|
**************************
* 今日もまた 心の鐘を 打ち鳴らし *
* 打ち鳴らしつつ あくがれてゆく *
* 若山牧水 *
**************************
人には必ず出会いがあり、別れがある。
昭和61年4月、気象庁(東京)から長崎へ転勤した時、私は気象庁支部を解散し、少林寺拳法関東実業団理事長を辞した。支部を継いでくれるべき幹部拳士は、公務員の宿命として次々に転勤し、私自身すぐ迫っている定年退職を考えれば、支部の存続は不可能と判断したからである。
所属を失い、少林寺との接点のなくなった私を励ます意味もあったと思うが、当時の関東実業団連盟事務局長・森川一弘さんから連盟機関紙「事務局長だより」にエッセイ風のものを寄稿してほしいとの依頼があった。そこで生前の開祖を知らない拳士が多くなっている現状から、私が身近に接した開祖の実像を、思い出を含めて後輩に少しでも伝えることができれば、と考えてお引受けした。こうしてスタートしたのが「長崎通信」であり、東京に戻って「江戸通信」→「新・江戸通信」、そして平成四年の退職後は「福島通信」として続いている。つたない文才を恥じながら、なぜ私は書くのか。それは発足当初から関わってきた関東実業団への愛着であり、そこで出会った人々への報恩の気持ちであり、ちょっぴり自分の漸漸修学もあり、さらに開祖への熱き想いを後輩に伝えなければいけない、という使命感からでもある。このあたりの心境は冒頭に掲げた若山牧水の歌がピッタリと代表している。
この度、尾形道院長、鎌田拳士のご配慮で、私の「福島通信」が登場することになりました。まことに面映ゆく、重い責任を感じます。 しかし、開祖から『辛いことや、嫌なことから《逃げてはいけない》』と教えられている私が逃げる訳には参りません。喜んでお引き受けしました。前述の文章は、関東実業団連盟25周年大会(1995)パンフレットの付録として、私の「エッセイ特集」を出していただいたときの前文です。その心は全く変わっておりません。少々文章が硬いのが難点ですが、経過説明のため、あえて原文のまま掲載させていただきました。これまでは関東実業団だけでしたが、これからは少林寺すべての拳士あてに発信するつもりで書きます。よろしくお願い致します。
2000.4.8. 安在孝夫 |