新江戸通信1〜6 (バックナンバー集)

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■新江戸通信:その1 白地の巻物───免許皆伝について(3年8月16日)

 武道を修行する身であれば「免許皆伝」という言葉が気になる。もっともこれは武道だけのものではなく総ての技芸に通じるものであるが、辞書をひもとけば「師匠が弟子にその奥義をことごとく伝授すること」とある。
 昔読んだ物の本に、イロリ端に座った師の隙を狙って打ちかかる弟子の木刀を、鍋の蓋でパッと受け止めるシ−ンがあったのをふと思い出す。武術とは本来相手を倒すためのテクニックであり、従って教える者と、教えられる者との息詰まるような闘いも当然であったろう。弟子は師を倒す技を磨き、師はそうはさせじと努力する。そして心・技・体総てについてもう教える何もないと感じた時、師は己れの集大成、即ち技の極意を記した「免許皆伝」の奥義書を弟子に授けることになるのだが、これも物の本によれば、中には字の書かれていない白地の巻物もあったとか。修業とは終わりのないもの、師を超えた時が即スタ−ト地点になるとの教えなのかも知れぬ。
 ここで目を少林寺拳法に向けてみよう。開祖でさえ生涯かけて精進された。その開祖から真の「免許皆伝」を授けられる者が数多い拳士の中に果して何人いるであろうか。言葉を変えれば、少林寺における免許皆伝とは一体何なのか、と私は時々考えてしまう。拳士としてどう生きるべきか、は教範に明示されている。つまり釈尊の説かれた「怠らず努めよ」の思想である。そのエンドレスな視点に立てば「免許皆伝」などあり得ないことに気付く。たまたま先生と呼ばれ後輩を指導したからといって、自分は先生だ、と思い上がる心は既に拳士としての成長を自ら放棄したことにはならないか。この辺りについては以前
この欄の「すばらしい先達になろう−先生の座についての一考察」という小文で触れた。
 その意味で、「先生と呼びあうことは止めよう」と呼びかける石井新理事長の言や良し。
私達は開祖から授けられた白地の巻物に自分自身で少林寺の奥義を書き込みながら進んで行くことが肝要なのである。初心に帰り「初生の赤子」として少林寺の原点を模索することこそ「免許皆伝」への道であろう。
 かつて「実業団連盟こそ少林寺拳法の中核にならねばならぬ」と言われた開祖の言葉の重みを、今、熱い心で思い出す。石井新理事長を先頭にスタ−トをきった関東実業団連盟の今後の活躍に期待し、心からのエ−ルを送りたい。

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■新江戸通信:その2 髪の話(4年1月5日)

 12月31日(日本時間では元日の早朝)バルセロナで行われた「 '91バルセロナ国際女子駅伝」の実況中継が放映された。最終区までトップにたっていた日本は、アンカ−谷川真理がソ連のオルガ・ボンダレンコ(ソウル五輪一万メ−トル優勝)にゴ−ル寸前抜き去られ19秒差で2位となり涙をのんだが、このレ−スのある中継地点でハプニングが起きた。
 背中まで垂らした豊かな金髪をユサユサなびかせて走ってきたアメリカ選手の、その金髪にタスキがからみつき、はずすのに1分近くかかったのである。あせればあせるほど解けないもつれ。足踏みしながらヤキモキする次走者。それを見ながら私はふと25年前の入門当時に聞いた開祖の言葉を思い出した。
 「拳法は武道である。もし髪が目の前に垂れ、それをかき上げようとすれば即それは体
勢の虚となる。従って過度の長髪を切ることは拳士としての最低かつ当然の心構えである」
 当時は男子の長髪が流行した時代であったが、入門者に対する規制は現在に較べてはる
かに厳しかった。髪が目にかかったり、耳を覆っていれば絶対に入門を認められなかった。
それが単なる精神論ではなく合理的必然性である以上、これは正論である。その頃の私は帰山する度に坊主頭になった。強制された訳ではないが、それが自分自身に課したケジメであった。
 確かにヘア−・スタイルは一つのファッションである。しかし、それが自分の目指す道にとってマイナスになるのを防ぐのは人間の智恵ということになろう。その意味でアメリカ・チ−ムのランナ−はその心構えにおいて非難されても仕方ない。
 若い女性の、良く手入れされ背中まですんなり伸びたロングヘア−は美しい。その反面ラッシュアワ−の電車の中で周囲の迷惑もどこ吹く風、顔にかかった髪をライオンがタテガミを振り回すようにして直したり、或いは3分に一度ぐらいの頻度でしごくようになであげたり、或いは座席でオバケのように顔の前に髪をたらして眠りこけたりしている姿など、美的感覚からはほど遠いし、その人間としての品格まで疑いたくなってしまう。美しさと醜さはある意味で表裏一体のものかもしれぬ。こんなことを書くこと自体セクハラなどと非難されそうな時代ではあるが、それはともかく他をみて自らを省みることの大切さを思い、そして開祖のツヤツヤした坊主頭を懐かしく偲んだ元旦であった。

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■新江戸通信:その3 書くということ(4年1月26日)

 「書くことは、もっとも人間的な行為である」と作家・安部公房は言った。これはパスカルの「人間は考える葦である」という言葉と同じような意味になると思う。
 ご存じのように当連盟理事長の石井さんは、東京港区役所支部長の外に、千葉県の流山支部道場長でもある。また、本部役員、武専教官なども兼ねておられる。従ってその忙しさは殺人的でさえある。まさに少林寺の申し子のような人である。当然のことながら勤務先の港区役所の仕事も愚直なまでに真面目にこなしておられる。そしてその合間に趣味の何かを週に何度か朝早くからやっておられるらしい。怠け者の私にとってはまさにス−パ−マンのように見える。
 その石井さんは、毎月「流山支部だより」というB4版の手書きの新聞を発行している。
もちろん流山支部道場の機関紙で門下生に無料配付するもので、当然といえばそれまでだが毎月欠かさずに出すのは私から見れば凄いことなのである。(こんなことを書くと石井さんは職権をもって記事差し止めをすると思われるので事務局長あてにそっとこの原稿を
送ることにする)
 その「支部だより」の構成を紹介すれば・前月参座無欠席者の氏名・今月の練習スケジュ−ル・前月の支部行事報告−募金活動、練習場のワックスがけ出席者氏名、鏡開きetc.・前月の昇格・昇級者の氏名・「うさぎ」というタイトルで書かれた紙上法話・翌月の行事予定ということになるのだが、ここで私が取り上げたいのは・の紙上法話なのである。これには石井さんが折々に感じたことが判りやすい話し言葉で書かれている。本人が「独断と偏見で書いている」というように実にユニ−クでおもしろい。かなり以前からこの「支部だより」を頂戴しているが私なりの感想を必ずハガキ或いは手紙に書いて出すことにしている。電話をかける方が簡単なのだが、なぜかこの件についてはどうしても書いて出そうと思ってしまうのだ。
 開祖は常々言われていた。「拳士は政治・経済・社会・国際情勢など、あらゆる問題について自分の意見を述べられるよう勉強しておきなさい。いくら拳技がうまくても、それだけでは誰にも評価されないし尊敬も受けない。まして指導者であれば尚更である」
 だからこそ指導者には修行の場での法話が義務づけられているのだ。ただ自分の経験からいえば法話の時間をとることは本当に難しい。法話のタネを探すのが面倒なのと、どうしても実技優先となってしまうからだ。その意味で石井さんの「流山支部だより」は、法話の方法論としての可能性を開拓するものと高く評価したい。“Do your best”というように、それはまた日々の修行につながって行く。そして、それは拳士・指導者としてトレンディでオシャレな生き方ではないかと思うのである。

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■新江戸通信:その4 末法の時代───教範学習のために(4年8月5日)

 今、あなたが漂流して絶海の孤島に流れついたら、ロビンソン・クル−ソ−のように生き抜くことができるだろうか。おそらく答えはノ−だろう。電気がなければ何も出来ぬ、火もおこせぬ、食料の採集もできぬ、毒虫も防げぬ、というのが実態ではないか。まさか
水洗トイレとはいうまいが、すでに人類は自分一人で生き抜く動物的機能を失いつつある。
サバイバルにあたって、あなたが持つ科学的知識など何の役にも立たないはずだ。一個の動物としてはネアンデルタ−ル原人より退化しているといってもいい。
 文明とか科学の発達とは、人間にとって一体何だったんだろうと私は考えてしまう。
 「お魚博士」で知られた末広恭雄さん(88・7・14歿)は「人類を滅ぼすものは人類だ」と喝破されている。「『自然』は人類を滅亡させるのに決して迂遠な手段を選ばない……最も手近にある人類の『知能』と『私欲』こそ、自然の用いる人類滅亡の手段である」
 なぜこんなことを書き始めたかというと、レイチェル・カ−ソン女史の著書「沈黙の春」
(新潮文庫)を読んだからである。カ−ソン女史は、害虫駆除という名目で散布された農薬が、虫・魚類・鳥類そして家畜や人類にいかに致命的な被害を与え、広汎な生態系を連鎖的に破壊したかを実例を挙げて告発し、大きな反響を呼んでいる。人畜無害と称された農薬が、除去不能な放射能に劣らぬ禍をもたらす。さらに虫や魚類がいなくなった沈黙の世界の後に、農薬は地中にしみこみ、地下水によってあちこちに運ばれ、日光・空気の作用をうけて新しい毒性化学物質に変わり、人類を含む動物の細胞を蝕んで行く。癌、特に小児の癌の多発、染色体異常による突然変異などの発生の原因となるこれらの農薬は第二次世界大戦時、毒ガス等の化学兵器の副産物として開発された。
 またチェルノブイリの過酷事故(シビァ・アクシデント)では放出された放射能物質によって五百万人に及ぶ直接被害者と広大な土地が使用不能になっている。まさに人類によって汚染・破壊された『自然』の痛烈な復讐というしかない。この場合、科学という存在は人類にとって幸だったのか不幸だったのか。
 ここでアメリカのエコロジスト、ディビット・ブラゥア−の有名なたとえ話を思い出す。
要約すれば「誕生から45億年たった地球の歴史を一週間にあてはめてみよう。一日は約6億5千万年に相当する。月曜日の午前0時に生まれた地球は水曜日までにその形が固まる。水曜日の正午に生命体が生まれ、4日間かけ有機的な発展を遂げる。土曜日の16時に恐竜が出現、21時にセコイアが芽を出し、恐竜が滅びる。人類の出現は日曜日の0時3分前、キリスト誕生が0.25秒前、産業革命は0.025秒前に起こった」つまり18世紀後半、技術革新から始まった産業革命以来その僅か四十分の一秒の間に世界の人口は10億から40億に増え西暦二千年には80億に達するといわれる。さらに産業発展に伴う都市化、人口増による飢餓、エネルギ−資源の浪費、森林伐採による土地の荒廃・砂漠化、廃棄物・殺虫剤・排気ガス等による環境汚染・食物連鎖の破壊etc.……そしてブラゥア−はこう結ぶ。
 「そして今、日曜日の0時、我々の周囲には0.025秒から始めたことを将来無限に続けて行けると信じている人々で満ちみちているのだ」
 教範第一篇の終章にある「釈尊の予言(大集経)」によれば正法・像法の二季に続いて仏教の頽廃期「末法」の時代が到来し、従来の教えは力を失い、人口は爆発的に増え生存競争のため「闘諍」が繰り広げられるという。現代はまさに末法の時代なのである。
 だから開祖は教範の中で「原子力時代の宗教はいかにあるべきか」を説かれ、少林寺拳法による青少年育成の理念に合致した矢内原忠男博士(当時東大総長)の論説を紹介されている。
 「本当の宗教とはいかなるものであるか、それは人間の霊的生命と人格の尊厳を自覚させ(中略)それを通じて科学技術に正しい使用目的、国家権力に正しい政治目的を与えると共に、その目的を遂行できる人間を作り出すものでなければならない」
 人を殺すためだけの兵器、環境を汚染し破壊する化学薬品など、人類に災厄をもたらす科学技術はない方が良い。もう、手遅れかもしれないが、自然界の一構成員として、その「知能」をおごることなく謙虚に使う時、人類はやっと生存を許されるのだと思う。今の人類は墜落しそうにダッチロ−ルを繰り返す飛行機に似ている。
 人を滅ぼすのが人であれば、人を救うのもまた人以外にない。たとえ武道を禁じた占領軍への隠れ蓑であったとしても、開祖が原始仏教(釈尊の教え)を精神的基盤とする宗教法人として少林寺を創設された原点がここにあると思う。
 真の宗教心をもった青少年育成にかけられた開祖の情熱を、今こそ私たちは教範の学習によって再認識しなければならない。

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■新江戸通信:その5 春の渚〜わが反戦思想の原点(4年10月19日)

 私は高校三年生の時、卒業までの数カ月であるが弁論部に所属していた。三十三歳から始めた少林寺拳法で後輩を指導する立場になるまで、衆人環視の中では大きな声でスジの
通った話が出来なかった私が、である。当然、私は他人の前で雄弁を振るったことはない。
弁論部における私の仕事はヤジ係、歌舞伎でいうならば、大見得を切る役者に「ハリマヤァ−」などと声をかける、あの役だった。スジの通った話は出来ないが、寸鉄人の心をグサと刺すかけ声(?)を出すずうずうしさだけはあったらしい。つまり、ある弁論大会でモタモタしゃべる弁士にヤジで気合を入れた途端良いリズムに乗り始めたことがキッカケで、親友である弁論部長に口説かれて、弁論の内容についての相談役を兼ねたヤジ担当の客員部員になったのだ。
 敗戦直後の昭和二十五年、なんの娯楽もない時代だった。当時、私は福島の田舎にいて一日に何本も通らない汽車通学だったから、その時間調整もあったと思う。人影のない講堂の演壇に立って練習する部員につきあって、私は離れた隅っこに一人ポツネンと座って
ヤジというか合いの手をいれる。思えば主役になれないちょっとわびしい青春ではあった。
 そして、ある弁論大会に臨んで一人の女子生徒からテ−マについて相談を受けた時、私の脳裏に忽然とひらめくものがあった。それは当時、涙を流しながら読んだ戦争未亡人の短歌集「この果てに君ある如く」であった。もう四十三年前のことなので出版社も作者も記憶にない。しかし、私の想いを彼女に託したこの弁論大会の模様は今も鮮明に私の中に息づいている。
    この果てに君ある如く思われて 春の渚に一人たたずむ
 戦争には負けたが平和は戻ってきた。しかし夫は帰ってこない。渚にたたずんで春霞む水平線をみつめながら、未亡人となった若妻が南海に散った夫に想いを馳せ、束の間の幸せだった二人の愛を噛みしめて詠んだこの歌を、冒頭にゆっくり二度読み上げて、その弁論は始まった。戦争の非情さ、残酷さ、愚かさ、日本女性に再び戦争未亡人の辛さ、悲しさを繰り返させないことを訴えながら
    痛ましく夫と妻を引き裂きて 戦う国は滅べと思う
 という歌で締め括った彼女の弁論は聴衆の心をがっちりと捕らえ見事最優秀に輝いたのである。シ−ンと静まり返った会場にはもちろん私のヤジの出番はなかった。そして、ここで言葉の持つ重みを知った私は、間もなく文学班に入って詩を書き始めることになる。 「戦争未亡人」という言葉の持つ響きは残酷である。それにも増して当事者の苦しみはどんなであったか、思うだけで胸がつまってくる。男性社会であった旧体制の日本であればなおさら、「家の誉、郷土の誉」と口先だけでたたえられても、現実には女手一つの生活は苦しく耐えかねて自殺した人の例を私は幾つか知っている。
 単純であると笑われても構わない。私の反戦思想の原点の一つに、この短歌集がある。 君のため、国のためという大義名分のために、愛する者を引き裂き、殺すような国なら滅んでもいい、平和憲法を守ることこそが、戦争で死んだ多くの犠牲者に対する我々のせめてもの追悼なのだ、と私はその時から思い続けてきた。
 最近「国際貢献」を錦の御旗に掲げたPKOの海外派兵が始まった。キナ臭い硝煙の臭
いが、かっての悪夢を呼び起こす。いかなる場合でも、戦争には常に大義名分が先行する。
八紘一宇の理想を掲げた大東亜戦争が、単なる侵略戦争だったことに気づいた時にはもう手も足もでない泥沼にいたことを思い出そう。フェミニストの私は、女性を「未亡人」にする「戦争」は、たとえどんな理屈をつけても許せない。戦争ばっかりする男どもに対して決起する、アリストファネスの「女の平和」の女性たちは平和の象徴であると思うし、その登場人物の言葉を借りれば、平和のためなら「ためらうことが、どこにあります?」ということになる。
 雀百まで……「春の渚」という字を見ただけで私の脳裏に「反戦」という言葉が走る。条件反射というものなのだろう。

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■新江戸通信:その6 言魂(ことだま)について(4年12月28日)

 「言霊」という言葉がある。古人が、言葉には霊力が宿ると考え、尊んだことに由来するものだ。しかし、東京佐川急便事件にからむ竹下登・元首相や、金丸信・前自民党副総裁、元秘書・生原正久氏に対する国会の証人喚問の質疑応答を聞いていると、意思を伝えるべき「言葉」が、まるで物事をウヤムヤにするために使われている、としか思えない。言霊というよりも、まるでチミモウリョウ(魑魅魍魎=いろんなお化け)の類である。
 かつて作家・太宰治は「聞いただけで理解できる言葉、たとえばアザミ。理解できない言葉、たとえばヒト」と書いた。彼流のアイロニカルな表現ではあるが、こうなってみると的を射ているようにも思う。
 しかし、こんなゴマカシが許されるはずがない。人間は言霊に感応する動物なのである。
1992年12月23日の朝日新聞によれば、12月20〜21日に行った全国世論調査の結果、ウヤムヤのまま政治決着をつけようとした宮沢内閣の支持率が、前回9月の33%から一挙に20%におち、不支持63%となった。これは田中内閣や竹下内閣の末期に似た現象であるという。また宮沢首相の指導力について「発揮できる」とする人16%、「発揮できると思わない」人が74%、また佐川急便事件に対する宮沢首相の対応を「支持しない」人は79%にのぼっている。まさに国民のイライラは頂点に達しているといえよう。
 こんな政治家の言動と比較したくはないのだが、開祖の言葉には言霊があった。だから、
かつての我々は争うように帰山し、開祖の言葉を直接聞いて「充電される」喜びをもっていた。中年になって入門した私が今でも拳法を続けていられるのも、拳技と一体化した開祖の言霊に感応したからである。
 「理想郷の建設とは正直者がバカをみない社会を作ることだ」……子どもにでも理解できる、やさしく分かりやすい言葉に、私は開祖の遺志を痛切に感じてならない。
 その開祖は、また「不正に対して怒れる若者になれ」といわれた。我々の周りを取り巻く環境には、今や多くの問題が山積している。身近な小さな事ばかりでなく、人類の立場からみても地球環境の汚染・破壊の進行は、もう取り返しのつかいない限界点を超えようとさえしているのだ。
 新年にあたって、私は開祖の言霊(ことだま)を胸に、「怒れる若者」の道を真剣に模索したい、と決意している。理想郷建設をモット−とする我々はもっと怒らなければならないと思うのだ。


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