|
古きもの
03.03.2001
さまよえし 出会いもとめて 京のまち 新しき声 古き良き本 古本屋が変わった、と耳にする。 それは今までの古本屋のイメージとは異なった古本屋の 出現によるもののようである。 皆さんも一度ならずも足を運んだことがあるのではないだ ろうか。BOOK OFF、古本市場などをはじめとした大型古本 屋はいつもそれなりに人が入っており、繁盛している。コミッ クなどが売り場の半分以上を占める店舗も少なくないが、 書籍の売り場にも結構人は足を運ぶようである。 何を隠そう僕もそれらの店の常連客である。ちょっと暇が できるとすぐに立ち寄ってしまう。そして安いから、という 理由で抵抗無く本を手にとってしまう。おかげで我が家で は読まれるのを待っている本が山と積まれてしまう状況が ここ最近続いている。 こうした店舗の、従来の街角にあるような古本屋との大きな 違いは、その大きさや見た目の綺麗さもあるかもしれないが、 それよりなにより本を探しやすい、という点である。 古本屋にもよるけれども、たいてい街角にあるような古本屋 ではおおまかに文庫や新書、単行本などが分けてあるのみ である。それに比べると、大型店舗では著者別、ジャンル別 など非常に細かく本が分類、整理されて並べられているのだ。 ひと昔、いやほんの2,3年前であるけれども当時書籍代に よる家計の逼迫を少しでも軽減しようと、僕は普通の書店で 本を購入するのを控え、なるべく古本屋をあたるようになった。 古くからの歴史ある町、大学の町でもある京都の土地柄だ ろうか、京都には古本屋が多く存在することをその時知った のである。東京の神田の古本街とは比べ物にはならないけ れど、個性的な古本屋が多いのが特徴であろうか。 芸術・美術書、歴史書などを専門に扱っている所など、京都 ならではである。 ただ僕としては安く本が買える、ということが重要であった わけで、お目当ての本を探しに古本屋をはしごすることも しばしばであった。ただそうしたお店はジャンル分けなどし てあるはずもなく、僕はひたすら書棚に目を走らせることとなった。 また京都では年に3回、京都古書組合主催の古本市が開かれる。 5月の連休には「春の古書大即売会 」 8月のお盆前には「下鴨納涼古本まつり 」 11月始めには「秋の古本まつり 」 が大々的にとり行われる。 特に夏の下鴨神社糺の森で行われる納涼古本まつりは 京都市内はもちろん、近隣の府県、遠くは徳島県や岡山県 の古本屋までがやってくる、同様の催しとしては国内最大 規模のものである。一昨年、僕は全店をまわるのに1日 3〜4時間かけて3日間もかかってしまった。 昨年に京都市の外れに引っ越してから、かつてのような 古本屋のはしごをすることが無くなってしまった。 まず一つの理由に京都市中心街のように古本屋が近くに たくさんはないことがある。それからもう一つの理由が 大型古本店の台頭である。 前述した通り、そうした店舗では自分の欲しい本が見つけ やすい。これは非常にありがたいことであるし、便利でもある。 かつて必死になって探していた本がすぐに見つかってしまった 時は少々悲しくなるほどである。 しかし、そうした店舗の難点を挙げるとすれば、どこに行っても 同じような本がたくさん並んでいる、ということである。 そこで本を買う人もいれば売る人もいるわけで、みんな結構 似たような本を読み、似たような本を売りに来ているから ではないだろうか。 つまりそういった本屋には”個性”がないのである。 大型店舗で全国にチェーン展開をしているのだから当たり前 と言えば当たり前であるかもしれないが。 綺麗だし、探しやすいし、便利だから。 もっともであるし、異論を挟むつもりはない。事実僕もこうした 店舗を重宝している。だけれども、便利になった反面失われ たもの。それは予期せぬ意外な本との出会いである。 いつからそこにあるのかわからない、埋もれていたような本の 中に自分に大きな影響を与えてくれる本があるかもしれない。 特にこれといったものが見つからなくて、無駄に時間を 費やしてしまったと思うときもあるだろう。でもある時には、 これ以上ないというものとの出会いもある。自分の欲しいもの、 本当に必要としているものが、そんなに簡単に見つかる、 手に入るものでもないってことを、教えてくれているとも 思えないだろうか。 忙しさに追われ、流れていく情報をつかもうと必死になる。 自分にとって大切なものは、実はそんな流れの中にではなく、 流れの底にじっと留まっている古きものなのかもしれない。 それが本であれ、人であれ。 古きものとの新しき出会いをもとめて。 あなたもさまよってみませんか? |