ろうと人知れず地道に仕込んでいてくれたお蔭で、いま、目の玉の飛び出るほどの価格でなく、いいクースを味わわせていただいてるわけだ。
一般家庭で飲む1升瓶は、25度くらいからあるが、クースはやはり43度くらいのがいいだろう。与那国の
"どなん"になると60度。常温で火がつく。この60度が、復帰のときヤマトの酒税法に照らして、危うく発禁になるところだったという。かろうじてお土産ということで存在しつづけることが出来たのだそうだ。もし、なくなっていたら、あるいは、43度に生まれ変わっていたら、60度の強い泡盛を1杯ずつお互いに飲み干して勝負する、などという光景も見られなくなっていたかもしれない。
"どなん"は渡難、渡っていくのも難しい絶海の、という意味だそうだ。
車座になって泡盛を1杯ずつ飲み干していくという手荒い歓迎を受けることもある。有名なのは宮古島の
"オトーリ" ただ飲むだけでなく、自分の番に一言挨拶(口上)を述べる。酔ってうまく言えないともう1杯。
いづれにせよ、ウチナーンチュに勝つには、相撲取りでも連れて行かなくては無理だろう。
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【編集部より】‥‥‥7月7日第84回に多くの喜びの声
皆さんから、繰り返し見ました、などというメールが寄せられました。ご意見は恵達が文也に迫ったシーンと、ラストシーンに集中してました。
有難うございました。
第86回 7月10日 |
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『ちゅらさん』第86回 (ウチナーグチ散歩 第86号) 7月10日
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●ウミチリヌネーン(思い切りの悪い)恵文
イナグングヮー(娘)を
タティル(嫁がせる)
イキガウヤ(父)の気持ち。往生際が悪い。
ウチナーグチは「チム」、ヤマトグチでは「腹」とよく言われる。チムヂュラサ、チムグリサ、チムワサワサ……に対して、腹が座る、腹黒い、腹にない……というように。チムグリサン(肝苦さん)をそのまま心苦しいとしては意味が違ってしまう。チムグリサンは可哀想の意。
しかし、この恵文の場合は、チムグリサンではなく、ワタグリサン。
[ワタグリサン(腹苦さん)]=諦めきれない、惜しくて惜しくてたまらない、というような意味。こういう場合は、ワタ(腹)になるようだ。
● 文也「ここに来る間、二人で話したんですけど、僕たちは結婚を決めて、そして今日から恋愛を始めようと」
全員意味を理解できない。
真理亜「つまりですねえ、二人は普通じゃないんです。こどもの頃にした約束を本気で信じてるバカと、約束を守ろうとして小浜まで飛んできたバカと……」
それにしても、やはり付き合ってみるというのが先じゃないかと‥‥‥
真理亜「運命だからです」
[チジスー]=運命(前出) チジ=先祖から受け継いだの意。
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●○● 勝 敗 に つ い て ○●○
ヤマトンチュとして「勝負!」と口にするときは、絶対的に白黒をつけるというような、白鉢巻にたすき掛けのいでたちで親の仇を討つくらいの、何か悲壮感というか、逼迫した響きを伴うような気がする。
ウチナーグチの「スーブ!」と言うのを何度か聞いた経験があるが、いずれも「何でー? 大げささー」と言いたい場面だった。「勝負!」とわざと気色ばんでみせるユーモアかな、と思ったりもしたが(それならヤマトンチュでもやるから)、しかし、ひょっとすると、[スーブ]という語そのものに、死を賭けるような緊迫感がないのかもしれないと想像したりもした。
単にコインを投げて二班に分けるというような。じゃんけんのようなものかな、とも。
[カタワキティー]=勝負事で二手に分けること。という語もある。ちなみに、じゃんけんは、
[ブーサア]。菩薩の手の親指(ウフイービ)、人差し指(チュサシイービ)、小指(イービングヮー)の形から。
恵文の「スーブ!」はちょっとヤマトフージだなって気もしたが、それほど悲壮な覚悟ではないのかも……。
第87回 7月11日 |
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『ちゅらさん』第87回 (ウチナーグチ散歩 第87号) 7月11日
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さて、古酒の勝負は?
チャーナタガ?
●文也「ちょっとは辛い思いしないと。恵里ぃと一緒になるのに何もしてこなかったからさ、オレは」「オレずっと恵里ぃ一人にしてきたから」
誠「いいこと言うさあ、なかなか」
恵文「大きくなったさあ、文也君も、恵里ぃも」
そう言って子供の成長を噛みしめるように酔いつぶれる恵文。遅れて文也も恵里ぃのひざに崩れ落ちる。
[チンシ]=膝。 ただしこの場合ヤマトグチで言う膝は
[ムム]=腿。だから膝枕は、
[ムムマックヮ]
●恵里
「イヤである‥‥」なんとなく冴えない表情の恵里。
「何かイヤである。たとえ飲み比べでも"戦う"のはイヤだよー。どっちも大好きだし大切な人だし、お父さんが負けるのを喜ぶのもイヤ」
たとえ飲み比べでも"戦う"のはイヤだ。このセリフ、沖縄の真骨頂じゃないだろうか。第一、白鉢巻なんて似合わない。(演出でヤマトフウジにした?) 昨日号で述べた'死を賭しての勝負'なんてバカバカしい。命を賭けるものなんてこの世にない。命に対して無礼。だからオバアにわざわざ
「これで結構真剣なのです」と言わせ、笑わせた。その真剣そのもののスタートがヤマトとは違うから。
だから、恵里ぃは「イヤである」という(イヤよ、イヤさあ、ではない)言い方になった。
●オバア「恵里ぃ、『夫寄し妻寄し』って知ってるか」
《夫寄し妻寄し(ウトゥユシトゥジユシ)》お互いに寄り添い生きてこそ幸せ。ウトゥであって、ウットゥ(弟)ではない。トゥジは古語「刀自」から。
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☆★☆
『意地の出らば手引け、手の出らば意地引け』★☆★
恵達が文也を殴ったシーン(第84号7月7日)で言いたかったのだが、あの場面、恵達が殴るすんでのところでこらえる、というのにしていたらいかがなものだったろう。
ヤマトのドラマで、強い友情や深い親の愛からといわんばかりに、飽き飽きするほどすぐ殴る安い愛情を見せつけられているので、あそこで恵達に
「なんで!なんで?」と感情を高ぶるまで高ぶらせておいて、それでこらえさせていたら、うんとウチナーらしくなったのではないかと思うのだが。
「意地の出らば手引け、手の出らば意地引け(イジヌンジラーティーフィキ、ティーヌンジラーイジフィキ)」は有名な格言。腹が立ったら手を引っ込めよ、手が出そうになったら怒りをしずめよ。
まさにこのことを僕も体験した。復帰1周年の5月15日、那覇国際通り。ウソで塗りかためられた"復帰"に反対する学生のデモに僕も参加した。顔でヤマトンチュとすぐわかる。7〜8人のウチナーンチュの若者が僕を取り囲んだ。ヤマトに対して敵愾心の強かった時代。彼らは一歩二歩と迫ってきて、僕を囲む円がだんだん小さくなっていった。凄い形相だ。殴られる、とっさにそう思った。しかし、彼らは胸を張り見下ろすように迫ってきながら、手は出さなかった。救われない醜い精神を哀れむかのような視線を投げかけてから、向き直り去っていった。
ショックだった。僕にとって初めての経験だった。
――気高さが、野蛮な暴力よりもはるかに打ちのめす力を持つ――
そのことを知った経験。
「意地の〜」の格言は、薩摩の武士との伝説にまつわるもので短気を戒めたものだが、国際通りの若者たちからは、僕は崇高な精神を学んだと思っている。彼らのけして手を出そうとしない凛とした輝き、忘れられない。
今でもあのときの7〜8人を尊敬している。
(伝説については明日掲載します) (RYO)
第88回 7月12日 |
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『ちゅらさん』第88回 (ウチナーグチ散歩 第88号) 7月12日
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今度は文也の母静子への報告(東京)
●静子「有難う、恵里ちゃん。和也との約束果たしてくれるのね」
文也「!」
静子「でも嬉しいなあ。文也はねえ、私に多分心配させないようにって思ってて、臆病でもの凄く常識的な子だったのよね。だから、突然恵里ちゃんと結婚するって聞いてちょっと嬉しいなあ。面白い!」
[シカサン]=臆病だ。
[カニ]=常識、矩から。
[カニカキユン]=常識的である。
[カニハンディユン]=常識を外している。ボケている。
[ウィーリキサン]=面白い。
●文也「オバアの
ヤミー(二日酔)の薬よく効いたなあ」
《オバアのスーパードリンク》……???
ウコン入りのシークヮーサージュースだろうか、ゴーヤーに何か入ったジュースだろうか。ウコンは二日酔によいと、飲む前にスプーン一杯よく飲まされた。ただ、これはほんとによく効いた。
● 文也「雲の上にいるような気分。夢のよう、というより夢の中にいるって感じ」
恵里「夢なら覚めないでって感じ」
一方那覇では。真理亜まだいる。
● 恵尚
「楽しいやっさー」
現代ウチナーグチの典型。「楽(タヌ)さっさー」とか「嬉(ウ)っささー」となるところ、「楽しいやっさー」「嬉しいやっさー」
でも、恵尚、これが真理亜に惚れての言葉となると……、
●オバア「ハッサイヨー、それはいくらなんでも無理さあ、恵尚」
[ハッサイヨー]=はあ、もう、あーあ、という感じだろうか。呆れたよ。
● 恵里
「もう、私ったら、幸せだしー!」
この「〜たら」「〜だし」の使いかた、ウチナー的。私というものは、幸せだという以上の何だと言えるだろうか、くらいの気分か。なにか、琉歌の文学的な雰囲気を直訳した響きがある。ウチナーンチュに説明してほしい!
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☆★☆
白 銀 堂 伝 説 ★☆★(第87号につづき)
昔、薩摩の武士が糸満の農夫に大金を貸した。返済の期日が来て取り立てに行ったが農夫は返せないと言う。怒って刀に手をかけたところへ、漁師のマークーが通りかかり、「イジヌンジラーティーフィキ、ティーヌンジラーイジフィキ」という琉球の諺を例に出してなだめた。薩摩武士は来年また来ると言ってその場は収まった。薩摩に帰った武士は、自分の屋敷に戻って驚いた。妻が男と寝ていた。怒り心頭に達し刀に手をかけたところで、先の漁師の諺を思い出し、なんとか気を落ち着かせてよくよく見ると、男は自分の母親だった。男装して息子の留守の無用心に備えていたのだった。
翌年再び琉球に渡った武士は、危うく母を殺すところだったと事情を話し、マークーに礼を言い、返済された金はマークーにやると言ったが、マークーも受け取るわけにはいかないと固辞したため、その金は石の下に埋めることにした。その場所が白銀堂と呼ばれるようになった。
―‥―‥―‥―‥―‥―
この白銀堂は糸満漁師の海神だが、同時に空手の神でもあるところが面白い。「意地が出れば手を引け〜」はまさに沖縄空手を表しているのかもしれない。僕の友人が空手の名人と呼ばれる人に「先生、空手の極意は何ですか」と聞いたそうだ。答えは逃げること。「一撃で殺せるほどの技がありながらですか」「そうだ。一撃で殺せるから、戦えば殺す。だから逃げる」
国際通りの若者たちにも、この崇高な沖縄精神があったと思う。
(だからこそ、恵達にもそれを演じてほしかった、と思うのだが‥‥‥)
(RYO)
第89回 7月13日 |
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『ちゅらさん』第89回 (ウチナーグチ散歩 第89号) 7月13日
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公園で幸せいっぱいの恵里ぃ。
● 恵里
「フージラ(ほっぺた)つねっても痛いんだよねえ」
一風館では祝賀会。
● 祥子「で、何をもって"一人前"とするわけ?」
恵里「‥‥‥」
容子「初めて任された旅行が無事に済んだとき、会社で泣いたわよ」
柴田
「チムフガン(不本意)の就職だったけど、ある日会社の製品の
ドゥーブミー(自慢)をしていたとき」
島田「自分が執刀した患者の術後のきれいなレントゲン写真を見たとき」
みづえ「下宿生の相談を受け、東京のお母さんだと言われたとき」
それぞれの"一人前"経験を聞き、恵里、胸が高鳴る。
文也は遙とBARで、
● 遙「悪いけど認めたくない。おかしい、運命なんて。医者は運命にゲーする(逆らう)仕事でしょ」
[ゲースン]=逆らう、反抗する。
[ゲー]は害、妨げ。
文也「だけど、いまの自分、恵里にあってからの自分、嫌いじゃないんだ」
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☆★☆昨日の「もう、恵里ったら、幸せだしー」について★☆★
(ウチナーンチュから解説を頂きました)
「いわゆる確認的な言葉でしょうか。"〜だろ?" "だからよ"みたいに、どこかで第三者になっているところから来ているかと思います。私も良く使いますが、最初は"???"と会社の人に不思議がられたので "そうか、これはうちなーぐちだったのか・・"と思ったものです。
"もう、私ったらちぶらー(頭がいい)あらに(じゃないかしら)"など」
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【編集部より】僕からのSSさんへの返信を取り上げました。僕のスタンスをちょっと知っていただきたくて。(長いので2回に分けます)
‥‥‥SSさんへの返信‥‥〈前編〉‥‥‥
メール有難うございました。うまちそーいびーたん!!!
沖縄の人からもメールいただくんですが、どうもヤマトンチュにしてはよくやってる、くらいに大目にみてくれてるようで、今回のような指摘をしてくださらないんです。だから嬉しかったです。
ウチナーグチ大好き人間ですが、僕のウチナーグチは考えて作ってるところがあるのでネイティブの人に、たとえば「それでも意味は通じるけど、普通そうは言わないよ」というようなアドバイスを頂きたいなあ、と、ず〜〜っと願っていたのです。(明日へつづく)
第90回 7月14日 |
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『ちゅらさん』第90回 (ウチナーグチ散歩 第90号) 7月14日
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恵里の"一人前質問攻め"昨日に引き続いて、
● 奈々子「患者の質問に一人で完璧に答えられたとき」
婦長「退院半年後わざわざ私の勤務のときを調べて訪ねてきてくれて、私の好きなシュークリーム持って来てくれたとき」
恵里「なんかみんないいなあ」
一方、那覇古波蔵家、
● 真理亜「明日、東京へ帰ります」「これ以上いると、自分が自分でなくなる気がする」
恵尚、ショック。「じゃあ、飲み比べだ!」しかしあえなく完敗。
真理亜「負ければよかったかなあ……、でも、恵里さんは幸せですよねえ」
沖縄に滞在した真理亜の心に、何か変化が――。
自分が自分でなくなる、と言うときの'自分'とは? あの少し意地悪なポーズを取りつづけてる自分? ヤマトンチュにとって、重たい鎧を脱がせてくれるところには違いない、沖縄は。あの沖縄のティーラクヮラクヮラの力で。
[ティーラクヮラクヮラ]=(耳で聞いたままの感じ)太陽がギラギラに照りつけるさま。
あのティーダ(太陽)だ。自然体に生きることを学ぶ。自然を科学の力で征服、といった発想が現代人のおごりとすぐに気づかされる。光が
パチャーパチャー降りそそぐのだから。パチャーパチャーの語感がよく伝えている。
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☆★☆現代ウチナーグチ(こっちの方が自然さあ!)★☆★
・形容詞[シカサン(臆病だ)]を使っての「文也ーシカサッサア」より、名詞
[シカバー(臆病者)]を使って「文也ーシカバーヤッサー」
・[ウィーリキサン]より最近は
[ウムサン(面さん)]
・「ヘークナーケーチクーワ」最近はもうこう発音するようですね。「フェーク(早く)ナー ケーティ(帰て) 来ーワ(=早く帰って来いよ)」よりも。
・「マジュンサキグァーヌマ」
[マジュン]は一緒に。[サキグァー]も[サキグヮー(酒小)]とは言わないようだ。[ヌマ]は[飲(ヌ)ムン]の志向形、飲マ(ン)、飲もうの意。「一緒に酒飲もう」
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【編集部より】‥‥‥SSさんへの返信〈後編〉
沖縄に行ってウチナーグチの勉強したとき、僕がついた先生はラジオで方言ニュースなどをされてる方でしたから、「〜やいびーん」というような首里言葉を教わったわけです。そして、その頃の風潮も、今の若いウチナーンチュは方言を話せなくなってる、というような言い方でした。
しかし、実は、僕はそのときから、若いウチナーンチュの、現代ウチナーグチとでもいう、新しい響きの言葉に惹かれていたのです。少しばかり正調(?)のウチナーグチをヤマトンチュの僕が喋ると、若いウチナーンチュは、オオッと引いてしまうようですが、それは覚えたまま言ってるだけ。それに比べて、現代ウチナーグチは、ちゃんとウチナーの発想をしてる、立派なウチナーグチの文法なんですよね。ウチナーの心をしっかり受け継いでる。それには嫉妬を感じました。正直悔しい。いくら僕が「〜やいびーん」と言えたって、「しにな?」なんてまず言えないし、ウリとクリの使い分けは出来ない。「まぎさる封筒」と言うより「マギーグヮー」と言った方が自然じゃないんでしょうか。「まぎさし」なんて言いますか。以下略 (RYOより)
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皆さん、今後もどしどしご意見・アドバイスください。