親爺乃戯言


今日の戯言
越智健でした。

2003/6/22-No.41(戯言おやじぃは:越智 健)



   私の勤め先の近くに安くて旨い地酒屋がある。屋号は十三夜。雑誌のhanakoでも紹介されていたという。前の会社の独身女性たちがそこで呑むという。懐かしさもあり、押し掛け、同席させてもらった。
 この彼女たちの飲み会は「おばばの会」と称し、13日の金曜日に集ることにしているという。6月の集りでまだ2回目。欲望のおもむくままというのは言い過ぎにしても、ギラギラしていた20代と違い、すっかり油気の抜けた親爺とおばばたちとの盃のやりとりは楽しかった。仕事の仲間として一緒に過ごした昔話しは、心地よく酔わせてくれた。
 次ぎの会は来年の2月になる。こういう飲み会はこのぐらいの間隔が丁度良いのかもしれない。
 おばばたちの会話に「目がテンになる」というフレーズが出た。とても驚く、びっくりしたことを表すのだが、おばばたちが二十代の頃つかわれ始めたと記憶している。この成句は生きていたんですな。
 最近の若者言葉では「ヤバいよ」「これヤバくない」というのを耳にする。仕事の会話で女の子の口から「これ、ヤバいっすよね」などど発せられると、おやじ世代の私などは戸惑ってしまう。危険であるという本来の隠語の枠を飛び越え、使われる意味合い、表現範囲が広がっているようだ。
 ファミレス言葉、コンビニ語など「変な敬語」が新聞やラジオなどでとりあげられている。その解説でなるほど、と納得したのがあった。
「よろしかったでしょうか?」という表現を耳にする。よく聞く言葉だ。これは一説によると、北海道の居酒屋チェーンからひろがったのではという。北海道では過去形にすると丁寧になると思われていて、このような使い方をするという。
 道産子の私としては言われるまで気づかなかったが、確かにそうかもしれない。たまにかかってくる田舎からの電話では「もしもし、鈴木でした」と開口一番言われる。こうくると「は〜い、おしまい、ジャンジャン」と言いたくなってしまう。
 言葉は生きもの。生まれては消えて死語となるもの、使い続けられるもの、さて「よろしかったでしょうか」は残るフレーズでしょうか。
 今日の語りは「越智健でした」

[つづく]





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