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高野山

当初の計画では、華厳の滝がある那智勝浦に行こうと思ってたのですが、阪神間から車で4時間半も掛かるのを知って急に怖気づき、
急遽近場の世界遺産・高野山に行く事になりました。同じ和歌山でも全然違いますが、まぁ気にせずに…。しかし、急に高野山行きを
決めた都合、本当に高野山の知識も何もなく。。。行ったらどうにかなるやんな!という、かなりいい加減な観光に、不安をかかえ
家を出ました。でも、行ったら本当になんとかなるもので、知識が無い分十分楽しめました。

高野山といえば金剛峰寺と、奥の院高野山のイメージしかなかったのですが、思ったより見所が盛りだくさんで、時間をかけてじっくり見て
まわったので一日で全部見きれずに、宿題を残してしまいました。結局、今回は十一時について四時半で、高野山の半分をゆっくり見て
まわりました。奥の院などのあと半分は、次会のお楽しみです。今度行く時は、宿坊に一泊する予定です。私も旦那さんも、すっかり高野山
大好きになりました。いやぁ、良い所ですよ、ここ。大阪から電車で90分で、お気軽にいける世界遺産の高野山は、かなりヒットでした。

特に、どんどん下界から離れていく、極楽駅からケーブルカーの区間が楽しかった〜。車ではなく、電車で行って正解でした。高野山は
電車で行くのがいいと思います。徐々に山に入っていくと、別世界に着いたという実感が湧きますから。大阪のなんばから、一時間
ちょっと行った所にこんな世界があるとは、驚きです。別世界よ、ほんま。

南海電車の特急『こうやりんかん』に乗りました。0電車からの風景。0極楽橋〜高野山駅間は、このケーブルカーで。
レトロな駅
0高野山駅の二階は、こんな待合室があります。0待合室から見えた山の景色。

高野山は、およそ1200年前に、弘法大師によって開かれた、真言密教の修行道場であり、全国に広がる高野山真言宗の総本山です。
標高およそ900m。山の上の盆地に、壇上伽藍と称する聖地があります。そこには、さまざまなお堂や塔が立ち並び、 仏像や曼陀羅が
参拝者を迎えます。また、うっそうと杉の樹の茂る奥の院には、太閤秀吉から太平洋戦争の英霊まで、さまざまな人々のお墓が立ち並んでいます。

平成16年7月7日に高野山は「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。高野山には、今も大勢の信者や、
四国八十八カ所の霊場を巡ったお遍路さんたちをはじめ世界から大勢の人々が、参詣に来られます。いつの日も、御仏の慈悲の心をこめて、
訪ねる人々をやさしく迎える聖地、それが高野山なのです。
高野山宿坊組合・高野山観光協会ホームページから引用】

<金剛三昧院>

山門0本堂と本坊0
0四所明神社裏の山道0

鎌倉時代、北条政子が夫源頼朝の菩提の為に創建されたお寺。高野山に着いて一番始めに行ったところがここ。
静かで格調高いお寺さんでした。こちらの多宝塔は国宝で、鎌倉時代の古い様式で趣があって素敵でした。
大津の石山寺の多宝塔についで日本で二番目に古い多宝塔です。この多宝塔はとても絵になるわぁ。
境内も綺麗に掃除されていて清清しい。

<金剛峰寺>

正門0屋根の上に、桶が置かれています0大玄関
00

高野山真言宗の総本山。こちらの受付にいた若いお坊さんがとっても感じの良い青年で、強く印象に残ってます。
やはり、修行されてる方は下界にいる若者とは雰囲気が大分違いますね。ここは、大きなお寺で見所満載。特に台所が面白かった。
かまどや大きな釜は、今でも使われているらしいです。大釜は一度に約七斗(98キログラム)のご飯を炊くことができるそうです。
蟠龍庭は雄雌の龍を表していて、この石庭は国内で最大級を誇っています。中では、暖かいお部屋でお茶とお菓子のおもてなしが、
受けれます。

<壇上伽藍>

東塔と大会堂と愛堂染0国宝の不動堂0金堂
西塔
00大きい大きい根本大塔

ここは弘法大師が、受け継がれ展開された真言密教の思想を、具現化した聖地ということです。私にはさっぱり?ですが。。。
伽藍堂の境内に入ると何やら大音響のお経が…。何?!と思ったら修行僧の一団が塔に向かってお経をあげていました。お寺の境内でこんな風に
野外でお経を聞くと事が始めてだったので、ビックリしました。だけど、これって高野山では当たり前の風景なんですよね、すごいよな〜。
しかしお昼前だったので、空腹のお腹にお経が響きました。この土地は観光地じゃなくて、今も修行の場所なんだと感じさせてくれたシーンでした。

<本部・霊宝館 ・大門>

大師教会

【全国の高野山金剛講支部、大師教会支部、高野山宗教舞踊総司所として100万の会講員を統括する総本部であり、高野山の宗教活動の中心です。この大講堂は、大正14年に開創1100年記念として建てられ毎年、全国詠歌宗教舞踊大会はこの大講堂で開催されます。】

こちらは、外見だけで中には入ってません。

霊宝館

【大正10年に建立され、昭和59年の弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業の一環として同年3月に建立された新収蔵庫と共に、本山をはじめ山内各寺院に伝承されている国宝、重要文化財の仏像、仏画、仏具経典等の保管並びに一部の展示物の拝観が出来ます。また、建物の外観は、宇治の平等院を模した優美な姿を見せております。】

新収蔵庫が冷蔵庫の様に冷え冷えで、じっくり見ると凍死しそうなところでした。凄いものばかりなんでしょうが、仏像、仏画、仏具経典には興味がもう一つないので、感動がいまひとつでした。でも、一つすごく変わったメタルチックな仏像があって、それには惹かれるものがありました。

大門

【高野山の総門であり、正門です。開創当時は現在地より、やや下がった九折谷に一基の鳥居が有り、現在の建物は、宝永2年(1705)に再建されました。両脇の金剛力士は江戸時代の仏師康意(阿形像)運長(吽形像)の作によるものです。建物の高さが25.1m有り晴れた日には、遠く淡路島が展望出来ます。】

霊宝館の道を10分ぐらい坂道を登りきったところに、この門はあります。大門というだけあって大きい。今はこの門からは高野山に入ることは出来ませんが、昔はこの門を通って高野山にはいってました。山道を歩いてきて、突然こんな大きな門が目の間に飛び込んできたら、さぞかしインパクトがあるでしょうね。立派な門でした。

<徳川家霊台>

00

寛永20年に三代将軍・家光により建立。一重宝形造りの同じ建物が左右に並んでおり、右が東照宮家康霊屋で左が秀忠霊屋で何れも
高野聖方によって造営されたと記録に有ります。家康の方には鳥居があって、秀忠の方には鳥居がない?!内部の霊屋は、なんだかミニ東照宮
といった感じ?相変わらず派手やわ〜。霊屋の内部は一般には公開されてません。内部も説明書見た限りでは、金ぴかでした。
建物は重文指定です。

<その他、高野山で撮った写真達>

お寺の天井に龍がいた0木造の警察署0陀羅尼助の看板
ロープウェイから撮った紅葉
0金剛塔と呼ばれる公園に立つ古い宝塔0薬局屋さんにいた木彫りの虎

高野山宿坊組合・高野山観光協会ホームページ
南海電鉄/高野山ガイド(観光案内・行事案内・アクセスマップ)
高野山真言宗 総本山金剛峯寺

 

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