アメリカ出張

初秋、観光地とは程遠いアメリカのケンタッキー州へ緊急出張。
日本を出国した時から帰国日は不明。
金は使い果たし、もうダメかと思うところまでいってしまった45日間。

日本人など見たことのないこのド田舎から、
いくつもの奇跡が重なってようやく帰国となった。
期間は短いがギュッと詰まった海外経験で、余すことなく記載してあります。
さあ行ってみましょう。

★文中、人物表現で不適切と思われる箇所も多々出ますが、
 このページこそ誤解を恐れず
 リアルなド田舎のアメリカを感じたまま表現したいと思います。
 (金額はイメージしやすいよう日本円に換算して表してます。)


【連載1回目】

・出発前

’97年9月中旬、T社ケンタッキー工場にて、
我が社の一部品組付忘れにより、
新型車両Vのサンルーフ開閉時に
大きな異音が大量に発生したという重大クレームが発生した。

国内では相当のペナルティで済むが、今回の相手は海外だ。
1ヶ月前に出荷した物からほとんど全てが悪い物であると当然考えられた。
すなわち、日本から送ったどんぶらと揺られている
1ヶ月分の何隻もの船の中身は全て不良品である。
当然大騒ぎだ。
現地へ大至急来て対応せよとの緊急依頼が突然あった。

そこで、現地の火消し役として私が選ばれた。
国内でのそういうクレーム対応は得意であったが、
何せ相手は海外だ。経験が無い。

そこで、付き添いとして4つ年上のA先輩が同行することになる。
社内では特にわがままで困ったヤツだと評判の暇な人である。
他の人からはご愁傷様とも言われた。

すぐに飛び立つつもりであったが、行き先はケンタッキーのド田舎。
車以外の移動手段のない場所だ。

そのため、日本で国際免許を取得してからの出発となった。
現地では毎日レンタカーでの移動となる。
そこで運転免許試験所にて申請だけで国際免許を取得する。

こんな申請だけでホントにもらって良いのかと不安になる。
当然現地の交通ルールは全く知らない。
右側走行くらいならわかっているつもりだ。


・出発当日

クレーム発生の数日後、名古屋空港にA先輩と私は立つ。
特命として、製品の手直しを含めて、
あわよくばこの騒ぎを2週間ほどで収めて帰国せよと指示が出た。

そのため、持たされた費用はキッカリ2週間分
この時知らぬは我が社だけ。
T社との間に入っているS商社は1ヶ月以上かかると知っていながら、
詳細を私達には知らせなかった。そのため我が社は甘く考え、
最低限の2週間分のみの費用50万円(2人分)で十分と考えた。

もちろん食費、滞在費、レンタカー代、接待費など含めた全ての金額である。
またA先輩ははじめから10日で帰国させる事は私だけには知らされており、
本人には絶対秘密であることも付け加えられていた。

国際免許にバイクまで記載され浮き足立った私と、
ハナっから旅行気分のA先輩は気分よく名古屋国際空港の搭乗者受付を行っていた。
名古屋を出発した後は、
アメリカ西海岸のポートランドで国内線に乗り換え、
次にシンシナティまで。

そこでも乗り換えて最終目的地レキシントンまでという
3つの飛行機に乗る乗換え時間も含めて18時間のコース。
A先輩は海外慣れしており、荷物はドでかいリュックサック一つ。

私は普通にスーツケース一つ。
名古屋の受付で、シンシナティでは自分で搭乗手続きを行うよう言われた。
手荷物だけの先輩の方は余裕あるが、
私のスーツケースはシンシナティで受け取った後、
再手続きを行うと勘違いした。

手荷物の控をA先輩と私に誤って逆に渡された事に気付かなかった。
この時には、それが後に大事件となる事を知るよしはなかった。

名古屋を飛び立つと、旅行気分のA先輩と酒盛りが始まる。
気圧が低いので酔いが異常によく回る。ほんの少しだけ寝たつもりになり、
体を休めるが気分だけだ。

日付変更線で時差のため腕時計を合わせた。
名古屋を出発して夕食後、すぐに窓を閉められ夜をつくられたが、
外を見るともう明るくなっている。
9時間後、アメリカ西海岸のポートランドに着いた時には、既に疲れ切っていた。

そこで入国手続きを済ませ、乗り換えのため2時間待ち、
国内線のシンシナティ行きに乗る。

次は5時間のフライトだ。
またもや異常にまずい機内食が出たが、今後の事を考え、
慣れるためにも無理やり食べた。

アメリカ国内でも時差があるので、
またも腕時計を2時間も調整したことによって、完全に時間の感覚がなくなり、
一体何時間起きているんだろうと少し不安になってくる。

私は受験英語を99%以上忘れている自信はあったので、
この時でもスッチーの話す内容はほとんど理解できていなかった。

海外旅行の経験が多いA先輩は少しも動じることなく対応していた。
A先輩が操る、まるで日本語のような発音の英語が
バンバン通じるのを見てなぜだか悲しくなる。

名古屋を夕方出発し、アメリカ中央部ではまたもや夕方になっていた。
もう時間の感覚が完全にマヒしていたのは当然だ。

A先輩は疲れている割には、現地での滞在期間は絶対1ヶ月以上になるよう、
会社に取りはからってくれと私に頼んでくる。

それだけでなく現地では自分の好き放題やらせてもらい、
毎週末はアメリカ国内の主要都市巡りを行い、
ラストの週末はヨーロッパ観光だと言い放っていた。
噂以上にひどい人だ。

A先輩の趣味は海外旅行らしいが、
悩みは税関で必ず手荷物からボディまで全てチェックされてしまうことらしかった。

桝添要一そっくりの顔にヤク中患者のようにトロンとした目で、
そのうえ頭は強烈なアルシンドはげ、
そして荷物は裸の大将のように大型リュック一つで、
税関までもビリビリのスリッパ履き。

数年前、ロシアからノルウエーに入国した時なんて、
素っ裸にされ四つん這いになって尻の穴の中まで検査されたそうである。
その話しを聞いて可愛そうな人だと思ったが、
誰が見ても怪しすぎるのでしょうがないとも思った。


・アメリカ到着

問題のシンシナティ到着。疲れ切ってぐったりしている。
乗換え時間は30分らしい。
荷物を受け取って搭乗者受付を30分でやれるのか不安がよぎった。

しかし、やらねばならぬ。現地時間でもう21時、本日の最終便だ。
飛行機を降りて、バッゲージルーム(荷物室)へ急ぐ。
エスカレータを降りて看板の示す方をひたすら走る。

しかし、地平線の彼方まで見通せるほど遠い。
何だコリャふざけてんのかと考えながら走る。
そのうち横を地下鉄が走って追い越していく。
二駅後にようやくそれに乗る。あと20分しかない。

地下鉄に乗ってようやく5分後に荷物室へ到着。
そうして私達の乗ってきた便の荷物を待つが、結局私の荷物は来ない。
出発時刻にはあきらめてダッシュでウイングへ戻る。

次に乗るのは30人乗りくらいの小さな飛行機であり、
A先輩は必死で出発を遅らせようと乗組員に頼んだが、
無情にも1分待ってくれただけで出てしまったらしい。

荷物はどこへ行ったのかわからない。
飛行機は出た。現地での連絡先は全てスーツケースの中だ。
空港は締まり、外に出される。

かなり動転していたので、
日本の我が社へ連絡することなど思いつかない状態であった。
ここでA先輩がレンタカーを借りて目的地へ行こうと言い出す。

いくら動転していてもそれは危険であると感じた。
そのうえ目的地のレンタカー屋に予約してあった車を中止して、
ここで大きくてアメ車らしいやつを選ぶ等と言い出す。

ここまでくると私も面倒くさくなってきてどうでもよくなってしまった。
サバイバルの匂いがしてきた。
空港裏でおかしな連中がたむろしてる脇をさっさと通りぬけ、
回送されてきた目的地のレンタカー屋と同系列の送迎バスに乗り込み、
5分後にレンタカー屋へ到着したが、
真っ暗な中、どの方向へ走ったのかさっぱりわからない状態。

目的地の小型レンタカーをキャンセルしたら、早速値切り開始。
さすがにキャデラックではまずいとA先輩も我に返っていた。
私はどうでもいいやと思っていたので、
サンダーバード5000cc車で見積りしてもらう。

さすがに予算を3倍オーバ。今度はコルベッチ5800ccで見積り。
結果はもっとひどいことになりあきらめる。

保険だけはフルに入ったが、結局は小型で良いということになる。
期待せず待っていたら出てきたのはフォードトーラス3000cc。
これが小さいとは!
やはりアメリカ大陸。グレートジャーニーを予感させる。

それじゃ出発。運転はえ?私? 
A先輩は自分は看板を見る係だと言って聞かない。

乗り物に乗ってこれほど自信がないことははじめてだ。
ここの交通ルールも知らない。
空港から出るといきなり入り組んだハイウエイだ。
それも何回も合流したり、分かれたり。

とにかく南へ向かう事しかわからない状態で走り出したが、
真っ暗な中、南を向いてる可能性は5%くらいか等と考える。

出てくる看板を読みまくるが
目的地は小さな所なのでさっぱり看板には出てこない。

出発前に地理の授業で使った世界地図のアメリカを見ており、
その近所にあった都市の名前を思い出そうとするが、まったく思い出せない。

空港から5分も走ると全くの真っ暗闇の世界になった。
家も街灯も何の灯りもなく、すれちがう車もなくなった。
いくら走っても真っ暗闇。

多少のアップダウンはあるが、ほぼ平地の状態であろうかと思われたが、
地形の輪郭さえも見えないほど何もないようである。

途中信号もなく、看板ひとつないハイウエイをひたすら走りつづける。
ハイウエイから降りて大きな道路があったり、分かれ道が出てくるたび何度も迷い、
強烈な不安感を覚えたが、
この時ばかりはぴったり合った二人の野生のカンに任せて走りつづける。


【連載2回目】

1時間ほど走って気持ちも少し落ち着いてくると、
かなり視野が狭くなってることに気付いた。

南へ向かってる確率は1%もないだろうが、
「まあ宇宙遊泳してるわけでもないから気長に行くか」と思った途端、
楽しんで行こうと何かがはじけた。

急にペースを上げたので、車が見えだしバンバンに追い越しをかける。
なかなか面白い。さすがアメ車だ、よく走る。

自分の荷物はどこへ行ったんだろう。
レキシントン空港で待ってるはずのS商社の人へも連絡が取れない。
もうホテルへ帰っただろうか。どこに泊まっているのかもさっぱり思い出せない。
何せ全ての情報はスーツケースの中だ。

今夜自分達が泊まる予定のホテルの名前だけはかろうじて思い出せた。
レキシントン・ケンタッキ・ノースホテル。いい名前だ。
その記憶だけで車を走らせている。無謀もはなはだしい。

ちょっと腹も減ったし、地図を買うためフリーウエイから降りることにする。
その時、看板にちらっと「ジョージタウンまっすぐ」と見えた。

やった、野生のカンが合っていた。
二人してブラボーと言ってしまった。もうアメリカに馴染んでいる。

走り始めて3時間で、一旦フリーウエイから降り、
コンビニでハンバーガを食べて、
目的地のレキシントン付近の地図を購入した。

まだ近くまでたどり着いてないが、広げて見るとあちこち馬のマークだらけであった。
理解できず閉じる。

この頃から、自分たちが好奇の目でジロジロと見られていることに気付く、
どうやら空港から気にしていたことが当ったようである。

このド田舎の人達は日本人というより東洋人を見たことがないようである。
コンビニ、ファミレスのまわりにはイカレタ車に乗ったイカレポンチが大勢いたが、
見たような光景だと思った。
ただ日本と違うのは、
私達二人が物珍しく見られていることである。

恐怖感はなかったが、
自分が動物園のレッサーパンダになったような気がした。
なぜだかジャイアントパンダではない気がした。

方角は合っているものの、これから先のことを考えると非常に面倒だ。
地図の裏を見ると広域地図が載っていたが現在地は載っていない。

ハイウエイを降りて下道を走るとA先輩が訳のわからないことを言い出し、
聞かなくなっていた。しょうがないのでその通り降りると、
今まで以上に不安を感じる道をひたすら走ることになる。

何十回と標識も信号もない交差点を過ぎてわからなくなり、
もう後戻りできなくなってしまった。
ハイウエイよりも真っ暗な気がする。もちろん民家は一軒もない。

舗装路が切れたところで一つ前の交差点に戻る。
少し落ち着くために車から降りる。
すずしさにちょっと頭が冴え、
道路をよく見て車のタイヤの跡が多いほうが目的地の方向だと、ピンと感じた。
何の脈絡もないが、なぜだか確実に行けそうな気がした。
またも野生のカンに任せてひたすら走る。



【連載3回目】

遠くにぼんやりと街の明かりが見えてきた。
助かったと思った。
近づくと確かにジョージタウンだった。

その瞬間、この旅は最後までもらったも同然だと強く意識した。
ここにはT社ケンタッキー工場がある。
あとは地図を頼りにレキシントンまで行けば良い。
急に楽になった気がした。

しかし、よく考えるとまだホテルを探さなければならない。
もちろん地図は馬のマークばかりで、ホテルは一つも載っていない。
とりあえずレキシントンの町の真中を目指す。

すでに深夜2時をすぎているが、なかなか町の中心にたどりつけない。
町全体を取り囲むサークルロードという大きな道路に当り、
そこからさらに入っていく。

こんな深夜だというのに、
道端に人がたくさん座り込んでこちらを睨みつけている。
なんとなく不気味な予感がして、
走りながらよく見ると身なりが非常に汚く人相の悪い黒人ばかりである。

急にワラワラと大勢出てきて後を追いかけてくる。
ここまで来てようやくスラム街に入ってしまったと感づく。

つかまったら命はない、人間スラロームをダッシュで駆け抜ける。
出口は見えない。



【連載4回目】

4輪のスラロームがこれほどうまくいったことは初めてだ。
アクセルとハンドリングがピタリと合う。






つづきは近日中に



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