第9回みたけ山山岳マラソン!
89h Mitake Mountain Trail !!
2008年12月14日(日)開催


■KFC徒然
スタート瞬間の風景「みたけ山山岳マラソン大会」は我々KFCにとって、その年の最終イベントに当たる。これが終わるとその年のKFC活動は全て終了となる。毎年、この時季になると感じることがある。1年が過ぎるのは早い。「光陰矢の如し」とはよく言ったもので、1年が過ぎるのは本当に早いものだ。


【観光資源として】
この大会も来年で早や10年目を迎えることになる。2000年12月に第1回大会を立ち上げた。きっかけは1999年から我々が開催していた「青梅丘陵高水山岳マラソン大会」(現在は「lafuma青梅高水山トレイルラン」の名称変更)の様子を見て、高水山大会のような山岳レースをみたけ山でも作って欲しい、と青梅市観光課の松岡さんから要請があったからだ。

高水山大会を立ち上げるに際して、松岡さんにはたいへん尽力してもらっていたので、喜んで協力させてもらうことにした。秋の観光シーズンが終わり、観光客が少なくなる初冬の12月にみたけ山の観光資源として山岳レースを、と考えられたのだ。今にして思えば、松岡さんに「先見の明」があったということだ。


【みたけとの触れ合い始まる】
3kmの激坂を上り始める選手たちその時から我々とみたけ山の人たちとの交流が始まった。みたけ山の宿坊(民家)は標高800〜900mの所に集中しており、下界とはケーブルカー、或いは、四輪駆動の軽自動車でしか往来できない細い激坂(コースに使用、距離は3km)で繋がっているだけだ。大会を始めた当初は今よりも道幅が狭く、車両はスイッチバック(前進と後進を繰り返して進む方法)で往来していた。

現在の大都会東京にこんな道があったのには驚いたものだ。当然、脱輪することもあり、スリル満点だった。因みに、この激坂は未だに「都道」の指定のままである。いい加減に、現状に沿った指定に変更しなくてはダメだ。

みたけ山は、我々が以前から付き合っている南の島と立地条件がよく似ている。海の中にポツンと浮かんでいるか、山の上にポカンと浮いているか、だけの違いである。どちらも世間から隔離されている。だから、そこに住んでいる人の気性もよく似ている。どちらも「気持ち」のある人々だ。だから、みたけ山に遊びに行くのも楽しいし、一緒に大会を運営するのも楽しい。幾ら自然が素晴しいと言っても、そこに住む人々に「気持ち」がなければ、その地に魅力を感じることはできない。


【耐えた冬の時代】
鳥居の階段を行く。辺りは雪で白い。2000年開催の第1回大会の参加者は200人ほどだった。同じく、当時の「青梅丘陵高水山岳マラソン大会」の参加者も200名くらいだった。この頃はまだ山道を走るというスポーツは一般的ではなく、世間の認知度も低かった。2003年頃、みたけ山山岳マラソン実行委員会の一部から中止にしてはどうか、という意見がでた時期もあった。準備&運営には手間隙がかかる上、財政面でも赤字が続いていたからである。

しかし、身近に山がある我々としては、山の中を走る楽しさをできるだけたくさんの都会の人たちに知ってもらいたかった。それと、高水山大会を立ち上げた時から、山ランはきっと世間に認知される時がやってくるという「直感」があったので、迷いはなかった。

2004年頃から少しではあるが参加者が増え始めてきた。翌2006年には約700名もの参加者があった。2008年の今年は1000名を超えた。ここ2〜3年で急激に参加者が増えた。今思えば、このみたけ山大会も昨今のトレランブームを作った先駆けのレースの一つだ。昨年辺りからブームにのって全国各地に山を走るレースがたくさん作られた。一般道を使うマラソンと違って山道を走るレースは警察の許可が要らないので、比較的簡単に作ることができるからだ。しかし、ブームというものは長く続かないものと相場が決まっている。まもなく安定期に入るだろう。


【安全対策はいつも地味】
ロックガーデンを軽快に駆ける選手たち今年はトレイルランナーのプロ選手である宮地藤雄選手(lafuma所属)が大会の裏方を経験したいということで、大会前日の準備から手伝いに来てくれた。また、文化女子大学室蘭短期大学の森谷講師がトレランレースの運営ノウハウを学ぶために、わざわざ北海道から来られていた。昨年、北海道で初となるトレランレースを立ち上げられたそうだ。彼は日本選手権にも出場したことがある元トライアスロンのエリート選手だ。世間は狭い。そんな訳で、森谷さんにもコースチェックを手伝ってもらうことにした。

KFCの山スペシャリスト五十嵐さんが矢印サインボードを1週間前に全コースに亘って設置してくれていたので、この日の主な仕事はコース状況の最終チェックだけだ。コース上に落石がないか、倒木がないか、崩落していないか、等々をチェックして回るのである。落ち葉の下に岩や木の根っこがある場合、危険と判断すれば、落ち葉を竹ぼうきで掃いて、岩や根っこをむき出しにしておく。こうしておくと、選手が避けて走ってくれる。コース上にある岩や根っこを力技で全部取り除くことは不可能なことだ。2班に分かれてこの作業をやった。10時頃から始めて3時くらいに完了した。空はどんよりとして灰色の雲に覆われていた。


【前泊は居心地のいい原島荘】
ロックガーデンの渓流沿いに上流を目指す今年の前泊は原島荘にお世話になった。これまでにプライベートも入れて6回ほどお世話になっている。居心地はいいし、食事も美味しい。KFCお気に入りの宿坊の一つだ。泊まったのはKFCスタッフ+潟lオシステム・スタッフ(タイム計測)の計10人ほどだ。風呂に入って、夕飯を食べた後で、少し打合せをしておく。2年前からネオシステムにタイム計測を依頼してからは打ち合わせも非常に短くなり、我々の肩の荷がグッと軽くなった。競技が終了してから表彰式までの短時間の間に、手作業で結果表を作るのはたいへんな緊張を強いられる仕事なのだ。

夜中の3時頃、雨音で目が覚めた。いつもレース前夜は天候が気になる。天候に左右されるのはアウトドア・スポーツの宿命だ。止む気配はない。仕方がないと腹を括る。朝7時頃、原島会長の4輪駆動車で大会会場であるケーブルカー滝本駅へ下りた。何回乗せてもらっても、この激坂は体に力が入る。眠気も吹っ飛んだ。


【逞しい選手たち】
鍋割山から奥の院へ続く尾根道雨脚は相変わらず強い。気温も相当に低い。寒い。4日前まで猛暑のパラオにいたので、この寒さは骨身に沁みる。しかし、雨にも寒さにも負けず、参加者たちは大勢集まってきた。やはりトレイルランナーたちは逞しい。

このコースは多少の雨が降っても危険と思われる箇所はない。最も高い場所で標高1000mくらいだ。しかし、標高900mくらいの所に宿坊街(民家)があるので安心だ。それに地元の消防団が要所要所に待機して、選手の安全を監視してくれる。

スタートの1時間ほど前、8:30頃、山の上は雨がミゾレに変わったという一報が入った。数年前にも雪の中のレースをやった経験がある。あの時は早朝から雪が降り始め、スタート時点ではかなり積もっていた。それに比べたら、この日の雪は大したことがないと感じていた。


【雨の中のスタート】
奥の院の急坂をクリアして、ゴールに向う選手たちスタート地点の標高は約400mだ。恒例のエアロビクスによるウォーミングアップの後、竹内青梅市長の打ち鳴らす太鼓を合図に、9:30ジャスト、第一ウェーブの一団500人が一斉に約3kmの激坂を駆け上がって行った。第二ウェーブが10分後だ。気を抜く所がない激坂だ。この坂をクリアするのに、速い選手で15分くらい、遅い選手では40分くらいかかる。この激坂の中間辺りから雨がミゾレに変わってきた。

この激坂をやっつけた選手たちはケーブルカー御岳駅前を通過し、大塚山山頂(標高920m)を目指す。続いて、宿坊街(標高900m)抜け、このレースの「売り」であるロックガーデンに突入する。ここは鍋割山(1084m)の山腹から染み出た水が集まって小さな渓流となって岩の間を流れている。御岳山ハイキングの観光スポットとなっている所だ。この岩の上をポンポン飛び越え、渓流を右に左に横切りながら駆け上がっていく。


【雪景色を行く】
毎年、選手の安全を見守ってくれる御岳の駐在さんロックガーデンの終点には「綾広の滝」がある。すなわち、この滝の水が渓流の始まりなのである。この滝は「滝行」として有名な滝だ。年間を通してたくさんの人が滝に打たれにやって来る。TVにもよく取上げられている。10km地点の関門はこの滝の上だ。この辺りまではミゾレというより雨に近い。ランナーにとっては、雨の方が雪より辛い。スタッフも辛い。

練習ならば、こんな悪天候では決して走らない。安全を確保されたレース本番でしか走れない貴重な経験だ。

綾広の滝かららアクバ峠までは第二の激坂が待っている。第一の激坂はスタート直後の3km坂だ。アクバ峠辺りから雪が積もって周りの景色が白くなってきた。しかし、走るのには問題はない。その後、このレースの最高地点である鍋割山(標高1084m)から奥の院への尾根道を走る。距離にしたら1kmほどだ。尾根道の周りの木々には雪が積もり、一面の雪景色だ。しかし、土が露出しているコース上には雪は少なく、問題なく走れる。

奥の院手間から200mほどの急坂を下る。前日、一生懸命に落ち葉を掃いた所だ。ここをクリアすると、最後の上り坂である御嶽武蔵神社境内(標高約900m)へと続く長い石段だ。これを上りきった所がゴールだ。


【最強のトレイルランナー奥宮俊祐選手】
奥宮選手のゴールシーン。自衛隊大宮32連隊所属だ。トップの選手は約1時間でゴールして来る。このコースを僅か1時間で走破するなんて、人間業ではない。その後、続々と選手たちがゴールに飛び込んでくる。

ゴール地点も、それほど積もってはいないが、雪がシンシン降っている。スタッフは寒いが、ゴールした直後の選手は暑そうだ。体から湯気がもうもうと立ち上っている。ゴール会場に用意された、天然の冷蔵庫でよく冷えたクエン酸飲料「メダリスト」を美味そうに飲んでいる。

体が冷えて来たところで、皆さん、三々五々、宿坊に用意されている風呂へと向う。この大会はゴール後に入浴のサービスが付いているのだ。宿坊がある観光地みたけ山ならではの嬉しいサービスだ。


【2008年も無事終了】
メダリストを手にした美女軍団その後、場所を体育館に移して、午後2時から表彰式が行なわれた。恒例のジャンケン大会も行なわれた。タイム計測にちょっとしたミスがあったが、こんなことはよくあること。参加者の皆さんに怪我なく楽しんでもらうことをモットーとしている我々には大した問題ではない。そんなこんなで、今年の最終イベントも無事終了した。

因みに、KFCが運営に関係したスポーツイベントは、みたけ山大会が終了した時点で、国内外合わせて99本を数えた。一クラブで99本ものスポーツイベントを開催しているところは他にはないだろう。これまでに蓄積してきた多くの運営ノウハウを生かして、これからも安全で楽しい大会を開催して行きたい。

では、皆さん、来年も、年の瀬はみたけ山でお会いしましょう。


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後援:青梅市、大多摩観光連盟
助成:(財)東京市町村自治調査会多摩交流センター
協賛企業:京王電鉄梶A葛梔、アートマン、葛梔、プラザホテル八王子、潟激Xトラン京王、佐藤スポーツ、パワーバー、ネイサン、メダリスト
写真提供:馬場しんごさん、森谷直樹さん



                      

                  
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