The 関西

京都 祇園祭

 夏の京都は祇園祭。四半世紀ぶりに訪ねてきました。前回は、学生時代に何の予備知識もなく出かけて、宵山の人だかりを見て帰ったのを覚えています。今回は事前にインターネットで少し調べて行ったので良〜く「祇園祭」のことが分かりました。にわか知識と今回訪れたポイントを紹介します。

(歴史)
祇園祭は八坂神社の祭礼で、貞観11年(869年:平安時代)疫病の災厄除去を祈って始まりました。町衆自身がその自治組織を単位にほぼ現在の形を持った山鉾で街中を巡行したのが応仁の乱後の明応9年(1500年)で、千有余年の長きにわたり継承されてきました。

(祭りの場所)
 歩行者天国の「四条通り」しかも繁華街の河原町通りから烏丸通り近辺が中心と思っていましたが、山鉾巡行前の中心区域はそれらの西側の地区、南北に延びる「室町通」「新町通」になります。この辺りの通りは四条通りに比べるとそれこそ路地という感じで、通りの真ん中に山鉾が飾られ、通りの両側に露天が連なりすごく混雑していました。しかし、その辺の雰囲気がまた京の夏祭りをうまく演出しているのだと感じました。

(主役の山鉾)
 祇園祭の主役は32基の山鉾。それぞれ長い歴史を持ち、各町内で組み立てられ「山鉾巡行」で京都の町を巡行します。私はその巡行を見たことはなく、今年も巡行3日前の状態の各町内を巡りました。山鉾の下又はすぐそばの「町席」では、災厄除去の「ちまき」等を販売したり、山鉾の懸装品を展示したりしています。私はその中で、中国の故事「登龍門」から人々の繁栄と成功を願った「鯉山」に参詣して来ました。

☆祇園祭り情報は・・・「祇園祭Navi」 鯉山情報は「鯉山ホームページ」へ

 

   


↑新町通を北側から眺める(狭い通りに多くの人が)

←四条通りの函谷鉾(この辺りを「鉾の辻」と呼ぶ)

 

  
↑鯉山の町席の中(鯉は左甚五郎作)

←鯉山の町席への入り口(京の家独特の狭い間口)

 

京都 に戻る