Alii Cup!
第2回パラオ・シェル・レインボー・トライアスロン&スイム
2st Palau Rainbow Triathlon & Swim
2008.12.6&7

■パラオ大会報告 松丸真幸

使用機材:サプリメント  MEDALIST:フリーダム、メダリスト
     トップス    2XU:エリートトライシングレット
     ショーツ    2XU:エリートトライショーツ
     ゼッケンベルト 2XU:レース用ナンバーベルト
     フレーム    CORRATEC:C-TIME CARBON
     フォーク    CORRATEC:CORRATEC VOLL CARBON
     シートポスト  CORRATEC:コラテックエアロシートポスト
     ソックス    CORRATEC:クールMAXソックス
     アイウエア   ALPINA:BENOX
     ヘルメット   ALPINA:MORANO
     バイクシューズ SHIMANO:SH-TR70
     ペダル     SHIMANO:PD-7810
     ホイール前後   SHIMANO:WH-7850-C50-TU
     ハンドル    PRO:ミサイルモノコックストレートカーボン
     ステム     PRO:バイブ7S OS
     サドル     PRO:ファルコン
     コンピュータ  PRO:DIGI-W7     
     アクセサリー  PRO:ボトルゲージカーボン、バーテープSL
     タイヤ     VITTORIA:コルサEVO CX
     ランシューズ  SAUCONY:SAM2007
     ハートレイト  POLAR:RS800

成績:優勝〔2年連続〕

KBブリッジを渡る松丸選手内容:今シーズン最後のレースであるパラオのトライアスロン。パラオ共和国は、世界中のダイバーたちの憧れの地。赤道に近い、フィルピン海に浮かぶ島々で構成されている熱帯雨林気候。世界で一番暑いレースでもある。今回は、第1回大会に比べて、シェルがメインスポンサーとなり、大会が大きくなった。

 レース会場は、パラオ・パシフィック・リゾート〔PPR〕前の海。水温は高く、30℃はある。海は透明度もあり穏やかだ。参加者は、日本人はもちろん、ローカルの選手も混じり、国際色豊かで雰囲気は良い。

スタート時間は朝の6時。この時間でも暑い。事前に、スポーツドリンクとウォーターをたくさん飲んで、軽くスイムでアップ。いよいよスタート。

そして、スタート。勢いよく飛び出す。スイムコースは、1周500mの三角形。これを、毎回、海に上陸してまた飛び込むコース。第1ブイをトップで通過。調子はいい感じだ。海の中はさんご礁や熱帯魚の姿も。1周目をトップで上がる。この調子で、2、3周と繰り返し、4周してスイムアップ。素早くトランジッションエリアに行って、バイクスタート。


松丸選手のバイクは速い!バイクは、まず、パラオの首都であるコロールの市街地を走る。交通量の多い場所だが、警察の協力でバイク先導車付き。道路規制もあってか、レースに集中できるのがいい。市街地といっても、アップダウンのきついコース。そして、「KBブリッジ」と呼ばれる橋を渡って、パラオ最大の島であり、大会の魅力の1つであるバベルダオブ島に入る。

この島、たいへんミステリアスな島であり、辺り一面はジャングル!路面はとても綺麗で走りやすい。坂が多くて、起伏が凄い。まるでジェットコースターのようだ。坂が大好きな人にはたまらないだろう。変化あって飽きないコースだが、ここは熱帯気候。走ることに夢中になって、水分補給を怠ってはいけない。しっかりと水分補給。そして、気温はどんどん上昇していく。そして、PPRに戻ってきて、90kmのバイクもトップで終了。最後の21kmのランニングに移る。

ランコースは、コロールの市街地を走る。日陰はない。はっきり言って超暑い!サバイバル!世界一暑いレース!


酷暑に耐え、頑張る松丸選手聞くところによると、ここでランニング大会があるそうだが、真夜中の午前2時にスタートするそうだ。この日は、天気が良すぎて、恵みのスコールは降らない様子。序盤は快調に走れたが、尋常ではない暑さに体力が急激に消耗していく。つらかった。エイドステーションで頭から水を被って体を冷やす。そして、ようやく12.5kmの一番奥にある折り返し地点に到着。

あとは復路。帰るだけだが、ここからが本当にきつかった。だが、沿道ではしばしば応援もあって嬉しい。そして、残り3km。最後のエイドで沢山の水を被って、一番勾配のある上り坂に突入。ここを登らないとゴールにたどり着けない。厳しく過酷だ。暑すぎて、呼吸ができない。もはやここで力尽きるかと思ったほどだ。そして、なんとか頂上に到着。あとはPPRまで下り坂だ。下りと言っても、それでもきつい。そしてゴール!嬉しい。今年最後のレースを優勝できてよかった。

感想:日頃のスポンサードありがとうございます。いつも使用機材の供給、本当に感謝しております。これからも頑張りますので、ご支援のほう、どうか宜しくお願い致します。

次の大会:2009年4月19日〔日〕:第25回全日本トライアスロン宮古島大会



■KFC徒然
パラオっ子とシェル石油会長のフランク・キヨタさん“パラオでトライアスロンをやってほしい・・・”という依頼を受け、昨年の2007年12月15日に第1回パラオ・レインボー・トライアスロン大会を、翌日16日にオーシャンスイム大会を開催した。

それから、早いものでもう1年が経ち、2008年12月の6日〜7日にかけて第2回パラオ・シェル・レインボートライアスロン&オーシャンスイムを開催することになった。

KFCにとっては、パラオはロタ、テニアン、サイパン、グアムに続いて5つ目の島となる。南の島との付き合いが始まって、はや15年が経った計算だ。


【グアムへ】
11月と12月はKFCにとって大会開催が多く忙しい時期だ。11月16日(日)にはロタ島で「第15回ロタブルー・トライアスロン大会」を開催した。1つの大会を開催するには約2週間その島に滞在する必要がある。そんな訳で19日(水)にロタから帰国した。そして、翌週の26日(水)には第4回ダンズカップ大会開催(29日)のためグアムへ出発した。この大会はKFCのサポート大会で、ダン・オキーフがほとんどやってくれるので主催大会ほどエネルギーは必要としない。

グアムでは新しい発見があった。この度、宿泊した「フィエスタ・リゾート」の沖の海は透明度が高く、安全な海だ。朝夕、手軽に海スイムを楽しんだ。スイマーやトライアスリートには持って来いだ。ちょっと得をした気分になった。


【グアムより暑いパラオへ】
サッカーボール大のシャコ貝。パラオにはたくさんいる。翌々日12月1日(月)にグアムからパラオへ向けて出発した。パラオへは日本からコンチネンタル航空がグアム経由で定期便を就航させている。位置的には、神戸の真南の赤道付近にある。日本との時差はない。

グアムからの飛行時間は約2時間だ。夜の8時頃到着した。空港へは“ロック・アイランド・ツアー・カンパニー”の菊池さんとシマさんが出迎えに来てくれていた。この時、南国特有の激しいスコールが降っていた。結局、菊池さんの4輪駆動車でホテルまで送ってもらうことにした。

昨年の第1回大会を開催するにあたり、4月の下見の時も、昨年12月の第1回大会開催の時も、菊池さんにホテルまで送ってもらっている。パラオの“生き字引”の様な菊池さんがいてくれれば、とても心強い。パラオ在住20年以上で、パラオの事は隅から隅まで何でもご存知だ。ホテルへの道すがら、菊池さんからパラオの最新情報をいろいろ入手することができた。日本との時差はないが、グアムとの時差は1時間ある。


【お気に入りのパラオ・パシフィック・リゾート】
PPRのプールからビーチを望む今年は世界中のダイバーたちの憧れのホテルである“パラオ・パシフィック・リゾート(PPR)”に滞在した。場所はアラカベサン島にあり、目の前にはフィリピン海が広がっている。

パラオでは唯一プライベート・ビーチを持つホテルである(2008年7月、ロイヤル・リゾートに人工ビーチがオープン)。PPR以外のホテルはどこもビーチがないので、泳ぐことができない。海に囲まれたパラオへ来て、お手軽に泳げないなんて・・・と俄かに信じ難いが、そうなのである。


PPRのオープンエアーのレストラン風景このホテルはコテージ形式で、濃い緑に囲まれ、たいへんリラックスできる。ビーチリゾートはこうあるべき、という感じである。世界中のダイバーからナンバーワンの評価を得ているのが頷ける。南の島通のKFCもベストワンと思う。パラオに来たらPPRに泊まらないとパラオに来た価値がない。宿泊客も日本人だけでなく、アメリカ人、オーストラリア人、ヨーロッパ人など世界各国から訪れているがその証拠だ。PPRに泊まるために、わざわざパラオへやって来る観光客がたくさんいるくらいだ。

今年PPRに着任された鈴木マネージャーは、かつて“アイアンマン・ハワイ”のメイン会場となっていたホテルでもマネージャー経験をお持ちで、今年のパラオ大会にはたいへんな協力をして頂いた。


【パラオへの改善要求】
パラオ警察の白バイ実は、昨年の第1回大会は運営サイドから見ると、決して満足のいくものではなかった。我々にとっては、これまで運営した数多のイベントの中で最もお粗末と感じられたイベントだった。そんな訳で、第2回大会をやるに当り、新宿にある駐日パラオ大使館を通して、「改善要求」をパラオ・オリンピック委員会へ前もって提出しておいた。それでも改善されていなかったら、危険過ぎて、今後の継続は困難と考えていた。

「改善要求」の大まかな内容は次の通りだ。
@パラオ警察のトラフィック・コントロールの不味さ、
Aエイドステーションのやり方、
Bホスピタリティの無さ、
Cタイム計測の不味さ、
Dアワードパーティの貧弱さ、
Eコロール島の道路コンディションの悪さ、
F現地企業の協力体制の無さ、
G島民に対する認知度の低さ、
等々だ。一朝一夕に改善するには相当に困難と思えるものばかりだ。


【大改革、4本柱の組織化】
スイムの競技説明をするシマさんとティノ(右)この「改善要求」をパラオ・サイドは「オオニシ・コンプレイン」と呼んで真摯に受け止めてくれた。そして、何度もミーティングを持ってくれた。その結果、これらのコンプレインを改善するために、先ず、パラオ実行委員会の組織を構築し、各分野のスペシャリストがその組織に参加してくれた。これが大正解だった。

全部を統括する大会委員長(ディレクター)にはタガマンへの参加経験もあるティノ、その下部に「陸上(バイク&ラン)部門」、「海(スイム)部門」、「コンピューター部門」、「資金調達&広報部門」の4部門を設けた。

バイク&ランやエイドステーションを取り仕切る「陸上部門」のボスはダーロ、ブイ打ちやスイムコース設営を取り仕切る「海部門」のボスはシマさん、タイム計測や資料作りを取り仕切る「コンピューター部門」のボスはトシさん、スポンサー獲得&アワードパーティの段取り&テレビと新聞への露出を取り仕切る「資金調達&広報部門」のボスはリア、と云った具合である。最重要事項である警察との交渉はティノとダーロが受け持った。


【パラオからの進捗状況】
メインストリートに掲げられた大会の横断幕大会が近づくにつれて、4ヶ月ほど前からパラオ実行委員会の面々から進捗状況を知らせるメールが届き始めた。

その内容は、昨年まで路面が凸凹だったコロール島の道路改修工事が予想以上のスピードで進んでいること、その道路を利用しての新コース設定の案、パラオ警察との交渉を始めたという知らせ、地元テレビと新聞で大会があるというアナウンスを島民向けに始めたという連絡、多数の島民マンパワーを確保できたという知らせ、シェル石油やPPRなど地元企業のスポンサーが獲得できたという知らせ等々、である。

昨年の第1回大会の時とは全く違うと感じることができた。昨年、トライアスロンやオーシャンスイムという競技を直に見たこともプラスに働いているのだろう。


【キック・オフ・ミーティング】
ビーフシチュー肉とマシュポテト、これは美味い!12月2日(火)の朝、お気に入りの“ロック・アイランド・カフェ”で菊池さんと朝食を取った。その後、コロール市街の中心部にあるパラオ・オリンピック委員会のオフィスで、各部門のボスとのキック・オフ・ミーティングを行った。メールでは報告を受けていたが、このミーティングに出席して、初めて皆の頑張りを実感することができた。主だったメンバーは全員出席していた。リアとは初対面だが、他の人はすでに面識がある。

◆大会ディレクターのティノ、彼はパラオ・トライアスロン協会の会長でもある。職業はパラオ病院の栄養管理士だ。

◆「資金調達&広報部門」のリア、彼女は元パラオ観光局職員であり、島の有力者の家系で、各方面に顔が利く。

◆「海部門」のシマさん、彼女はパラオ・スイム協会の会長で、オリンピック委員会に務めている。この大会への情熱は人一倍強い。

◆「陸上部門」のダーロ、彼は土木建設資材の会社を経営している。真面目だが、融通が利かないのが難点だ。

◆「コンピューター部門」のトシさん、パラオ病院でコンピューター技師として働いている日本人。パソコンのスペシャリストで頼りになる仲間だ。


協賛企業のロゴがプリントされたボランティアTシャツそれに、菊池さんだ。現地ツアー会社の菊池さんは駐パラオ日本国中村大使やPPRのマネージャー鈴木さんやコンチネンタル航空とも親しいので、ピンポイントでこの3箇所への協力要請を担当してもらった。

今年は彼らが核となって、役割を分担し、大会を作り上げていくことになる。分業がしっかりできており、ちゃんとした組織だ。大きな進歩だ。パラオの大会は何といっても、まだ2年目、まだまだ発展途上にある。

今年はコロール島のメイン道路の舗装工事が未完成ではあるが、バイクで走るには問題ない程度には出来上がっていた。だから、その道路をバイクコースに使うことができる。昨年のコースとはガラッと違って、今年はPPRをスタート&フィニシュとする新コースでいくことにした。パラオの立地を生かしたベストのコース設定だ。因みに、この道路工事は日本のODAで行なわれた。その工事を仕切ったのは、今、話題の西松建設だ。


【スイム用のスロープ設置】
大会用に造られたスロープキック・オフ・ミーティング後、今年のスイム会場となるPPR敷地内の現場をティノとシマさんと共に見に行った。ビーチ端の「スプラッシュ」というダイビングショップ前の桟橋下からスタートして、スイムアップもここに戻ってくるという設定だ。

何と、前もってPPRがトライアスロン大会用に桟橋の下にセメントでスロープを造ってくれていた。その部分だけ危険なサンゴはセメントの下にあるということだ。有り難いことだ。感謝である。シャワーの取り付け場所、バイク&ランのトランジッションエリア、タイム計測場所等、設計図が具体的に出来上がっていた。


【松丸選手絶賛、極上のバイクコース】
パラオ自慢の極上バイクコース午後からダーロの作ったバイク&ラン・コースを下見に行った。彼は昨年の第1回パラオ・トライアスロンの為に、わざわざオーストラリアへトライアスロンのコーディネーター業なるものを勉強し行ったくらい熱心なヤツだ。

バイクは舗装の良くなったコロール市街を抜け、台湾資本で全面アスファルト舗装がなされたパラオ最大の島“バベルダオブ島”のコンパクト道路を走る。その道はコロール市街に比べ交通量は極端に少なく、昔ながらの濃い緑のジャングルに囲まれた気持ちの良い道路だ。路面は良く、適度なアップダウンが続く。コーナーにはバンクが造ってあり、下りのスピードを殺さずに次の上り坂に入っていくことができる楽しい道路だ。松丸真幸選手、絶賛のバイクコースだ。


【パラオ警察へ】
パラオ警察署で。中央がトラフィック部門のボス12月3日(水)バイクコースはパラオで唯一の繁華街であるコロール市街を通り抜けるため、警察の交通規制やコントロール体制の協力が不可欠だ。改善要求の第1番目に書いておいたが、一番気になっていた。普段のコロール市街の交通量は多く、常に渋滞が発生している。小さな島とは思えないほどだ。

この日の朝、運悪く、2つの予定が同時刻で重なって入れてあった。パラオ警察でトラフィック・コントロールのやり方についてのミーティングと、毎週水曜日の朝に放映される“パラオ大統領テレビ”への出席である。優先事項を考えると警察でのミーティングが上なので、大統領テレビの方は欠席させてもらって警察へ行った。

昨年は第1回目ということもあり、かなり不備のあったトラフィック・コントロール関係も、今年はすでにパトカー・白バイ・救急車・・・と警察官の配備と、かなりの協力体制が敷かれていた。前もって「オオニシ・コンプレイン」に沿って、ティノとダーロが警察との打合せをしてくれていたお陰だ。それに加え、かなり前からもテレビ・ラジオ・新聞等でトライアスロン&オーシャンスイムが開催されることが報道され、島民たちにも周知徹底されていた。トライアスロンが開催されこと自体知らされていなかった昨年の第1回大会とは“雲泥の差”だ。


【駐パラオ日本国大使館へ】
中村大使(左)と鈴木マネージャー(右)午後から菊地さんと一緒にPPRに隣接した日本大使館を訪ねることになっていた。中村大使にご挨拶をするためだ。大使は昨年の第1回大会の3日ほど前にパラオに赴任して来られた。それ以来、たいへんお世話になっている。

今年もこの大会が安全に、円滑に、運営されるようパラオ政府に働きかけて下さっている。やはり政府から政府への正規の外交チャンネルを通した要望は大きい。昨年に引き続き今年も大使にスターターやアワード・パーティのプレゼンターなどをお願いした。快諾して下さった。この時、9日(火)に催される日本大使館主催の天皇誕生日の晩餐会に招待して頂いた。

夕方からオリンピック委員会のオフィスで各エイドステーションのリーダーを集めての説明会があった。30名ほどが集まっていた。説明をしているのは、オリンピック委員会の職員で高校の体育の先生でもあるジョーだ。テキパキと的を得た説明をしていた。彼は昨年の第1回大会には係わっていなかった。


【パラオ流ブイ打ち】
カヤックでブイ打ちをするシマさん12月4日(木)昼頃からPPRの沖で、レスキュー署(日本で言う消防署)のボートやカヤックを使って、シマさん、ティノ、それにレスキュー隊員とでスイム・コースの設営が行なわれた。やり方は昨年と同じくアナクロな方法だ。100mのロープを使って行なうのだ。

我々もビーチから沖の現場まで泳いで行って作業を手伝った。ロープの端を持って海面にステイしておくのだ。長時間の立ち泳ぎ、これが結構難しい。脚が攣った。他方の端は100m先までボートで引っぱって行く。これを繰り返すのだ。

作業中、海の上で話がまとまり、夕方からティノの新築の家を訪ねることになった。そこで、よくよく聞いて見ると、彼の家はバベルダオブ島の北部にあるガラマオスの滝の近くだという。ということは、ここPPRからだと80kmくらい離れているという計算だ。遠い。


【サバイバルのようなティノの家へ】
カッコいいティノの家彼の車の後を付いて行くことにした。彼の車は燃費の悪そうな4輪駆動の旧式パジェロだ。我々の車はチーペストなレンタカーの小型セダンだ。コロール繁華街を抜け、バベルダオブ島のコンパクト道路へ入った。ここからは2台連なって100km前後で飛ばした。高速道路並みに整備されているので、高速走行も問題ない。対向車には出会わない。

ガラマオスの滝辺りから左の枝道へ入っていく。細い地道だ。どんどん山の頂上へ向っていく。路面が悪くなってきた。我々のセダンは底をズリズリ擦っている。水が溜まってヌタヌタの箇所もある。一旦止まるともう動けない。悪路の運転は得意なのだが、レンタカーだと気を使う。彼の愛車が4輪駆動の訳が分かった。


テラスで持て成してくれたティノようやく山頂の彼の家へ着いた。薄暗くなっていた。カッコいい洋風の新築だ。造りは木造だ。夕焼けが綺麗だ。周りに民家はなく、見渡す限りジャングルだ。居心地のいいテラスにテーブルを引っぱり出して来て、夕焼けを見ながらメシを食べることにした。途中で買ってきたカツオをさばいて、刺身を作ってくれた。ワインを飲みながら雑談を楽しんだ。彼の父親が大工だったこと、コンパクト道路で自転車レースがやりたいこと等など。

昼間なら見晴らしがよく、涼しくて、居心地が良さそうだ。次回はもっと早い時間に来て、ゆっくりしたいものだ。台風の来ないパラオだからこそ、こんな山の上に木造の家を建てることができるのだ。台風の多いマリアナ諸島では考えられないことだ。それにしても、ここから職場の病院まで毎日通うのはたいへんだろうな・・・。


【選手到着】
この日の夜、トライアスロン参加の選手が殆ど到着した。オーシャンスイムに参加の選手たちも混じっている。この日の飛行機はヤップ島経由なので、パラオ到着はいつもより2時間ほど遅くなる。夜10時くらいだ。出迎えに空港に行ってみると、ツアーのお客さんをケアする為、菊池さんやその他ツアー会社の人たちが来ていた。

松丸選手もこの便で到着した。彼を乗せて宿泊先であるPPRに向う車内で「トライアスロンJapan」誌の突然の休刊が話題になった。我々が日本を発った後に急に休刊が決まったようだ。プロ選手にとっては、雑誌の休刊は痛手だ。


【水族館での競技説明会】
スライドによる説明会、後がトシさん。前がティノ12月5日(金)いよいよ、明日はレースだ。昨夜到着した選手たちで、ホテル内の空気がいつもと変わったように感じる。カラフルなロードバイクを持ってホテル敷地内をうろうろする人、スイムの練習で沖に泳ぎだす人等など。一般の観光客は水深の深い沖まで泳いで出るということはほとんどない。ホテルスタッフも大会には興味がありそうだ。

夕方5時からはパラオ国際サンゴセンター(水族館)内で登録と説明会が行われた。昨年とはガラッと変わり、今年の説明会ではスライドが使用されハイテク化を感じさせた。トシさんの存在は大きい。


カーボローディングの様子説明会後、カーボローディング用の食べ物も充分に用意されていた。この食べ物のアレンジや説明会場のアレンジはリアの働きによる。それ以外にも、レース後のアワード・パーティにはPPRのプールサイドを確保している。さらに、SHELL石油を冠スポンサーにして資金協賛をしてもらっている。それ以外にも、地元の会社やレストランなどの協賛を多く獲得していた。大したものだ。

因みに、SHELL石油の経営者フランク・キヨタさんはパラオ・オリンピック委員会の理事長だ。パラオ共和国として東京オリンピック開催をプッシュするようにお願いしておいた。


【トライアスロン大会当日】
仮設シャワーを浴びる選手12月6日(土)いよいよトライアスロン当日、スコールもなく、朝から快晴で、暑い。パラオは赤道に近いので、とにかく暑い!! バイクの時は危ないが、ランの時は少しスコールが欲しい。

スタート会場はPPRの桟橋だ。今年は干潮と重なったのでビーチからのスタートは浅過ぎてできないことはタイド(潮汐)表で前から分かっていた。だから前もって、スロープを造ったりして桟橋スタートで準備されていたのだ。スターターはパラオ大統領になった。昨年に続き中村大使も会場に起こし下さった。鈴木マネージャーも来て下さった。大使は今年からダイビングを始められたそうだ。「ダイビングは楽しいね」とおっしゃっていた。


【レベルアップした競技運営】
先頭のモーターバイクがパラオ大統領朝6時ジャストにスタートした。波も流れもない、鏡のような平面の海だ。あるのは選手たちが作り出す波だけだ。1周回500mのトライアングル・コース。スイムを終えた選手は仮設シャワーの下を抜けてバイク・ラックへ向う。バイクは、ここからコロール市街を抜けて、パラオが誇るバベルダオブ島のコンパクト道路へ。

大統領もポリスをお供に自分のオートバイを飛ばしてバイクコースをパトロールされていた。と、言うよりも観戦だ。大統領もポリスも松丸選手のバイクのスピードには目を丸くしていた。松丸選手曰く「併走しながら何だかんだと話かけられた。」


パラオのランは暑いのだパトカーや白バイによるトラフィックコントロール、それに交差点などの要所要所にはポリスが立って誘導している。最後の選手には救急車がピタッと付いている。ランに移るとパラオの暑さを実感する。今年はエイドの数も充分だ。それに、水、氷、ゲータレード、フルーツなども充分に用意されていた。

昨年のエイドよりもかなりグレードアップされて、組織化されていた。塩や梅干も用意されていた。お陰で一番心配していた脱水症に陥る選手は1人もいなかった。パラオは赤道に近い分、それだけグアムよりも暑いのだ。

ハーフタイプ男子優勝は松丸真幸選手、女子優勝は小田智子選手。
ショートタイプ男子優勝は峰尾一美選手、女子優勝は福田ゆみ子選手。
(レース結果はこちら)


【オーシャンスイム大会当日】
桟橋からの一斉スタートの風景12月7日(日)PPRのビーチを使ってオーシャンスイムの大会が行われた。スタートはトライアスロンと同じ桟橋だ。フィニッシュはビーチだ。前日のトライスロンに使った立派なフィニシュ・ゲートがセットされた。

潮汐の関係で、12:30のスタートとなった。そんな訳で登録はのんびり10:00から開始し、12:00から競技説明会だ。

この日は雨こそ降らなかったが、生憎の曇り空だった。曇ると海の透明度が落ちるのが残念だ。

500m部のキッズレースが先に行われた。なぜか、地元パラオの大人たちも少し混ざっていた。今年もシマさんの教え子であるパラオっ子たちが大人顔負けの泳ぎをしていた。


スイムアップの風景シマさんは、パラオに住んでオリンピック委員会に務めながら、無報酬で子供たちに水泳を指導している。パラオの水泳教育の全てをシマさん1人で担っているという恰好だ。同じ日本人として誇りに感じる。シマさんも菊池さんと同じくパラオをこよなく愛している1人だ。

今年の夏、教え子の1人がパラオ代表として、北京オリンピックにも参加した。この様子は日本の水泳雑誌「SWIM」にも取上げられていた。現地北京からオリンピック現場の生情報も送ってくれた。

500m部に続き、1600m部・3200m部・4800m部が一斉スタートした。波はほとんどなく、むしろ、プールよりも泳ぎやすい。

1600m部女子優勝は百渓たつ子選手、男子優勝は峰尾一美選手、3200m部女子優勝は山田栄美子選手、男子優勝は瀬戸学選手、4800m部女子優勝はシマさんの教え子GIBBONS MARIA選手、男子優勝は大澄博史選手。
(レース結果はこちら)


【プールサイドでの豪華なパーティ】
気持ちいいプールサイドでのパーティレース後、夕方6時からPPRのプールサイドとロビーで、トライアスロンとオーシャンスイムの合同アワード・パーティーが催された。ビーチの片隅のテントでやった昨年の貧弱なアワード・パーティと比べたら「月とスッポン」だ。

今年はブッフェ・スタイル(バイキング・スタイル)で食事も豪華なパーティーとなった。

夕方、テーブルがセットされていくのを見て、地元のお金も持ちの結婚式でもあるのかなあ、と思っていたくらいだ。これがアワード・パーティ用だと知った時には驚いた。参加者たちも驚いていた。


ブッフェスタイルのご馳走あのバーベキュー・アイランドの「ロタブルー・トライアスロン」のアワード・パーティに引けを取らない豪華さだ。加えて、パラワン・ホスピタリティも充分に伝わってくる。昨年を知っている人には信じられないほどだ。食事が1通り終わったところで、表彰式が始まった。プレゼンテーターは冠スポンサーのSHELL石油のフランク・キヨタさんや中村大使だ。








【パラワン・ホスピタリティの手ごたえ】
陽気なボランティアの人たち今年の第2回大会は、レースもアワード・パーティーも、様々な点で昨年の第1回大会とは随分違い、多くの人や企業の協力も得られ、かなりグレードアップした。何よりも、彼らが本来持っているであろう“パラワン・ホスピタリティー”が少しずつ発揮されてきたのがいい。今年は一気に3年分ほどジャンプアップした感がある。まだまだ、大きく成長すると予感させる第2回大会になった。

我々にとっての最大の収穫は、パラオの人たちと気持ちが通じ合うようになってきたと感じられたことだ。パラオが好きになり始めたことだ。幾ら、海や綺麗とか、緑が綺麗とか言っても、そこに暮らす人たちに“気持ち”な無ければ、その島を好きになることはできない。


【アフターレース】
無人島での昼休み12月8日(月)レースも無事終わったということで、観光客気分で、パラオで初となるオプショナル・ツアーなるものに参加した。昨年のこの日はトラブル解決にとん走し、遊ぶどころではなかったのだ。

マラカル島からボートで出港し、ドロップオフとコーラルガーデンでシュノーケルをし、その後、ミルキーウェイに行くというツアーに参加した。20人ほど乗れるボートだったが、半分以上が大会に参加した選手たちだった。

ドロップオフでは、松丸選手が一番に飛び込んだ。海面に浮上するなり叫んだ。「魚がいっぱいいる!!」と。それに続いて皆がボートから飛び込んだ。大きなナポレオンが悠々と泳ぎ、小さなブラックチップ(小型のサメで、危険はない)がその後ろをチョロチョロしていた。カラフルな熱帯魚もいっぱい泳いでいた。さすがにダイビングのメッカ“パラオ”と云ったところだ。マリアナの海ではこれだけの魚を見たことがない。また、捕獲したオオム貝を飼育している檻も浅瀬に沈めてあった。


皆でする楽しい泥パックその後、小さな無人島に上陸して昼メシを食った。ちょっと遊んで、皆が一番興味を持っているミルキーウェイへ向った。ここは、小さな入り江の奥まった場所にあった。それまでの碧く透明な海とは一変し、きれいな水色の乳白色で、ちょっと神秘的な様相だった。透明度は無い。

水深は2mくらいで、潜って海底の泥を取ってくる。それは少し硫黄の匂いのするキメ細かい白い泥だ。それを手にすくってボートまで持ち帰り、顔や体に塗りたくるのである。途端に、ボートの上は異様な光景に一変する。ゾンビのようだ。この白い泥は美容効果が高いということで、洗い流した後は肌がすべすべになるという。泥パック効果だ。日本ではこれを化粧品として高い値段で売られているという。


【ホスピタリティなおばちゃん】
オプショナルツアーから帰って、洗濯に行った。パラオに来て以来、洗濯する時間がなかったので、明日からの着る物がない状態だった。PPR近くの小さなストア兼ランドリーに行った。

もちろん自分で選択するつもりだったのだが、そこの店主のおばちゃんが「私が全部やっといてあげるから、もっとパラオを楽しんでいらっしゃい。」と。何とも“ホスピタリティー”な事を言ってくれた。もちろん、お言葉に甘えさせてもらった。閉店は夜10時ということだ。


【お気に入りのカープレストラン】
大きなマングローグカニシマさんとトシさんを誘ってマラカル島にあるカープレストランへ晩メシを食べに行った。パラオの食材をふんだんに使った美味しい料理をリーズナブルな値段で食べさせてくれる。大きなマングローブカニ、シャコ貝、まぐろの刺身、大きなエビフライ、パパイヤの漬物、天ぷら、それに、お好み焼きなどもある。

ここの主はパラオ人男性と結婚した日本人女性(おばちゃん)だ。歳は70歳前後だろう。愛嬌があって元気。シマさんのパラオでのお母さんに当たる人だそうだ。シマさんがパラオに来た当初、たいへんお世話になったようだ。面倒見がよさそうな肝っ玉かあさんのようだ。我々日本人客を歓迎してくれているのも感じる。松丸選手はこのおばちゃんに大そう気に入られてしまった。

ランドリーの閉店時間より30分も遅れてしまった。“もう、おばちゃんは休んでいるだろうから、明日の朝、引き取りに行こう・・・”と思って、10:30くらいに車で前を通ると、未だ、店を開けて待っていてくれていた。感謝!


【来年に向けての反省会】
頑張るローカル選手12月9日(火)朝、洗濯の一件のお礼も兼ねて、ランドリーおばちゃんの店に行くと、今度は「バナナ食べる?」と言って、まだ温かい作りたての“バナナの天ぷら”を台所から持って来てくれた。これは料理用バナナをフライしたもので、甘味と酸味が適度にあって美味しい。南の島ならどこにもあるの定番料理(おやつ)の一つだ。

昼、“パラオ・シェル・レインボートライアスロン&オーシャンスイム”委員会の面々とコロール市街にあるインド料理屋で“反省会&来年に向けてのミーティング”が予定されていた。時間があったので、それまでバベルダオブ島一周100kmのドライブと洒落込んだ。


バイクのエイド風景実は、このミーティングで自転車レースの話がでるような予感があったので、その下調べも兼ねてのことだ。滞在中にティノ、リア、ダーロからそれとなく打診されていたからだ。パラオ自慢のコンパクト道路を使って自転車レースがやりたいのだ。自分たちでも時々ローカルレースはやっていると話していた。

インド料理屋のミーティングにはティノ、リア、ダーロ、シマ、トシ以外にも、ボランティアと統括したジョー、それに、パラオ政府観光局の理事も出席していた。今年の成功を踏まえて、皆から来年に向けてのやる気がヒシヒシと感じられた。


【イベントは進化する】
ハーフ優勝の小田選手。ボランティアも暑くてたいへん!来年の段取りを皆に話した。日程は12月の第1週目。土曜日にテニアン方式でショートのトライアスロンとオーシャンスイムを同時進行で行なう。パラオはハーフタイプのトライアスロンをやるには暑過ぎるので、今後は取り止める。走る選手だけでなく、エイドのスタッフも同じく暑いのだ。

その代わりとして、翌日曜日に彼らの希望するバベルダオブ島一周100kmの自転車レースをやるということにした。皆、この案には満足そうだ。特に、ダーロは自転車レースが加わったので嬉しそうだ。


濃い緑の中を行く極上のバイクコース続いて、今後、KFCの窓口はティノ一本にすること。すると、間髪を入れず、リアが「ティノのパソコンはよく壊れる!」というので、他の人にはカーボンコピー(CC)で対応すると話した。そして、ティノには長い文のメールは送って来ないように頼んだ。長い英語メールは正確に意味を把握するのが困難だ。彼のはいつも長いのだ。それ以後は、超簡潔なメールが来るようになった。

最後に、ダーロが「来年も来るか?」と尋ねてきた。「もちろん!」と応えると、嬉しそうに手を差し出してきた。実は、これには伏線があって、昨年の反省会の終わりには「来年、来るかどうかわからない。」と応えたのを憶えていたのだ。


【ちょっと緊張の天皇誕生日の晩餐会】
晩餐会でスピーチをされる中村大使夜は中村大使から招待されていた日本大使館主催の「天皇75歳誕生日」の晩餐会に出席した。PPRのロビーで催された。先ず、日本の国歌「君が代」とパラオ共和国の国歌の独唱があり、続いて、中村大使のオープニング・スピーチがあった。いつもと勝手が違い、ちょっと緊張する。そのスピーチの中でトライアスロンやオーシャンスイムが取上げられた。 また、松丸選手が日本チャンピョンとして出席者に紹介された。

この晩餐会には現地パラオ政府の要人や有力者、それに、駐パラオ米国大使などそうそうたる面々が招待されている。これらの人々に我々の大会の存在を知ってもらえたのは大きな意義がある。中村大使に感謝!


【常夏のパラオから冬の日本へ】
大会の模様が載った現地新聞そして、食べてばかりのパラオ最後の一日があっという間に過ぎた。帰りの飛行機はヤップ経由となるため、通常のチェックアウトより早めの夜10:30にPPRをチェックアウトして空港へ向かった。と言っても、またまた菊地さんに送ってもらったのだが・・・。

その4日後に地元青梅で開催した「第9回みたけ山山岳マラソン」が雪のレースになるなんて・・・・。






Special Thanks:パラオ・シェル石油、パラオ・パシフィック・リゾート、コンチネンタル航空、ロック・アイランド・ツアー・カンパニー、駐在パラオ日本国大使館



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