インタビュー、コメント

インタビューや大会でのコメントなど。
英語が苦手のくせに、あえて和訳してみました。
和訳というか意訳。というか既に別物かも。

 インタビュー、コメント一覧
05/06シーズンインタビュー
05.01 Isabelle Delobel インタビュー
04/05グランプリシリーズ
04.03 04年世界選手権
Official Siteより their everyday's life
04.02 04年ヨーロッパ選手権
03/04グランプリシリーズ
03.01 03年ヨーロッパ選手権
Official Siteより Their history
02.05 Delobel and Schoenfelder Return to France
02.03 02年世界選手権

 05/06シーズンインタビュー

(Absolute Skatingより) 

イザベル&オリビエにとって、いわゆる「ホームゲーム」であるリヨンで開催されるヨーロッパ選手権までほぼ1週間となった。アブソリュート・スケーティングはパリで開催されたグランプリシリーズの大会後に彼らにインタビューする事が出来た。4度フランス国内チャンピオンになった彼らが今期のこと、ホームタウンで滑るプレッシャーについて語った。

−−今期のフリーダンスのアイデアはどうやって考え出しましたか?

イザベル:オリンピックがイタリアで開催されるので、何かイタリア的要素を含んだものにしたいと思いました。それから、何か独創的な物を作りたいとも思いました。ミュリエル(コーチ)はすでにベニスのカーニバルというコンセプトを持っていたので、そのコンセプトからプログラムを作り出しました。

−−彼女の提案は、すぐに気に入りましたか?

オリビエ:はい、とても感動しました。私たちは沢山のアイデアを持っていました。さらに沢山のアイデアを出して振り付けを改良しました。しかし音楽の中に含まれる台詞を変えるというアイデアについてはまだ確信が持てませんでした。台詞を入れることを心配する人もいましたが、結局台詞を入れることで特別なプログラムになりました。

−−スケートアメリカでは英語、TEB(グランプリシリーズのフランス大会)ではフランス語でしたね。英語だとアクセントが少し気になってしまったので、フランス語の方がしっくりと音楽に馴染んでいて良かったと思います。イタリアではイタリア語にすると聞いたのですが、どうですか?

イザベル:はい、イタリア語版にするなら、パスカル(※カメレンゴ。イタリア人)に喋ってくれるように、また再びダンスを見てくれるように頼むと思います。

−−オリジナルダンスに関しては、典型的なボールルーム・ダンスとは少し違う物にしたいとか。どうしてですか?

イザベル:ラテン音楽を使うことに決めたときに、ありがちなボールルーム・ダンスにはしたくないと思いました。パスカルが振り付けをして、ラテンのダンサーで、この分野に非常に詳しいアンドレ・カボットが音楽を選ぶのを手伝ってくれました。彼は昨年のチャールストンの選曲も手伝ってくれた人で、チャチャ、チャールストン、サンバの曲を非常に沢山知っています。原曲のままではなく、CDから編曲しないといけないから、自分たちが気に入る曲を見つけるのは難しいのです。

−−パスカルは、現在アメリカにいますね。

イザベル:はい。スケートアメリカの後、私たちは彼の元に一週間とどまってプログラムを少し手直しして、とても良くなりました。夏の間、アメリカで彼と一緒にプログラムを作ったのです。この先、彼は時々リヨンに来てくれる予定です。どうやって時間をやりくりするかはまだ分かりませんが、私たちは彼と一緒にプログラムを作りたいと思っているから、いずれ方法は見つけられるでしょう(笑い)

−−シーズン前半はどうでしたか?それからこの後のグランプリシリーズの展望は?

オリビエ:リフトで2つの減点を受けてしまったので、パリでは満足な結果ではありませんでした。スケートアメリカよりは良く滑れましたよ、たとえコンパルソリー・ダンスの得点がいささか低すぎたとしてもね(笑い)。フリーダンスでベストの出来では無かったことに関して失望はしていません。ただ、コンパルソリー・ダンスは本当に良く滑れました。

イザベル:グランプリ大会を優先したリヨンでの練習はうまくいきました。プログラムも良かったし、すべてが完全で、流れも良かった。大会では100%の力を発揮できなかったけれど、それはその都度プログラムに変更を加えたからです。

−−次回に向けての計画は?

オリビエ:減点を受けたリフトの変更をすること(笑い)、それから多分ステップ…サーペンタインとサーキュラーステップを変えます、とても難しい物に挑戦することになるでしょう。

イザベル:サーペンタインステップがたったのレベル3の評価しか受けられませんでした。多くのリスクを含んでいるのに、その見返りが少ないのです。難易度の高いステップの速度を少し落としても、恐らく同じレベル評価を受けられるでしょう。流れやスピードをもっと増すと同時に、スピードを遅くするほど技術的に難しいことをしないといけないのです。

−−ヨーロッパ選手権はリヨンで開催されますね。楽しみですか?それともプレッシャーを感じる?

イザベル:プレッシャーは全く感じません。自分たちのホームタウンでヨーロッパ選手権を行うというのは素晴らしいことです。昨年のトリノでのヨーロッパ選手権同様、多くの応援が得られるからです。私たちの目標はもちろんメダルを取ることですし、昨シーズンのイタリアで開催されたヨーロッパ選手権よりもよい成績を目指します。実現可能だと思います。

オリビエ:その通り、目標は表彰台だとはっきりしています。どの色になるかはまだ分かりませんけれど…(笑み)

−−フリーダンスのそのほかの点についてはどうですか?オリンピックシーズンのプログラムとして充分な物かとか、そのほかに気になるところなどは?

オリビエ:一般的な水準には達していますが、残念ながらそれほど独創的ではないと思います。

−−ありがとうございました。次の競技会も頑張ってください。

 05年世界選手権 コメント

(Golden Skateより)

Original Dance

 オリジナルダンスで、デロベル&ショーンフェルダーは質の良いレベル2のダイアゴナル・ステップシークエンスと、同じく質の良いレベル4のリフトを披露した。しかし最後のミッドライン・ステップ・シークエンスの最後のツイズルの部分で、デロベルが少しバランスを崩した。フランスカップルはオリジナルダンスでは6位(60.25)、総合では5位(100.46)となった。

 「要素点の評価にがっかりしています」とショーンフェルダーは言った。「レベル3の評価を得るために、私たちはシーズン序盤にダイアゴナル・ステップ・シークエンスを変更しました。しかしまたレベル2の評価しか得ることが出来ませんでした。これが公正な評価かどうか分かりません。風変わりなダイアゴナルステップだと思います、自分で滑るとそう思います」27歳のショーンフェルダーは続けた「私たちの演技は大体良い出来ですが、ときどきそれよりもっと良く滑ることが出来ます。今回は少しミスをしてしまいましたが」


Free Dance

 デロベル&ショーンフェルダーは技術的に難しい演技を披露した。音楽は「フリーダ」のサウンドトラックで、6つのレベル4のリフト、2つのレベル4のツイズル・シークエンス、レベル3のミッドラインとサーキュラーステップ・シークエンスで構成されている。ヨーロッパ選手権で銅メダルを獲得した彼らは、110.39の評価を獲得し(自己最高点)、フリーダンスでは3位、総合でも211.15点を獲得し4位と順位を上げた。

「大変なプログラムでした」とデロベルは言う。「自分たちに出来る全てのことをしました。気を楽にして滑り、シーズンの終わりとしてはとても良かったです。私たちは最終滑走だったし、前に滑った選手は皆順調に滑り終えていたので、非常に大きなプレッシャーがありました」

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 Isabelle Delobel インタビュー

(Absolute Skatingより)

 トリノで開催されたヨーロッパ選手権で、第3位という素晴らしい成績を上げた後、イザベル・デロベルはアブソリュート・スケーティングのためにインタビューの時間を割いてくれ、トリノで経験したこと、彼らのこれまでの活動について語ってくれた。

――トリノでの演技の出来映えはどうでしたか?満足していますか?

 そうですね、私たちがここに来たときメダルを取れたらいいなと思っていましたが、もちろん実際どうなるかは分かりませんでした。けれど練習はいつも上手くいっていました。コンパルソリーは良いできだったし、オリジナルダンスは今までの中で一番良い出来だったと思います。

――けれど、特にオリジナルダンスでは相応しい点数を出してもらえませんでしたね。多くのオブザーバー(?)がこの点で意見が一致しています。

 オリジナルダンスの後、フランスのメディアに「どうしてこの得点をもっと不満に思わないのか?」と訊かれました。ですが、私たちは自分のすべきことをしたし、残念がることは出来ません。だって、とても良く滑ることが出来たのですから。もちろんもっと高い点数を得ることが出来たらもっと嬉しかったと思いますが、高得点が得られなかった理由を自分たちの演技のせいにすることはできません。だから今も満足しています。

――オリジナルダンスが終わった後、まだメダルを獲得できると思っていましたか?

 はい、だからフリーダンスは良い演技をしなくてはいけないと分かっていたし、自分たちにはそれができると思っていました。金曜日に私はとても興奮していたし、「多分今夜メダルを獲得することが出来る、多分私は泣いてしまう…」と心の中で思い描いていました!フリーダンスが始まったときは「さあ、メダルのことは今は考えてはいけない、ただフリーダの事を、彼女がどう考えていたかだけ考えなさい…」ということだけ思い描いていました。

――銅メダルを獲得したのが分かった時、あなたが泣いていて、キス&クライの後ろに隠れたのをみましたよ。

そうです…(笑い)。とても嬉しかったんです。私たちはフリーダンスでグルシナ&ゴンチャロフに勝ちました。沢山の人たちが表彰式の後お祝いに来てくれて「素晴らしい演技だった」と言ってくれました。

――さて、このメダルはあなたにとってどんな意味がありますか?

来年のオリンピックを前にして、私たちがメダルを取ったということです。今年取らなければいけなかったんです、分かりますよね?(微笑む)まだメダルを取ったということに気付かなかったんです。
家にいた父が電話で「始めのチャンネルでも、次のチャンネルでも、どこの番組にもお前が映っているよ」と言っていました。今、人々は私たちのことを知っていて、以前のヨーロッパ選手権では5位か6位だったのが、今回は銅メダルを取ったことを知っています。

――リンクや観客はどうでしたか?

 最初にここで練習したとき、すぐにリンクを好きになりました。清々しくて、圧迫感をを和らげてくれて、ソルトレークシティのような圧迫感はありませんでした。

――ですが、フランス選手がリンクに上がったとき、観客はブーイングをしていましたよね。

 ええ、でもそれはサッカーの試合でフランスとイタリアのファンがが争っていたせいだと思っています…それにフリーダンスではとてもいい反応をしてくれたし。スピンとリフトで演技を始めて、リンクを横切ったとき、観客はもう拍手をしていたのが聞こえました。オリビエと私にとって、ダンスは4分ではないのです。始まって、突然終わっている――時があっという間に過ぎているのです。

――今までの演技の中で最高の出来でしたか?

 はい、そう思います。カップ・オブ・チャイナでとても良い出来で滑ることが出来ていたので、トランジション(繋ぎの部分)を少し変更しました。それ以降のフリーダンスはさらに流れが良くなりました。

――今年はあなた達にとって大躍進の年でした。突然全てが上手くいった。あなた達は毎年良い出来だったのに、今年になってとても多くの人が「彼らは素晴らしい!」と言っていました。何が起きたんでしょう、今までの演技と今年の演技は何が違うのでしょうか?

 実際、それほど多くの違いはありません。オフ・アイスの練習にパーソナル・トレーナーを起用したことでより集中できて、もっと厳しい練習を擂る必要があることに気付きました。ともかく、今年は競技に対する姿勢が違っていました。

――昨年、あなたとオリビエは、二人ともサイドバイサイドのステップシークエンスで転倒が多かったですね。なのに今年は転倒がない。どうしてでしょう?

 分かりません。以前はとても神経質になっていました。ですが、夏以降こう考えるようになったと思います――人生には、ただスケートを滑る以上のことがある、と。たぶんそんな理由で、以前より失敗に対する緊張を減らした、リラックスした態度で臨めるようになりました。私にとって、スケートは全てです。けれど、私の選手生活が終わった後も、人生を続けていかなければいけないことも知っています。だから、自分に対してこれ以上のプレッシャーをかける必要がないということは、多分助けになります。昨年、練習はいつでも上手くいっているわけではありませんでしたが、今年突然とても良い調子に感じ、全ての練習が上手くいきました。一層の自信を持って演技できていると感じています。

――モスクワでの世界選手権をどう予想していますか?

 沢山練習をして、もっと努力する必要があると思っています。なぜならみんなが私たちを待っているから!(笑い)それから、2月にはベルリンに行って、アンジェリカ・クリロワとパスカル・カメレンゴと一緒にプログラムの仕上げをします。
ベルビン&アゴストを加えた選手達の間で、メダル争いがあると思います。

――新採点システムについてはどう考えていますか?

 2位から1位に上がるのが以前より容易になったので、良くなったと思います。以前はコンパルソリーダンスやオリジナルダンスで一位を取ると、よほど大きな失敗でもしない限り最終結果でもその順位を維持していました。今は、全ての要素をそれぞれ採点しているので、フリーダンスで良い演技をすれば差を付けることが出来るし、(CD,ODで)一位だったカップルを抜くことも可能です。

――しかし新採点は制限がありすぎるせいで、フリーダンスが似たような内容になっているという批判があります。

 その通りです。しかしこの採点方法が導入されたのはつい最近だし、より良い方法に調節することが可能です。もっとも個性があって、技術と個性を組み合わせた組が勝つと思います。

――次のヨーロッパ選手権はホームであるリヨンで開催されますね。何を期待していますか?

 最高!(微笑む)メダル、もしかしたら金メダルを巡って、激しい戦いになるでしょう。自分たちより上位にいる組とでも戦えるような気がします。心配はしていません。

――さて、みんな興味があると思うので、あなたの経歴について少し話てください。オリビエとはいつ、どのようにしてカップルを組んだのですか?

 私はクレルモン・フェラン出身で、オリビエはベルフォート出身です。私がスケートを始めたのが6歳、オリビエが8歳です。兄と一緒にスケートを始めて、兄は別のパートナーと組んでいました。1990年にリヨンでスケートのコースを取って、その時オリビエもいました。ロシアのオリンピック・チャンピオンのモイセノーワ&ミネンコフもそこのチームにいて、こう言ったんです「ああ、この金髪の男の子と黒髪の女の子…一緒にやったらとても良いね!」それから母が「リヨンでスケートをしたい?」と私に訊いたので、わたしは「はい!」って答えました。オリビエも同じで、そんな風にして私たちはカップルを組んだのです。リヨンは以前から指導者で有名な場所だったから、私はものすごく行きたかったんです!最初の一ヶ月は別のコーチでしたが、それ以降はミュリエルがコーチになりました。
 リヨンに着いたとき私は12歳で、すでに一人で生活していました。私たちは自分の部屋を持っていたけれど、キッチンは他の生徒と共有でした。料理も自分で作らないといけませんでした(笑い)。

――淋しいと思ったり、両親が恋しくなりませんでしたか?まだ小さかったのに!

 もちろん淋しかったけれど、でもそれほどではありませんでした。私はスケートがしたかったし、それが私の人生でした。そして、全てがそこから始まったのです。私たちは1995年のジュニアオリンピックで優勝したから、マルセイエーズ(フランス国歌)を聴きました!それから1996年ブリスベンで開催されたジュニア世界選手権では銀メダルを獲得しました。コンパルソリー・ダンスとオリジナル・ダンスまでは一位でしたが、フランスのジュニアでは初めてのことだったんですよ!けれどフリーでは2位に終わってしまいました。ロマン・コストマロフがカテリナ・ダビドワと組んでいて、優勝しました。今も同じですね(笑い)

――オリビエと一緒に出場した最初の競技会を覚えていますか?

 はい、ペアを結成して1ヶ月後でした。ベルフォードで開催された大会です。とても上手くいって、2位でした。プログラムをまだおぼえているし、「オーケー、これがオリビエと組んだ最初の大会ね」と思ったのを覚えています。それからまだ一緒に滑っています、15年間も!

――その間沢山のプログラムをオリビエと滑りましたね。どれが一番気に入っていますか?

 Johnny Hallydayの「Vivre pour le meilleur」です。2000/2001シーズンのものです。音楽が好きだし、滑っているときはいつも楽しかった。練習中に誰かが曲を流して、ミュリエルは私たちのために偶然あの曲をかけたのです。「これは私たちのためだ!私たちの曲だ!」ってすぐに分かりました(微笑む)。

――普段はどのようにして音楽を選択しているのですか?あなたとオリビエとミュリエルが一緒に選ぶのですか?

 いいえ。だれでも好きな曲を他の人のために選んで、それから決めます。音楽に関してはいつも合意することが出来ます。

――1年間タチアナ・タラソワと一緒に練習をしましたが、ミュリエルの元に戻りましたが、そのことについて教えてもらえますか?

 ええ。彼女が私たちのコーチになれるか尋ねてきました。彼女は伝説的な人です、だからもちろん光栄に思いました。私たちはすでにアメリカで練習の一部を行っていました。なぜならミュリエルがオリンピックに向けてアニシナ&ペイゼラのためにより多くの時間を割くようになっていたからです。だから私たちは移籍することを決めました。
アメリカでの生活はあまり良くありませんでした、お金もなかったし、シンスバリーではやることが本当になかった。ただスケートをして眠り、食べ、そしてまたスケート…(笑い)。それから妹が恋しくなりました。それが12歳の時家を去ったときとの大きな違いでした。私と家族の間には大西洋があったんです!
 それから、幸せじゃないときはいい物を作り出すことはできません。スケートは心と一緒に滑るものだから。たとえ私がタチアナとスケートを愛していても、何かが淋しかった。
 とにかく、フリーダンスのあとタチアナが来て、こう言いました「あなたがもっと上手に滑れたことを私は知っていた。今やみんなが知っている!」(微笑む)

――そしてあなたはフランスへ戻った。ミュリエルの反応はどうでしたか?

 良かったです!彼女は私たちが精神的に良くない状態にあるのを理解して、私たちを助けたいと思ったのです。私たちはお互いに非常に好意をもっています。けれど1年目には、まだ少し難しいこともありました。お互いにもう一度信頼することを学ばなければいけませんでした。

――「フリーダ」の音楽を決めたのはどうやって?

 「この映画を見て!」とミュリエルが提案して、私が音楽を聴いて「私たちのための音楽だわ!」と言いました。この女性にとても感銘を受けたのです―全ての悲劇が彼女の身の上に起きたにも関わらず、人生の良さを理解し、人生を続け、人生を信頼する彼女に。
 音楽を選んで、モザイクのように音楽を配置していきました。フリーダンスの最後はスローパートで終わることに決めました。これは観客やジャッジには馴染みのない形式だったけれど、何か異なった、より情感のあることをしたかったのです。
 この音楽はとても内面的な音楽で、深いところから来ています。多分来年は全く違う音楽を選びます。

――今までで一番好きなプログラムは何ですか?スケーターとして尊敬する人は?

 グリシュク&プラトフ。彼らの1997年の「The Passion of Christ」が一番好きです。私にとって、このプログラムは「ボレロ」のような見本のプログラムです。何度も見返しました。もしいくつかの点で彼らのようになることが出来たら、私にとって最高の瞬間になるでしょう。将来、彼らのように思い起こされるようなスケーターになりたいです。「デロベル&ショーンフェルダー」について人々は語らなくても、「あの、彼ら」と語られるような(笑い)。人々の記憶に残ることは、私にとって金メダルを取ることよりも価値があるんです。

――オリビエと一緒に滑って15年になります。その間に、別々に滑ったり、パートナーを変えようと考えたことはありますか?それともお互いが一緒にリンク上にいる方がいいといつも思っていましたか?

 パートナーを解消しようと思ったことは一度もありません。

――お互いの関係はどのようなものですか?文句を言うことはありますか?大体は上手くいってますか?二人はとても異なった個性の持ち主ですよね?(マリーナとグウェンダルのように)

 そうね、オリビエはとてもストイックで、簡単にはショックをうけません。反対に私は外向的で興奮しやすいです。だから私たちは二人で満たされているのだと思います。お互いに信頼しあっているし、尊敬と信用があります。私たちは友達ですが、一緒に映画を見に行ったりとか、そういったことはしません。

――将来の計画は?スケートを続けるのはどのくらいでしょう?

 2006年のトリノオリンピックの後も間違いなく競技を続けるし、その後も怪我がなければ多分2010年のオリンピックまで続けると思います。

――ありがとうございました。世界選手権も頑張って下さい。


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 04/05グランプリシリーズ コメント

エリック・ボンパー杯コメント(ISUサイトより)
Free Dance

 デロベル&ショーンフェルダーは、映画「フリーダ」のサウンドトラックの音楽にを使い、完成された人目を引くリフトと、レベル3のサーキュラーステップ・シークエンスを含む複雑なフットワーク滑らかで流れるようなダンスを披露した。彼らはこの大会中で最高のテクニカルスコア、43.90点を得、フリーダンス全体の得点は104.34となった。彼らの総合得点
(CD,OD,FDの合計)は203.32点で、総合で3位となった。彼らはNHK杯で銅メダルを獲得しており、今季のグランプリ・シリーズでの2つ目のメダルである。
 「今日は本当に素晴らしいパフォーマンスだったと思います」とデロベルはコメントした。「全ての要素を行うことが出来た上に、オリビエはツイズルで余計に1回転回ることまでしたのです。私たちにとって本当に素晴らしい競技会になりました。それから、私たちもアルベナとマキシムと同じように、この大会がグランプリ・シリーズで出場する最後の大会です。来週はドイツのGelsenkircheで開催されるボフロストカップに出場して、そこでまたアルベナとマキシムに会うことになります」

Original Dance

 デロベル&ショーンフェルダーは独特なチャールストンとフォックストロットの演技で観客を楽しませた。素晴らしいフットワークと、回転を伴うストレートラインのリフトではショーンフェルダーは片足で滑った。しかしながら、コンビネーションスピンはやや不安定で、デロベルが足を掴み持ち上げる(ビールマンスピン)ときに問題があった。フランスチャンピオンであるこの組の得点は59.65で、ODを終えての(CDとの)合計得点は98.98。(中略)
 「ホームでの観衆を前に、フランスで滑ることはとても素晴らしいです」とデロベルは説明する。「ファンから沢山のサポートを受けました。演技も、特にチャールストンが素晴らしかったです」

Compulsory Dance

 エリック・ボンパー杯はフランス・パリで開催され、今日(木曜日)コンパルソリーダンスから始まった。
 ボンパー杯は6大会中5つ目の大会で、ISU主催のグランプリ予選の大会のひとつである。

 エリック・ボンパー杯でのコンパルソリーダンスは、ルンバである。(中略)
 フランスのイザベル・デロベル&オリビエ・ショーンフェルダーは3位だった。このフランス国内チャンピオンは力強い滑りで、互いに近い位置でスケートを滑った。得点は39.33(17.44/21.89)だった。「私たちにとっては良い出来でした。もちろん、いつももっと高い得点を狙っています。コンパルソリーは明日の競技のウォーム・アップのようなものです」とショーンフェルダーはコメントした。


NHK杯コメント(ISUサイトより)
Free Dance

 アイスダンスの競技はフリーダンスで締めくくられた。(中略)
 そしてフランスのデロベル/ショーンフェルダーがリンクに登場した。フランス国内チャンピオンのこのカップルは最初のスピンでややよろめいたが、この最初の失敗はこれ以降の演技に影響を与えることはなかった。映画「フリーダ」のサウンドトラックでのダンスは、彼らの難度の高いリフトを強く印象づけるものだったが、フットワークは簡単なものであった。ミッドラインとサーキュラーのステップでは珍しいレベル3の評価を得て、フリーダンスでは100.48の得点を得た。(中略)
「NHK杯でのメダルはこれが初めてです。ここで表彰台に登れることはとても素晴らしいです」とデロベルはコメントした。

Ice Dancing, Original Dance
 この日の競技は、アイスダンスODで始まった。今シーズンのODは「リズム・コンビネーション」で、チャールストンと、スロー・フォックストロット、クイックステップ(一方、または両方)で構成されていて、このうち2つまたは3つを選択することができる。(中略)
 デロベル&ショーンフェルダーは、奇妙なチャールストンとフォックストロットを、入り組んだステップと素早いダンスステップの演技をおこなった。並行してのステップは演技の終盤に組み込まれた。オリジナルダンスの得点は58.55(21.30/37.25)だった。「(先週の)スケートカナダより勢いがありました」とショーンフェルダーはコメントした。「難しいフットワークなどの要素をミスすることがなくて、とてもうれしいです。この結果は自信になるし、素晴らしい進歩だと思います」

Ice Dancing, Compulsory Dance
NHK杯のコンパルソリーダンスの課題はミッドナイト・ブルースだった。
この新しいコンパルソリーダンスは昨シーズン初めて導入されたばかりである。(中略)
フランスのイザベル・デロベルとオリビエ・ショーンフェルダーは3位に終わった。このカップルは滑らかなブルースを披露し、素晴らしい膝の動きをみせた。得点は38.50(16.62/21.88)。「とても上手くいきました。ブルースは私たちが好きなダンスです。私たちは柔らかい動きのダンスが好きだし、リズムが自分たちに合っていると感じます」とショーンフェルダーはコメントした。彼のパートナーも同意して言う「このダンスを練習する時間はあまりありませんでしたし(彼らは先週スケートカナダで競技会に出場している)、こことカナダのリンクの大きさも違っています。けれどそんなことは困りませんでした」



スケートカナダコメント(ISUサイトより)

Original Dance
 この日の競技はアイスダンスのオリジナルダンスで幕を開けた。今年のオリジナルダンスは「リズムコンビネーション」で、2つまたは3つの音楽をスロー・フォックストロット、クイックステップとチャールストン(の一方、または双方)から選択することが出来る。(中略)
 フランスの国内チャンピオンは入り組んだフットワークと力強いリフトをチャールストンとフォックストロットのダンスステップの中で演技した。しかしスピンの最後はぐらついてしまった。(中略)「スピンでは少し失敗してしまいました。けれど最初の競技会にしては良く滑ることが出来たし、だんだん改善されていくと思っています」とデロベルはコメントした。

Compulsory Dance
 ハリファクス(スケートカナダ開催地)でのコンパルソリーダンスはルンバだった。(中略)
 第2位と3位の得点は非常に近接していた。イザベル・デロベル/オリビエ・ショーンフェルダー(フランス)は僅か0.2点差でカナダのマリー・フランス・デュブレイユ/パトリズ・ローゼンに先行した。どちらのペアも強い膝の動きと素早い動きの充実したルンバだった。フランスの得点は39.37、一方のカナダの得点は39.35だった。双方ともフランスのリヨンで共に練習している。「同じレベルの組と一緒に練習できるのは本当にいいことです。競技は競技で、私たちは友人です」とデロベルは言い、デュブレイユも同意する。「お互いに励まし合っています。実力が近いということは、私たちが技術的な指導を必要としているということです。去年のラリック杯のコンパルソリーダンスでは、私たちが0.2点差で(デロベル/ショーンフェルダーの)上位になったから、これは仕返しでしょうね」と彼女は冗談を言った。

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 04年世界選手権 コメント

03.26フリーダンス後コメント

デロベル:最後のリフトの間、オリビエが手を怪我しているため心配でしたが、何とか無事にできました。私達のスピリットを交差させることができたと思います。この世界選手権は素晴らしかったです。なぜなら彼が怪我をしたために、二週間前には出場することができるかどうかも分からなかったのですから。

ショーンフェルダー:私達はとても集中していて、不安はありませんでした。始まりから終わりまであっという間に過ぎ去ってしまい、まるでラッシュのようでした。世界選手権が終わったあとフランスのフィギュアスケートのツアーに出かけ、それからようやく6月に休暇に入ります。けれど私達にとって最高のシーズンだったのでとても嬉しいです。


03.24オリジナルダンス後コメント

デロベル:オリビエが手を怪我(筋肉の切断)のため、彼の手を掴むのが難しいです。今は考慮しなければいけないこと、つまり彼の怪我、演技、ステップなどが沢山あります。普段よりもずっと集中しなければいけません。けれど、私達はスウィングの力強さとテンポが好きなので、それを観客やジャッジに伝えることができると思います。

ショーンフェルダー:良かったとは思いますが、私達の最高の演技ではありませんでした。ツイズルシークエンスの最後に問題がありました。けれど全体的には良いプログラムだったと思います。長いプログラムは、全く異なる競技会のようなものです。オリジナルダンス終了後に自分たちの順位が分かるでしょうし、それからは自分たちのベストを尽くします。

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their everyday's Life

 夏の間のトレーニングは、次シーズンへ向けての重要な準備段階である。二ヶ月間、イザベルとオリビエは新鮮な空気の中でトレーニングを行う。一日のうち4〜6時間を氷上で練習し、1時間はリンク外で筋力トレーニングやストレッチ、さらに1時間をグループでのダンス(ヒップホップからクラシカルダンス、ブギウギなど)の練習をおこなう。そして最後に、一日に1時間プログラムの特別な練習をする。これが一週間のうちの6日おこなわれる。これらのトレーニングを全て行った後には、十分な睡眠時間を取る。

 近いうちに夏期トレーニング生活の間の写真を公表予定です。

 今年の夏期練習の間、オリジナルダンス(ブギウギ、ブルース、それから再度ブギウギ)はパスカル・カメレンゴが振り付けをした。スペシャルアドバイザーとしてAndr CABOTがリンク外で指導を行った。フリーダンスの「マーリン」(最近の映画)ではイザベルが「湖の貴婦人」として描かれていて、マキシム・ロドリゲスによって編曲された。マドリードのオペラ座から来たスパニッシュダンサーのパスカル・ロドリゲスとアントニオ・ナジャロが振り付け師として働いた。このフリープログラムのために、イザベルとオリビエ自身が多くのリフトを新たに考案した。

 イザベルとオリビエがリヨンに住んでいる時の毎日の生活は、Muriel BOUCHERとパスカル・カメレンゴとのトレーニングである。彼らの練習は早朝から始まり、日中は勉強をし、その後またスケートの練習に戻り、それからリンク外での練習をする。
 彼らもまたフランスの協会"R迅es"に再所属している。

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 04年ヨーロッパ選手権 コメント

(QUICK QUOTES より)

2月6日(金曜日) フリーダンス

デロベル:ブダペスト・スポーツアリーナの素晴らしい観客の前で、今日は素晴らしい演技ができました。人々がアイスダンスを好きで、私達を支持してくれているのを感じました。スタートの時からとても調子が良く、どんどん良くなっていきました。次の競技会に向けてもそうです。(フランス人の応援団について)もちろんもう気付いていました、彼らはコンパルソリーダンスの時からこの会場にいて、私達をすごく応援してくれました。(オリジナルダンスの転倒からの巻き返しについて)失敗はしたことは気にしないで、先に進むべきです。

ショーンフェルダー:よい演技ができてこの大会を終えることができて、本当に幸せです。(滑走後に1位の順位点をつけられたことについて)素晴らしいことです。今後は大会全てを通して良い演技をして表彰台に登りたいです。


2月5日(木曜日) オリジナルダンス

デロベル:失敗をしてしまったけれど、ブギウギは好きな曲です。失敗は起きうるもので、それが人生ですが、私達は金メダルを争うことはできませんでした。フリーダンスではもっとよい滑りをします!

ショーンフェルダー:この失敗に失望していますが、スケート自体はとても良く滑っていたと思います。私達は高得点を獲得することができたけれど、この失敗がなければもっと良い点数を得て、表彰台にも手が届いたと思います。私達は難しい振付をおこなうことで多くのリスクを負っています。何が原因かは分かりませんが、時々失敗をしてしまいます。けれど失敗は問題ではないです、私達は次の競技のことを楽しみにしています。


2月3日(火曜日) コンパルソリーダンス

デロベル:良くできたけれど、次の演技(オリジナルダンス)ではもっと上手くできると思います。私はブギウギ(今シーズンのオリジナルダンスのテーマ)が好きなので、とても楽しみです。

ショーンフェルダー:その時は良くできたと感じたけれど、初めに(ダンスの第3ステップ)で少しミスをしました。観客席にフランス人の観客がいるのは素晴らしいことです、気分が良くなります。ここでもっとミスのないよい演技をして、どのような結果がでるのかを見たいと思います。

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 03/04グランプリシリーズ コメント

ラリック杯 コメント(ISU公式サイトより)

○コンパルソリー・ダンス
 ISUによるグランプリシリーズ第4戦目のラリック杯は、今日(木曜日)コンパルソリーダンスで開幕した。ラリック杯で選ばれたコンパルソリーダンスの課題はオーストリアン・ワルツ。これはオーストリアのHandschmann兄弟ペアに1979年に初めて演じられたものである。
(中略)
 フランスカップルはとても正確で優雅なオーストリアン・ワルツを踊り、36.45ポイント(要素点21.60、構成点14.85)の評価を得た。
 「このワルツは私達に向いています」と3週間前のスケートアメリカよりよい演技ができたと感じているデロベルが言った。「スケートアメリカは、リンクが小さめでした。私達のワルツは柔らかで、穏やか、大胆なものだと思います。私達の得点はカナダペア(デュブレイユ&ローゾン)ととても接近しています。」ショーンフェルダーも同様に喜んでいた。「上手くできました。今は素晴らしいオリジナル・ダンスを滑ることを楽しみにしています。そして順位を上げられると思います。よい大会のスタートでした。」

○オリジナル・ダンス
 イザベル・デロベルとオリビエ・ショーンフェルダーは彼らの技術をブギ・ウギとブルースの演技で魅せた。このフランスのチャンピオンは難しいサイドバイサイドのフットワークライン(大部分をワンフットで滑り、2方向のスピンをおこなう)でプログラムを開始した。彼らのダイアゴナルステップは力強かったが、最後の要素の部分(回転を伴うリフト)でショーンフェルダーが突然バランスを失い2人とも転倒した。しかしながら他の要素は素晴らしい出来で、要素点19.12、構成点40.65(総得点59.77)を獲得し、順位を一つ上げ2位になった。「何が起きたのか分かりません」ショーンフェルダーは転倒したことについて言った。「単なるターンができなかったのです。二度とこんなことは起きて欲しくないです。とても残念でした」

○フリー・ダンス
 フランスの観衆は、デロベル&ショーンフェルダーの詩的なプログラム「Merlin」に興奮した。フランスチャンピオンの2人は独特のリフトや2つのダンススピン、力強いフットワークで魅せたが、ショーンフェルダーがツイズルシークエンスで小さなミスをした。得点は104.08で、3位に順位を落とした。「昨日の転倒を除けば、良い大会だったと思います」ショーンフェルダーは言った。「大会ごとに良くなっていると思います」デロベルは、昨日の失敗をすぐに忘れることにしたという。「くよくよ悩んでも仕方ないし、私達は一緒に強くなっていきます。だから良い滑りができたのです」


カップ・オブ・チャイナ コメント(03.11.8 Golden Skateより)

 コンパルソリーダンス終了時点で3位のフランスチャンピオン、イザベル・デロベル&オリビエ・ショーンフェルダーは、 複雑なダイアゴナルステップとサイドバイサイドのフットワークラインを見せ場とするブギ・ウギ(OD)で順位を2位に上げた。「すぐにダンスの中に入り込むことができました。音楽を楽しむことができました」とデロベルは言った。
 現在Muriel Boucher-Zazouiコーチのもとで練習している彼らは、フリーダンスではMerlinと題されている詩的な作品を滑った。複雑なフットワークを見せたものの、動きの変化の途中でほとんど転びそうなほどスリップした。「初めは良かったけれど、その後でバランスを崩してしまいました。オリビエがバランスを崩したように感じたので、私はこう言いました――持ちこたえなさい!」デロベルは言った。ジャッジは彼らに92.81ポイントの得点を与えた。


スケートアメリカ コメント(03.10.28 Golden Skateより)

 オーストリアン・ワルツ(CD)終了時点で3位だったフランスのチャンピオン、イザベル・デロベル&オリビエ・ショーンフェルダーは、難易度の高いステップを多用したブギウギとブルースのODで1位を獲得した。魔法と魔法使いをテーマにした叙情的なプログラム"Merlin"のFDでは、素晴らしいリフトがあったものの、ツイズルでシンクロが崩れた。
 プログラムは良く、流れもあったが、本当の意味での雰囲気、音楽中のリズムや表現の変化は見られなかった。これはセカンドマークに反映されていて、デロベルとショーンフェルダーは結局3位に終わった。「3つの失敗をしてしまい、それが直ちに得点に反映されてしまいました」とショーンフェルダーはコメントした。「それでも良い点数を出してもらえたし、全てを完全にできたときには、私達の点数はもっと良くなると思います」とデロベルは付け加えた。


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03年ヨーロッパ選手権 コメント


コンパルソリーダンス(1月21日)

デロベル:自分たちのベストの演技をすることができて嬉しいです。リンクの状態がとても良かった。コンパルソリーダンスをひとつしか滑らないというのはとても楽です。二つのコンパルソリーがあると、競技会の時間が長くなりすぎます。(今回の課題のタンゴについて)難しいステップとエッジ使いが組み合わさっているタンゴは、表現の可能性の幅を広げてくれるので好きです。


オリジナルダンス(1月23日)

デロベル:ベストを尽くすことができませんでした。私達はもっと上手に滑ることができたはずです。今朝5時に目が覚めたときに、少し疲れを感じました。しかしそれが上手に滑れなかった言い訳にはなりません。私達にとって選択できるリズムの種類が多いのは良いことです、その3つのリズム(ワルツ、ポルカ、マーチ・ギャロップ)があまり好きなものでないとしても。私達は他の種類のダンスの方が好きです。


フリーダンス(1月24日)

デロベル:私達の得点は、イスラエル組(チャイト&サフノフスキー)と接戦で、4人のジャッジが(イスラエル組と比べて)私達を上位に付けました。これは私達の上達を示しています。ワシントンでの世界選手権へ向けていっそう頑張ります。
ショーンフェルダー:私達は、良い演技をするという目標を達成できました。おそらく練習よりも良い滑りができたと思います。最後まで滑りきることができました。フランスのファンの応援も素晴らしかったです。


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 Their history

 イザベルがフィギュアスケートと出会ったのは、彼女の5歳の誕生日、彼女の兄・ローレンが所属しているスケートクラブ(Clermont-Ferrand club)の公式歓迎会だった。
 本当に予想外なことに、イザベルはエキシビションの最後に氷上で叫んだ「オリンピックチャンピオンになりたい」と。イザベルの母は彼女をクラブに登録して、そうしてイザベルは兄と一緒にスケートを始めた。
 一方、オリビエはデュシネー兄弟の演技でアイスダンスに興味を持ち始めていた。

 伝説的なロシア人のアイスダンサー、イリーナ・モイセノーワとアンドレイ・ミネンコフは1990年にリヨンで練習を指導していた。これがイザベルとオリビエが初めて出会ったときである。モイセーワとミネンコフは、リヨンで練習コースを数週間教えることに同意した。このとき、ロシア人ダンサーは、イザベルとオリビエがペアを組むべきだと気付いた。

 モイセノーワとミネンコフが全ての荷物の梱包を完了して故郷に帰る用意ができたとき、彼らはイザベルとオリビエにフィギュアスケートの競技会の世界へ−勝利と敗北の世界へ−参加することを提案した。
 2人は決心するまでにたったの48時間しかなかった。そして「一秒も躊躇しなかった」とイザベルは言う。
 こうして12歳の時に、彼らは生活一変させ、学生寮で「welcome family」として生活することになった。

 愛するものから離れて、彼らは悟った−美しい衣装とオリンピックのメダルの背後にあるものが何であるかを。それは、学校が始まる前の練習のために5時に起床し、自炊、洗濯などの家事全般を自分自身でしなければならない生活だった。
 「日曜の午後にリヨンに帰ったとき、家の中で自分が一人だと分かると、時々泣きそうになった」とイザベルは秘密を打ち明けるように言った。

 バレエと同じように、アイスダンスも自らを輝かせたいと欲する人々を引きつける。しかしアイスダンスが必要とするのは忍耐と持続性である、とイザベルは説明する。デロベル&ショーンフェルダーは その競争の中にいる。
 全力を尽くした結果、彼らは結果を残すことができた−96年ジュニア世界選手権金メダル、フランス国内選手権の2位という結果を。
 このようにして、彼らはミュリエル・コーチの元では、世界チャンピオンのアニシナ&ペーゼラ組に次ぐ2番手のカップルとなった。

 共通の過去を持つにも関わらず、彼らの性格はリンク内でもリンク外でも全く異なっている。
 「オリビエは穏やかな人で、よく考えて話をします。私はもっと感情的です」 イザベルは自分たちについてこのように分析している。また、あるリヨンのジャーナリストは彼らを「炎と氷のようだ」と表現した。これは以前アニシナ&ペーゼラに与えられたニックネームと同じである。この世界チャンピオンと同じニックネームを持つということは、2人の野心と運命の印であるといえるだろう。
 「5歳の時から、目標を変えたことはありません」と イザベルは強く言う。「私はオリンピックチャンピオンになりたい」

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 02.05.19 Delobel and Schoenfelder Return to France

デロベル&ショーンフェルダーがフランスに戻る 2002年5月19日

(Golden Skateより)

 アニシナ&ペーゼラがランキング資格者ではなくなったため、イザベル・デロベル&オリビエ・ショーンフェルダーはフランス最高ランキングのダンスチームとなった。彼らは2年間タチアナ・タラソワとニコライ・モロゾフにコーチに付いてもらった後、ミュリエルコーチとリヨンで練習するために最近再びフランスに戻ってきた。昨シーズン(01-02シーズン)、彼らはコネティカット州ニューイントンでタラソワとモロゾフのもとでフルタイムのトレーニングを行ったが、オリンピック終了後にフランスに戻る決心をした。「アメリカでは満足な練習ができませんでした」とイザベルは言う。「故郷のリヨンで練習を行った方がよいと思ったのです」

 01-02シーズンは彼らにとって辛いものだった。スケートカナダで銅メダル獲得という力強いスタートを切ったにも関わらず、ラリック杯では5位に沈んだ。さらに、12月のフランス国内選手権のリフトの練習中、デロベルの腹筋断裂という不運に見舞われた。彼らはコンパルソリーを首位で通過したにもかかわらず、オリジナルダンスを前にして棄権することを余儀なくされた。デロベルは6週間リンクを離れ、ヨーロッパ選手権を欠場することになった。

 ソルトレークシティーオリンピックで演技をするという長年の夢を実現したが、怪我からの復帰直後のため体調は十分ではなく、10位以内という目標に届かない16位という結果に終わった。02年長野世界選手権では、最初のコンパルソリー(ゴールデンワルツ)で転倒し15位と順位を落としたが、最終順位を12位とし、98年に世界選手権に出場て以来、2番目に良い順位を獲得した。彼らはヨーロッパ選手権で過去2度10位以内に入っており、03年にはヨーロッパ選手権と世界選手権の両方でトップ10入りする事を目標としている。また、フランス国内選手権の優勝も狙っている(過去銀メダル2回、銅メダルを1回獲得。フランス国内のジュニア選手権では96年優勝、同年の世界ジュニア選手権では2位を獲得)。

 イザベルは双子の姉妹ベロニカ、兄ローレンと共に6歳の時にスケートを始めた。彼らはアイスダンスを始める前に数年間シングルスケーターとして練習をした。イザベルとローレンはペア競技を希望したが、アイスダンスの方がコーチを見つけるのが容易だった。イザベルとローレンは3年間ダンスパートナーとして滑ったが、彼らの両親は3人の子供にスケートを続けさせることが経済的に不可能になった。イザベルと双子の姉妹ベロニカはアイスダンスを続け、現在もフランス国内選手権に出場している。そして毎年イザベルが双子の姉に勝利している。

 デロベルは後にリヨンに拠点を移し、Lydie Bontempsコーチの引き合わせでショーンフェルダーとペア結成することになった。ショーンフェルダーは母にデュシネー兄妹のアイスショーに連れて行かれた影響で、8歳の時にスケートを始めていた。6ヶ月の間で、ショーンフェルダーはアイスダンスを選択した。「シングルは要求されるジャンプや要素が多すぎる」と彼は言う。「ダンスは自分自身を表現することに優れている。自由に滑りたい」

 「私たちは、違う個性を持っているから上手くやっていける」とデロベルは言う。「私はとても怒りっぽいけれど、彼は冷静。私が炎のようなら、彼は氷のよう。」「だからうまくいく」とショーンフェルダーは付け加えた。「彼女は素晴らしいスケーターで、私達はお互いに相性がいい。イザベルは素晴らしい技術を持っているけれど時々神経質になるので、私が落ち着かせる。時々私はslowすぎるので、彼女が引っ張ってくれる」

 シーズン初め頃には、彼らは毎日3〜4時間リンクで練習をする。また夏の間はバレエやウエイトトレーニングを2時間おこなう。「スケートを始める前はバレエを習っていました」とショーンフェルダーは言う。「私の母はバレエのインストラクターだったのです」また、氷上で踊る前に、ボールルーム(社交)ダンスのインストラクターについて振り付けを試すこともしている。

 98年からのタラソワとモロゾフの元での練習を経た後、現在は新しい振り付け師を探している。今シーズン(02年)はオリジナルダンス、フリーダンスの両方ともモロゾフによる振り付けである。オリジナルダンスはフラメンコとパソドブレ、フリーダンスは"Vivre pour le meilleur"を使っている。彼らは03年には新しいフリーダンスを用意するつもりでいる。「動きやステップは今シーズンと同じものもいくつか使うけれど、音楽は変えたい」とショーンフェルダーは言っている。

 コンパルソリーダンスに関していうと、イザベルはゴールデンワルツとタンゴ・ロマンチカを好んでいる。「快活なダンスは好きではありません。ゴールデンワルツやタンゴ・ロマンチカの方が難しいけれど、自分なりの解釈を表現することができます」と彼女はその理由を説明する。オリビエはゴールデンワルツとアルゼンチン・タンゴ、そしてブルースを好んでいる。「ブルースは落ち着いているし、ワルツとも異なっているので好きです」と彼は言う。

 2人とも大学の過程(運動科学?)を終了して、現在はコーチをしている。将来的にもコーチを続けたいと思っているが、もし大きな大会で優勝することができたらプロスケーターになることも考えている。現在でも世界選手権後にはフランス国内のツアーに出演している。「2006年のオリンピックまでは競技会に出場し続けることを決めています」とショーンフェルダーは述べた。

 彼らにとって今までで一番印象深かった大会は、オーストラリアで開催された95年ジュニア世界選手権である。彼らは4位を獲得した。「オーストラリアに行きたいといつも思っています」とデロベルは言う。「3週間滞在したけれど、もっと見たいものがあった。不思議な動物を見たし、コアラを抱きました。重くてびっくりしました」休日には、デロベルは南仏のビーチに出かけ、一方ショーンフェルダーは夏はビーチに行き、冬は山へ行く。彼はスキーとスノーボードが好きで、いつかハワイに旅行に行きたいと思っている。彼はサッカー、ファンボーディング、ペイントボールなどにも関心を持っている。デロベルは時々新体操をする。また2人ともローラーブレードが趣味のひとつである。

 リラックスするために、ショーンフェルダーは時々フィギュアに色を塗ったり、音楽を聴いたりする。「テクノよりもバラードが好きです」と彼は言う。デロベルは買い物、料理、映画、写真などを楽しむ。彼女の部屋はぬいぐるみがたくさんあり、特にフクロウのぬいぐるみを集めている。「ラップ以外の音楽なら何でも聴きます」と彼女は言う。

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 02年世界選手権 コメント

公式HPのコメント集。イザベル&オリビエに関係のある箇所を抜粋しました。


◇Compulsory Dance 1: ゴールデンワルツ
◇Compulsory Dance 2: クイックステップ

 多くの観客にとって、コンパルソリーの第一課題(ゴールデンワルツ)は驚かされるものだった。普通、コンパルソリーダンスではらはらするようなことはほとんどない。ゴールデンワルツでのイザベル・デロベル(フランス)とマリー・フランス・デュブレイユ(カナダ)の転倒以外、大きな失敗はなかった。

デロベル:(ゴールデンワルツでの転倒から立ち直るまで)ゴールデンワルツの間に何が起きたのか分かりません。疲れてはいません。第一課題が終わった後、私達は話し合う必要がありました。そしてコーチのタラソワも私達に多くの助言をしてくれました。もっと力強く、ベストを尽くさなければならないと分かっています。第二課題では、特に終盤に行くほどうまくいっている感じがしました。


◇Original Dance :スパニッシュ・メドレー
Flamenco - Paso Doble - Flamenco

オリジナルダンスでは、彼らは転倒しなかった。非常に複雑なミッドライン・ステップとダイアゴナルステップを踏んだが、少しスピードがなかった。


◇フリーダンス終了後コメント
 テーマは「To live for the better」。彼らは独特な振り付けが多く、観客を沸かせた。

デロベル:シーズンの終わりをこのような高得点と力強い演技で終えることができて嬉しいです。シーズン当初は調子が良かったのに、私が怪我(腹筋断裂)をしてしまったせいで、オリンピックでは酷い結果になってしまいました。だからこの世界選手権は精神的に厳しいものでしたが、良い結果で終えることができ、次シーズンに向けての自信になりました。

ショーンフェルダー:良い演技で今シーズンを終えるためにこの大会に来ました。順位は私達にとってそれほど重要ではありませんでした。私達はホームに戻り、未来のために練習を続けます。

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