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■江戸通信:その1 頂上への道(1988年7月1日)
【はじめに】
勤務の都合で、二年ぶりに東京へ戻りました。従って〈長崎通信〉は終了という……ことなのですが、悠久の時間の中で「終わり」はまた「始まり」につながります。
「江戸の仇を長崎で」とかいうように、長崎の対句は江戸がよく似合う。と、勝手に名付けて江戸通信。よろしく。
【本 文】
ジャン・コクトオに「樹」という詩がある。
樹
君の名前を樹に刻め。
樹は天心まで届くだろう。
大理石より樹は尊い。
樹ならば君の名前と共に成長する。
この詩については、幼い頃少年雑誌で読んだ記憶がある。
君の名前を彫りたまえ。
大きくふとる木の幹に。
大理石より得なんだ。
彫りつけられた君の名も。
どんどん大きくなっていく。
原詩を読んでいないので、私にはどちらが的確な訳か分からない。恐らく彫刻的と評される前者なのだと思う。しかし、幼児の思い出という甘いベ−ルを差し引いたとしても、レィモン・ペイネの描く叙情の世界に似た後者のリズムも捨てがたい。
要はコクトオの心を理解できれば良いのだろう。(但しコクトオにとって詩型は詩の生命であり、大いに不満であろうが)
少林寺拳法の技の指導において、よく登山が引き合いに出される。先生によって指導の仕方が異なる、という批判が出たような時である。
技の究極を山の頂上にたとえれば、一つの山が、三百六十度の裾野のひろがりをもつ以上、直登か、迂回かを含めその頂上にいたる道は無数にある訳である。さらに登山者の年齢、体力、体調その他天候、地形等もろもろの要素を勘案すれば「いかに安全に」「いかに易しく」「いかに速く」を前提としても、無限の方法が考えられよう。
間違った教え方は論外であるが、指導者講習会などで技の統一が計られていても、指導に個人差がでるのは当然であり、むしろ、研究熱心な人ほどその傾向が強いはずで、その場合、指導者は試行錯誤を恐れずあらゆる方法を模索すべきであろう。
頂上は一つ。とすれば後は登るか、登らないかの選択しかない。登はん技術はそのための手段に過ぎない。
拳の技についても、やるか、やらないかの二者択一、しかも登はん技術同様、磨かねば頂上を目指すことはできないのである。
頂上(真理)を目指された開祖の心を翻訳し、それを拳士に伝えるためには、ただ一本の道しかない。
いわく、「怠らず努めよ」
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■江戸通信:その2 続・頂上への道(1988年8月15日)
5月5日、日本テレビでは、チョモランマ(エベレスト:8848メ−トル)登頂の模様を、生中継で放映した。絶好の晴天に恵まれ、空の青と雪の白さを含めての展望のすばらしさ・美しさ、登頂者の荒い息づかい等、さすが映像ならではの迫力であった。ちょうど、前号に「頂上への道」という小文を書いたばかりだったので、私は、尚更ら興味をもって見ていた。
1953年の英国隊の初登頂以来、すでに延べ200名が、殆どのル−トを開拓し、頂
上を極めているとは言え、やはりチョモランマは容易に人を寄せつけない神秘の山であり、
それ故に画期的な放送と言えるのだろう。
だが、登頂より難しいと言われている下山が残っているのに、テレビ関係者が、東京の
スタジオで、ハシャギながら早々に乾杯するのを見て、何か違和感を感じ始めたのである。 後で知った事であるが、この計画は中国登山協会から、登行の主体となる日本山岳会に、
合同登山の打診があり、同時に日本テレビ・読売新聞社が全面バックアップを表明し、結局、日本山岳会が押し切られ、両社が(後援でなく)共催者として諸経費の約三分の二に当たる二億四千万円を援助すると言う異例の形で日・中・ネパ−ル三国200名からなる合同登山隊が編成された。報道陣を加えれば260名に及ぶ一行が、三か月をかけてチョモランマ南北両面から、互いに国境を越え、「交差縦走」し、5月5日の登頂を至上命令とする大イベントに動員されたのである。果たして、これが快挙なのか、と、私は思ってしまう。
この金にあかせた人海・物量の「テレビ登山」に、現代の世相を重ねてみよう。
登山家である今井通子さんの講演で聞いたエピソ−ドであるが、彼女が小・中学生を対象とした「アルプスを楽しむツア−」を企画した際、子供たちは美しいアルプスの風景に
は目もくれず、ホテルの中を駆け回ったり、室内でファミコン・ゲ−ムに興じている。
「外を見てらっしゃい」と言うと、ホテルの駐車場に潜りこんで、マンガを読んでいる。
山に連れ出すと、雄大な風景には見向きもせず、道端の牛糞に群がる銀蠅に歓声をあげる。
「どうして、あなたたちは、この美しい景色を見ないの?」と聞くと「あんな景色はテレビで見て知ってる」という返事が返ってきた、という。現代っ子にとって、本物と、まがいものの区別がつけられず、テレビで見た事は即、自分の経験に置き換えられる訳で、マスコミの影響力の恐ろしさを実感させられたものである。
少林寺拳法においても、同様な傾向が見られないだろうか。教範を持っているから、禅はOK。拳禅一如だから、拳だけやれば禅はついてくる。そんな風潮があるような気がするのが、私の思い過ごしであればいいのだが。
とにかく、禅は拳と同じく、一生かかっても尚、極めつくせないものであり、それ故に「拳禅一如」なのである。
虚像と実像とを見分ける英知(常識)が、我々には必要なのである。5月19日の朝日新聞「風」欄に、こんな記事が載っていた。
「チョモランマ史上初の交差縦走に成功した日・中・ネパ−ル合同隊はベ−スキャンプ
撤収にあたって、大掃除をした、と新華社通信は、ちょっとうれしいニュ−スを流した。
(略)チョモランマだけでも、過去三十余年間、各国隊が放置していった廃棄物がたま る一方だ。(略)〈近代的な山男たちが使い捨て技術によって残した一キロ平方に及ぶ
広大なゴミ捨て場の斜面を一度見てほしい〉と、簡素な登山を身上とするメスナ−(伊) も嘆いていた。今回は、総勢260名が三か月も滞在したのだから、出るゴミもすごい。
北側だけで四月中旬に、6,500メ−トルの前進基地から23箱を搬出したほか、登 頂後もトラック2台分を集めたという。(略)それにしても、過去のぼう大なゴミにま
でも手が回るはずがない。これ以上、環境を悪化させないために、できるだけ小人数で、
きれいに登ることを考えたらどうか。マンモス登山隊は費用もかかるし、山を汚す。当 世向きとは思えない」
「頂上への道」は、我々に多くの事を教えてくれる。人はいかに生きるべきか。実像と、
虚像の認識がいかに大切であるか。頂上を目指すべき我々はやはり、王道をたどらなければならぬ。頂上を極める事よりも、それに至る道程こそが修行だと知らねばならぬ。
チョモランマは、その意味で、巨大な「他山の石」ではないだろうか。
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■江戸通信:その3 自然の摂理(1988年9月25日)
今から十数年前、私は千葉県柏市に住んでいたが、通勤途上に見る空地には、アメリカからの帰化植物・セイタカアワダチソウが黄色い花をキリンの首の様に伸ばし、我々の背よりも高く繁茂していた。皆さんも御存じであろうが、これは千葉県に限らず、秋の日本列島を黄一色に覆ったといわれるほどの勢いであり、素人の私でさえ日本の植生はどうなるのか、と空恐ろしさを感じたものだ。ところが、ここ数年、この草は草丈も低くなり、雑草の中に混じっても、あまり目立たなくなってきた。かつての勢いはどこにも見られない。ふしぎに思っていたら、これはフザリウム菌という土壌菌が根を弱らせ、成長を阻害する忌地(いみち)現象なのだという。セイタカアワダチソウの今後の運命はどうなるのか。
話は変わるが、昭和六十一年の夏、鹿児島県・種子島の沖にある馬毛島(無人島)に空を飛ぶトノサマバッタが大量発生し、これはテレビでも放映されたが、その数三千万と推定されるトビバッタのために島全体が揺れ動いて見え、一部は種子島まで飛来したと言われる。昭和六十二年三月と五月の調査では、産卵・ふ化も順調で前年通りの繁殖は必死と見られていた。ところが六月には大量の幼虫が死に、成虫も普通の飛ばないバッタであった、という。そして夏を過ぎた時点で、このトビバッタの劇的な絶滅が確認された。その死因は、糸状菌の一種でエントモファガ・グリリィという、ごくありふれたカビで、これに感染すると二週間ほどで体中にカビがはこびってしまうという。栄枯盛衰は世の習い。自然界の常とは言いながら、そのバランス感覚は神秘的でありさえする。偏った繁栄は必ず滅亡につながって行くのだ。まさに「おごる平家は久しからず」の世界なのである。外観の壮大さを誇る前に、ひそかに内部を蝕むものこそを恐れよう。堤防も蟻の一穴から崩れて行く。このことは組織防衛についても一つの方向を示してくれるはずだ。
きたえた拳はどこへ行く。それは開祖の遺志を正統に伝承する以外にない。その意味で、
少林寺機関誌「あらはん」の編集方針にはあまりに問題が多すぎる、と私は思う。たとえば、七月号の編集後記を、もし心ある部外者が読めば驚くより先に感心してしまうに違いない。あまりにユニ−クな、その論法にである。「理想を語るなら、その反対にある現実をより見据えなければならない」という前提は良い。しかし、現実を直視するということ
は、組織内の恥部を機関誌で天下に公表することとは違うのだ。編集子は「信じていた
〔教え〕を現実が裏切った」から「少林寺に対する思い込みが幻想だった」といい更に
「教え」を「建前」とさえ言いきっている。「教え」は絶対に「建前」ではない。ある宗教では、教えにそむくことが死を意味するように。一歩さがって「建前」でも良いとしよう。建前を守れない人がいるから、建前が悪いという論法はない。交通法規を守らない人がいるから法規は要らない、理想を実現できないから理想は要らない、というのなら人間に進歩はなくなってしまう。何をか言わんや、である。第一、教えをそのまま実践できる人たちばかりなら、開祖は最初から道を説くだけで良かった。道を説くために、手段として拳法を始められたのだ。そして、いつも幹部を含め拳士の不勉強を叱っておられた。しかし、悪いことを正すのは、組織の統制の問題であり、これは機関誌が対外的に行うキャンペ−ンとは全く別の次元の話なのである。編集子は「少林寺の本当の目的は何で、実際にとっている手段との関係は適切なのか、ひょっとしたら逆効果になってはいないか。少林寺に誇りを持っていればいるほど、自分たちのやってきたこと、やっていることに疑問を持ったり、検証しようとしたりしてもいいのではないだろうか」と書いた言葉を、謙虚に自分で噛み締めて欲しいと思う。そして、我々拳士も反省し力を合わせて悪い芽を摘みとろう。「獅子身中の虫」は取り除こう。開祖の教えを守れないものは、組織から弾き出そう。たとえ高段者であろうとも、誓願をたて、道訓を守り、信条を実践するという拳士の本分を忘れた者は、開祖の嫌われた雑魚に過ぎないし、拳士ではない。それを排除することが、自然の摂理だ、と私は思う。 芥川龍之介は「他をあざけるものは同時にまた他にあざけられることを恐れるものである」と言った。自らをあざけることは、他の軽蔑をかうだけで、決して解決にはならないのである。
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■江戸通信:その4 車内随想(1988年10月31日)
通勤電車の中、隣りに立っているちょっと可愛いOLが、今流行のウォ−クマンを聴いている。ガンガンとアップテンポの音楽が漏れてくる。近所迷惑と知ってか知らずか、そのOLはうっとり目をつぶって聴きほれている。その無神経さには恐れ入るが、ふと小豆島の杉山喜代美先生の話を思い出した。ずいぶん昔の事だが、先生がイヤ−ホンでラジオを聴きながら眠るのを習慣にしていたら難聴がひどくなってきたので慌てて止めたとの事だった。確かに船乗りでも、騒音の中で働く機関部員に難聴者が多い。長時間にわたるウォ−クマン愛用者の中から将来聴覚障害者が多発する事は間違いない。とにかく人間の聴覚器官は機械のようにタフではないのだ。短期間の勉強ならいざ知らず、自分の健康と引換えに、通勤電車のなかで他人に迷惑をかけてまで音楽を鑑賞しなければならぬ必然性などある訳がない、と思うのも自分が老いたせいなのか。
難聴という言葉が、連想を呼ぶ。私は幼児にかかった中耳炎の後遺症で左耳が聞こえない。視力も裸眼では0.1もない。三十三歳で東京港道院に入門し、それでも二段の時には道院の演武要員として、現・埼玉深谷道院長の吉野君を組んで、自分でも呆れるほどがんばった。週三回、級拳士の指導に当たった後、有段者の練習を終え、十二時過ぎの終電車で千葉県柏市の自宅に辿り着き、寝るのは二時近く、しかもアザだらけの身体が熟睡を許さない。これを少なくとも一年は続けた。今考えれば、よく身体が続いたと思うが、やれば出来るというこの経験が随分自分の自信に繋がっている。
当時は、ちょうど端境期というか、中堅拳士が少なかった。今では考えられない事だが、道場に二段が数人しかおらず、だから吉野君も仕方なく私と組んだのかも知れぬ。因みに212期生として三十八名入門した中で准拳士になったのは私一人だった。
話が脱線してしまったが、身障者に近いそんな自分だったから、乱捕りはやった事がない。もともと嫌いではないので、やりたい気持ちは強かったが、もし正常な右の鼓膜を破ったり、失明でもしたら、それこそ職を失う破目になる。扶養しなければならぬ家族の事を考えると、その万一の確率をも私は恐れた。その私を支えたのは開祖の言葉であり、教範の教えであった。乱捕りをしなくても自分は拳士であるという誇りを持つ事が出来たからである。だから私は修行を続けられたのだ。単なる武道ではない拳法であり、八十の老
人から幼稚園児までができる拳法であったから。私が修行を続ける事が、きっと誰か−特に高齢者へ励みになる事を信じたから。
昇格考試に乱捕りが取り入れられた時、私は指導者を失格した事を悟った。自分がやらなかった事を、どうして他人に強制出来ようか。まして老人や幼児に、私は乱捕りをやらせたくはないのである。たまたま転勤で東京を離れた私は一拳士に還った。ある人は、それを逃避だと言う。だが、それも時代の趨勢なのだと思う。
断っておくが、私は決して乱捕りがいけないと言っているのではない。拳士として当然修得すべきものと考えている。ただ、「修行の心得」にあるように「体力に応じて修行すること」を優先すべきであり、弱者切り捨てとなっては開祖の説かれた本義にはずれる事を言いたいだけである。実際、私よりもっと肉体的ハンディを背負っていながら拳法を修行したい人が存在するからである。そして我々は、その人達に「あなたに拳法は無理ですよ」と言う権利や資格はないはずなのだ。
乱捕りの効用とは、つまり「急迫不正ノ侵害ニ対シ自己又ハ他人ノ権利ヲ防衛スルタメ
已ムコトヲ得サルニ出デタル行為」つまり正当防衛の場合に実力行使する事、に尽きよう。まさか相手をたたきのめす快感のため、つまり幼児的破壊性を満足させるためではあるまい。(しかし、学校対抗の乱捕りにおいて「ぶっころせ」「やっちまえ」という掛け声を聞いたりはするが)こんな事を言うべきではないかも知れないが、私だって拳士の端くれである。正当防衛の条件が成立すれば、当然受けて立つ。前にも書いたが相手を倒すだけなら、たった一つの極め技を練習すればいい。その意味での練習は怠っていない。これも乱捕りについての一つの考察であると思う。
ウォ−クマンから、ずいぶんと話がとんでしまった。轟と音立てて、電車は地下鉄・竹橋駅に到着し、私は夢想から覚める。隣にいたOLの姿も、もう見えない。ドアが開き、私は今日の仕事へ向けての一歩を踏み出す。
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■江戸通信:その5 「男の美学」と「平常心」(1988年12月10日)
世界のスポ−ツマンが、十六日にわたって力と技を競い合ったソウル五輪。数々の名勝負・エピソ−ドが生まれた陰に人間の持つドロドロとした醜い面もあちこちに顔を覗かせた。
ド−ピング(薬物不正使用)問題では、重量挙げのブルガリヤ選手二名が金メダルを剥奪され、チ−ム全員が帰国したのに続き、九月二十四日に行われた男子百メ−トル決勝を九秒七九で走り人類史上最も速い男となったベン・ジョンソンが、三日後の二十七日に筋肉増強剤が検出されたとして失格となった。一九六八年のメキシコ五輪から、選手の健康を守る目的で実施されたド−ピング検査。今大会の禁止薬物は・興奮剤 ・鎮痛剤 ・アナボリック・ステロイド等の筋肉増強剤 ・精神の集中を高めるベ−タブロッカ− ・使用薬物を消すための利尿剤の五種・百三品目で、これらの薬物は副作用が強く、長期間服用すると死を招くことがしばしばある。アメリカにおける調査だが「五年以内に死ぬかもしれないが飲めば必ず金メダルがとれる薬があるとしたら君はその薬を飲むか」と聞かれたトップランナ−の二人に一人は「飲む」と答えたという。その中の一人は「スポ−ツが生活の主体である我々にとってステロイドは筋肉訓練の一部である。それで力がつけばケガもしないし五輪にも出られる」と語っている。
百メ−トルランナ−でも、マラソンランナ−でも、一流になれば巨額な収入が約束される時代、ましてオリンピックでの金メダルは、その保証手形であり、つい悪魔に魂を売り渡してしまう選手が後を絶たないのだろう。事実、検査の網の目をくぐる新薬が次々と開発されイタチごっこの悪循環が繰り返されていると聞く。
「男はタフでないと生きて行けない。優しくなければ生きている資格がない」とつぶやく私立探偵フィリップ・マ−ロウのような「男の美学」はもう通用しなくなったのか。優しさは決して優柔不断ではなく、精神の美しさの発露であり、究極を目指して努力する心の余裕を言うのだと思う。
その意味において、肉体と精神を磨く「拳禅一如」こそまさに「男の美学」でなければならない。
薬品で造成されたアンドロイドかロボットのような、ただタフなだけの選手の出現は、まさに人類存亡への警鐘であるはずだ。
世紀末的兆候の目立つ現代においては「拳禅一如」こそ「男の美学」であることを再認識し、その実践によって人間性回復のリ−ダ−となる事が必要なのだと思う。
また、この大会で私は凄いものを見た。九月二十五日、女子百メ−トル決勝のゴ−ルを十秒五四で駆け抜けたフロレンス・ジョイナ−の微笑である。スタ−ト前、緊張した顔でウォ−ミングアップする他の選手を横目に見ながら優雅な頬笑みを浮かべてゆっくり歩くジョイナ−。そして、弾丸のようなスタ−ト。美しいフォ−ムからぐんぐん加速してゴ−ルした時はアシュフォ−ド(米)もドレクスラ−(東独)もその影を踏むことさえ出来なかった。間もなくテレビは彼女の走りを真正面からスロ−モウションで映し出したが、五十メ−トルを過ぎたあたりからジョイナ−の口もとがほころび始め、次第にそれが頬笑みに変り、ゴ−ルした時には大輪の花のような笑いに開花していた。この微笑は一体何なんだろう。私は背筋が寒くなるような感動でそれを見つめていた。
あなたは百メ−トルを全力疾走したことがあるだろうか。十四秒でも二十秒でも構わない。五十メ−トルを過ぎる辺りで、もうあなたはアゴがあがり歯を食い縛った悲痛な形相になっていたはずだ。心理学的に言えば「速く走ろう」と意識すると、反って筋肉が硬化し逆にブレ−キとなるそうだが、だからといって笑いながら百メ−トルを全力疾走出来る人間など聞いたことがない。第一そんなことをしたら「ふざけるな」とコ−チにぶんなぐられるのが関の山である。
オリンピック前のジョイナ−は競技のたびにハイレグに片足だけのタイツという「ワンレガ−」など、人の度胆を抜く奇抜なファッションや、髪型・長く伸ばした爪のマニキュア等で話題になっていたが、一方では自分にふさわしいトレ−ニング・食事・睡眠等に創意・工夫をこらしたと言われている。たとえば色とりどりのマニキュアにしても精神集中
の手段だという。勝てば官軍とは言うものの、やはり非凡な存在であることは間違いない。
競技に向けての科学的・合理的なトレ−ニングに裏打ちされた自信、たゆまぬ自己管理から来る精神的余裕、自らの生き方に対する確信と誇りetc。それらの上に培われたジョイナ−の微笑に、私はさわやかな美しさを感じた。そして、これこそが真の「平常心」なのだと思った。やるべき事をすべてやり終えた後の心の平安。ジョイナ−の微笑は、我々の多くの事を教えてくれた。
我々の平常心も、かくありたい。
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■江戸通信:その6 縁について(1989年4月22日)
開祖は、常日頃「縁」の尊さを説かれていた。例えば、植物が植えられた場所によって成育に違いがあるように適度な日照・温度・水分・土壌・肥料など植物の成育に必要な条件の相互作用を「縁」と呼ぶ訳で、人間の生活における本当の幸せは、自分の周囲に信じあい、助け合える人間関係=縁をどれだけ張りめぐらせるかによって決まると言われている。
「縁」にからむ話題として、十一月十六日の毎日新聞のコラム「余録」が「林が魚を守ってくれる」ちょっと面白い話を紹介している。
昭和三十年を境に、北海道ではニシンがさっぱり獲れなくなった。その原因は北海道の千三百に及ぶ水系の開拓が進み、川岸の樹木が伐採され、更に昭和二十九年の洞爺丸台風によって残った樹木が倒されたからだという。
その因果関係はよく判らないが、襟裳岬でも、開拓という名で行われた樹木の乱伐と共に付近のコンブが姿を消した。その後、植林に取組み十数年が経って、やっと海がよみがえり、コンブが成育し魚が寄り始めた。
また、厚岸では絶滅状態になっていた天然カキが付近の植林が始まると共に息を吹き返したという。
「木によりて魚を求める」という不可能を意味する諺があるが、自然の縁の神秘さはそんな小さな人間の思惑さえ吹っ飛ばしてしまう。地球上の生命は連鎖は、まさに人知を超えたものであり、ダ−マの発現というしかない。
そして環境破壊の恐ろしさを身に泌みて感じるのである。
今年(一九八八年)、北海道漁業組合連合会婦人部の二万人が、トドマツ、シラカバ、カエデ、ヤナギなど、七万三千本の木を植えた。全国漁協婦人部連絡協議会結成三十周年の記念植樹である。道漁婦連は、これからも魚のための植樹運動を続けるという。
これは人間にまつわる「縁」の話であるが、最近リクル−ト・コスモス株を巡る醜い人間の営みが新聞で報じられている。
政・官界や準公務員ともいうべきNTT、地方自治体にまで広がっている黒い疑惑。それが犯罪と即断できないとしても、何か見返りがなければ金が動く道理はない。職務権限がからんだ「縁」となれば国民一般の認識は限りなく「黒」であろう。庶民が一生かかっても得られない大金が、ちょっと名義を貸しただけでガボッと懐に入ってくる。露見さえしなければ確かに当事者にとっては濡れ手にアワのウハウハだったに違いない。財テクが幅をきかす現代の風潮が不労所得について良心を麻痺させているのかもしれない。近頃の犯罪を見ても、銀行員の横領、保険金目当てや地上げがらみの殺人、詐欺まがいの商法など、単純でてっとりばやい種類がやたらに目につく。
開祖は、不正の根源を「己れしかない心」であると喝破されている。つまり自分さえよければ他人はどうでもいいという心である。そして、それは又主体性のない「己れのない心」につながっていく。他人を犠牲にして真の幸せがあろうはずがない。
このような時代であればこそ、尚更、自己確立を説かれ「縁」を大切にされた開祖の言葉と世相を重ね合わせてみると、いろいろ思い当たる事が多い。
少林寺の存在意義を再認識する為には絶好の反面教師の「時代」であるとも言えようか。
ところで、あなたは一月に何度ぐらい開祖の著書を読み返しておられるでしょうか?
いや失礼。これは私自身への言葉でありました。拳士としてまだ努力不足を痛感するこの頃です。
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■江戸通信:その7 紙の寿命(1989年9月16日)
この頃、ほとんどの便箋やノ−トに「中性紙使用」と表示されているのをお気付きだろうか。
紙の九十%以上は、木材のセルロ−ズという繊維を原料にしているが、これだけではインクがにじみ易く、印刷しにくいため、にじみ止めが施されている。従来は硫酸アルミニウムをにじみ止めに使用したので紙質が酸性となった。この酸性紙はセルロ−ズ繊維をこわすため傷みが早く、上質の和紙の寿命が千年であるのに対し、僅か百年しかもたない。 酸性紙が普及した最大の理由は、硫酸アルミニウムの値段が安く、にじみ止めの効果が高かったからである。しかし最近は中性の薬品が開発され、値段も硫酸アルミニウムと変わらなくなった。この中性紙の寿命は四百年と言われている。
敗戦(この言葉も風化したが)直後の印刷物を見ると、使用された粗悪なセンカ紙はすでにこげ茶色に変色し、手を触れるとバラバラになりそうなほど風化しているのが判る。それほどでないにしても、人類がこれまでに発行した図書・資料のほとんどが酸性紙に印刷されている訳であるから、その寿命は僅か百年、悠久の時間の中のたった一瞬でしかない。
二千年前に栄えた楼蘭や、六世紀後半に造られた藤ノ木古墳でさえも、既に過去の謎と
謎となっているようにたとえ印刷物があっても記録は正確に伝えられないような気がする。
なぜなら人間の記憶は簡単に風化してしまうからだ。
例えば、今の熟年世代が、まだその重みを背負っているたった四十数年前の戦争にしても、若い世代には遠い過去の話であり、記録があっても記憶としては残っていない。その記録を理解し、自分たちの生活へ反映させる努力や批判精神がなければ、記録はなんの価値もないのである。開祖が「勉強しなさい」と言われた真意はここにある。
敗戦後「二度と戦争はしません。過ちは繰り返しません」と国民の大半が誓ったはずなのに、天皇の病状悪化を機として、日本の右傾化が加速した。あらゆる行事の自粛という事なかれ主義は、右翼の台頭と相まって、言論の自由への圧迫となり、全体主義への傾斜を示している。また国会における力による消費税の強行採決を見ても、開祖が常に現代の風潮を「昭和初期の再現」と警告されていた事実を思い出すのである。
この辺りについては「少林寺拳法奥義」の「拳士としてどう生きるか」という章を、是非も一度読み返して頂きたい。そして開祖がどのように時代を見通され、なぜ拳法による人づくりの道を拓かれたかを再び考えて頂きたいのだ。
間違っているならご指摘ください。お叱りください。はっきり申して、私はこの頃の少林寺は開祖が説かれたその原点を見失っていると思う。
開祖の著書を「ツンドク」してはいけない。開祖の言葉を風化させてはならないのである。
文化を継承し、発展させるのが人間である以上、いくら良い文化があっても、それを守り育てていく人がいなければ、それは絵にかいた餅に過ぎない。
開祖の言われた「人の質」という言葉の重要さはここでも生きてくる。
話は変わるがアメリカの雑誌「タイム」は恒例の「今年の人」に「危機にさらされた地球」を選び、地球の環境保全の重要性を訴えた。同誌が「今年の人」に人物以外を選んだのは八二年の「コンピュ−タ−」以来で史上二度目であり、選定理由として「今年、いかなる人物、事件、社会の動きもわれわれの住む地球ほど、人々の関心をとらえたものはなかった」としている。
素人の私にさえ大気汚染、気象異変、海洋汚染、人口の爆発的増加、それに伴う飢餓、乱開発による動植物の絶滅等、地球の危機をひしひしと感じる年であった。つまり、汚すのも人ならばそれを救うのも人なのであり、だからこそ「人の質」が問われるのである。 ずいぶんと脱線してしまったが、和紙の寿命ではないけれど、悔いを千載に残さないよう我々は開祖の遺訓を守り、それを実践し、風化しない道臣禅を継承して行く自負を持たねばならぬ。そして、それが理想境建設の第一歩であるはずだ。
地球四十五億の歴史の中に占める人類の歴史の小ささ、儚なさに思いを致すならば、我々はもっと謙虚に自分の人生をみつめ、努力する事ができるのではないだろうか。
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■江戸通信:その8 教えについて──イスラムの論理──(1989年12月27日)
以前、江戸通信No・3「自然の摂理」の中で「ある宗教では教えに背くことは死を意味する」と書いた。少林寺機関誌「あらはん」の編集子が「教えは建前である」と言いきった時に触れたものであったが、最近その典型的な例がショッキングに新聞を賑わせた。 一九八九年二月十四日午後二時、イランの国営放送は最高指導者ホメイニ師の声明を発表した。「悪魔の詩」という本を書いた英国籍インド人サルマン・ルシュディ氏(四一)に対する死刑宣告である。
「このような本でイスラム教、予言者マホメット及びコ−ランを冒涜した者と出版社に死刑を宣告する。勇敢なるイスラム教徒は彼等を速やかに処刑せよ」師の怒りはイランだけでなく、たちまち世界各地のイスラム教徒に広がった。翌日には「ボルダト月一五日財団」という革命機関が、処刑を実行すれば外国人なら百万ドル、イラン人なら二億リアル(一リアルは約一・八円)の賞金を出すと発表した。イスラムを裏切った者には死が与え
られるのがイスラムの教えであり、死を宣告するのが指導者の責務だ、とイラン人は言う。ましてイスラム教徒の家に育ったという著者なら尚更ら国籍や国際法など問題でない訳だ。
ホメイニ師が国内の主導権維持のためにとったと言われるこのイスラム原理主義に基づく声明は、表現の自由と平和共存を掲げる西欧民主主義とは相容れない。
英、仏、オランダはじめ西欧諸国は足並みをそろえて激しくイランに抗議した。一方パキスタン、インド、マレ−シアなどではイスラム教徒による抗議デモが繰り広げられ暴徒化して死者さえ出た。暗殺部隊が出発したという情報が流れ、ルシュディ氏夫妻はロンドンの自宅から警察の特別部隊の保護下に入った。
二月二十日、ブリュッセルで行われた欧州共同体(EC)加盟十二か国の外相による閣僚会議は、対イラン抗議で基本的に合意し、死刑宣告に対する共同非難声明と共に駐テヘラン各国大使の一時召還などの厳しい外交措置をとる決議をした。この裏にはレバノンにおける誘拐事件、各地で続発する原理主義のテロ等、EC諸国の反ホメイニ感情が働いている事は否めない。
一説によれば、この本は最初からイスラム攻撃を目的とした陰謀であり出版社が著者に五十万ポンド(約一億千五百万円)払ったという英国のディリ−・エクスプレス紙の記事さえある。
朝日新聞によれば「悪魔の詩」に登場するのはイスラム教の開祖マホメットをもじった商人上がりの予言者「マホウンド」であり、この物語の中で特に問題とされたのはマホウンドの妻達が、マホメットの実在の妻達の名前をつけた売春婦として登場することだといわれ、イギリスのあるイスラム学者は「キリスト教世界で聖母マリアを売春婦にたとえるのと同じ」と断言する。
こうなると事態は文芸の領域を超え国家をまきこんだ宗教と思想の根源問題にかかわってくるのも当然であろう。現にイランは英国との国交を断絶した。
イスラム教に限らず外国における宗教の、異教や異端に対する敵視・憎悪・迫害・弾圧・排斥等の厳しさ、凄まじさは島国で安穏と生きてきた日本人には理解出来ないのかも知れない。
日本のある出版関係者は「『悪魔の詩』を出版すればベスト・セラ−間違いなし」と断言するが「しかし、その出版には関係したくない」と言葉を濁す。金よりも命が惜しいのは世の常であろう。フランス、西ドイツ、イタリア等では「言論・出版の自由」のため翻訳出版の動きがあるという。
開祖が「少林寺拳法奥義」に「キリスト教ほど血生臭い宗教戦争の歴史を持つ宗教は類を見ないし、また同じキリスト教でありながら、宗教改革以来、連綿と続いている新教徒と旧教徒の血で血を洗う憎しみあいをどう説明するつもりであろうか。ちなみに、慈悲の心に裏づけられた仏教は、いまだかって宗教のための戦争をしたことがないのである」と書いておられるように、少林寺の精神的バックボ−ンを、調和の尊さを説いた釈尊の「中道」の実践に求められた意義が改めて理解出来るのである。
従って「拳禅一如」こそが少林寺の原点であるのに、禅が軽視される風潮があるのはなぜか。機関誌「あらはん」に載せられた開祖語録と他の記事との内容に異なった解釈が見られる場合さえしばしばある。開祖あっての少林寺が「少林寺の教えは他宗の寄せ集め」(88年5月号)と掲載する「大らかさ」に至っては、梶原先生が「自宗の否定、教えの否定、もう結構です」(同7月号)と怒られたのも当然であり、ふとホメイニ師と開祖とを並べ思い浮かべて、開祖なら一体こんな事態を何とおっしゃるだろうか、などと思ってみたりするのである。
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■江戸通信:その9 仰げば尊し(1990年2月10日)
最近、安野光雅さんの「ZEROより愛をこめて」(暮しの手帖社)を読みながら「うん、うん」と共鳴してしまった。
この頃は卒業式でさえあまり歌われなくなったという「仰げば尊し」という歌について
の話である。安野さんは、この歌を先生の立場から教えた説教臭の強いものと思っていた、
しかしよく考えてみると、三番まであるこの歌詞は全て生徒の立場で書かれている事に気付いた、と書いている。
原文を引用させて頂ければ
『先生という言葉は今のところ敬語だとされている(中略)どうも日本では敬語のあ り方が目上と目下の関係をはっきりさせるための目安になっているようなところがある (中略)敬語や礼儀は他人のためじゃない、自分のためなんだ、それはその方が得だと いう意味でなく、自分に対し礼儀を尽くしているということなんだ。「仰げば尊し我が 師の恩」と歌うのもいいではないか。「仰げば尊し」だ。仰がなければ尊ばなくたって いい。仰ぐ、仰がぬは自分を尊ぶかどうかだ。それは自分で心ひそかにきめるがいい』 かって私はこの欄に「先生の座」に安住するな、門下生に自分の生き様を手本として見せられる良き先達であれ、先生風を吹かすな、と書いた。また師は開祖しかいないとも書いた。安野さんの文章に感動したのはこのような背景があったからである。
単なる懐古趣味をいうのではない。開祖はまさに「仰げば尊き我が師」であった。「帰山して充実したい」という我々の甘えを「自燈明、法燈明。自ら充電せよ」とお叱りになっても、尚我々は帰山して開祖の檄に酔った。
仰がれ尊ばれる存在になることは金剛禅の実践の第一歩だと私は信じるのだが、これは道院長・支部長のみならず、拳士個人いや組織にとっても同様に言えることであろう。金剛禅の実践を通した「理想境の建設」という開祖の願いは、決して個人の力だけでできるものではなく、また単なる思い付きのイベントやボランティア活動やイメ−ジソングで実現できるものではない。
「人は石垣、人は城」といわれるように、拳士の全てが自分達の組織を大切に考え、同志相親しみ、相援け、相譲る精神をもって協力できる体制を確立することが組織の運営に携わるものの責務であろう。
不信感、不透明感の中から建設的な運動は決して生まれてこない。幹部は思い上がった特権意識の上にあぐらをかいてはいけないのである。
こう考えてみると「仰げば尊し」の精神は「拝み合い援け合い」の精神に似ていると思うのだ。
仰げば尊し
作詩・作曲者不詳
一、仰げば 尊し わが師の恩
教えの庭にも はや 幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば
二、互いにむつみし 日ごろの恩
別るる 後にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ励めよ
今こそ 別れめ いざさらば
三、朝夕 馴れにし 学びの窓
蛍の ともし火 積む白雪
忘るる 間ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば
私はこの歌を「一期一会」の心に重ねて考えてみる。私は古い人間なのかもしれない。でも私はそれでいいのだと思う。
そして再び言わせていただければ「仰がなければ尊くない。先生の座に安住してはいけない」のである。初心にかえれば道は自ずから開けるだろう。
ちなみに安野さんは『この「身を立て」は親の元を離れて一人で生活できるようになれよ、ということであり、「名をあげ」は世間的な信用が得られるようになれ、というのがより良い解釈だと思う』とコメントされている。開祖との一期一会の出会いに思いを致しながら、今宵開祖の面影に向かって、私はこの歌を捧げたいのだ。
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■江戸通信:その10 扶養家族の話(1990年4月15日)
この欄は、私が勤務の都合で東京を離れ、長崎に転勤した時、実業団とのきずなを絶ち難く開祖から直接教えを受けた先輩として折々の出来事に開祖の思い出をからめて後輩支部長に語りかけるスタイルで書き始めた。名付けて「長崎通信」。再度の転勤で帰京し、「江戸通信」と改名したものであり、従ってワンパタ−ンのように開祖が登場することをお許し願いたい。
「チュン チュン」朝まだき、ほの暗い我が家のベランダでさえずる雀の鳴き声で目が覚める。
「ほら。扶養家族がきてますよ」と妻が笑う。ベランダの餌場で雀たちが餌をついばんでいるのだ。かなり以前からそこの皿に餌を入れてから寝るのが私の習慣になっている。 話は変わるが我が家には神棚も仏壇もない。テレビの上に33年前に死んだ父の写真が飾ってあるだけである。今は昔となった昭和7年生まれの私の少年時代は軍国主義絶対の時代であった。年代史風にならべれば、昭和12年日中戦争(シナ事変と呼ばれた)始まる、昭和14年尋常小学校入学、昭和15年皇紀2600年祝典、昭和16年国民学校に改称・太平洋戦争始まる、昭和20年旧制中学入学・敗戦。
振りかえってみれば狂気のように徹底した軍国主義と皇民教育をたたきこまれたのは我々昭和一ケタ生まれの時代だけであり、従って我々は天皇のためには命を捧げて戦うこと
が当然と考えていた。いかに美しく潔く死ぬかが我々に示された武士道の死生観であった。
だから敗戦によってすべての価値観が百八十度転換した時、私は誰をも信じることができなくなっていた。
それはそうだろう。昨日まで天皇は神様であり、アメリカ人やイギリス人は鬼畜である、
天皇のため・国のために死ねと教えた先生が、今日はそれを否定し民主主義の大切さを説く。その教師によって我々は昨日まで使っていた教科書の不要部分に墨を塗って抹消させられた。その部分にこそ我々の命がけの生活の根拠があったのに。「なぜ死んでみせないのか。恥を知れ」とさえ私は思った。我々は教師に裏切られ国に裏切られたのである。ある人はこれを少国民に課せられた二重の敗戦とさえ定義している。何しろ13歳の私は若かったし純粋だった。今なら「先生も人の子、女房子供もいるんだし」と笑って済ませたろう。それ以来私は神も仏も信じなくなった。
少林寺に入門したのも、ともすれば虚無的な行動に走ろうとする無頼派文学少年くずれの自分を自分でももてあました結果でもあった。そして開祖の法話を聞いて目から鱗が落ちることになる。
「諸君は先祖といっても、せいぜい祖父くらいまでしか知らんだろう。大体人には二人の親がいる。ということは二十代遡れば百四万八千五百七十六人、三十代遡れば十億七千三百七十四万千八百二十四人の先祖がいることになる。そんなに多くの先祖をまつれる訳がない。先祖なら子孫の幸せを願うはずだ。だから自分を大切にすることが先祖を大切にすることである。先祖のたたりなどもってのほかである。そんな先祖ならこちらから縁を切ってやれ。自分の周囲に良い人間関係を作ることが幸せ運動につながっていく。そしてそれが自己確立なのだ」
私は今でも神も仏も信じない。しかし自分なら信じられる。(もっとも時々は挫折するけれど)だからそれ以来我が家には死んだ父の写真が飾られるようになった。ご飯を炊いたら必ず供える。そのお下がりが雀の朝ご飯になるのである。開祖の縁で生まれた扶養家族の話である。
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■江戸通信:その11 貝のつぶやき(1990年6月30日)
現代は「総論賛成・各論反対」の時代だと思う。
環境破壊・汚染や戦争・貧困・飢餓等の問題のどれをとっても、原因はすべて人類の存在そのものにある訳で、いくら「総論」で「環境破壊・汚染をゆるすな」「平和で豊かな世界を」などとカッコいいことを言っても、地球的規模で少しも現状が改善されない現実をみれば「各論」反対の人間エゴの故だと思うしかない。
科学の進歩という虚像の蔭に、我々はとてつもなく大きな尊いものを見失ってはいないか。宇宙船・地球号の一乗員として、やはり我々は謙虚に現実を直視し、人類の英知で対策を立てなければならない。
ハ−バ−ド大学ウィルソン教授の試算によれば地球の環境を破壊しないで今の平均的アメリカ人並みの生活を営むための世界の適正人口は二億人が限度という。現在五十億人といわれる人類の未来を果たして現代科学は救うことができるのか。もう手遅れなのかもしれない。少なくとも今ブレ−キをかけなければ、おごりたかぶった人類は他の生物種をも巻き込んで破滅への道を加速しながらつっ走って行くことだろう。制御機能を失った航空機が断末魔のダッチロ−ルを始めるように。
こんな時、自分になにができるのかと自問する。できるだけ資源のむだ遣いをせず、そっと呼吸をして炭酸ガスの排出を少なくすること、ぐらいでは追いつくまい。詩を書くことによって何かを訴えることが出来れば……。
自分の才能の限界に見切りをつけ、三十年ほど文学から離れていた私が再び詩を書き始めたのはそんな動機からで、開祖から教えられた「まず行動せよ」の精神からである。
一度挫折している自分故に本当のところ自信はない。しかも詩をこのような効用のための手段として書くことは邪道だと批判されるかもしれぬ。しかし、もう自分は書くしかないと決心した。
まず手始めに発刊した詩集「海の図鑑」に対して、京都の峠徹先生から『「たった一つの地球 たった一つの人類」というスロ−ガンに立つエコロジストに参加するために三十年も離れておられた詩作で、今度は本気で社会問題に立ち向かわれる気迫の人生。一読して苦しくなる迫力の詩。頭が下がる思いと、我が少林寺に存在する本当の拳士の再発見に嬉しい思いがします』という過分なお言葉をいただいた。私は素直にうれしく思った。
一人一人の力には限界がある。しかしアクションを起こさなければリアクションはない。
高らかに叫ぶことが出来なければ、つぶやきでもいいと思う。海底にひっそりと潜む貝がつぶやくように「各論賛成」をテ−マに自分の詩を歌って行きたいと考えているこの頃である。
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■江戸通信:その12 やさしさについて(1990年7月7日)
どうして今頃、と言われるかもしれないが、灰谷健次郎さんの「兎の眼」(新潮文庫)を読んで「やさしさ」という言葉の意味について考えている。
ここに登場するのは、塵芥処理所に住む子供たちと、その先生たちである。決して恵まれているとは言えない、いわゆる社会の底辺(こんな言葉はきらいだが)に生きる人たちに投げかけられる冷たいさげすみの目にもくじけず、堂々と一生懸命生きて行く子供たちとその親と、心ある教師たち。そこに展開する涙と笑いの物語りである。
その中に人間の「やさしさ」を見る灰谷さんの背景には、元宮城教育大学学長・林竹二先生の「本当の優しさというものは絶望をくぐってきた人だけに備わるものです」という言葉がある。つまり「やさしさ」とは与えるものでも与えられるものでもなく、自分でかちとるものなのだ。
たとえば教典の解釈はできても、その実践ができない仏教者よりも、孫のおもりをしながら「生き物を殺してはいけないよ。一粒のお米だって粗末にしてはいけないよ。ただナンマイダァと手をあわせて拝めば仏様が助けてくれるんだよ」と教える学歴のないおばあちゃんの信心の方がどれだけ人間的に尊いかは自明であろう。
灰谷さんは、この作品の中でこう言いたいのだと私は思う。『知識としての「やさしさ」
は誰でも持てる。「他人の痛みを自分の痛みとし、他人の喜びをわが喜びとする」ことを納得することも可能である。しかし、それを単なる言葉だけでなく真の心情として自分の実践行動に生かすということとの間には無限の距離があるはずだ。けれどもそれを縮めることは決して不可能ではない。それが人間として生きることの尊さなのだ』と。
教育研究会の事例研究として、盗癖がある、とか落ち着きがない、とか生徒の程度の悪さだけを訴えて終る教師が多いといわれるが、これは教師の一方的な責任転嫁であって真の教育はここから始まるべきなのである。その子とどのように取組み、どのように泥まみれになったか、それを語ることこそが研究課題であるはずなのだ。
なぜ私が「やさしさ」について書き始めたか。それはこの言葉が開祖の説かれた「慈悲」
の心に共通するからである。「半ばは他人の幸せを、半ばは自己の幸せを」という言葉一つにしても自分自身で痛みを感じたことのない者には決して理解できず、従って実践することの難しいものだと私はかねてから思っていた。だからこそ灰谷さんの考えに共鳴したのである。現代における「やさしさ」の欠如は、ある程度学校教育にも原因があるのかもしれない。数学者・岡潔さんは人間の大脳の発育過程からみて、批判力のできていない子供に必要なのは情操教育であり、物事を判断する訓練は十代後半でいいと言われている。自己確立が出来ていない、つまり善悪の判断が出来ていないものが自己主張することの恐ろしさを考えて見ればそれは判るはずだ。たとえば小学生がクラス会の多数決で一人の子供を村八分、あるいは袋だたきにすると決議すればその実行を見て見ぬふりをする教師がいることはしばしば新聞でお目にかかる。その善悪の基準を教えるのが教育なのに、単なる「多数決」というエセ民主主義を選択してしまう恐ろしさ。事件が起こってから遺憾の意を表しても遅いのである。岡さんは「自分本位のセンスは本能で起きる。この本能が仏教でいう無明であり、これに振り回される自分を小我という。無明は恐ろしい。小我を自分だと教えるから非行少年問題が起こるのである」とも言われている。節度のない自己本位の主張は、ともすれば他人を責めることに連なっていく。
脱線してしまった。話題を元に戻そう。開祖がかって敗戦直後の満州において見聞された地獄絵図が、少林寺創設の原点になっていることは周知の通りである。この経験があればこそ、開祖は「慈悲」を説く釈尊の原始仏教を思想の原点とされた。以前、指導者講習会で、金剛禅を理解するための三本柱として「原始仏教」「近代史−特に昭和史」「武道論の確立」をあげられたが、その中になぜ昭和史が入っているかが理解されると思う。
人こそすべて。「人、人、人、すべては人の質にある」と喝破された開祖にとっては祖国日本の再建には慈悲心と行動力を持った青少年の育成こそが不可欠であった。拳法はあくまでその目的のための手段であり、そのために正しい武道論の確立が求められたのである。最近この三本柱が風化してしまったように思えてならないのはなぜであろうか。方法や手段が時代によって変わることは歴史の必然であろう。しかし、その原点を見失うことは自らの理想を放棄することにもなりかねない。その時、少林寺拳法は単なる武道に堕してしまうのである。
かって釈尊の「よき友と在ることは道のすべてである」という言葉をひかれ「友の憂いにわれは泣き、わが喜びに友は舞う」というような友情を育てよ、といわれた開祖の面影を思い出してならないこの頃である。
ほんとうの「やさしさ」はけっして女々しいものではない。強さなのである。しかも自らの努力がなければ獲得出来ない資質であると私は思う。
「兎の眼」を読んで以上のようなことを考えた。たった440円、是非読んでいただきたい本である。
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■江戸通信:その13 木鶏(1990年9月9日)
「ワレイマダ モッケイタリエズ フタバ」
昭和十四年春場所四日目、69連勝中の横綱双葉山が、新鋭安芸海の外掛けに敗れた。ラジオの和田信賢アナウンサ−は「双葉敗る、双葉敗る」と絶叫し、館内にはザブトン、ミカン、タバコが乱れ飛んだ。何事もなかったように花道を引き上げて来た双葉山が、前掲の電文を知人に打ったのはその夜のことである。
「モッケイ」は「木鶏」、木彫りのニワトリのことであり、泰然と見えた双葉山の口惜しさがにじみでた名文として有名である。しかし、これは単なる勝敗の問題ではなく、木鶏のような不動の心を持てなかった横綱としての自分の未熟さに対する口惜しさであったと私は思う。事実、双葉山はこれを境として希代の名横綱への道を歩み始めた。
教範をひもとくと「平常心について」という一章がある。禅家では「ビョウジョウシン」
と読み、中国の唐代の高僧・趙州が修行中に「如何なるか是れ道」と問うた時、師の南泉が「平常心是道」と答えたという古事(無門関)が有名である。この言葉を見ると、私は
必ずこの双葉山のエピソ−ドを思い出す。双葉山のいう木鶏の心こそ「平常心」であろう。
何年か前、まだ気象庁支部が存在していた頃、副支部長のU君が「三段をとった頃から怖い夢を見なくなりました。やはりこれは拳法で得た自信に関係あるんでしょうね」と話していたことがあったが、それは私も同様である。確かに肉体と精神は切り離せない。子どもの頃の怖い夢はただ一方的に怖いものだったが、この頃はたとえ怖い夢を見ても、時には拳法の技を用いたりして、どこかでめでたく決着をつけることが多い。つまり怖さに出会っても余裕があるように思う。
「平常心」はまたいろいろな形で解説されている。特に「少林寺拳法教範」において……暑い日が続いている今日この頃、たまには教範を開いて開祖の境地に遊ぶのも、また一つの平常心であろう。
時折り、思い屈する時、私はつぶやくことがある。〈ワレ イマダ モッケイタリエズ〉
−残念ながら双葉山のようにサマにならないのは確かである。悟りはまだ遠い。
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■江戸通信:その14 母校の学生諸君へのメッセ−ジ(3年4月29日)
私の友人に高等学校新聞研究のベテラン、というよりもオ−ソリティがいる。その友人が今度、我々の出身校・福島県安達高校で講演会を行うことになった。因みに校長も同級生の一人である。彼からの提案で、講演の際OBからのメッセ−ジとして読んでやるから何か書け、という。そこで書いたのが次の文章である。ちょうど種切れなので、紹介してお茶を濁したい。(これをテ−マに書きたいと思っていたのは事実です)
良い言葉との出会いは、人の一生に大きな影響を与えます。
「エエッ、ホォントォ?ウッソォ−」などという会話から、決して優れた文化は生まれてこないし育ちもしない。それでは言葉の文化とはどんなものなのか、一つの例をあげてみましょう。アメリカのハイテク企業「ユナイテッド・テクノロジ−社」が1979年から「ウォ−ル・ストリ−ト・ジャ−ナル」という新聞に、詩の形式で随時掲載している企業メッセ−ジがあります。グレ−・マタ−(GRAY MATTER)と呼ばれるこのユニ−クなキャンペ−ン広告は、日本で「アメリカの心」という本に訳されていますが、これは単なる企業のCMでなく、アメリカ社会の良識発言として大きな評価が与えられているのです。
たとえば1980年2月に掲載された
「これで君の気分は楽になるだろう」というタイトルでは、こう書かれています。
This Will Make You Feel Better
もし君がときに If you sometimes
落胆することがあったら get discouraged,
この男のことを考えてごらん。 consider this fellow:
小学校を He dropped out
中退した。 of grade school.
田舎の雑貨屋を営んだ。 Ran a country store.
破産した。 Went broke.
借金を Took 15years
返すのに to pay off
十五年かかった。 his bills.
妻をめとった。 Took a wife.
不幸な結婚だった。 Unhappy marriage.
上院に立候補。 Ran for House.
二回落選。 Lost twice.
下院に立候補。 Ran for Senate.
二回落選。 Lost twice.
歴史に残る Deliverd speech
演説を that became
ぶった。 a classic.
が聴衆は無関心。 Audience indifferent
新聞には Attacked daily
毎日たたかれ by the press
国の半分からは and despised
嫌われた。 by half the country.
こんな有様にもかかわらず、 Despite all this,
想像してほしい imagine
世界中いたるところの how many people
どんなに多くの人々が all over the world
この不器用な、 have been
ぶさいくな inspired
むっつり者に by this awkward,
啓発された rumpled,
ことかを。 brooding man
その男は自分の名前を who signed his name
いとも簡単にサインしていた。 simply,
A.リンカ−ン、と。 A.Lincoln.
アブラハム・リンカ−ンについて書かれたこのメッセ−ジに対して、13,707通の手紙が寄せられ、68,594枚のプリントが発送されたといいます。こんな形のコマ−シャルは日本ではあまり見られません。しかし、多くの困難を乗り越えて大統領の責任を全うしたリンカ−ンのエピソ−ドが我々の心に、ほのぼのとしみこんでくるとは思いませんか。
在校生諸君!これからの日本の文化を背負って立つのは君達です。こんな形の文化があることを、心の片隅にちょっと覚えておいてほしいのです。そして辛い事があった時、このエピソ−ドを思い出してがんばってほしいのです。君達に負けないように、私は今、詩をかいています。この学校の図書館に私の詩集「海の図鑑」を寄贈してありますので是非読んで下さい。皆様の健闘を祈ります。 |