転倒経験

人生のなかで最高に痛い思いをしたのは全てバイクでありました。
しょうもない話ばかりで申し訳ないですが、やはりバイクは危ないと感じてます。

@奥多摩有料道路(初期型250ガンマ)

(状況)
奥多摩有料自体は3回目、ソロ走行、自宅から片道100Km。

頂上に着き、一服後、軽く下りを流して帰ろうと
3ヶ目の右コーナを何気なく曲ろうとしたその瞬間、
あっと思ったらガードレールにそのまま激突。(速度は約80キロ)

瞬間的にフルブレーキでフロントからすべったと思われ、両ヒザを路面に打ちつける。
頭も含めてあちこち打っていた、気を失いそうなほどの激痛をヒザから感じたので、
見るとジーパンのヒザ部分が紙のように裂けて、
目をそむけたくなるほど両ヒザがえぐれて血が吹き出していた。

腕だけでガードレールの切れ目にはって逃れようとしていたところ、
後続3台のライダーに助けられ、バイクと私は道路外へ出された。

あまりの激痛にヒザは砕けてもうダメだろうと思ったが、
歯を食いしばり耐えぬいてしまった。

しかし、ヒザは曲らず、血も止まっていない。
結局救急車は呼ばなかったが、
転倒3時間後にバイクを支えてもらいながらまたがせてもらい、
足をのばしたまま2速で100Kmを走り、帰宅。

またもやクラッチレバーがなかったので、
帰宅途中にエンジンを止めることもできず、信号につかまらないよう
注意しながらノロノロ走る。

青梅市内でビリビリのジーパン姿の血まみれの私を見て、
何十人もの下校途中の高校生達が青ざめていくのがわかった。
バイクに乗らない人達までに夢を与えなければならない極楽ライダーとして最低であった。

あの高校生達はバイクに対してきっといやなイメージを持ってしまっただろう。
今でも残念だ。

帰宅後、ジーパンを脱ぐと今度は右腰の先端がまた10円玉の大きさでえぐれ血まみれであった。
ジーパンのポケットの端にある小さな丸い止め具の内側で腰がえぐれていたのである。
帰宅後は何日も寝込む。
後遺症も残らず、よく治ったものだと今でも感心する。

ギャラリーは1人もいないコーナであったが、
転倒を恥と思う余裕もないほどの激痛であった。

人生の中でも3番目の痛みであったのが印象的。
皮ツナギの必要性を痛感し、その後無理して購入。

キズだらけのボロだが、今でもこの時代遅れの皮ツナギは活躍している。
ただし汚いので誰からも話しかけられない。

A筑波サーキット 最終コーナ入口(VF400F)

私の最終コーナ走行ライン(1周2キロ)

2スト250、4スト400のF3バイクには3回の革命があったと考える
  第1回‥ガンマ、VF
  第2回‥GSX−R、FZ
  第3回‥VFR、FZR、NSR
私がレース活動を目指し始めたのは、まだ中学生のころ、
当然第1回革命の前に当る。

そして金が全くない学生ながら、免許を取り、
何とか準備したのが初期ガンマ、その時が第2回革命の中間頃。

峠を走ってガンマをボロボロにしてしまい、バイク変更を迫られたが、
当然、GSX−R、FZを買う余裕などないので、
フルチューンすれば何とか土俵にのっていられるVFをレース前提で購入。

火だるまになりながら、ライセンス取得、レース準備と進めていったところ、
初走行の頃に第3回革命を迎えてしまった。
第3回革命車達は同じF3とは思えないほど速く、完成度の高さに心底驚いた。

それと同時に、VFなどフルチューンにしたところで手も足も出ないと悟った。
サーキットはほんの数ヶ月のまたたく間に第3回革命車で満ち溢れた。

来年のレース活動どころか、今年の練習走行ですら、
ままならない金欠状態であった私はもうどうにもならないと正直感じた。
やはりサーキットでは貧乏人はお呼びでない。
自分のような貧しい出の者には無理かとあきらめかけた頃の話しです。

自分にとっては最も得意な最終コーナ入口での
高速の強引な突っ込み重視で走っていました。

慣れてくると第2ヘアピンで速度調整し、
他のライダーを最終コーナ入口でズバッと抜けるタイミングをつかんで走っていた。
タイム度外視の見せ場優先走行である。

種明かしはこうだ。
最終コーナ入口で私はブレーキを使わなかったからだ。
クレイジーとしか言いようがないが、この時はこれでよかった、
乗れていたといえばそれまでだが、無茶というか無謀に近い。

ノーマルVFでは第2ヘアピンを2速で立上り、
裏の直線をシフトアップしていくと、最終コーナ入口で5速吹けきり状態になる。
そのちょっと前にわざと6速に入れ、倒しこむ直前に5速へ落とし、
バンク途中で4速へ落として、インへ強引に着ける。

フロント、リヤともブレーキは一切なし。
ノーマルVFではこの倒しこみでは、とうに限界を超えており、
インへ強引に寄せる時にガウンガウンとリヤサスが底づきを繰返し、
タテゆれを毎回、10回くらい起こしてインへつけていた。

ただしインベタで回りきれないほどスピードが出ているので、
最終コーナ途中でもう一度アウト一杯までふくらみ、
そこからフル加速してまたインへ寄せて脱出という
本当に突っ込みだけのタイム的には意味ない走りだった。

しかし、この走りでも慣れてくると、
最終コーナ立上り〜表の直線の途中まで抜かれることは、全く無くなった。

これは、これで完成しているのかなと思っていたが、
時はおりしも、バイクブーム真っ只中。
猫もしゃくしもバイクレースに浮かれていた時代。
あらゆるレベルのライダーが走っており全てに通用するものでもなかったとは思います。



ある晴れた日の練習走行。
やっぱりノーマルサスは限界低いなと感じながらいつものように走っていると、
8週目の最終コーナ入口で、
ほんのちょっとしたタイミングのズレで5速までしか落とせないで突っ込んでしまった。

信じられないほどの速度を感じ、
やばいと感じながらもリヤサスがかつてないほど
底づきのたてゆれを起こしながらも強引にフルバンクさせ、インへ寄せたが
一瞬にしてそのまま一直線にコースアウト。

車体をバンクさせすぎていて、ブレーキもかけられない状態。
エスケープゾーンはこれまた信じられないほど狭く、
そのスピードではまるで2〜3mしか巾がないように感じた。

170Km/h以上だろうと思うが、そこで一瞬にして転倒、死ぬと直感した。

それからは異常に長く感じた。

自分がさかさまのままぶっ飛んで行くのがわかった。
ヘルメットシールドが割れて大量の土が入り込んできたところで、
あまりの恐ろしさに目をつぶってしまった。

それから体が何回も地面に叩きつけられ、
叩きつけられるたびに体がつぶれるほどの苦しさを感じた。

この衝撃で死ぬのか、次の衝撃か、いつ暗くなって死んでいくんだろう、
かなり長く考えながら苦しさに耐えていたら、
最後にふわーと今までにないほど高くあがり、打ちつけられた。

胸がつぶれたと思った。
サーっと暗くなって、意識が遠のいた。

この後はほとんど覚えていないが、
フラフラのまま起き上がってマシンをよけようとしていたところ、
係員に外へ出されたそうである。(本能とは不思議です)

その後、1日頭はふわふわしており、断片的にしか覚えてなかったが、家に着いていた。
友達とも話したらしいが、後で言われてみるとあまり覚えていない。
(サーキットでは当然スピードメータをつけていない為、ギヤと回転から速度は推測してます)

これが人生で2番目に痛い思い。


B筑波サーキット (VF400F)

(状況)
最終コーナでの大転倒以来、
できるだけ基本に忠実な走行を行っていたが、何となく甘い突込みを繰返していた。

10周目に
第1ヘアピンの2ヶ先の左高速コーナを加速しながら4速へ入れたところ、
アウト一杯からF3のGSX−R400が並んできた。

第2ヘアピン手前のフルブレーキング直前で一番スピードの乗ったところ、
一瞬ブレーキを遅らせたGSX−Rが私のマシンの直前にななめに出た。

あっと思ったら、
そのスピードのままフロントタイヤ先端を右から引っ掛けられ、
右へ落ちるように転倒。(約140Km/h位だと思う)

ヘアピンの奥までマシンもろともすべって止まる。
頭も肩も強烈に打っていたので、ここからは断片的な記憶しかないが、
ここでも、私は立ちあがって後続車に手を上げて知らせ、
ブラブラになった右手をかばって、マシンを起こそうとしたが起きなかったので、
クラッシュパッドにもたれて、もがいていたそうである。

右肩が完全に下がってドーンとした激痛がしており、
頭も打ってまともに話せなかったそうなので、
お決まりの救急車に乗り、サーキット近辺の病院へ直行。
(前回の最終コーナでの転倒では、もう少しまともに受け答えしていたらしい)




脳波、CTスキャン異常なし
右鎖骨骨折のみと今回も軽傷で済む(またもや奇跡、不思議だ)


病院へ搬送されたが、断片的な記憶しかなく、
ツナギを脱がされたが、頭も強打しているということで、手術は翌日となった。

となりのベッドには、第1ヘアピンの次の右コーナでハイサイドをくらって、
自車のステップが背骨に突き刺さり、重要な神経が2本も切れた、
下半身不随のノービスRS125戦士が横たわっていた。

何と彼は鎖骨も骨折していたらしいが、
重傷の背骨のため、4週間も鎖骨は折れたまま寝たきりであった。

まだ19才で体つきもがっちりしていたが、憔悴しきっていた。

やはり私のように鎖骨骨折だけのライダーはサーキットでは軽傷だ、
ケガのうちに入らないからさっさと退院したいと改めて思い、
彼に対して申し訳ないと思った。

翌日は昼から手術となったが、
「終ったら帰らせてくれ」と頼んだところ、
「手術中に声をあげなかったら、帰っても良い」と約束をとりつけた。

どんな手術かと不安のまま始まる。

ベッドに横たわって右肩周辺に局部麻酔注射を何本も打ちこむ、かなり痛い。

その後いきなりメスで切り開いた。
ぴゅ―っと血が飛び散ったらしく「あらら元気いいなこの子、はは−」と医者。
何か冷たい感じがしたな、麻酔効いてるのかと疑った。

それから折れた鎖骨の中に、超合金を通す穴を開けるため、
ドリルでバリバリ、バリバリ、20分ほど穴を延々と開ける。

かろうじて麻酔が効いていたと思われるのは最初の5分だけ。
途中からこの世のものとは思えないほどの激痛に変わった。

声を出しては今日帰れないので、耐えに耐えぬいた。
「痛いだろお?、この前、
国際A級のYも病院中に響き渡る声で泣き叫んでたよ」と
医者が喜んでいるような声を出した。

意識がまた遠のいてきたが、
看護婦さんが手をぎゅっと握ってくれたので、少し持ち直した。
「見て見て、この子、声も上げず手を握ってるう」と看護婦。
全然緊張感がない。

延々と生き地獄のようなドリルの衝撃と激痛が続く中、
骨の中に超合金を通し初め
「あらら、反対から飛び出ちゃったよ」と医者。

飛び出たキズは今でも残ってる。

もう限界かと、目の焦点が定まらず、暗くなってきた頃、
医者が「しょうがない、もう一本麻酔打っとくか」。

注射すると針がどこに刺さっているのか、ハッキリわかる。
(やっぱり今まで麻酔きいてねえんじゃねえか)

こんな状態からでは麻酔は効きもしない。
逆に痛みをあおることになるが、
それでも、声を上げず耐える。
声を出しては今日帰れない。

最後、縫合している時は、糸をぐいぐい引張るだけで絶叫をあげそうであった。
涙も全くでないほどの痛みだ。

終ったと言われた時は、もう何も話すことができなかった。

「この手術で声を出さず耐えぬいた人を見たのは初めてで、
感動したから自分で石膏をつけたい」
と希望した看護婦さん2人に、
今時こんな大きいものつけるのかと疑うほど
肩・ヒジから胸一面にかけての石膏ギプスを固められた。

医者からは「この手術で声をあげなかったのは君がはじめてだ、
まあ約束だから仕方ないが、無理せず帰っていいぞ」 と
怒った口調で吐き捨てるように言われたが
こちらは何も言えないほど疲れきっていた。

夕方、友人が車で迎えに来てくれ乗って帰ったが、
2時間の道中、先ほど縫い合わせた個所がギプスにゴチゴチ当り、
あまりの痛みに気を失いかけて帰宅した。

無理せず声を出してもう1日入院した方が良かったのかとも思った。

その日はギプスが背中にも一面ついていたので、うまく寝れなかった。

自宅近くの大型市民病院で翌日、脳波検査した時に、
医者が私の大型ギプスと縫合跡を見て、
「何だこりゃ、複合骨折でもないのに、
誰がこんなひどい手術をしたんだ、痛かっただろう?
これはもう30年くらい前のやり方だ。切った跡もひどすぎるな」と言って、
ギプスを壊して外してくれたが、

ギプスを外すと手術自体の超合金の固定は弱かったので、
結局、骨の中の超合金を抜くのは予定の3倍遅れ、3ヶ月後となったが完治した。

1年後、私のもう1人のサーキット仲間も、
同じく筑波サーキットで鎖骨を骨折し、同じ手術で痛い思いをした。

今でも、筑波サーキットで鎖骨を骨折したライダーは
手術でひどい目にあってるんだろうなと思う。

痛くないやり方の開発を望む。

この手術が人生で最も痛かった経験


以上、主な転倒経験を紹介しました。
恥ずかしながら、ここに記載した3〜4倍ほど今までに私は転倒しており

多少痛い思いはしていますが、
ハッキリ言って、全て奇跡的に軽傷で済んでいます。

ただし、筑波最終コーナ入口での転倒で負った左肩亜脱臼は、
その後スキーで木の根っこにつまづいて
左手をついてしまって完全脱臼となり、
きちんと治療したにもかかわらず、
寝返りをうっただけで肩を外すほどの脱臼肩となってしまった。

脱臼は何回外しても痛みは最初と変わらないのが悪い点。
気をつけていても今でも時々外してしまう。

寝ている最中が最も怖く、筋肉トレーニングしても、
寝てゆるんだ筋肉状態では意味なく外してしまい、
今度は鍛えた筋力のため、はまらなくなるというお粗末である。

以後、12年間で12回外す。

これが人生で4番目に痛い思い

4番目の痛みが12回もあることになる。
バイク、スキーは生涯禁止令が出される。

いい加減いやだ。

それはどうでもいいが

バイクでの転倒経験のないことを自慢する人、
逆に転倒経験をハクがついたと思う人、どちらも間違ってると思います。

転倒はしない方が良いに決まっています。

私の場合、転倒したら基本のハンドルフルロック旋回と8の字へもどって取組んでました。

どんな乗り方でも、そのライダー個人の楽しみ方があり、
バイクというのは非常に個人的で自由なものであると考えますが、
1ヶずつのコーナをていねいに曲る事は重要であると思います。

ていねいに曲ることを続けると、誉められることはないが、
個人的な自分のバイクライフ自体が豊かになり、、楽しく走れると思います。

極楽ライダーとして楽しさを表現できるようになることが最終目標であります。
それこそが真の「見せる走り」であると確信しています。
決して目立つことではないと思います。

まだ私も極楽派の初級であり、
現在中級へ向けて地道に努力しております。


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