「相対性閑人論」(三)         大澄春生

 

 あれ、猫がやってきた。
 黒い猫。
 東屋と芝生畑の間にある青々と茂った草むらに、身を低くして辺りを見回している。よく見るとまだ子どものようだ。彼はこっちの様子を伺ってから、そこにぺたりと座りこんでしまった。
 黒い猫の背後には百日紅(さるすべり)の花がたくさん咲いていた。濃いピンク色に、ほんの少し紫の入った花が、逆光に映えて光っていた。
 針金を渡しただけの垣根には、今は何も絡まっていない。そして空に大きく「腕を広げた木」には、たくさんの葉が茂っていて、腕はその中に隠れていた。そしてここにいたおじさんもいない。その気配も無かった。

 今は八月の真ん中、ちょうど夏の折り返し地点。これから秋に変わろうとしている‥‥‥そんな風が吹いていた。草木は小刻みに揺れ、その風を気持ち良く受け止めているようだった。

 いつの間にかあの黒猫は、何処かへ行ってしまった。

           ※

 お婆ちゃんがやってきた。ゲートボール場と「腕を広げた木」の間の細い砂利道を、杖をついてゆっくりと歩いている。ちょっと太っていて、背中が少し丸くなった小さなお婆ちゃんだ。真っ白になった髪の毛の上に、つば付きの白い帽子をのせている。そして青い絞りのワンピースに白いソックスを履き、緑色のゴムのスリッパを突っかけていた。夏の散歩にふさわしい格好だと思った。一歩いっぽ杖を使いながら、ゆっくりとこの東屋に入ってきた。そして私の前を通りすぎるときに、ぺこりと頭を下げた。私もぺこりとお辞儀をした。
 お婆ちゃんは向かいの縁側の右の端っこに、こっちを向かずに外を見るように座った。つまり私から見ると、お婆ちゃんを右側から見ることになる。それからお婆ちゃんは両足の間に杖を立て、丸くなっている把手の上に手をのせ、そしてその上にあごを乗せた。それが見事に寸法が合っていて、ちょうど上手い具合に真っすぐ前が見える高さになっていた。
 お婆ちゃんは、じっと北側の広場を見ていた。ずっと遠い景色を見ているように、微動だにしなかった。

 一体何を見ているのだろう。
脇目もふらず、遥かな景色を見ている。

 私は一種の美しさに見惚れていた。長年培われて成熟したものがそこにある。数えきれない多くの経験と、それを乗り越えてきたもの、今まで磨き上げてきた最高のものが、今ここに在るのではないかと思った。
 普通に考えれば私よりこのお婆ちゃんの方が、早くこの世を去ってしまうと思うだろう。しかし実際のところ、いつ死を迎えるかは誰にも解らない。誰だって明日死ぬ可能性が無いとは言えなし、一時間後にポックリ逝ってしまうかも知れないのだ。今ここにいる私達は同じ場所、同じ時に生きている。だから過去何十年生きていようがいまいが、いま同じスタートラインにいるとも言える。
 脅かすつもりはないけれど、人間は生きているか死んでいるかのどちらかだ。当たり前だけど、当たり前すぎるからそれを忘れてしまっているのではないだろうか。生きているのが当然だと思っている。でもいつだってその忘れていた死がやってくる。表に「生」、裏に「死」と刻まれたコインの、たまたま表が出ているにすぎない。だからまさに今、死の代わりに生を手にしていると思ったら気の張る思いがして来る。もっとちゃんと生きようと思う。何時そのコインが引っ繰り返るとも限らないのだから。
 死ぬ気でやれば何でも出来ると言う話をよく聞くけれど、死を意識して初めて生に気付き、そしてその死を受け入れたときに初めて生きてくる、ということではないだろうか。闇夜に烏と言うが、黒板に墨だったらそこに書かれたものは何とも読みにくいものだろう。そしてそこに何が書かれているのか読めないというのは、不幸なことだと思う。
 死ぬ気でやるというのは死んだ気になってやるということ。つまり単に頑張ることではなく、今までのことを断ち切ってゼロから始めるということ。積み重ねてきたものを全て捨てて、生まれ変わるということを意味している。意識が過去にあっては出来ない。一歩前でも一歩後ろでもなく、まさに、今ここに居ないと出来ないことだ。
 私はのんびりやりたい方なので、理由を見つけては怠けているけれど、でもどんな怠け者でも、どんなにのんびりしてても、死は確実にやってくる。このことを意識するだけでも「生」に張りが出てくる。適度なコントラストは人の生のピントを合いやすくする。そしてピントが合えば、人の生も楽しくなってくる。

 それから少しすると、お婆ちゃんはそのままの姿勢で、つまり杖をついた形で立ち上がり、もう歩き始めていた。この東屋を出ると、来た道と平行に走っている広い道を、わざと遠回りして戻って行き、それから右に曲がりゲートボール場へ入っていった。同じ道を歩きたくないのは私も同じだ。そこは周りが樹木で囲まれていて、時々お婆ちゃんの姿が木々の間からチラチラと見えていた。その光を追っていると、お婆ちゃんは中ほどにあるベンチに腰掛けたようだ。
 そよ吹く風に揺れる木の葉の間から、白い帽子だけがチラチラと見え隠れしていた。

 ―――私は祖母のことを思い出していた。ちょうど彼女と同じくらいの背丈だったけど、もう少し痩せていた。お婆ちゃんは今年の一月の末に九十五歳でこの世を去っていった。生前は近くの公園へよく散歩に出かけていたと、世話をしていたおばさんが言っていた。お婆ちゃんの家には年に一回、正月に親戚一同集まって顔を会わすくらいで、普段の生活はおばさんしか知らない。
 お婆ちゃんの足腰が弱くなってからは、おばさんも一緒に付き添って公園に行っていた。いつもの場所へ行くと友達がたくさん集まっていて、みんなでお喋りをして、興がのると何時間も帰らないときがあったそうだ。
 年寄りの話は何度も同じ話に戻っていく。ちょっと前に話したことも忘れてしまう。他人(ひと)の話も聞いてすぐに忘れてしまうから、いつでも「あーそうかい、ふーん」と驚きがあって飽きないのだ。聞く方もしゃべる方もすぐに忘れるから、延々と話が続く。おばさんもそれに付き合っていたのだから、大変だっただろうと思う。集まった人数分のタコが耳に出来ていたに違いない。

 お婆ちゃんは二年ほど前から、ボケが進みはじめた。遊びに行っても次第に私のことが分からなくなっていった。自分の娘に会うと子供はどうした、置いてきたのかと何度も心配して聞いていた。もうその子供にも二人の子供がいるというのに。
 そしてお婆ちゃんの周りには色々な過去の人が現れては消え、お婆ちゃん自身もどんどん齢(よわい)を遡っていった。やがて私の生まれる前に戻っていき、私の知らない人達の名前を呼んでいた。もうとっくに死んだ人も、まだ生きている人も一緒になって、お婆ちゃんの周りに集まっていた。そして、お婆ちゃんの一番楽しかった「時」が最後まで残っていたようだった。

 お婆ちゃんには過去がなくなっている。今ここに全てがある。

「あちし(私)はねー、蝶よ花よと育てられて、本当に幸せだったよー。あちしはねー、ほんとに幸せだったよー」
を繰り返していた。その時の表情は本当に幸せそうな顔をしていた。
 最初は「ふん、ふん」とみんなで聞いていたけど、それを何回も言うもんだから
「あちしはねー」
と始まると
「分かった分かった。蝶よ花よと育てられたんだよねー」
って言うと
「なんで知ってんだい」
で、みんなで大笑い。私はそんな明るいお婆ちゃんと一緒にいることができて、本当に幸せだった。
 でもある時それを疑ったことがある。きっとあれは演技ではないかと。というのも、例によってお婆ちゃんのボケでみんなが受けて笑いこけているときに、急に振り返って耳打ちするように小さな声で
「仕事はどうだい。上手くいってるかい」
と私に聞いた。私はお婆ちゃんの突然の変化と言うより、豹変に驚いて
「ええ、まあ。でもいろいろとお金がかかるんで……」
と言葉を濁していると
「いいか、ただし(私の名前)。足るを知るだぞ、いいか、わかるか」
とマジに私の目をのぞき込むように言った。私は驚いてお婆ちゃんの目をのぞき込んだ。ボケている時の目ではない。はっきりとした意志のある、説得力のある目だった。
 それ以来私は疑っている。本当はボケていないんだ、きっと上手く使い分けているんだと思っている。でも実際のところは分からない。もう確かめようが無くなってしまった。きっとどっちも本当なのかも知れないけれど。
 私は子供の頃、お婆ちゃんのおっぱいを吸っていたと、お婆ちゃんから聞いていた。本当に乳が出ていたわけではないのだろうが、遊びに来るたびに吸っていたそうだ。初孫なので可愛がられたのだろうか。でも何となく覚えている。お婆ちゃんが「ほら、おっぱい飲むか。えっ、ただし。ほらおっぱい飲むか」と聞かれて私は、「うん」と答えていたそうだ。
 でもその話からすると、小学校に上がる前くらいまでしゃぶっていたことになる。そんな事ってあるのだろうか。その後の私の人間形成にどんな影響があったか分からないが、いま思うと変な感じがする。その頃お婆ちゃんは五十歳の半ばはとっくに過ぎていたのだから。

 そして去年あたりからは、もうほとんどあちらの世界へ行ってしまっていて、身体がここに残っているだけのようになっていた。時々こちらへ戻ってきて、おトイレに行ったり、食事をしたりしていた。そして年の暮れに風邪をこじらせて入院、翌年の一月三十日に行ったきりになった。きっと蝶よ花よと幸せなままで逝ったに違いなかった。
 おばさんは長いことお婆ちゃんと二人で暮らしていたから、急に一人になって寂しいのかと聞いてみたら
「それが全然寂しくないのよ、いつもお婆ちゃんがここにいるみたいでね。かえって世話がなくなっただけ、とっても楽になったよ。でもね、前はお婆ちゃんが居るからと言って断れたのに、いろいろ出かける用が多くなってね。だから最近はそっちの方が忙しくなっちゃって」
 おばさんは長男の嫁としてやって来て、お婆ちゃんの面倒をずっと一人で看てきた。その他に週末には電車に一時間乗って、他所(よそ)にいる夫の一週間分の家事もしなくてはならないし、本当に大変だったと思う。
「いま思うとね、寝たきりにはならなかったんで、下の世話をしなくて済んだから、ほんとに楽だったよ」と言っていた。
 おばさんの中には今もお婆ちゃんが生き続けている。そして今でも蝶よ花よのお婆ちゃんが笑っているにちがいない。

蝉の鳴き声が波のように、押し寄せては引いていくのを繰り返していた。
そして私の中にも花や蝶の野原が
広がっていた。

死ぬということは、
単に影が消え去ったに過ぎないのだろう。

星の光のように、
いちど輝いた光は、その星が消え去ってもなくならない。
その光はここを通り過ぎて行ったにすぎない。
何万光年先の星に届くときにも輝いているだろう。
その光だけが在り続ける。

 
 
 

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ブレッシング・レコード/杉浦 正
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