観劇感想

観劇歴は浅く、且つ劇団四季以外はほとんど見たことないです。
そんな管理人による雑感。あまりミュージカルの教養がないのがよく分かります…。

 観劇記録

05.10 「モーツァルト!」東宝(名古屋)
05.08 「アイーダ」劇団四季(京都)
05.02 「キャッツ」劇団四季(東京)
04.10 「ライオンキング」劇団四季(名古屋)
04.08 「エリザベート」東宝(名古屋)
04.07 「42nd Street」(東京)
04.07 「美女と野獣」劇団四季(京都)
04.06 「サウンド・オブ・ミュージック」ウィーンオペレッタ劇場(名古屋)
04.04 「屋根の上のヴァイオリン弾き」東宝(名古屋)
04.01 「ライオンキング」劇団四季(名古屋)

→過去の観劇記録

 05年8月  「アイーダ」劇団四季(京都)

アイーダ:井上智恵 アムネリス:佐渡寧子 ラダメス:阿久津陽一郎 メレブ:中嶋徹 ゾーザー:大塚俊


 昨年に引き続き、京都劇場でミュージカルを見てきました。今回は「アイーダ」。四季の演目で初見のものは久しぶりです(同じものをいろんな場所で何回も見ています)
 元々オペラで有名らしいんですが、そちらとは縁が薄いので、粗筋すらろくに知りません。一応今年の冬に宝塚の「アイーダ」を見て、その時は「ベタなストーリーだなあ…」と思いました
(失礼)。何しろ、奴隷になった王女に、敵国の軍司令官に、婚約者のエジプト王女(次期女王)コテコテの恋愛話だったので。
 開演前に購入したパンフレットを読むと、今回の劇団四季の「アイーダ」は、ディズニー版アイーダということで、歌も違えばストーリーも違うとのこと。例えばオペラでは最初からアイーダ
(奴隷になった王女)とラダメス(エジプト軍司令官)が愛し合い、アイーダとアムネリス(エジプト女王)が恋敵としてひたすら対立関係であるのに対し、四季版はアイーダとラダメスが当初は反発しあうが徐々に惹かれ合うし、アイーダとアムネリスが王女としての責務を持つ者同士としての友情を芽生えさせる、など。
 宝塚版
(オペラと同じストーリーらしい)では単純で大袈裟な恋愛話がいまいち楽しめなかったので、これは良いかも、とちょっと期待しつつ、開演。

 物語の導入部は、現代のとある博物館。そこでアイーダとラダメスの生まれ変わりとおぼしき人物が出会う。その背後では何だか力強い歌が延々と歌われているんだけど…誰が歌っているんだ?マイクのみ?と思ったら、展示物の一つだったものが実はアムネリスで、歌の半ばにはケースから歩き出てきました。人形だと思っていたものが動いたので、びっくりしたなあ。初見ならではの楽しみです。
 で、そこからは物語が古代エジプトに移るんですが。

 全然古代エジプトっぽくないのにまたびっくり。

 大道具がシンプルなのはまあすぐ慣れたんですが、慣れなかったのは衣装。悪役集団の衣装が、どう見ても香港マフィア。詰め襟の長ラン(死語?)を着て昔のマイケル・ジャクソンのような振付で踊っているのを見ていると、これがエジプトの話だというのを忘れそうになります。「ピラミッドを建てるのだー!(←文字で書くとバカボンのパパみたいだ)という歌詞がなければ、エジプトが舞台だということを完璧に忘れそうでした。極めつけには最後に棒杖まで出てきて、いよいよ香港映画の世界になっていたし。
 アムネリスが歌うシーンではパリコレのようなファッションショーがいきなり始まるし
(服も奇抜でパリコレっぽい)、ラダメスの衣装は真っ赤でやっぱり詰め襟長ランだし。アイーダがヌビア風の衣装を纏うシーンはアフリカっぽい雰囲気でしたが、そもそも「ヌビア風」がどんな物かを知らないので、これが時代考証的に正しいのかはわからないし。
 けれど慣れてこれば、というか古代エジプトだという設定を忘れれば
(実際ほとんど古代エジプトに関わることは出てこない)、古典的な恋愛劇に派手な衣装と踊りのミュージカルとして純粋に楽しめます。
 古代エジプトといえば、アムネリスの登場はプールで泳ぐシーンから始まりました。背後に垂直に置かれたプール
(の絵)の中をワイヤーで優雅に動きながら泳いでいるのを表現。最近読み返した村上春樹の本に書かれていたのですが、古代エジプトにはスイミング・スクールがあったそうで、そんなマニアックなところだけは史実に忠実に表現してるんだなあ、と可笑しく思いました。

 そのアムネリスですが、導入部のドスの利いた力強い声とは対照的な、甘ったるい声で歌う、ファッションしか興味のないちょっとおバカな女の子として再登場しました。うーん、ここまで演じ分けるなんて役者だ!しかももの凄くスタイルが良いし、素敵。
 そんなおバカな
(ラダメスをベッドに誘うシーンなんか特に)女の子だったのが、父王の病気、婚約者のラダメスと友情を抱いているアイーダの逢い引きの目撃、ラダメスの祖国への裏切りなどで、悩み、成長していく様子が印象深かったです。エジプトを裏切った者は死刑という掟に対して、「ラダメスとアイーダを共に生き埋めにする」と決断する様は、一国の王として、かつ愛する相手へ一人の人間として振る舞えるまで成長したんだなあ…と感動します。ちなみに宝塚版ではラダメスだけが生き埋めの刑で、アイーダはその中に忍び込んで、地下で再会という筋書きだったので、アイーダとラダメスの愛情の方に主眼が置かれている印象。愛情の強さだけを前面に出されると、現在的な観点からは「ありえない」と感じてしまうので、四季版のストーリーの方が感情移入出来ました。

 力強さといえば、主人公のアイーダも格好良かった!エジプト兵の武器を奪い取って、相手の喉元に剣を突きつけ仲間を解放するように脅したり、奴隷として献上された相手の王女にはっきりと物を言ったり。自分を解放してくれたラダメスが「結婚したらもう遠征で国を離れることが出来ない」と嘆くのに対しても一喝。向こう見ずではあるけれど(結局仲間の解放交渉は失敗したし、そもそも敵国が攻めてきているのに船遊びに出かけて捕まったのだし)、こういうシーンがあったおかげでアイーダという人物の個性が際立っていたと思います。

 そんな女性陣に現在の視点から共感できたのに対して、ラダメスの印象がちょっと薄い…。中盤以降、彼はひたすら愛に生きるからなあ。愛のために家財一切を分け与えてしまうし、愛のためにアムネリスとの結婚も受け入れるし、愛のために敵国の王を逃がしてしまうし。うーん。
 更に言うなら、あんまり大きな声では言えませんが
彼の声は甲高くて好きじゃないのです…。例えば「ライオンキング」の主人公シンバ役とかなら違和感なく聞けたと思いますが、将軍役にはもっと威厳のある声の人の方が合ってるんじゃないかなあ。

 ヴェルディのオペラのストーリーも歌も知らないので、比較対照としての「アイーダ」を語ることは出来ませんが、えーと、古代エジプト物としてはともかく、恋愛物として楽しめるミュージカルでした。踊りも面白かったし。
 秋に千秋楽なのでしばらく見る機会が来なさそうですが、いずれ名古屋で上演されると思うのでその時には見に行きたいと思います。

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 05年2月  「キャッツ」劇団四季(東京)

 東京五反田のキャッツ専用劇場で「キャッツ」を見てきました。専用劇場というのは何がどう違うんだろう?と楽しみにしつつ向かいました。
 東京では10年振りの「キャッツ」上演とのことで、チケット予約が結構大変でした。「回転席」とか「ジェリクルギャラリー」とか今までに無かった名称の座席があってそこも気になったのですが、回転席は既に売り切れ
(半年先のチケットでも売り切れるのね)、ジェリクルギャラリーは端っこなので今回はパスし、結局はやや端の方の席で見ることになりました。

 さて、専用劇場ですが、舞台が円形になっているのがとても面白かったです。開演前は舞台の奥が手前に来ているのですが、それがぐるっと回転して、ショーがスタート。専用劇場では、その回転に客席が一緒になって動くようになっていました。それが「回転席」。
 舞台が円形になっていてもう一つ面白く思ったのが、舞台を真横から見ることができたこと。今回やや右端寄りの席だったのですが、例えば役者さんが前に一列に並ぶと、円形だと当然役者さんも半円を描くような感じで並ぶわけです。そうすると、端の方にいる、つまりあまり目立つ役ではない人が
(やっぱり主要登場人物は中央に立つ場合が多い)自分の席の方を向いてくれる状態になります。そのすこし後ろには、真横を向いた状態の(つまり中央に立っていて、客席正面を向いた)役者さんがみえ、更に奥は背中を向けた役者さんがいる…という感じになります。
 普通の、長方形の舞台が奥にある劇場だと、端の席は単に舞台が見えにくいだけなのですが、舞台が円形の専用劇場では、今までと違った視点から見ることが出来て興味深かったです。

 「そういえばキャッツを見るのって何回目になるんだっけ?」と指折り数えてみたところ、8回目だということが判明。…チケット代1回1万円として、8万円。ついでに交通費を考えると…考えるのを止めました。あはははは…。

 そんなわけで8回目になる「キャッツ」ですが、出演者を見ると馴染みのない名前がほとんどでした。マンカストラップ役の人以外は初見(多分)。前回見かけたときはちょっと台詞がぎこちなかったのですが、今回は貫禄が付いていい感じでした。あとはミストフェリーズが踊りがうまかった!友人が購入したパンフレットを見せて貰ったところ、クラシックバレエ出身らしい。納得。…でもミストフェリーズは「小柄」っていう設定なのに、何だかでかかった。女性と踊るとき、今まで見たミストフェリーズは相手を持ち上げるのに一杯一杯だったのに、今回はひょいひょい持ち上げていた。それも上手く見えた要因なのかも知れません。
 ちょっと残念だったのは、ラム・タム・タガーの声に色気が無かったことですか。この役に関しては、やりすぎなくらいやってくれた方が面白くて好きです。あ、でもアンコールの演出が初めて見るもの(バイバイをするのに、手を振らず尻尾を振る)だったのはちょっと嬉しかったです。

 次はジェリクルギャラリーで見てみたいなあ…どんな感じで見えるのか気になります。

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 04年7月  「42nd Street」

 この「42nd Street」、数日前に名古屋でも公演を行っていて「チケット取りたいなー、でもお金ないー」と思って見そびれてしまったんですが、東京在住の友人徳さんの「チケットあるよ〜」というお言葉に、ついふらふらと出かけてみました。チケット代より交通費の方が高いじゃないかという突っ込みがありそうですが、元々徳さんと遊ぼうという話がでていたので「渡りに船」というものです。ええ、決して観劇ツアー(だけが)目的ではないですとも!

 えー、舞台を見始めて最初の感想は「外人は脚が長い」でした。即物的ですみません。
 いくら日本人のプロポーションが最近は改善された!といっても、オーディションを勝ち上がってくる外国人ダンサーの脚の長さには敵わなかったです。タップダンスメインなので、やっぱり脚の長さは重要だしー。タップメインのミュージカルでは劇団四季の「クレイジー・フォー・ユー」を見たことがありますが、プロポーションの違いは如何ともしがたい…。
 さてそのタップダンス、50人近くの大人数が一斉に踊るのは大迫力でした。緞帳が上がり始めると同時に、その下の隙間から見える沢山の脚がぴたりと揃ってステップを踏む様は、演出が狙いすぎといえば狙いすぎだけど、やはり壮観。軽やかに早いステップを踏んでいるけれど、簡単そうに踊っているけれど、相当難しいんだろうなあ。
 ところでフィギュアスケートのアイスダンスでもちょっとこのタップダンスに似た雰囲気のステップを踏む選手がいます。足下が大げさに素早く動いていて、「課題の音楽
(ワルツとかポルカとか、ステップの課題が決まっている)からは、少し外れている」と評されていたのを思い出しました。足下の動きはタップダンス独特のものがあるみたいです。

 「42nd Street」はいわゆるアメリカドリームな話で、オーディションを受けそびれたダンサー志願の女の子が、舞台主役の代役となることでスターになっていくのを舞台裏から見ていく、というものでした。1928年に書かれた小説がもとになっていて、そのせいかやや古典的な話でもあります。今回の公演はリバイバルなので多少演出が変わっているそうですが、やっぱり根本的には古典的なサクセスストーリーでした。
 古典的展開といえば、プロデューサーと主人公のペギー・ソーヤーが唐突に恋に落ちるのもお約束というか。
プロデューサーをたらし込まないと成功できないぞ!というのを隠すために(露骨だから)無理矢理恋に落としたような唐突な展開でした。演技練習でキスをしただけでいい年した大人が恋に落ちるなと言いたいです、はい。最初から最後まで、一生懸命ペギーにちょっかいを出していたビリーとは何事もなく終わってるのに…。
 最後もちょっと不可解でした。舞台の成功で一躍スターに成り上がったペギー。著名人によるパーティーではなくて仲間とのささやかな打ち上げに出席することを決め、プロデューサーにも「出席してくれたら嬉しい」と言って去って行くペギー。それに対してプロデューサーが「42nd Street」を一人で歌い上げて、幕。パンフレットには「ペギーを追って歩き出す」とあるけれど、そうは見えない終わり方でした。「ならず者とえりーとが出会う街、42丁目」という歌詞を考えると、プロデューサーは著名人によるパーティーに行っちゃったんじゃないかと、私は思うんですが。
 逆に古典的でよかったのは、20年代の雰囲気の衣装の数々。無駄にゴージャスな感じが新鮮でした。普段着、劇中劇、移動用…と、一体一人当たり何着の着替えがあるんだろう?と思うほど沢山の衣装が登場するし。余談ですが、「この大量の衣装や舞台装置って、やっぱりアメリカで作って持ってきてるのか?」と思っていたら、購入したパンフレットの最終の方のページにミュージカル・絵画・機材の輸送をおこなう会社の広告ページが載っていました。需要あるところに供給あり。
 
 ところでこのミュージカルのロンドン公演の時、オーディションで主役を獲得したのはあのキャサリン・ゼタ・ジョーンズ
(当時無名)だったそうです。しかもまるでこのストーリーのように、当初は主役の代役の代役だったらしい。
 1920年代に作られたアメリカンドリームが、今でも実際に起こりうる、というのがブロードウェイミュージカルのすごさなんだなあ、と思います。この公演にでていた人も将来スターになる人がいるといいなあ。

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 04年6月  「サウンド・オブ・ミュージック」ウィーンオペレッタ劇場

 サウンドオブミュージックは、実話をもとに舞台化されたもので、20年ほど前に映画化されてます。うろ覚えですが、昔深夜放送で見たことがあるような気が。修道女志願のマリアが、妻を亡くした海軍大佐のフォン・トラップ大佐とその7人の子供の家庭教師として招かれ、子供達と仲良くなり、最後は大佐と結婚して、ドイツに併合されたオーストリアから脱出する…というのがかなり大まかな話の流れです。

 「そうだ、京都へ行こう!」と言いたくなる「My Favorite Things」や、「Sound of Music」、カフェオレのCMで使われている「もうすぐ17才」(♪You are sixteen going on seventeen / Baby, it's time to think)、有名な「ドレミの歌」、「エーデルワイス」など、どこかで聞いたことのある歌が盛りだくさんで、「おお、この歌はこのミュージカルの曲だったのか!」と改めて気付きました。

 さて、私が昔見た映画は全てが英語で(アメリカの映画だから)、当然歌も英語でしたが、今回の舞台はウィーンオペレッタ劇場なので、台詞はドイツ語、歌は英語。もともとはオーストリアの話だからドイツ語で不思議はないはずだけれど、やっぱり微妙な違和感が。
 それはさておき、天真爛漫なマリアは見ていて微笑ましかったです。「人を呼ぶときは笛!」というトラップ大佐に「人間は犬じゃないんだから」と反発しつつ、大佐を呼ぶときの合図が判らないからと自分も笛を使ったり、家庭に明るさと音楽を取り戻したことに対してお礼を言われた後にやたら飛び跳ねて退出する様とか。その跳び跳ねかたがまるでミッキーマウスのようだった…。
 微笑ましいと言えば7人の子役がこれまた可愛い!特に一番末っ子のグレーテルがとても可愛かったです。マリアと子供達の歌が終わると長いこと客席に向かってお辞儀をしているのですが、多分「マリアが頭を上げたらそれに合わせて頭を上げる」という指示があったんだと思います。グレーテルはお辞儀をしながらずぅーっと顔を隣のマリアの方に向けていて、まだかまだかという感じでマリアを見てました。それを分かってか、マリアは妙に長いことお辞儀をしたままだし。会場からも笑いが。カーテンコールでは主演のマリアと同じくらい7人の子供達に大きな拍手が起きていました。えー、一応準主役(?)のトラップ大佐には普通の量の拍手だったような…。
 最後にトラップファミリー合唱団として舞台で歌を歌うときには、劇中劇のような演出が楽しかったです。私達観客を音楽祭の観客に見立て、客席の一角にはドイツ軍将校が着席しつつ進む劇。また、一家がアルプスを越えてスイスに亡命する過程は、舞台と客席の間の通路を通ったりして、見ていてなかなか楽しかったです。舞台装置がちょっと粗末かもしれないけれど(特にコンクールの舞台上。ただ旗が掲げてあるだけ)、その分演出でカバーしようとしているなぁと思いました
(カバーし切れていたかどうかはさておき)

 聞き覚えのある歌を沢山聴いて、今度は映画の方も見返してみたくなりました。名作といわれている作品は時間が経っても良いものなんだなあと改めて思いました。

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 04年4月  「屋根の上のヴァイオリン弾き」東宝

 このミュージカルを良く知らない人がきっと勘違いしていたであろうこと。それは主人公がヴァイオリン弾きではないこと。
 最初に屋根の上でヴァイオリンを弾く人が現れて、それに対して地面で独白をする人が登場。延々と独白が続くので、「脇役なのに濃いキャラクターだなあ」と思ってましたが、彼が主役のテヴィエでした。 私はてっきりヴァイオリン弾きが主役で、地面で独白を始めた人は単なる導入役かと思いましたよ。
 さて、この「屋根の上のヴァイオリン弾き」というのは、オープニングでテヴィエが語ったところによると「不安定な場所でもバランスを保ち、楽しげに振る舞ってみせるユダヤ人」を意味しているとのこと。でもストーリー全体としてはユダヤ人の明るい部分は確かにあったけれど、迫害のシーンが多いし、最後はハッピーエンドじゃないし
(必ずしもアンハッピーエンドとも言えないけれど)、ちょっと見ていて気分が重くなってしまった。特に後半、重すぎ。歌がほとんど無くて、ひたすら台詞(しかも重い)で進んでいくのを見ているのは歌って踊ってが好きな私には正直辛かった…。
 全体としては重い雰囲気でしたが、所々はいる市村正親のボケ
(可愛い)と夏木マリのドスの利いた声(格好いい)は楽しかったです。パーチックという人に「ピーチクさん」と言ってるし。駄洒落かよ!
 それから長女の婚約が決まったときの酒場でのお祝いの踊りが!自分のイメージしているコサックダンスよりずっと格好いい踊りが見ることができてかなり満足でした。ロシア人の踊り方とユダヤ人の踊り方
(盆踊りに手を叩く動作をプラスしたような素朴な感じ)の違いが見ていて楽しかったです。
 ところでこんな舞台を見ているにもかかわらず、一緒にいたのがフィギュアスケート友のリリコ(仮名)だったせいなのか、話題がついフィギュアスケートに走っておりました。いわく「あのロシア人の衣装は以前○○選手がロシア民謡の曲で滑っていたときの衣装に似ている」とか「メロディーに聞き覚えがあるけれど、きっとイスラエルの選手が使ったユダヤ民謡メドレーの曲に似ているからだ!」などなど。
 全体には重くて歌が少なかったのが不満ですが、部分部分では楽しめることができる作品でした。

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 04年1月  「ライオンキング」劇団四季

 実は3年前に東京でライオンキングを見たことがあります。その時はミュージカルを見るのが2回目で(ちなみに初めて見たのは「キャッツ」)、当時は「面白くない」と思ったのをはっきりと覚えています。
 そんなわけで地元名古屋でのロングランに対して「えー、1年以上もずっとライオンキングやるの?」とか不満たらたらだったわけですが、友人リリコ
(仮名)はもちろん一度は見たいと言うし(彼女はライオンキング未見)、何人かの友人も「見に行ったけどすごく良かったよー」というので、過去の感想はさておきチケットを半年前に取りました。しかも席が取りやすいように平日公演で(休暇を取得)。…見る気無いとかいいつつも相当やる気じゃないか!と友人から突っ込まれましたが、せっかく見る以上は良い席で見たいしー?(言い訳言い訳)
 で、率直に感想を申し上げますと。

 すんげえ面白かった。

 あれー
 いや、良い意味で予想を裏切られて嬉しいんですが、3年前は何故そんなに面白くないと思ったのかが我ながら不思議です。
 その理由を考えてみたのですが、まず席位置の違いが大きかったかも。3年前は東京の劇場の2階席の最前列(ただし端っこ)、という席だったのですが、今回は早々のチケット取りの成果で前から4列目中央寄りという好ポジション。役者さんの表情が大げさで面白いのがよく分かったし、イボイノシシの眼球がちゃんと動いていてラブリー。衣装の凝りっぷりなんかもよく分かりました。前回の2階席からではそんな細かいところもちろん見えません。そして出演者一同が通路を通って舞台に上がっていくオープニングが、1階席は本当に間近で見れてイイ!2階席では、後半のオープニングで鳥の模型を飛ばす役者さんが近くにいて面白かったけれど、やはり人数もゴージャス感もオープニングの方が圧倒しています。
 次に、ミュージカルを見るのが「キャッツ」に続いてまだ2回目だったということ。「キャッツ」は振付が派手
(「踊ってます!」という感じがする)だけど、ライオンキングはそれに比べると小さな振付が多いので、当時はそれを「踊っている」と認識できなかったんじゃないかと。さすが初心者。例えば草役の人が登場するとき、もちろん踊っているんですが、当時はただ歩いているように見てたという…(舞台が遠かったから余計そう見えたのかも。東京劇場は名古屋劇場に比べて随分広かった)

 衣装の斬新は公開当時から話題になっているライオンキングですが、私にとっては2回目の観劇なので、違和感や驚きはほとんどなかったです。初めて見たときはは父王ムファサ(子煩悩で格好いい!)ライオン頭を前触れもなく外して地面に置いたり、全身緑色にペイントされた草役の人が蠢いているのにびっくりしたものですが。
 ただし、雌ライオンが悲しみを表現するのに
ライオンの頭の目から白い紙テープがひょろーっと飛ぶのだけは、何と言ったらよいのか…(笑)。会場も、悲しい場面なのに笑いをこらえる人やら失笑する人やら大変でした。そして主人公シンバとナラの再開のシーンでは、愛し合っているのを表現するのに宙づりの白タイツのバレエダンサーが踊っているのもものすごくシュール…。
 それから地方公演で話題になっているのは、ミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァの方言。そりゃあ宮地由起夫
(ご当地アナウンサー)ばりの素晴らしい名古屋弁でしたとも。見に行く前は「語尾に『みゃー』とか『ぎゃあ』とか付ける程度だろうなあ」と思っていたのですが、本当に良く研究されてました。地元民でもあんな完璧なコテコテ名古屋弁喋れません。個人的にツボだったのが「友達」のことを「連れ」と言っていたことかなあ。東京公演では標準語で話しているので、こういう地方ならではの楽しみは嬉しいです。

 最後に補足として、公演終了後、次は12月に見に行くことに決定したことを書き添えておきます。

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