富戸で始まった「イルカ&ネイチャーウォッチング
2002年9月25日、この日は特別な日として、永く歴史に刻まれることになるかも知れない。
イルカ漁の現場、静岡県伊東市富戸で初めて、「イルカを捕るため」でなく「イルカを見るため」に船が出された日である。
「城ケ崎イルカ&ネイチャーウォッチング」と銘打たれた「イルカウォッチング」事業を始めたのは、地元で長年イルカ漁に携わってきた漁師、
石井 泉さん(55歳)。
きっかけは、1996年に行われたイルカ漁に遡る。
1996年、10月21日、富戸漁港に約200頭のバンドウイルカと、約50頭のオキゴンドウが追い込まれ、次々に“水揚げ”された。
しかし、その数は静岡県に与えられた捕獲許可枠を超えており、更にオキゴンドウは捕獲禁止対称だったのである。
漁を監視していたNGOのいち早い抗議で、その事が公になった、いわゆる「イルカ漁違反事件」である。
その時の現場で、石井さんはテレビ取材に対し「イルカを捕ることは違反でも何でもない」と漁師の立場を強く主張していたのだが、実は捕獲枠そのものは現場の漁師までは徹底されていなかったことが判明したのである。
しかし、伊東市漁協は違反は無かったとし、県も同じ立場をとった。
その年の末、石井さんは「捕獲頭数は明らかに許可枠を超えていた」とする「内部告発書」を組合員に配布、「非は非として認め、今後はきちっと、その枠に沿って正々堂々とイルカ漁を続けよう」という内容だったのだが、組合員の猛反発を招いた。
「筋を通した」だけだったのだが、国も最終的に事件を有耶無耶のままに終わらせるに到って、石井さんは「イルカ漁をやめる」決心をしたと言う。

1999年10月14日、3年振りのイルカ漁が行われた。
この時は、違反が指摘された数は2頭だけだったが、世界中に配信されたイルカ漁の映像が「残酷だ」として、「イルカ漁」そのものに対する激しい批判を呼んだ。
その現場に石井さんの姿は無かった。
この時、既に石井さんはある決意を固めていたのである。
「イルカ漁をやめ、イルカウォッチングを始めよう!」、
「写真家」「作家」など、多彩な顔を持つ石井さんは、自身がパーソナリティーを務める地元FM局の番組などで、「取る利益より、見せる利益の方が大きい」と、イルカウォッチングのすばらしさ、おもしろさを説いていった。
そして2002年5月、下関で開催されたIWC総会で記者会見を行い、世界中に向けて、「富戸のイルカウォッチング」の開始を宣言、一躍“時の人”となったのである。

2002年9月25日、「第1回 城ケ崎イルカ&ネイチャーウォッチング」に参加したのは、世界各国から支援を申し出た人や、マスコミ関係者ら、総勢15名。
石井さんの光海丸と、漁師40年のベテラン、秀丸の2艘は午後1時、富戸港を出港した。石井さんは、ウォッチングの意義を、「イルカを探すだけでなく、イルカの目線で海の上から、城ケ崎のすばらしい自然を眺め、飛び魚や海鳥など、たくさんの海の生物にも接してもらいたい」と語っている。
出港して2時間、ベタなぎの海で、文字どおり自然を満喫した頃、秀丸がクジラの噴気を発見。それはマッコウクジラだった。
エンジンを止め、漂う2艘の船の間で、腹を見せたり、じっと止まってこちらを眺めたり、体長約12m、船とほとんど同じ大きさの子供のマッコウクジラは、30分近く船から離れようとしなかった。
「長年漁師をやっているけど、こんなことは初めてだ」と、秀丸の船長さんが語ったとおり、極めて珍しいマッコウクジラと人間の交流は、多くのニュースで報じられ、試行錯誤のうちに始まった「イルカウォッチング」に花を添えた。

その後、ウォッチングは順調に回を重ねており、2004年度は、1月21日現在、13回船を出し、内9回成功している。他の地でのイルカウォッチングと比べても、かなり高い数字と言える。
地元での理解も広まっており、以前は「社会見学」でイルカ漁を見せていた小学生たちにウォッチングを体験してもらおうという動きや、大手ツアー会社からの引き合いもくるなど、明るい材料は多い。また、漁協の理事が“個人的に”ウォッチング船を共に出すなど、新しい動きも出てきている。
更に石井さんは、「海とイルカを守る会」(通称「ポッドの会」Protect Ocean&Dolphins) を立ち上げ、「イルカを海洋国日本のシンボルとして保護しよう」という新しいアイデアも実行に移した。「イルカとの共存・共生」へ向けて、益々意気盛んといったところである。
しかし、肝心の漁協は、公式には「イルカウォッチング」については無視。「イルカ漁は続ける」との立場を崩していない。

現在、日本全国では、年間約20,000頭のイルカが食用、水族館向けに捕獲されている。
東北・北海道地方での「突きん棒漁」で約18,000頭、静岡県富戸・和歌山県太地・沖縄での「追い込み漁」で約2,000頭という割合だが、その中で富戸のイルカ漁の捕獲許可枠は数種類のイルカを合わせて600頭だが、実質的に最近は、その中でバンドウイルカしか回遊して来ることがなく、その捕獲枠は75頭となっている。
イルカ漁をしていた場所で、漁をやめ、ウォッチングを始めた例は無いことを考えると、もし、「城ケ崎イルカ&ネイチャーウォッチング」が伊東市漁協の公認事業となれば、日本における「イルカを取り巻く環境」へ与える影響は計りきれないほど大きいと言える。

2003年秋、石井さんは2つの大きなイベントをクリアーした。
1つ目はリチャード・オバリー氏との会見である。
石井さんは、最近のインタビューでこう語っている。「イルカ漁はやめよう、イルカを殺すのは可哀想だ」、漁師が獲物に対して「可哀想」などと思ったら漁が出来なくなって当たり前だが、石井さんは、「イルカに対するそんな思いは、実は30年前に芽生えていた」と言う。当時日本でも人気になっていたテレビ番組「わんぱくフリッパー」を見た時からだと言うのだ。
「そのフリッパーの調教師だった人が、今は180度変わって、イルカを野生に戻す仕事をしているというじゃないですか。イルカとの接し方を180度変えた私としても、是非その人に会ってみたい」。
石井さんのそんな思いから、リチャード・オバリー氏の来日が実現したのである。

2つ目は、本場の「イルカウォッチング」の視察だ。
こちらは地元の市議会議員、稲葉知章氏と2人でウォッチングの本場、アメリカ カリフォルニアを訪ね、モントレー市では市長を表敬訪問した。

「サークリット」は、1996年以来石井さんの映像取材を続けており、それをまとめた「ドキュメンタリー番組」の制作を企画中。
また、今まで取材した映像の一部を、2000年10月オンエアーされた南アフリカの報道番組「カートブランチ」や、2003年〜4年、オンエアー予定のアメリカ「ナショナル・ジオグラフィック」ドキュメンタリー番組など、国内外の様々なテレビ番組に提供している。


 イルカウォッチング初日に出遭ったマッコウクジラ      home 
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