雑誌掲載記事の紹介

これは私が平成11年11月に某雑誌に投稿して掲載された記事です。

わたしが受けている低周波騒音被害
                                 

 四六時中、低周波騒音にさらされる、そんな環境に置かれるまでは、私は四十年余り騒音被害とは全く無縁な人間でした。騒音についてなどさらさら考えたこともなく、たまたまニュースなどで騒音被害を訴えている人たちを見ることがあっても、音に神経質過ぎるのではないかとか、そんなに気になるのならさっさと他に移ればいいのにとか、他の公害に比べて、ずっと軽いちょっと工夫すればすぐに逃れることができるような被害、その程度にしか考えられませんでした。
 そんな私ですから、主人の仕事の都合で、準工業地帯の工場に囲まれたマンションに移り住んだ最初の二〜三年は、サッシの窓さえ閉めれば音はしなくなるのだから、窓を開けた時の近隣の工場の音や、閉めた後の多少の騒音は簡単に我慢することができました。
 また、私の住戸は七階建てマンションの二階でエントランスの真上、住民が出入りするオートロックの音やエレベータの昇降する音が頻繁に聞えますが、私はそれもほとんど気にならないような騒音に関してはかなり鈍感な人間であったと思います。
 それが平成十年春頃から思いもよらないようなことが我が家に降り掛かることになり、事態は一変しました。当初は自動車のアイドリングの音によく似たごく普通の騒音であると考えていました。それでも妙に頭に響いて眠ることが出来ないような特殊なもので、非常な恐怖感を覚えました。当時は低周波騒音などというものがあるとは夢にも知りませんでしたから、常識の範囲で考えればなんとかなるだろうと軽く考えて、枕の方向や高さを変えたり、布団の位置を変えたり、寝る部屋を変えたりなど、少しでも音が聞えなくなるようにとありとあらゆる工夫を試みました。それが不思議なことにどのようにしてもヴォーん・ヴオーンと頭の中で鳴り響く騒音が暖和されることがありませんでした。その上、騒音はますます大きくなって、私をますます苦しめるようになりました。音は非常に特殊なもので、最初の頃はさあ寝ようという段になって異様な音に気づき、それをしばら聞いているうちにだんだん強い苦痛を感じるようになるといったようなものでした。音は「うるさい」などと云う単純な表現では括る事のできないような肉体的な苦痛を私に与えました。
 私がその頃聞いた音の感じではヴォーン・ヴォーンという音とタタタタという二種類の音がしていました。静かに横になっているとどこからともなくヴォーン・ヴォーンという音が、どこかしら極近くで車のエンジンをふかしているような特別大きくもない程度の騒音として聞えてきます。またうるさい音がしているなと耳を澄ましていると、ヴォーン・ヴォーンという音はやがて部屋中にうなりを持って響き渡ります。部屋中に響き渡っている騒音は、次第に私に迫って来て、ついには頭の中でヴォーン・ヴォーンと恐ろしいうなりを持って旋回するようになるのです。音のうなりはそのうなりの波の変化するままに頭の中を刺激するのでとても心静かに横になってなどいられない状態になります。こうなるとどうしてもいままで経験してきた通常の音でないことに気づかずにはいられません。得体の知れない不気味な音が昼となく夜となく迫って来るということで、言いようのない恐怖感にも苛まれ苦しみます。
 ちょっと常識で考えても、そんな不気味な音のするような場所など誰でも嫌でしょう。それが不幸にも自分の自宅だとしたらどうでしょうか。簡単には逃げられないし、音にさらされたまま食事をしたり、テレビを見たり、お風呂に入ったり、寝なければならないのですからたまりません。音が一番激しい時などは、音のうねりが連続的に頭の中を通過するために、自分の脳で思考することがほとんど不可能になりました。その内に、私は振動を感じるようになり、息苦しさ、胸苦しさなど低周波音特有の様々な肉体的苦痛を強く感じるようになりました。
 私が経験した肉体的な面での低周波騒音の被害は次の通りです。低周波音によって常に内蔵を揺さぶられている感じ。後頭部の欝陶しさ。胸の圧迫感。予測もなく突然襲いかかる不自然極まりない動悸。常に感じる細かい振動の薄気味悪さ。頭の中に直接入り込む低周波音の拷問を受けているような苦しさなどです。
 その後、低周波音を専門に研究されている汐見先生より、低周波音は実は聞えているというより感じているのだとご指摘を受け、はじめてこの奇妙な音はもしかしたら聞えているのではなく、実は感じているのかもしれないと思うようになりました。しかし、私にとっては低周波音は、はっきり聞えている音なので、反対に大多数の人がこの音を感知できないということがどうしても信じられません。それでも、それが風が吹いているような特殊な音で、しかもそのうねりが直接体に入り込んで異様な身体的苦痛を与えるため、いつも聞いているような通常の音とは全く違った性格のものであるということだけは、自分の身をもって、はっきりと理解することが出来ます。
 私は被害を受けた当初はこの騒音が低周波騒音であるということを全く知らず、また被害者が、隣近所はもちろん、夫と子供の三人の家族の中で私一人だけであったため、更に強い精神的苦痛を感じずにはいられませんでした。低周波の音というものは、言いようのない恐怖感を与えるもので、大災害の前兆の地鳴りのような音、もしくは強い風の吹く音などというような特殊な自然現象の音に似ていることがその理由のひとつになるのではないかと思います。また、普通に聞える音ではないので、その正体がなかなか掴めないということでも、一種の恐怖感を生み出す元となっているのではないでしょうか。私は自宅の不気味な音が低周波音であると知ることによって恐怖感が大分緩和し、測定してはっきりした低周波音の数値が出たことで、やはりそうであったのかと気持ちが多少落ち着き、音源が特定されたことによって、やっと低周波音の音そのものを冷静に聞くことができるようになりました。
 被害者が自分ひとりだけで、普通の人には聞えない音であるということで、この毎日聞いている音は本当に現実のものであるのだろうかと、自問自答を繰り返した日々もありました。でも、音が正体不明で他人に分かってもらえない幽霊のようなものであったとしても、現実に心身における被害は否応なく迫って来ます。私はこの心身に受ける苦痛の確かさによって、しかも、この苦痛が自宅を逃れ低周波音のない空間に移動するとたちまち消えてしまうことなどによって、自分が昼夜聞いている音が決して幻などではないと信じ、ついに図書館で汐見先生の著書「低周波公害のはなし」に出会い、自分が被害を受けている音の正体が低周波音であることを知ることができました。
 それほど、低周波騒音の拷問から来る肉体的な苦痛と精神的な苦痛は、常に現実のものでした。私は自分の家にいるのが苦しくて、逃げるようにして頻繁に外出しました。自分の家から離れて低周波音から逃れることができるとホッとしました。私は低周波音の影響のない空間の境界線を体ではっきり感じることができました。低周波音の充満している境界から出ると常に構えていた体と心が自然と解放されるのがよく分かりました。
 昼となく夜となく、絶え間なく襲いかかる低周波騒音の苦しさにたまりかねて、私が救いを求めて真っ先に駆け込んだのが地元の行政でした。ところが、私が居住している〇〇市は全く頼りにならないばかりか、被害を訴えている私をいかにもちょっと頭のおかしな奥さんという感じで扱いました。彼らは市の公害対策課という部所に属し騒音問題を専門に扱いながら、低周波騒音に関しては全く知識がありませんでした。低周波騒音というものがこの世に実在するということを彼らに知らせたのは、信じられないことに、私でした。また、被害者が私一人だけであったことも、相手にされなかった理由のひとつだと思います。でも、被害者がたった一人であるからと云って、被害が軽いという理由にはならないのです。一人で孤独で誰からも理解されない分、被害の度合いはより深くなるというのが実情です。 
 その挙げ句、彼らは平成十年六月と十一月に二度の見当外れの測定を行い、私が自分の家の中で受けている低周波音は通常の音であると決め付けることによって、面倒な苦情を訴える私を切り捨てようとしました。実は私は、汐見先生の測定を受けるまでは近くの食品工場が音源ではないかと思い込んでいたのですが、彼らはどうもその食品工場の味方をしているようにしか思えなくて、個人で僅かな住民税を払っているものよりも、多くの法人税を払っているものの方を優遇しているのではないかと、ひがんでしまった程です。というのも、彼らは第一回の測定の時、その食品会社を立ち合わせたのですが、私の方には事前に何の連絡もなく、被害者不在の測定を行なったのです。その後、私は行政というものをほとんど信用できなくなってしまいました。
 〇〇市によって正確な周波数分析が行なわれ、音源がもっと早く特定できれば、私の恐怖と不安はこんなに深くならなかったでしょう。
 また、当時一才半であった私の息子の健やかであるべき生活が日々、低周波騒音に踏みにじられていたとしても、〇〇市は低周波騒音というものについて全く無知で被害の実情がよく把握出来なかったということで、何の責任もないものでしょうか。
 日本国の児童憲章に於いて、「すべての児童は、心身ともに、健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。」と第一に掲げられています。昨今、育児ノイローゼとか、児童虐待とかが、騒がれている時代です。低周波騒音のない場所でさえも児童虐待が多くあるのに、低周波騒音に二十四時間さらされている肉体と精神の拷問のなかで、母親として平静を装い幼い子供を育てるのは本当に血を吐くような思いでした。昼夜否応なく、浴びせかけられる低周波騒音が幼い子供に与える影響を考えて、気も狂わんばかりに悩みました。いま思ってみても、よく児童虐待まで行かなかったなと我ながらホッと胸を撫で下ろします。こんな私たち親子に対して〇〇市は少しでも思いやりある態度を示してくれたでしょうか。
 我が家の件だけではなく、行政というものが私たち低周波騒音の被害者達をほとんど相手にしないということをよく聞きますが、低周波の被害を実際に受けているものとしては、とても許すことが出来ません。私たちの低周波騒音の被害は到底、無視することのできない程の苦痛を心身に与えるものであることを是非知ってほしいと思います。
 〇〇市に見放された私は、そのあと、幸運にも汐見先生のご好意から測定していただけることになり、平成十一年四月と七月の二度の測定により、音源は自宅マンションの玄関先真下にある分電盤室内のマンション全体の換気装置であるということになりました。換気装置は分電盤室の天井にへばりついていますから、音源はその二階にあたる自宅玄関ドアを出たすぐその足元にあるということになります。こんなに人を害する音のするものを人が住む住居にくっつけていいものかと思います。音源の音の減衰の度合いからして、低周波音の影響を受けているのは私の住んでいる住居のみではないかとみられますので、私が現在住んでいる住居以外であれば、私も低周波音の被害を受ける事無く安心して生活できると思われます。私達は今住んでいる住戸を安心して快適に家庭生活を営むことの出来る住まいとして購入しました。購入して二年後にこういう事態に陥るとは夢にも考えないことでした。
 マンション学会のある建築士の方の話によりますと、今は狭い敷地にマンションを建てるため、人の住む住居に隣接してエントランスの周辺に機械室や電気室などを造ることが多くなっているそうです。そして、それらの機械室や電気室などについて通常の騒音に対する防音設備はしてあるが、低周波音騒音に対する対策は全く考慮に入れられていないということで、潜在的な被害者はかなりいるだろうということでした。私の部屋の真下にある機械室も電気室も確かに防音設備はしてあるのです。しかし、低周波音に防音壁は十分な効果を発揮せず、その結果私は被害を被ることになった訳です。
 低周波騒音について、私はうるさいから嫌だとか、苦しいのではなく、肉体的にある特殊な影響を音と共に受けるから耐えられないのです。それを常に浴びせられることによって、時には押さえ切れなくなる程の苛立ちを覚えます。それが自分の家を離れればなくなるのですから、自分の憩いの場所はもはや自分の家にはありません。通常の騒音と低周波騒音は同時に発生している場合がほとんどだということですが、世に云う騒音公害の中でも一番耐えられない部分は実は低周波音にあるのではないかと、素人ながら密かに思う今日この頃です。
 我が家の低周波騒音被害の場合でも、低周波音を被害のない程度までおさえるということは、防音壁をちょっと改善するぐらいではほとんど用をなさないだろうということですから、マンション業界は低周波騒音についてもっと真剣に研究して、全ての人が快適に住める住居を提供できるように努力すべきです。利益を優先して、電気室や機械室の真上に位置するようないろいろな面で住居者にリスクを与える可能性のある住まいを、購入者にそのリスクについて全く何の説明もなく、リスクのより少ない他の住居と同じように販売するのは間違っていると思います。こんなところを買ってしまって運が悪かった、貧乏くじを引いてしまったと云えばそれまでですが、よく考えてみれば、車でもパソコンでも不良品を買わされて、運が悪かったという人間はひとりもいません。それが、何千万円もする住居を購入して被害に会った場合、私にはこの住居は不良品であると主張する権利はないものでしょうか。
 現在、私は我が家の低周波騒音の測定結果と被害状況の文書をマンションの管理会社の方に提出していますが、どういう形で回答が返ってくるのか見当も付きません。これ以上、悲惨な結果にならないように心から祈るばかりです。           (終わり)

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