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2011.12.22-
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継続は力なりと申しますなぁ
2012.5.10
GWは過ぎ、世の中はまた普段に戻った。サンデーマイニチのくせに、なにやらカレンダーの色に惑わされる。先日は灌仏会だった。こちらでは5月8日になる。4月では季節が合わないのだ。桃の節句も端午の節句も旧暦で行う。花御堂に誕生仏をまつり、甘茶をかけてお釈迦さまの誕生をお祝いする。たくさんの方がお参りになり…。夕方にはレッスン。なにやらくたびれ果てた中でのレッスンで、楽譜を忘れ、ストラップも忘れ…。テナーSaxはストラップがないと吹けまへんなー。先生のストラップを借りて、もっぱら半音スケールの練習でした。毎年この頃は何かと気ぜわしい。側溝の落ち葉の処理・草刈り・蕗取りと、大地との格闘ですわ。で今日の練習中、「うーむ!」と得心したことがあった。水原弘の『君こそわが命』という歌があって、その中に ♪生まれて初めて気がついた♪ という一節がある。Saxを初めて4年以上。毎日のごとく楽譜をながめて来たのだが、初めて気がついて「納得」したことは、譜面の途中に出て来る♯や♭の臨時記号だが、「これって、要するに半音上下するという意味だから、どっちで表記しようとも結果は同じなのに、なぜ♯を使ったり♭を使ったりするのか」と思っていた。が、これはどっちを使うかは「慣例的な一定の法則がある」ということに気がついた。つまり、たとえば「ソ」の半音上がった音を指定表記するには、「♯ソ」でも「♭ラ」でも良いのだが、その音の次に来るのが、その音よりも高い場合は「♯」で表記し、その音よりも低い音が次に来る場合は「♭」で表記するという法則らしい。♯になっていれば次は音程が上の音が来るし、♭になっていれば次は音程が下の音が来るということだ。この臨時記号のどちらが付いているかで、次の音程がどうなるかを気持ちの上での準備が出来る。この法則(?)のことは誰も明確に教えてくれなかった。「上がっていくときは♯、下がっていくときは♭」と言った方はあったが、これは「上り坂」と「下り坂」のように音符が連続的に傾斜している画面を想像するので、説明としては誠に不適切だと思う。「次の音程が上なのか下なのかによって、上の場合は♯、下の場合は♭で表す」と言う方が適切だと自分では思うねぇ。ただし例外もあるようで、『オンリー・ユー』のイントロは、「ラララ ラララ ラララ ラララ ♯ソー _ ♯ファ ソ ミー」となっていて、「ラララ ♭ラー」とはなっていない。これは♭で表示すると「見にくい」からなのだろうか? 「人というものは、得手にものを聞く」と言われるように、なかなか説明がしっかり伝わらないものだ。「ツボを得た教え方」というものは難しいものだねぇ。Saxを始めて4年と145日目。レッスンを受け始めて2年と237日目。
2012.5.1
世の中はゴールデンウィークのまっただ中。高速道路は混雑しているのだろうが、一般国道はさほどでもない。いつも通りの混雑だが、さて、3〜6日にかけてはどうなるか。Saxの方は半音階の練習だ。随分上手く行くようになったつもりだ。ということはつまりは小指の動きが良くなったということらしい。薄緑色の若葉が一斉に芽吹き、山が笑っている。「目に青葉 山ホトトギス 初鰹」 というが、まだカツオはお目にかかっていない。近所の方から花山椒の佃煮をたくさん戴いた。ご飯に乗っけていただくと絶妙だ。ドッチボールほどの量でも煮詰めると野球ボールほどになってしまう。花山椒をつまみながら熱燗で一杯は最高ですな。境内や畑に蕗が出てきたのでこれも佃煮にと採集。午後からは草刈り機で2000uほど草刈りをした。これから秋口まで何度か草刈りが続く。Saxを始めて4年と136日目。レッスンを受け始めて2年と228日目。
2012.4.17
昨日は丹波路快速に乗って大阪へ。大阪梅田の芝田町界隈をぶらりと散歩。リードの赤を1箱ゲット。カッパ横町のトッピング饂飩で昼食。丹波は桜が真っ盛り。川沿いに植えられた瀬戸内〜日本海桜街道だ。たわわに実った葡萄のような桜の花。隣の公民館の樹齢85年以上の桜は今年も水銀灯2基でライトアップ。なにしろ昭和天皇即位式記念で植えられたというから、ソメイヨシノとしては随分高齢かもしれない。去年は10人ばかりでテングスを退治したので、今年はなおさらきれいに咲いている。秋は寺の銀杏、春はすぐ隣の桜へと、ライトは首を振るだけで素敵な夜景。先週の日曜日は町内会で夜桜を楽しんだ。お酒もおいしかった。みんなで記念写真を撮って翌日にはA4に伸ばしてみんなの所へ。明日の宵は女性達がたくさん集まっての夜桜会だという。でもね、ライトアップは私がやってることを知らない方が多いらしい。自治会がやってるんではないんですが…。あくまで「個人的お節介ライトアップ」ですわ。で、今夕は4月最後のレッスン。『Memories of You』のイントロを1オクターブ下げて練習しているのだが、♯レと♯ドがなかなかだ。つまりどちらも小指が大活躍するのだが、これってあんまり艶歌というかムード歌謡には出て来ない。半音の練習が宿題だったので随分やったのに、へたったリードを新品にした途端に出にくくなってしまった。ド・♯ド・レ・♯レ・ミはうまくいくのだが、ミ・♯レ・レと下がってくると、レが何故か出ない。♯レへ来ると口の形が違っているという。右手の小指を異常に意識してしまうらしい。で、次回までの練習課題は、ミ〜ド〜ミの半音階を完全マスターすることになった。もう4年以上になるのにナンタルチーアだ。しかし傑作なのは、私が両手をキーから離してネック部分を持って吹き(持たないとアンブシャーはおろか、MPを上手く咥えられないから)、先生が私の後に回って両手でキーを使うと、無茶苦茶速くても、ゆっくりでもきれいな音が出るではあーりませんか。つまり、「息は正常だし、音も良い」と言われるのです。「問題は小指だ」と。「サックスの二人羽織」は無茶苦茶良い音でしたなぁ。課題は「小指」ですわ。手品で「ミリオンカード」というのがあって、手から木の葉のように1枚ずつカードが現れては散っていく芸がある。無茶苦茶技術がいるのだが、これも「小指」が重要な役目をしている。日常生活で「小指」が果たす役割は余り気に留めていないのだが改めて認識した。『煙が目にしみる』も転調があって、「変ロ短調」になる。こりゃもう半音の連続だ。何とかごまかしてはいるものの、指が痙攣しますなぁ。「ミ〜ド〜ミの半音階を完全マスターすれば、こんな曲は屁のカッパだわねぇ」と先生が…。「よーし 屁のカッパにするぞー」。Saxを始めて4年と122日目。レッスンを受け始めて2年と214日目。
2012.4.11
10時からの幼稚園の入園式に招かれた。いつもなら園長先生が「桜の花も満開で…」という枕詞が付くのに、今年はまだ1輪も開いていない。そのかわり、紅梅・白梅が満開だ。昨夜はあまりの緊張でよく眠れなかったのか、式の初めから終わりまで、コックリコックリと気持ち良さそうに寝ていた入園児が…。両肘の筋が痛いし、肩胛骨の周りも…ということで久し振りにマッサージだ。「あっちもこっちもガタガタですねぇ」とマッサージ師さんの感想。首からサスペンダーで吊っているにもかかわらず、両腕には相当の緊張があるようだ。昨夜渡されたのは『A
Strings of Pearls』という譜面。これを7月に例によって合奏するという。「あーこれは手品でよく使った『真珠の首飾り』だわなぁ」と早とちりも良いところだった。実は手品でよく使われているバックミュージックは『オリーブの首飾り』だった。で、ちょっとウンチクを言うと、手品で『オリーブの首飾り』が鳴ると、あんまり上手ではない手品が始まる場合が多かった。つまりBGMは何でもよいのだ。これを書き始めると相当大変な量になるから止めとこう。で、『A
Strings of Pearls』を直訳すると『真珠の紐』ということになりそうだ。真珠が紐のようにつながっているから、つまりは「首飾り」状になる。しかし、真珠の首飾りだと正確には『A
Necklace of Pearls』と言うことになる(?)。いやそれとも、『A Strings of Pearls』は『真珠たちのストリングス演奏』と言うことなのか。兎に角よくわからん。兎に角よく分からんが、レッスンの方は2オクターブ半の半音階をイーブンで上り下りが吹けるように練習することになった。上手く吹けるようになるか、そうではないかは、実に練習あるのみ。講釈では上手になりまへんなぁ。Saxを始めて4年と116日目。レッスンを受け始めて2年と208日目。
2012.4.5
Saxを洗濯した。
2012.4.4
35年ほど前に撮影した16o映画を見つけた。いや、実に30代前半で元気溌剌の青春だったのですなぁ。映写機を借りてきてスクリーンに映すと、カラーが変に退色して、まるで夕日の中で撮影したように全体が赤くて、青や緑の色が出て来ない。ところがこれをビデオカメラで撮影(いわゆるテレシネ)し、ビデオ編集ソフトにかけて色の補正をすると、隠れていた青や緑が再現されるのですなぁ。しばし若かりし頃を思い出しましたなぁ。さて、Saxのレッスンを拠ん所なくパスしていたので、先生に無理を言って時間を空けて戴いて、練習の進捗状況を見てもらった。K君も駆けつけて、先生を「貸し切り」にして…。沢田研二の ♪時の過ぎゆくままに♪ とやっておったら、夜中に左足の向こう脛の横の筋肉(筋)が猛烈に痙攣して、救急車を頼もうかと思う程の激痛。小1時間ばかり足を抱えて息を凝らして…。時を忘れて左足で拍子を踏んでいたのがそもそもの原因らしかった。Saxを始めて4年と109日目。レッスンを受け始めて2年と201日目。
2012.3.25
♪春は名のみ♪ という季節をとっくに過ぎているのに、薄ら寒い限り。境内や裏の畑に芽を出した蕗の薹は、おいしい蕗味噌になって晩酌を盛り上げてくれる。一昨年突如枯れてしまった「沈丁花」。昨年苗をゲットして植えた。今年は何故か葉を落としているにもかかわらず、いっぱい蕾をつけて、気のせいか何となく香りが漂ってくるのが不思議だ。それにしてもお稽古事というものは、等比級数的カーブで上達するのではなくて、「昨日まで出来なかったことが突如として今日は出来る」という階段的進捗がありますなぁ。かつては力任せに、つまりブーブーと一定の音量でしか鳴らせなかったものが、ピアニシモやフォルテなどという強弱がつけられるようになったのはつい先頃のように思う。高い「レ」が裏返って鳴らない事に悩んだのもついこの前のことのようだ。練習して練習して、余裕が出て来るとPもFも出来るようになるし、「レ」も気にせずとも出て来るようになるものだ。何はさておき、リードの調整は音が鳴りやすくなるものだ。テナーサックスの入浴シーンを撮影しようとするのだが、狭い風呂場では、作業はできてもカメラが引けないので、思案投げ首をしている。そのうち撮影を敢行したいものだ。3オクターブのファ♭まではスムースに出る。いよいよフラジオをば…。Saxを始めて4年と99日目。レッスンを受け始めて2年と191日目。
2012.3.17
この一週間、めちゃくちゃスランプ。坊さんでもスランプはありますねん。胃袋は瓢箪のごとくになり、カミサンも不機嫌ですわ。当然、Saxの練習など思いもよりまへん。ペースケも猫とはいうものの、人間の様子を何となく察知するのでしょうなぁ。S市のKさんが、いつもここを見て下さっているので、余り長く書き込まないと「とうとう糞坊主はくたばったか?」とお気遣いがあっては如何なものかと…。レッスンも今週はお休みした。先生からCメールを頂いた。それとは直には書いてないが、ご老体を気遣って頂くような風にとってしまって…。しゃーないですわ。所詮は御年68歳ですから。先日図書館へ出かけると、駐車場にえらくカッコの良いナナハンというのか、オートバイが…。ヘルメットの御顔をよく見ると、Saxを始められたSさんでした。「毎日15分で良いから練習されたら良いですよ」と、ちょっと先輩ぶってのアドバイスですわ。気を取り直して吹いてみる。その間にリードは切れていて新品に交換。しかし、鳴りはイマイチ。カッターナイフで擦ってみるとベリーグー!。先々週に教わったフラジオへの一歩は、かなり順調に音が出る。3オクターブ目のファ♯を思いっきり馴染ませてみる。Saxに性根を入れるわけですわ。『Memories of You』もなかなかそれらしく行けるようになっとりましたなぁ。それにしても3月は心寂しい月ですねぇ。一線を退いていく後輩達もたくさんいるようです。第2のスタートを胸を張って出発して欲しいと念ずるばかりです。Saxを始めて4年と91日目。レッスンを受け始めて2年と183日目。
2012.3.7
『めちゃモテサックス』の楽譜とCDが届いた。が練習する時間がない。『煙が目にしみる』と『Memories of You』も、フラジオもやらねばならない。フラジオ習得はブーツ・ランドルフの『アンチェインド・メロディー』のエンディングをやりたいためだ。「目標をしっかり立てて、コツコツと努力する」。松阪大輔も右肘靱帯手術から回復を目指して努力しているし、天皇陛下も心臓バイパス手術を乗り越えて、3.11の式に出席する目標を持ってリハビリをされている。目標を持つということが、人を人として支えてくれるのだ。昨日はレッスンだった。30分の大半がフラジオへの前段練習だ。家では結構上手く3オクターブ目のド・ド♯・レ・レ♯・ミ・ファ・ファ♯と鳴るのに、先生の前では緊張してファ♯の音が出ない。繰り返し繰り返し、やっと出るようになって、「先生の顔を見ると緊張するので、顔を見ないでやってまんねん」と。人は見かけによらずと言いますが、外見は強面の硬派をやっていますが、以外とシャイなんで。気軽に女性に声を掛けられるようになったのは大学1年の時に丸物デパートのアルバイト店員をやった時からだ。そうこうやりつつ次はフラジオへ進むために、ミ・ファ・ファ♯を換え指にする練習だ。例のフラジオキーをスムースに押すために、人差し指がサイドキーに触れないように、手首の角度を修正するのが大変。「酒井さんのその悪い手癖を今の内に治して置かないと…」との仰せなのですが、「手癖」はなかなか治りまへん。フラジオの「ソ」は出にくいので、次の機会に教えてもらうことになりそうだ。今まで比較的低い音をブイブイと吹きまくってきたので、楽器が高音に馴染んでいない。高音のファ♯が出たら、勢いよく強く長く吹いて、楽器に思い知らせるんだそうな。もはや力で楽器をねじ伏せるということか。犬もそうで、飼い主が飼い犬になめられると主従関係が逆転するという。猿回しの調教も同じだ。言うことを聞かない猿には人間が噛みついて人間の方が主人であることを思い知らせるという。Saxという楽器もそうらしい。低い音程を吹くときは、少々いい加減なMPの加え方でも音が出る。しかし、フラジオに近い音程になってくると、息の量、息のスピード、吹き出される空気の太さ、吹き出す方向、吹き出す安定度など、微妙に影響する。ファ♯はそれらの条件が崩れると音が出ない。「高音になればなるほど丁寧に吹かんとあきませんねぇ」と我ながら感心しきりだ。で、どうも拍子が取りにくい『Memories of You』に。先生が張り切りすぎてTimeOverになってしまった。「先が短いので」と言うと「思い残しのないように」との仰せ。いやー、そう言われるとなんだか寂しいねー。でも、最初の頃に比べると俄然良い音だし、息も続いているから「腹式呼吸」もしっかり出来ているようだとのこと。Saxを始めて4年と81日目。レッスンを受け始めて2年と173日目。
2012.3.5
シのキーを押したり離したりすると、なぜか金属の当たる音がする。で、その解決に頭をひねった。
リペラーができたなぁー。
2012.3.3
ネットサーフィンという用語があるようで、ネットをあちらこちらと言葉をたどって行くと思わぬページに出合うという。「犬も歩けば棒に当たる」ということなのだろう。ネットサーフィンならず「ユーチューブサーフィン」をしていると、まあとんでもないところへも行くが、「へー?!」というところへも行く。「めちゃモテサックス」という動画に当たった。これは「めちゃモテサックス」という楽譜とCDがセットになった「本」(?)の「実演」らしい。指使いが無茶苦茶オーバーに演奏されていて、練習する人の参考になるように配慮(?)されている。古い言い方では「販促」、今時の言い方では「プロモーションビデオ」だろう。「めちゃモテサックス」のところをアクセスすると、インターネット通販で販売されていた。早速「枯葉」と「オール・オブミー」を注文した。模範演奏とカラオケCD付だ。どんな指使いかはユーチューブで確かめられる。坊主も探せば楽譜に当たった。Saxを練習する上で、実はこのカラオケが問題で、なかなか自分の吹きたい曲のものがないのだ。歌用のカラオケは1曲105円(100円均一ショップだ)でネットで買えるが、Saxのソロのためのバック演奏ではないのでイマイチだし、ジャズ系は見つけにくい。せっかくのBGMもKeyが違うと、SaxのKeyを動かすかBGMのKeyを動かすか悩むところだ。SaxのKeyを動かすとなると、せっかく憶えた運指がまたまた…。BGMのKeyを動かすとなると、あれこれ処理して、ちょっとばかり音質も悪くなる。欲が出て、「シル・オースチンのあのバックのカラオケ」とか、「ブーツ・ランドルフのあの曲のカラオケ」とか、特定のプレイヤーのをやってみたいとなると、アマのオジンの分際では到底手が届かない。ソロを練習をするのだが、バックがないと出汁なしで冷やしそうめんを喰っているみたいになる。CD付きの楽譜も随分収集したが、腕前がついて行きません。それにしてもユーチューブには懐かしい曲がアップされていますねぇ。若かりし頃を思い出すと、随分遠くへ来たもんだと思う。『東京ドドンパ娘』、『じんじろげ』。これって意味はさっぱりだけれども…。ザ・ワイルドワンズなとどいうGSも盛んでしたなぁ。津市のUさん([SaxPhoto]に掲載)の訃報が届いた。ソプラノSaxもゲットしたのに、病気が進んで一度も音を奏でることが出来なかったとのこと。また一人、知人が逝ってしまった。「お知り合いになれて良かったね」と手を合わせて念じるよりほかはない。Saxを始めて4年と77日目。レッスンを受け始めて2年と169日目。
2012.2.26
先週はコンサートが終わって中一日でレッスン。早速「あのアンコールのおまけのアンコールな何んと言う曲?」と尋ねてみた。『Memories of you』という曲だそうだ。聞き覚えがある親しい曲だったのに曲名を知らなかった。「どうしてみんなあの曲が好きなんだろう?」ということだが、あの曲は口ずさみやすいし、往年のほろ苦いロマンス的なものを連想する。が、簡単なようでちょと吹きにくい。ポップス楽譜集を探してみたら楽譜があった。兎に角これをソフトに入れ込んで、エイヤ!!と「ヘ調」に変換。レッスンでは「Boots Randolphの『アンチェインドメロディー』の終盤のフラジオの部分を朗々とやりたい。先も短いことだし。音が出にくいですねぇ」と言うと、「正規の運指でファ♯まで出るように練習しましょう。後はすぐに出来るから、兎に角そこまでスムースに出るように」と御励ましの御言葉でありました。レッスンの時は出来なくても、一夜や明けるとそこそこ出来るんですから不思議ですなぁ。宿題がたくさん出た。変ロ短調のスケール、シ♭を軸にした指使い、3オクターブ目のドドレレミファファ。あっ、ついでに。以前からずっと気になってたのが右手親指を引っかけるフック。どうしても親指からずれ落ちそうで、余計に力がかかって右肘の筋肉が痛い。これを調整しようと思いつつズボラをかましていたが、コインでネジを緩めてフックを時計方向に少し回して固定。すると親指の関節のところに加重がかかり、人指し指の付け根がサイドキーに擦れなくなった。サイドキーに指が擦れてキーが少し開いてしまうと音が途切れる所があった。サイドキーに当たらないようにというのに精神的負荷がかかっていたらしい。ほんの僅かなことだが、このフックを自分の手の大きさ(?)に合わせて調整すると実に楽になる。4年ほど前にやっていたら、平原まことさんのような名プレーヤーになれていたかもしれない(^_^)v。午後からは吹いたり休んだり。蕗の薹は新聞では紹介されたがまだ見ていない。春は名のみの風の寒さ。小雪がチラチラの舞っていた。Saxを始めて4年と71日目。レッスンを受け始めて2年と163日目。
2012.2.20
昨夕はコンサートを聴きに行った。「アキラさんとまこと君〜二人のオーケストラ」。サックス(+クラリネット)が平原まことさん。ピアノが宮川彬良さん。平原さんは私の通っているレッスンの先生の1年後輩だそうだ。どっかで見た感じだなぁと思い出していたが、声優(ひっこりひょたん島)の熊倉一雄さんにイメージが似ている。宮川さんも「どっかで見たなぁ」とノーミソをかき回していたら、NHK教育の人形と人間の合奏『クインテット』に出ていた人で、おん父上は宮川泰さんだった。『マツケンサンバ』の作曲者だった。しかしまあ、流れるようなピアノの伴奏が入ってのサックスの演奏はたまらないねぇ。聞き覚えのある曲が多かったのでリラックス。が、残念なのは曲名を知らないことだ。「へー? こういう名前の曲だったんだ」とあらためて。前夜に平原さんからレクチャーがあって、お誘いを受けていたがあいにく村の集会と重なって…。とにかく年に2度しかない集会。あっという間に終わるには終わったが…。で。友人のK君は参加。レッスン生も数人、高校生や吹奏楽団のメンバーやら、中高年のおじさんも幾人かで、25〜6人だったとか。「息の出し方」+「リードのメンテ」などのコツを教わったということだ。「腹式呼吸で腹に力を入れて、揺らさないで一点をめがけて息を出す」。そーだねぇー。昔々子どもの頃、「火吹き竹」というもので火を熾したものだった。長さ40pほど、直径4pほどの竹の先端の節のところに小さな穴が開いており、息を竹の中に吹き込むと、先端の穴から空気が出て火が熾る。いわゆる人力エアーコンプレッサーだ。「知ってるかい? 知らねぇだろーなー」。これって、胸式呼吸で息を吹き込むと、先端から飛び出す空気が乱れて具合が悪かった。腹の底からゆっくりと息を均一に吹き込むのがコツだった。風呂の焚き口から出て来る煙で涙をにじませながら吹いたものだった。『煙が目にしみる』ってのは、こういうことなんだってねぇー。子どもの家事労働の典型的なものだったねぇ。「子どもに労働させてはいけない」なんて言うから、なーんにも出来ない大人ができちゃうんですなー。話戻って、サックスの息の練習は、まずは「火吹き竹」で練習すると良いかも知れない。これだと音は出ないから遠慮なく町中でもできる。ただし、やってても何ーーんもおもしろくない。で、サックスを吹くと言うことは、つまりサキソホーンという風呂の焚き口に付いているマウスピースという火吹き竹に向かって息を「つーーーー」っと吹き込むことだ。「リードメンテ」は図らずも以前にブログしていた「削り」そのものだった。鳴りにくい部分をほんの僅かに粉が出る程度に削ってみるという方法だ。「トクサで削ると良い」と言われるが、いえなに、よく切れるカッターナイフの刃を垂直に当てて擦ると、ミクロン単位で削ることが出来る。そんなに怖れることはない。失敗してもリード1枚分は500円までだ。命まで失うようなことではない。セルマーの減価償却はもっと凄いんでは? 人間の指先というものは微妙な変化も感じることが出来る。親指と人指し指でリードを挟んで滑らせてみると、微妙な厚みの凸凹のあるのがわかる。その凸の部分をミクロン的に削ればなめらかなカーブになる。そうすることで全音程が共振しやすくなるのだ。これって、ベテランのプレイヤーの言ではなくて、初歩的物理学と初歩的研磨術から導き出される方法に過ぎないが…。リードが削れるということは、とんでもない技術のように思われるでしょうが、子どもの頃からナイフで鉛筆を削り、竹ヒゴを削って虫籠を作ったりと、そんなのは誰でも出来たことだった。「鉛筆は鉛筆削器で削るもの」という、単一試行的愚之骨頂風無発想が試行錯誤という発明の母にブレーキをかけている。テナーのリードを削り損ねて使えなくなったら、さらにそれを削ってアルト用に出来ないかとやってみる。それも失敗したらソプラノ用にやってみる。それも失敗したら、オーボエ用に…。とはいかねーかな? 「宝くじ」というものはなかなか当たらないものだ。ところがここに「宝くじの法則」というものがある。「絶対当たらない人 Vs 当たる可能性のある人」というものだ。「絶対当たらない人」=「宝くじを買わない人」だ。この法則を、「出来ない人 Vs 出来る可能性のある人」と置き換えると、「できない人」=「やってみない人」ということになる。ならば「やってみよう」ではないか。「Boots Randolphの『アンチェインドメロディー』の採譜ができた。後はエンディングで展開するフラジオの練習だ。しかし、複式呼吸とはいえども、フラジオは息が詰まってしんどいですなぁー。それにしても、伴奏が入ってのソロは気持ち良いでしょうなー。もしも私がアラブの王様であったなら、ベースプレイヤーとピアニストを侍らせて、気の向くままにやってみたいですなー。手元不如意で実現不可能。せいぜいコーヒーを頂く程度ですわ。わかる?(♪昔アラブの偉いお坊さんが♪) Saxを始めて4年と65日目。レッスンを受け始めて2年と157日目。
2012.2.14
本日は雨天。風邪がすっきりしない。喉にエヘン虫が居座っている。3日ほど前に診てもって、鼻の中へ綿棒を突っ込まれた。「インフルエンザではない」ということだった。毎年今の時期になると風邪を引く。今回の風邪の原因は、室温をめちゃくちゃ上げて就寝した時に、途中で暖房も切れ、掛け布団は跳ね飛ばし…。「エラク寒いなー」と目が覚めた時は既に遅かった。そんなわけで、今夕のレッスンはお休みだ。Saxを始めて4年と54日目。レッスンを受け始めて2年と146日目。
2012.2.8(書いていたのにアップを忘れていた)
先日は法務省から委嘱されている委員仲間のFさんのお葬式があった。1年前に体の不調を訴えられて活動を休み、治療に専念されていた。桜の花の咲く頃には元気に復帰されるつもりだったFさんなのに急逝してしまわれた。「さてしもあるべきことならねば」とて、お葬式へ。彼女は私がSaxを始めたことに刺激を受けてハンドベルを始めていたのだ。亡くなる1月ほどの前に、虫の知らせであったのだろうか、自宅の近くに新しくできた教会を訪ねてクリスチャンになりたいと思ったそうだ。病院のベッドの傍に牧師さんに来ていただいて洗礼を受けられた。知人が一人、また一人と去ってしまうのは寂しいことだ。ごく内輪でお葬式をということだったが、ご近所の方と教会の信者の方と、そして私達の仲間も寄せていただいて、心温まるお見送りができた。私は簡衣という僧衣に数珠を持って…。優しい牧師さんが、式の途中のお説教の中で、「一般のお見送りの方の中には色んな宗教の方がおられることでしょうから、お祈りの場面ではご自分の作法を思って瞑目されれば良いです」と、とまどっている方にアドバイスされいていた。いよいよ出棺に当って、みんなで代わる代わるお棺の中に花をそっと入れた。Fさんのデボチンさわると、ふっと笑ったように思えた。「春になって元気になると、一度合奏をしてみたかったのに、ご苦労さまでしたね」。癌が私の知人を次々と連れて逝ってしまう。『煙が目にしみる』を練習することにした。へ調が途中で変ロ短調に転調する。そこでどうしてもとまどう。頭で変換してしまうから。レッスンの先生は「変ロのスケールを練習すること」と。スケールの中で変わらないのはドとファだけが変わらずに後は全て半音下がるのだと。「下がるのがいくつとで、下がらないのがいくつ」という考え方ではなく、「2つだけ下がらずに、後は全部下がる」と考える方が気が軽い。変ロのスケールの練習をすることになった。「エーと エーと」とフラットの線でノーミソを無駄遣いするのではなく、フラットが5つ並んだ変ロになれば自動的にそのスケールがついてて出てくるようになれば楽なんですなぁ。変ロのスケールは「ドレミ…」ではなくて「レミファ…」と思って吹くという。次回のレッスンまでに会得しておきたいものだ。Saxを始めて4年と48日目。レッスンを受け始めて2年と140日目。
2012.2.3
今日は節分。近所の方から「巻き寿司」の差し入れが…。歯周病があって、上があれば下がない、下があれば上がないので、丸かじりは出来ないから普通に切って頂いた。「豆撒き」はしなかった。「年の数だけ撒いた豆を喰うと元気で過ごせる」と言うが、68個も炒り豆を喰うと、胃の調子や歯の調子は? つまり、元気であれば年の数だけ豆が喰えるということかも。元気バロメーターは炒り豆だったりして…。「鬼は外 福は内」とやると、どうやら出て行かねばならないのは私らしいから「豆撒き」はしない。「柊の葉っぱに鰯の頭」をくっつけたお飾りをされるお家もある。今では貴重な伝承文化かもしれない。さて、半年後のおさらい会での持ち曲をどうするか? 半年先も吹ける状態であると思っているのだから始末に悪いが、あれこれ考えていたら『煙が目にしみる』のBGMが楽譜集に付いていた。このテキストの曲をちょっとブーツ・ランドルフさんのような吹き方でやってみようと思った。ブーちゃんの吹き方は、どの曲も独特のしゃくり方で、実はなかなかテクニックがいりそうだ。あちこち一杯スタッカートを付けることになりそうだ。で、ちょっとやってみると音がどうもなじまない。オットーのメタルを外して、セルマーのエボナイトに変えてみる。MPによって斯くも音色が違うのですなー。戸惑うのは「ヘ調」の曲が途中で♭が5つも付く転調がやってくる。ソ・ラ・シ・レ・ミが半音下がっとる。頭の中は、「えーと、つまり何の♯だったっけ」と、しきりに変換しようとする。これではCPUがハングアップしますなー。Saxを始めて4年と45日目。レッスンを受け始めて2年と137日目。
2012.2.1
昨夜はレッスン生の「おさらい会」が持たれた。課題曲の『L−O−V−E』がなかなか揃わない。私がみんなと合わせて練習するのは2度目。初めて合わせる人もある。何度も繰り返しているうちに「疲れたー」と。10回ぐらいやって、どうにかこうにか何んとか…。「リズムはちゃんと出来るようになりましたねぇ」と、この前のレッスンでお褒めのお言葉を頂いたのを支えに…。私の真後ろではドラムがリズムを刻んでいるので、場所は一番良い。外さないようにとついて行く。とにかく外れなければ、全体では合奏になっているらしい。いったい自分は何を吹いているのかは考える余裕はないものの、後でビデオを見たら、何とか様になっていた。その後は「あみだくじ」で一人ずつ持ち曲を披露することに。なかなかみんなの前では大変です。前回に続いて『砂に書いたラブレター』をば。4月から始めようかというおじさんがお2人。いえなに、とにかく始めれば良いんですよ。春からはメンバーが増えて、次回の「おさらい会」では9人になりそうだ。しかし、以外にもこんな田舎の町でSaxをやろうってな中高年(いえ、若い女性もお2人おりますです)が揃ったものですなー。それにしても皆さん「練習場所」を確保するのが大変。中には「倉庫」に閉じこもって練習されている方もあるようだ。リード談義にチューナー談義と、独習の時にはなかった「情報交換」が出来て良いですなー。普段のレッスンはお互いに話をする時間もないが、「おさらい会」はようやくお人柄も確認出来る?というメリットもあって…。Saxを始めて4年と43日目。レッスンを受け始めて2年と135日目。
2012.1.19
フラジオは少し出るようになった。なったが、「出るように」ということでドレミファという具合に連続してはまだ先が遠い。つまり運指がまともではなくて、まるでバンドネオンのボタンのように思ってしまう。あっちのサイドキーを、こっちのサイドキーを と悪戦苦闘。先日のレッスンでは、またまたリズム感が狂っているのを指摘される。楽譜の長さがうまく手と感覚に伝わらない。「しっかり楽譜を読んで!」と言われても…。お経の中にはいっぱい節があって、長さやリズムや音程もあるのだが、ミミズのはった様なマークで、五線譜ではない。謡いの節譜みたいで、先輩から口移しで教えてもらうか、テープを聞き込んで覚える。つまり「真似」をして覚えていくから、指導者に癖があると癖まで似てしまう。昔々に習った先生は北の方のなまりがあって、「い」を「え」と発音し、「え」を「い」と発音した。それで一週間教えられるのだから、私などは、「い」と書いてあったら「え」と発音するものだと思っていた。「おつるしとがしんでからのってください」という落語みたいだ。話はそれるが、仏教の文書の中では昔の言葉遣いで読むことが格好良いことのようにやっている人がいるが、現代の人は何を言っているのかさっぱり判らんかもしれない。判らんでも差し支えなかろうし、意味よりも早く坊さんが事を済ませてくれれば良いらしい。「どうでも良い」ということは、「相手にされていない」ということだ。「○○を△△に」と書いてあっても、「○○な△△に」と読む。今の世の中、何も平安鎌倉時代の物の言い方をしなくても良さそうに…。かく言う私は『伽陀』や『和讃』や『調声』は決して下手ではなくて、どちらかというと上手の部類だと思っている。中には鶏を絞め殺すような声で調子が外れ、書いていない節もアレンジして唸るお坊さんもおられる。お坊さんは「声よし・節よし・字よし」とは思い込みで、そんなお坊さんは貴重品なのだ。中には歌舞伎の独壇場のように朗々と抑揚を付けておやりになる方もおられるが、聞いていて気持ちが悪くなる。「ここは歌舞伎座じゃねぇぞ」ってね。で、本題に戻って、「そこはどういう風に吹いたら良いのか、見本を吹いてみてほしい」と言ったら先生が吹いてくれた。「ほー! そういう感じで吹けばいいのですか」とやってみると、これが案外上手くできるのですなぁ。吹けるようになってから音符のことを理解していくのですわ。半拍休み・8分1タイ4分1は「うっそ−?」と言う気持ちで吹けば良いということにたどりついた。まずは音符を見てしっかりリズムに合わせる訓練というアフローチの方法と、気持ちよく吹いて、「そこは長く、そこは短く」とやってるうちに音符の醸し出すリズム感が身につくアプローチの方法もあると思う。会得するというのは徐々に会得するのではなくて、ある日突然そのことだけを会得していくのだ。人間は金太郎飴ではない。仏教では「人を見て法を説く」という言葉がある。人それぞれに受け取り方の特徴があるからだ。そのおかげで、本来は一つの内容だったものが8万8000通りのお経になってしまったのだ。口移しに2〜3小節を教えてもらって、自宅でそこの楽譜を見ながら繰り返していくと、自然と楽譜の意味も身についていくようにも思える。教えてもらった口伝えを家まで覚えて帰り着けるかどうかが問題だが。Saxを始めて4年と30日目。レッスンを受け始めて2年と122日目。
2012.1.13
フラジオの練習をしている。もちろん独学だから要領を得ないのは仕方がない。指使いが大変。今夕も「お勤め」を終えて練習だ。今日はやたらとリードが裏返る。どうも吹きにくい。音も柔らかいと言うか腑抜けのよう。力任せに吹かないと音が出にくい。昨日は普通に鳴ったのになー? と…。低い音ほど出ない。『夜霧よ今夜もありがとう』をやってみるが、出にくい。先日新品を卸したばかりのリードなのに…。MPを外して、ためつすがめつ観察していると、どうやらリガチャーの前後が反対になっているらしい。OTTO−LINKのリガチャーは上下反対にはつかないが、前後がわかりにくい。ご老眼の身ではついつい…。リガチャーを正しく着け直すと、まぁーどうしたことでしょう。あの本来のテナーの渋い音が出るではあーりませんか。たかがリガチャー されどリガチャー ですわ。寝転がってテレビを見ていると首が痛くなる。棚の上の資料を探すのに上を向くとまた首が…。これはどうやら重いSaxを首からぶら下げてが原因で、頸椎に異常が来しているらしいと我が迷医の診断でX線写真を撮って貰うことにした。結果は「骨は異常なし。筋肉痛じゃろう」と。しかし、年をとって老眼になると、ついつい便利なのは遠近両用メガネだが、パソコン用の遠近両用を面倒くさがって使わないと、ついつい顎が上がってしまう。首の筋肉は緊張しっぱなしになる。年をとるということは不便になりますなー。毎年来る年賀状の中で、同期の桜から今年は届かない。また心配が増えてしまった。Bootsのおっさん風の『アンチェインド・メロディー』と『Nothing gonna change my love for you』は指が着いて来るようになりましたぞ−。Saxを始めて4年と24日目。レッスンを受け始めて2年と116日目。
2012.1.5
除夜の鐘をたくさんの人と一緒に撞いて、新しきカレンダーのページがやって来た。ぜんざいをよばれ、お茶席を楽しみ、行列をして鐘を撞く。ライブカメラのインジケーターは点灯しっ放しだった。配達された年賀状の多くに、震災を気遣う言葉が書かれていた。Saxのオジンたちからも年賀状や電話で近況が届いた。便りのあるのは嬉しいものだ。お互いに歳が歳だから…。そういえば何年ぶりかで出合った方から、「ご無沙汰していますがお元気ですか?」と言われて、「タバコも止めて、元気してますぞ」と言ったら、タバコをくゆらせながら、「先も短いのにタバコを止めるなど無理しなさんな」と言われた。返す言葉がなかったねぇ。先が短いからこそ無理してますねん。「生」と書いてある紙の裏には「死」と書いてあるそうな。風が吹いて紙がひっくり返るまではその字は見えんのですわ。「あんたにも風が吹かんようにな」。平々凡々の日々を送りたいものだ。Boots
Randolphの『アンチェインド・メロディー』の耳コピーも進み、音を聞きながら吹いてみる。ニ調のレから始まるとKeyが合う。楽譜ソフトで調整。ちなみに演奏スタイルを「ジャズ」に指定すると、8分の2連符の所が均等ではなくて、ズーダと8.5と16分に識別して演奏する。エライものですなー。エンディングに向けての所の高音は「フラジオ」というのだそうだ。練習してみるが、そうは問屋が卸さない。出なくても良いのに高いレはリードが裏返って「ピー」と鳴く。アンブシャーとMPを咥える角度に起因しているようだが、要するにこの裏返りを意識的に起し、しかも自在にコントロールすることらしい。「らしい」である。「あきらめないで練習を繰り返すとできるようになる」と書いてあった。♪そうだ、あきらめないで、前向いて行こう♪ だ。そういえば、ものごとを成就させるのは「己に克つ」ということだった。初めからあきらめたり、途中で投げ出してしまうのは、もう一人の自分に負けてしまうからだ。そもそも仏教は自分を見極めるということだった。弱い自分を見極め、その弱さに克つことだった。失敗は成功の元とも言うし、天才とは努力の成果とも言う。4年前に楽器に付いてきたテキストには、「生まれつきの名プレーヤーはいない。みんな努力の成果だ」と書いてあったなぁ。毎日やっていると、そのうちフラジオができるようになると思い込むことだ。♪逃げたらあかん 逃げたらあかん♪
だ。「真の競争相手」は他人ではなくて「自分自身」なのだ。「男はつらいよ」の寅さんの台詞に、「人は何のために生きるのか」という若者の問いかけに、「時々、生まれて来て良かったと思うことがあるだろう? 人はその時のために生きるんだ」と言うのがあったって。Saxを始めて4年と16日目。レッスンを受け始めて2年と108日目。
2011.12.31
いよいよ2011年もあと数時間となった。今年は世界で大きな出来事もあったし、大地震もあちこちで起こった。中でも日本は原発の事故につながり、取り返しのつかない傷跡が残ってしまった。『愚かな者は、悪いことを行っても、その報いの現れないあいだは、それを蜜のように思いなす』(ダンマパダ)という言葉がある。「報い」が現れた時に、ホゾをかんでも、それはすでに遅いのだ。しかしそれでも懲りもしないで蜜を望んで行くのが人間なのだろうか。除夜の鐘まで数時間。用意万端整った。孫が肩を叩いてくれた。お礼に凝りのツボを教えた。サッカーの部活の時に役立つかも知れないか? Boots Randolphの『アンチェインド・メロディー』(ユーチューブで聞ける)を聞きながらちょっと一服だ。耳コピーで、ライチャーズ・ブラザースの譜面をさわってみる。2012年はこの曲に挑戦してみよう。エンディングは2オクターブほど上の音が…。多分出ないだろうが、やってるうちに出るようになるだろう。ちなみにこのおっちゃん、Boots Randolphと言うのはプレイヤーネームで、本名はHomer Louis Randolph Vと言うそうだ。「3世」でっせ。ところで、『Nothing gonna change my love for you』は何とかついて行けそうになった。いわゆるウォークマンでもう100回以上聞いたからだ。五線よりもまず耳で歌を覚えた方が年寄には具合が良いらしい。レッスンの先生が、「歌って見て!」と言われる。♪ばーばばー♪ か ♪らーららー♪ などとやってみる。「歌えると吹けるんです」ということなのだが、では、歌えなければ吹けないと言うことに? ノーマルな曲想と、ジャズ的な曲想はずいぶん違うものだ。ブーちゃんの『アンチェインド・メロディー』は素敵だなー。ちょっと薄暗くて、青い光の中で、バーボンのグラスを傾けながら、深々とソファーに座って耳を傾ける…などという感じだ。素敵なバックバンドも凄い。こういう風なカラオケを探さねばと…。猫のペースケは我が家に来てからずいぶんになった。赤ちゃんの時からテナーサックスの練習に付き合ってきた。テナーの音が子守歌のようだったか。だからテナーの音がするとくつろいでいる。Saxを始めて4年と11日目。レッスンを受け始めて2年と103日目。皆さん、来年こそは素敵なお歳をネ!!
2011.12.22
生まれて初めてSaxという楽器を手にして丸3年が経過した。思えば2008年12月21日の夕方、楽器屋さんがピッカピッカのSaxを届けてくれた。触るのも空恐ろしい感じだった。悪戦苦闘の毎日が始まったが、それはもう4年も前のことだった。18歳の入学式の時から始めたマジックは、とうとう卒業論文になり、4年目にはプロ級の腕になっていたのに、Saxはそうは行きませんでしたなぁ。習い事は若い内に始めるのが良いですなぁ。年を取ると、頭ではわかっていても、手足がついて来まへんねや。Sax5年目の初日は京都泊。次の日のフィールドワークにそなえて、食事が出来て、フィールドワークのメンバーに合流しやすい場所に宿をとった。京都で一番の繁華街のど真ん中にもかかわらず、何とも安い素泊まりのビジネスホテルだ。夕食はその辺の繁華街でと出かけたが、結局は隣の鰻屋へ。鰻といえば、学生時代に、七条大宮を20bほど下がった所に「うな富」という食堂があった。北海道から来ていたT君が、2学期の学費を送って来たのを懐に、10数人を誘って「うな富」に出かけて、飲めや喰えやの大判振る舞いをした。学校から学費未納の問い合わせが行って、大散財の一件が露見してしまったことがあった。今から50年近く前のことであった。生まれて初めて「う巻き」という卵焼きを食った。「肝吸い」というものも頂いた。七条大宮の「うな富」はなくなったようだが、記憶は残っている。鰻の蒲焼きを賞味しながら当時を思い起こしていると、ついつい熱燗が増えてしまい、ビジネスの泊代よりも夕食代の方が高くついてしまった。それにしても都会の繁華街というものは人が絶えまへんなぁ。夜中の2時でも人が往来してますなぁ。Saxを始めて4年と2日目。レッスンを受け始めて2年と94日目。