2008年11月16日(日)
第15回ロタブルー・トライアスロン!
15th Rota Blue Triathlon !!


■『こんなに素敵なレースがあるんだ!!』  岸野範子(旧姓 西)
岸野宏昭選手と範子選手ということで、ご紹介をさせて頂きたくレースレポートを書かせて頂きます。

私は、今年からトライアスロンを始めました。
今年の春に、「どの大会に出よう、いや出られるのかなぁ」と思い月間TJを見ていて、「この海で泳ぎたい」って思ったのが、『ロタブルー・トライアスロン』でした。

これの為に、トライアスロンを始めたといってもいいぐらいです。

ツアーに参加できることになってからは、初めての51.5kmなので完走できるのか心配で、何度もHPを見たり主催者の大西さんにメールで問い合わせたりしましたが、私みたいな初心者でも本当に楽しめる大会でした。
2008年の東京マラソンを抜いて、今までで一番楽しいレースになりました。


次々とスイムアップしてくる選手たちなんといっても、綺麗な海、最高の景色、そして一番嬉しかったのは、選手全員がお互いを励まし合いながらレースに臨んでいることです。沿道の応援がほとんどないので、折り返しのバイク、ランコースですれ違うときに、「みんなで声を掛け合う」ことが最高に楽しかったです。

レース中ずっと「本当に楽しいなぁ〜、幸せだなぁ〜」って、笑いながら走っていました。

大会前日の試泳&水中撮影大会も素晴らしい企画です。スイムが苦手な私は、あの時間があったから、レース当日の海への不安もなくなりました。


急坂を上る原田雄太郎選手(前)と岸部寛志選手大会当日も泳いでいたら虹が見えて、あっという間の1.5kmでした。バトルもなく、レースなのに、「みんなで泳いでいる」っていうのが、こんなに楽しいものだと初めて気づきました。

バイクパートでは、いきなりの坂で苦戦しましたが、抜いていく方々が「頑張って!」と励ましてくれて、頑張ることができました。坂を上った後の高台では、素敵な景色も見ることができ、テテトビーチを眺めながらのバイクコースは良かったです。

ランコースも折り返しの10kmなので、折り返してくる方とお互い励まし合いながら、たくさんの人に出会うことができました。また最高のロケーションで復路の景色も良く、ジャングルランで涼しく楽に走れました。バイクでたくさんの方に抜かれてしまいましたが、ランでかなり抜くことが出来たのも楽しかったです。


ロタ名物ジャングルラン風景毎回、レース中の苦しい時にわざと「あぁ〜、もう後5mkで楽しいレースも終わってしまう〜」と思うようにしてテンションを上げるのですが、今回は本当に「あぁー、もう終わっちゃうのかぁ〜」と悲しかったです。本当にあっという間の時間でした。

終わってからのアワードパーティでは、12月に入籍を予定していた私は、結婚式をしない代わりにこのパーティーで人前結婚式的に市長さんから発表して頂く手配を、KFC大西さんがして下さり、とても良い思い出になりました。
たくさんの皆様から祝福のお言葉を頂戴し、本当にありがとうございました。

今回の参加は、知り合いもほとんどいなかったのですが、行きの飛行機で待ち時間の間、皆さんと仲良くして頂き、レース中もたくさんの出会いがあり、お世話になった方々に本当に感謝いたします。この場をお借りして、お礼申し上げます。


白戸選手と岸野夫妻3種目も出来るなんて、ホントに贅沢で幸せなことなんでしょうね。

このロタ・ブルートライアスロンに参加でき、大自然の中でのトライアスロンを味わえて、トライアスロンを始めて、本当によかったです。

エリート選手の方々もリラックスして、気軽に話していただけるこんな温かい大会、スタッフの皆様のお陰ですね。毎年の運営が危ぶまれますが、長く続いて欲しいです。

そして、来年は私のランニング仲間にもトライアスロンの楽しさを知ってもらいたいので、彼女たちを連れて参加したいと思いますので、またよろしくお願い致します。  





■KFC徒然
トップスピードで泳ぐ選手2008年11月16日(日)、第15回目となる「ロタブルー・トライアスロン」を開催した。

ロタに入る前にサイパンでもいろいろ準備がある為、11月6日(木)にサイパンに入った。今年は到着するなり、暑い!天気が良く、暑い!やはり、世界的に気候が変わってきているのか?今までの、この時期と比べて、相当に暑い・・・気がする。







【先ずはサイパン】
海底からサイパンでの必須の仕事は2つ。先ず、Tシャツ工場へ行って日本からオーダーしている参加賞用のTシャツをピックアップすることだ。この工場との付き合いは長い、10年以上だ。出来上がりをよ〜くチェックしないとプリントミスが多々ある。最近は少なくなった。KFCはうるさいと思われているからだろう。

島では何事も日本と同じと考えてはいけない。外国人にとって、島でのビジネスが難しいのはそこである。大会の準備に関しても日本の尺度で進めると非常に危険である。ミスや約束が守られていない時は、必ず強く叱ってペナルティを与えなければならない。

そうしないと、何事にもゆる〜い南の島では何度でも同じ間違いが繰り返される。最近では、どこの島でもKFCは「すぐに怒る。切れやすい。」と思われているようだがそれは違う。KFCの流儀を貫いているだけだ。島(外国)で、短期間に大会を安全に円滑に運営するためにはKFCの流儀を貫くことが必要なのだ。


急坂を上る篠崎優選手と菅沼健太選手次は、マリアナ政府観光局へ行って細々した打ち合わせをする。ここはロタ観光局の本局に当たる所だ。現場で働くロタ観光局スタッフが動き易いように本局としてのバックアップをお願いしておく。

ここも10年以上の付き合い、KFCが訪ねて来たら誰が対応して何をすべきかをよく心得ている。だから、スムーズに事は運ぶ。もう以前のようにここでファイトをすることもなくなった。それだけKFCの活動が皆に理解されてきているということだろう。

大きな仕事はこの2つだ。あとは、親しい友人たちと会って話をしたり、メシを食ったりする。この時に現地の最新情報を入手し、リアルタイムの島の状態を把握することにしている。


【変化を遂げようとしているマリアナ】
サイパンからの常連フローレンス選手、職業は医者だ。今、ロタ・テニアン・サイパンの北マリアナ諸島は、これまでになく大きな変化を遂げようとしている。それは米国連邦政府が北マリアナ諸島へ米国連邦イミグレーション法を適用させようという動きである。いわゆる、連邦化というヤツである。

現在、北マリアナ諸島(マリアナとも呼ぶ)への出入国管理権はマリアナ自治政府が保持しているが、これを米国連邦政府が管理するということである。すなわち、隣島グアムと同じイミグレーション・システムを導入するということである。

これが実施されると、今、マリアナで働いているフィリピン人、中国人、バングラディシュ人、日本人、韓国人などの大部分が働けなくなり、パーミットが切れ次第、順次出国しなくてはならない。こうなるとマリアナなの経済は労働力不足で立ち行かなくなる。


グアムから参加のサラ選手マリアナの社会構造は次の通りだ。地元チャモロ人はほとんどがガバメント(公務員)で働いている。或いは、ホテルや会社やショップのオーナーだ。ホテルやレストラン、ギフトショップの現場で働いているのはフィリピン人や日本人や韓国人などで、農場や工事現場などの、いわゆる、3Kで働いているのはフィリピン人やバングラディシュ人である。中国人はほとんどが縫製工場(最近は工場閉鎖が相次ぐ)で働いている。

これからも分かるように地元島民だけでは人手不足で経済活動は立ち行かなくなるのである。しかし、そんなことはおかまいなしに2009年6月1日に連邦化が実施されることはほぼ決まっている。


一家総出のエイドの風景さらに観光産業に対しても、影響は大きい。現在、マリアナへの主な観光客は日本人、韓国人、中国人、ロシア人である。しかし、2009年6月1日からは中国人とロシア人に対しては米国入国ビザが必要となることが決まった。

ということは、この2カ国からの観光客はなくなるということである。なぜなら、米国は中国とロシアへの入国ビザの発給はしないからだ。マリアナの観光産業にとっては大きな痛手だ。
(このへんの詳細はこちら*連邦化@へリンクしてくれ




【トライアスロンはロタ島民の誇り】
彼女とゴールする山本良介選手大会1週間前11月9日(日)にサイパンからロタへ入った。ホテルはいつものロタ・リゾートだ。準備には効率よくやって1週間は要する。翌10日(月)にメイヤーズオフィス(市役所)でロタブルー・トライアスロン運営に携わる全部署のリーダーたちを集めた全員ミーティングをし、最終の準備に取り掛かる・・・という恒例の予定だった。しかし、メイヤー(市長)とチェアマン(現地大会委員長)の2人と打合せをしただけで、他のスタッフは呼ばれていなかった。

それは来年にメイヤー(市長)の選挙があるため、次期政権を睨んで皆がそれぞれ様子見や駆け引きでビミョ〜な状態にあるのだ。これはこの時期のいつものことだ。だが、ことトライアスロンに関しては、現政権、反政権勢力、将来の政権勢力等々、全く関係ない。文字通り、ロタ島民すべてがそれぞれの立場で全面協力してくれる。なぜなら、このトライアスロンはロタ島民が誇るロタ島民の大切なイベントになっており、その開催を皆が楽しみにしているからだ。

15年もやっていれば、何度かこの様な時期にも当たるものだ。いつもの様な全体ミーティングこそなかったが、メイヤーとチェアマンとはよく話を詰められた。


【市長からの強いお達し】
ニュー東港の風景今年のビッグニュースは島民&KFCの長年の夢だった東港(イーストハーバー)がついに完成したということだ。今年の初めから11月のトライアスロン大会の日までに港の工事を完成させるようにと政府から工事会社へ強いお達しが出ていた。大会が近づくにつれて、休日返上、さらに暗くなってもライトを点けて工事人たちは残業をしていたそうだ。のんびりロタで休日返上や夜間残業は見たことがないと島では噂になっていたそうだ。

それくらい政府も工事会社もトライアスロン大会日には完成させたいと強く願っていたということだ。島民たちの思いも同じだ。この島にとって、ロタブルー・トライアスロンはそれくらい大切なイベントなのである。
1994年の第1回大会以前の東港を知っている者にとっては、信じられないほどの変り様だ。


【東港の今と昔】
1993年頃の東港はサンゴの覆われ、こんな感じだった!この島でトライアスロンをやろうとした1993年頃の東港は全面が鋭く尖ったサンゴ礁で覆われ、裸足で歩くこともできなかった。当然、車両の乗り入れなどできない。だから、バイクトランジッションを前面道路上に設置し、スイムアップ地点から道路までは絨毯を敷いて歩くという計画だった。

ところが、大会日の4〜5日ほど前に、突然何台ものダンプカーが土を山と運び入れて、さんご礁を埋め、ブルトーザーで整地し、ローラーで地面を押し固めていったのである。3日ほどで東港に立派な広場が出来上がったのである。これには心底ビックリしたものだ。これって環境破壊そのものだが、誰一人非難するものはいなかった。それが、15年経って、今年のnew東港の姿になったのである。だから、トライアスロンがなかったら、new東港もなかったはずだ。今年はスタート&フィニシュ&アワードパーティもすべてこのnew東港で行なうことにした。


【祭日ベテランズ・ディ】
ベテランズディの風景11月11日(火)はベテランズ・デイの祭日で、ハイウェイ沿いのベテランズ・パークでその式典が行われた。ベテランズ・ディとは日本語では「退役軍人の日」という意味で、米国では大切な祭日である。

軍を除隊した人たちや現役の軍人たちが集まってきて、退役軍人たちに尊敬の念を表し、その労をねぎらう式典が行なわれる。国旗掲揚や空砲や花輪の献花等が決まり通りに粛々と行われていく。制服をきちんと着て、銃を携えた姿はいつもの“ロタチャモ”とは別人のようで、凛々しく、引き締まった感じだ。その式典の後は、はやりお決まりのBBQパーティで〆となる。この日、サイパンやグアムでも同じ式典が行なわれる。


【念には念を】
スイムを終えた深浦祐哉選手11月12日(水)〜14日(金)にかけても引き続き準備や打ち合わせ等々、やるべきことは山とある。島では同じ事を何度も何度も念を押して確認しておくことが重要で、これを面倒くさいとして怠ると、当日にエイドステーションやサインボードが設置されていなかったり、レスキューのボーディングセイフティ(海上警察)や救急車がオンタイムに現われなかったりするのである。

また、コースチェックも重要な仕事である。危険と思われる箇所はスーパーバイザーであるチャアマンを介さず直接現場監督や作業人に伝えておくことが正確さを期すポイントだ。また、島中を観察して回り、リアルタイムの島の状況を知っておくのも大切な仕事だ。

ロタ観光局との打ち合わせやスイムコースの設営やレスキュー体制の中心となっているダイビングショップ・セレナの林さんやマーク・マイケル、それにダイビングショップ・ルビンの山本さんとの打ち合わせも大切な仕事だ。当然、ボーディングセイフティも外せない。

大会を運営するには3本のラインと我々KFCとが直接打合せをして調整しないと円滑に事が進まない。それはメイヤーを中心とするガバメント・ラインとロタ観光局ラインとダイビングショップ・ラインである。こられの各3本のラインは横の繋がりはほとんどないので、我々が要になって上手く調整することが重要な仕事になっている。


【宝物?だらけのロタ島】
樹木のトンネルを行く選手この度、島中を回ってみると、
メイヤー・イノスのスローガン“ネイチャーズ・トレジャー・アイランド(自然が宝の島)”を通り越して、あちらもこちらも宝?だらけになっていた。以前から開発の手が入っておらず手付かずの自然がたくさん残っているロタ島だが、それに加えて、最近の急激な過疎化で自然だらけになってしまっている。

ここ数年、大きな台風の襲来がない事もそれに輪をかける結果になっている。大きな台風が襲来すると、古い樹木は根こそぎ吹っ飛んでしまい、島がやけに明るく感じるようになる。特に、ランコースのガガニ折返し地点までは樹木の枝葉が道の両側からせり出し、樹木のトンネル状態になっていた。走る選手にとっては涼しくて気持ちがいい。


【バイク走行を最優先に!】
前日に練習走行をする松丸選手今年は“現政権末期”のビミョ〜な時期だけれど、それを差し引いても余りあるほどの“ロタ・ホスピタリティー”がロタにはある。ホスピタリー・アイランド・ロタと言われるくらいロタ島民はフレンドリーで、優しく、温かく、心がある人たちである。

選手の島滞在中、レース前の練習走行時でも、全てのドライバーは選手のバイク走行を優先させるように、とガバメントから島民や警察にお達しが出ているくらいである。

今年のように全体ミーティングが行われなくても、15回目ともなると、島民たちはそれぞれ“自分は何をすべきか”ということを心得ている。道路の整備は日本で言うガバメントの土木課が行なう。路面の粗い所はブルトーザーで土を均し、ローラーをかけるなど、重機を入れての大作業となる。さらに、コース上に競りだした草や木を刈ったり、バイクコース上の砂や小石を取り除いたりもする。


ロタ・ホスピタリティ、ジャングルランでのシャワーバイクコース脇の芝生の草刈り、コース上のサインボード作成&設置、バイクラックの補修&設置と云った細々とした作業などは、毎年、ロタ観光局の局長トミー・カルボ中心となって担当することになっている。

彼は第1回目大会からずっとトライアスロン開催に情熱を注いでおり、この大会にはなくてはならない存在だ。スイム会場の東港のセットアップも彼の仕事の範疇だ。スイムのスロープは選手が滑らないように苔を取ったり、スロープの上部にシャワーを取り付けたり、フィニッシュ・ゲートを設置したりする。


島民のプレッシャーを背に突貫工事に励む工事人たち東港の工事はほとんど完成していたが、電気工事だけが未だ完了していなかった。タイム計測に使うパソコンの電源や早朝のナンバリング時には電気が必要だ。結局、今年も道路脇の電柱からダイレクトに電線を港内へ引っ張り込むという荒技を使った。その電線の途中にメーターも何も付けないため、正しくは電気を盗むということである。

これがガバメントのスタッフによって白昼堂々と行なわれるのである。誰も文句は言わない。島挙げてのトライアスロン大会だからこれが許されるのであって、誰もがこんなことをしている訳ではない。

交通規制を担当するロタ警察、万が一に備えた救急車や病院のバックアップ体制、安全対策やエイドステーションを取り仕切る担当、アワードパーティーの食べ物を準備する担当、アワードの会場をセットアップする担当etc・・・島民が少なくなったとは言え、正に、島民一丸となって、その時に向けて大会準備を進めていく。普段は“のんびり、ゆったり、ゆる〜いアイランドスタイル”のチャモロ人だが、トライアスロンの時だけは違う。“やる時にはやるチャモロ”に変身するのだ。


【大歓迎のハプニング】
文句なしのピックアップ・トラック15回も大会をやっていると、
いろんなハプニング(*やる時はやるチャモロにリンクしてくれ)に遭遇するものだ。しかし、今年はとりわけて大きなハプニングは無かった。むしろ良いハプニングがあったと言ってもよい。滞在中、セダンのレンタカーではいろいろ不便な面もある為、我々の足となる車はガバメントのピックアップ・トラックを毎年使用させてもらうことにしている。

いつも、これをメイヤーズオフィスで手配してもらう。これまで手配された車は走ることが不思議な程で、ドアがなかったり、ボンネットが閉まらなかったり、ライトが点かなかったり、3回に1回はエンジンがかからなかったり、ハンドルが異常に重くて回らないetc・・、数限りない“訳あり?”ピックアップに乗ってきた。ところが、今年のピックアップはほとんど新車でクーラーも効く、ブレーキも効く、ハンドルも回る・・・文句なしの、かつてない“超イイ”ピックアップだった。こんなハプニングならいつでも大歓迎だ。


【直行チャーター便到着】
ロタ国際空港に着陸したダイレクト便11月14日(金)の夜中というか、11月15日(土)へ日付が変わった頃に成田からのトライアスロン専用のダイレクト・チャーター便がロタ空港に到着した。15年目にして初のロタ大会専用のチャーター便だ。楽で便利だが、問題もあった。

150席ほどある機材なのにバイクケースが55個しか載らないという。結局、オーバーしたバイクは別便でロタまで運ぶことで、何とかこの問題を乗り切ったという恰好だ。来年への反省点だ。ロタ島へのアクセスの悪さを考えるとダイレクト・チャーター便は必要だ。大阪と名古屋からの選手はこれまで通り通常便を利用してもらった。


【人気のプレ・イベント、試泳】
試泳の風景。泳ぐ前に説明をする宮塚選手11月15日(土)、昼の1時からロタブルー・トライアスロン恒例の試泳が本番のスイムコースを使って行われた。ロタ大会のスイムコースは南の島のレースでは珍しく外洋を泳ぐ為、その深さに慣れてもらう目的で、そして何よりも、そのロタブルーをゆっくりと堪能してもらうためである。

レース中は陽の弱い朝であり、さらに選手は海中を眺めている余裕などないのが普通だ。だから、世界に類を見ない青く蛍光色に輝く海“ロタブルー”を堪能するには、昼間の試泳の時が一番だ。幾ら蛍光色に輝くロタブルーの世界と言えども、太陽の光が射し込んでいなくては青く輝かない。不幸にも、今年は試泳の時も本番レースの時も海上を雲が覆い、陽が海面に射していなかったのが残念だった。


水中での集合写真試泳のやり方は、毎年同じでプロ・トライアスリートの宮塚選手、白戸選手、松丸選手がリーダーとなり、参加者を泳力別にグループ分けをして行なう。今年はアヤト・トライアスロン・スクールの松山コーチも加わってもらい、4つのグループに分けた。各リーダーからプチ・レッスンも受けられるという贅沢な試泳だ。

また、同時に水中撮影会も行われた。しかし、今年は何故かピンボケが多かった。例年のように陽が差し込んでいなかったからだろう。




【15回目の朝】
ご主人さまのスイムアップを待つバイクたち11月16日(日)、いよいよレース当日だ。3:30頃に起きる。ロタ・リゾートのレストランから朝食の弁当を持って、4:30頃に会場である東港へ向って出発する。何回やっても大会当日の朝は適度に緊張する。スタッフも皆上手くやろうとして緊張している。

東港へ向う道すがら島中の空気がピンと張り詰めているように感じる。島民たちも緊張しているはずだ。この日のために我々もロタ島民も長い間かかって準備をやってきたのだ。参加者全員を怪我なく、安全に、且つ、楽しんでもらうようにしなくてはならない。参加者たちも、この日のために練習を重ね、休暇を取って、海を超えて、遥々日本から来てくれている。それに見合うだけのものを持って帰ってもらわなくてはならない。


15回参加の伊藤芳夫さんとエド(右)とフランク会場に到着すると、皆それぞれ自分に与えられた仕事に入っていく。ぼちぼち選手が到着し始める。最終登録であるナンバリングを始めるスタッフ。スロープにシャワーを設置するスタッフ。ダイビングショップのスタッフが沖のブイをセットし始める。サイパンの観光局本局から手伝いに来ている
フランクエドも、この日ばかりはよく働く。

そうこうしている内に雲行きが怪しくなってきた。山手のロタ・リゾート周辺はバイクを会場に輸送するのも見合わせる程の激しいスコール見舞われていた。東港では雷が聞こ、天気はものすご〜く不安定で心配な状況になってきた。島民たち曰く「こういう時は神に祈る以外に術はない」と。


沖で待機するカヤック・レスキュー部隊島民たちの祈りが神に届いたのか、スタート時間が近づくにつれ、どんどん晴れてきた。心持ち例年より暑い気がする。日本を発つ前から脱水症対策の心構えを周知徹底しておいて正解だった。海は予想通り穏やかだ。6時が干潮のピークだったので、時間が経つに連れて波が出てくるはずだ。オンタイム6:30には絶対にスタートさせなければ、と考えていた。そうすれば、波が高くなる前にスイムセクションは終了している計算になる。

今年もスターターは例年通り、メイヤー・イノスだ。すでにセレナ・ダイビングショップのボート、ルビン・ダイビングショップのボート、ボーディングセイフティ(海上警察)を乗せたレスキューボート、マーク・マイケル率いるカヤック・レスキューチームがいつもの様に配置についている。皆、便りになる連中だ、安心して任せることができる。ショートタイプは青いキャップ、CEOカテゴリーはピンクのキャップを被り、ロングタイプはグリーンのキャップを被っている。


【オリンピア山本良介選手の参加】
トップでバイク・フィニシュする山本良介選手今年もトップ選手が多く参加してくれた。ショートタイプには例年に続きすっかり“ロタの顔”となっている宮塚英也選手、白戸太郎選手、それに、昨年の優勝者深浦裕哉選手、エクステラチャンピョンの湯本優選手、大河内智未選手・・・、実業家の“ヒロミ”選手、82歳でまだまだ現役の野村昇選手、加えて、11歳の菅沼健太選手。

ハーフタイプにはプロトライアスリートの松丸真幸選手、それに若手の原田雄太郎選手、平松弘道選手がいる。CEOカテゴリーにはBODY TUNEの“ジョージ”こと阿部雅行選手、トライアスロンボーイズのリーダー井上英明選手などの面々だ。

しかし、何と言っても今年の目玉選手は8月の北京オリンピックで活躍した山本良介選手だ。以前からロタ大会に参加したいという連絡を受けていたのだが、余りにも強過ぎるために、今までご遠慮してもらっていた次第だ。


【スタートはオンタイムに】
いざ、出陣!!メイヤーの号砲で6:30ジャストに全選手一斉に沖に向って泳ぎ出した。ここから先は選手自身がレースを作って行ってくれるので、KFCの仕事はひと段落である。ちょっと肩の荷が軽くなる瞬間である。あとはタイム計測と全体の流れを把握して、走っている選手の健康状態を把握することに集中すればよいのである。

ショートタイプのレース展開は予想通り山本選手がスイムから独走で優勝した。途中、余裕でニコニコしながら走って、競技指向でない南の島のファン・レースを存分に楽しんでくれたようだ。2位は深浦選手だ。一時代を築いた宮塚、白戸両選手も生きのよい若手には敵わない。女子優勝は大河内選手だった。

ハーフタイプの優勝は原田選手で、松丸選手は3位で連覇はならなかった。2位は平松選手だ。女子優勝は第1回ロタ大会がトライアスロン初体験の木村恵子選手だ。CEOカテゴリーは阿部選手が連覇、2位は井上選手だった。レース展開は2009年1月5日発売の雑誌「トライアスロン・ジャパン」誌をご覧下さい。(レース結果
こちら

今年も各エイドステーションでロタ・ホスピタリティを見ることができた。BBQエイドやフルーツエイド、それに、自宅からホースを引っぱって来てのシャワー等々。


【レースより気合が入るアワードパーティ】
ご馳走に群がる選手たちレースも終わり、夕方からは島民たちが最も気合を入れているアワードパーティーだ。今年はきれいになったnew東港で行われた。他の島から“バーベキュー・アイランド”や“パーティー・アイランド”と揶揄されても、そんなことは一向に気にしない。バーベキューアイランドの名に恥じることのない様、ロタの最高級のおもてなし料理が振舞われた。

ブタの丸焼きが2匹とシカの刺身、それにショートリブ、チキン、鹿のバーベキュー。お祝いには欠かせないレッドライスやチャモロ料理の代表であるチキン・ケラグエン、シュリンプ・ケラグエンにパンシット、最近はやりの海老の丸焼き、それにタロ芋、パパイヤのピクルスetc・・・。もちろん、冷えたビールは外せない。そして、可愛いアイランド・ダンサーズもパーティーに華を添えた。


【TJ最後の現地取材】
アイランド・ダンバーと踊る選手たち日本からトライアスロン・ジャパン誌(TJ)の取材が入った。カメラマンは「ダーディー・ハリー」こと播本さんで、チャモロ人(一説にはサモア人と)の風貌を持つ陽気なカメラマンだ。南の島の取材には欠かせない。ライターは第1回大会から参加してくれている宮塚さんが担当してくれた。

発売は2009年1月5日だ。そして、ホントに突然で驚いたのだが、この発売号を持って
TJ誌は休刊となる。トライアスロンを愛する者にとっては、非常に残念で寂しい限りだ。


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【Special Thanks】
MVA / Mark Michael / SIRENA / RUBIN / Rota Resort & Country Club / Aqua Gift Shop/ Bay Breeze Restaurant & Bar / BODY TUNE / TRI-SPORTS / System Clinic

真提供:舘岡正俊 SIRENA RUBIN

                  


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