「相対性閑人論」(二)         大澄春生


 陽が差してきた。この東屋(あずまや)の横にある芝生畑の垣根に沿って、百日紅(さるすべり)の木が半間ごとに植えてある。四〇メートルくらいの列に、たくさんの濃い桃色の花を咲かせていた。陽を背にしている所為で、花が輝いている。でも、もう夏の午後も過ぎようとしている陽の色だった。

 ここに着いた時に、ちょうど一人のおじさんと入れ替わるような形ですれちがった。彼は手に競馬新聞を持っていて、私の顔をじっと見て何か言いたそうに去っていった。ふと見ると、東屋の縁側にはミカン箱くらいの大きさの段ボール箱が置いてあり、その中に新聞の様なものが入っているのが見えた。ああ、そこから新聞を拾ったのだなと思った。

 その箱と対角線の縁側に、南に向いて座った。いつもの場所で、ここが気に入っている。そして公園セットの中からポットを取り出し、良く冷えた麦茶をキャップに注いで、最初の一杯を一気に飲み干した。
 あれから二年近く経ったけど、この建物は相変わらず縁側の板は外れたままだし、壁も抜け落ちたままだった。そして南側の空き地だったところが綺麗に整地され、芝生が敷き詰められていた。所どころに全身に包帯を巻いた木が立っていて、短く切られた枝の先に、少ない葉を付けていた。そこを囲むように造られた垣根も、赤ちゃんの髪の毛ようにすかすかで、黄色と黒の縞模様のロープを張って保護してあった。
 こうして見てみるとかなり広い空き地だ。手前の辺は五〇メートル、左の辺、つまり奥行きは直線で百メートル、そこで公園は終わっている。向こうの辺が二五メートルくらいで、右の辺は同じ幅でまん中くらいまで来て、そこから右に広がって角まで延びている。ちょうど先の尖ったブーツの形になっている。
 左側には道を挟んでゲートボール場が林の中に見え隠れしている。空き地を挟んで右側には高さ一.二メートルくらいの緑色に塗られた金網のフェンスがあり、そこからすぐに鬱蒼とした林になっている。時どき吹く風に、夏の濃い緑の葉が揺れていた。公園の終わりには道を挟んで、建て売り住宅の家が所狭しと並んでいた。その列のまん中あたり、ちょうど私の正面に家が一つだけ抜けたようになっていて、そこからずっと向こうの突き当たりの街道まで見通せた。そしてその抜けた隙間から、ひっきりなしに車が通っているのが見えていた。もう此所からはかなり遠いし、音も聞こえない。

 さっきのすれちがった男が立入禁止のロープ伝いに歩いていた。手に持った新聞を力なく振り回している。公園の終わりまで行き、右に折れて列をなした家の前を通って消えて行くのが見えた。それと同時に男の消えた反対の左の方から、四人の子供たちが生け垣を乗り越え、立入禁止の芝生の中をこちらに向かって歩いてきた。大きい順に、男男女女。で、かってに想像させてもらうと、一番大きいのが五年生。二番目と三番目は四年生。一番小さい子は一年生といったところか。ちょうど夏休みで、親戚の子が遊びに来ているといった感じだ。どの子が親戚か知る由もないが、しかし最近こういった風景はあまり見かけなくなった。とにかく最近の子は忙しいし、ややもすると大人よりよっぽど暇がない。大人になって仕事にあぶれて暇だらけになったら一体どうするのだろうと、余計な心配をしてしまう。それに、独りでする遊びが増えて、「○○ちゃん、あそぼー」なんてお呼びがかかることも無くなってきている。一緒に遊ぶにしても、電話でアポをとってからでないと駄目なのだ。何だか営業の仕事みたいになってきている。私の子供のころは全部「○○ちゃん、あそぼー」だった。だから小学生のころは野ッパラを見つけてはそこで遊んだし、他人の家の軒先をくぐって自分達しか知らない道を走り回ったりしていた。今みたいにみんなブロック塀になっていなかった。ほとんどの家が生け垣で囲ってあって、木の隙間からその家の中を見ることが出来たし、家によってはその空(す)いたところを自由に通ることが出来たのだ。

 四人の子供たちはこっちに近づくと足をゆるめて私の顔を見ていた。何を読み取ろうとしているのか、四人が代わる代わる私を見ていた。そして東屋をゆっくりと遠巻きにして左に回り、私の視界から消えていった。
 パンパンパンと音がして、辺りが急に騒がしくなった。後ろを振り返ってみると二番目に大きい男の子(この中で一番しっかりした感じの子だ)が癇癪玉を鳴らしていた。癇癪玉は投げて遊ぶものだとばかり思っていたが、彼は足で踏ん付けて破裂させていた。癇癪のぶつけ方も色々あるものだ。頑丈そうなスポーツ靴を履いているので、それもありかなとも思った。私の小学生の頃はこんな運動靴はなかった。今で言う上履きみたいのだけだった。
 彼はまたポケットから出すと踏ん付けはじめた。また大きな音が公園に響いた。まだあるのかなと思ってみていたら、ポケットをひっくり返しても何もでてこないようだった。私はやれやれと一息ついた。もっと持ってたら退散しようかと思っていたところだ。
 彼等は気が済んだのか、やることがなくなったのか、もと来た方へ戻りはじめた。しかし何か変だ。またこっちを見ている。歩き方もわざとゆっくりしているし‥‥‥。すると何やらこそこそ話しはじめた。秘密の会議といったところか、顔を寄せあって結構長くやっている。当然、一番小さな女の子は届かなかった。でも一緒になって輪を作っていた。すると突然二番の彼がこの東屋に入ってきて、あの段ボールの方に向かって歩いていった。箱の前に来ると注意深くそっと蓋を上げた。
「あっ、まだいる。まだ生きている‥‥‥」
と彼は言った。
 なに? 生きている? 「何が生きているんだ」と私は驚いた。彼はその上に被さっている新聞紙を一枚一枚どかしていった。
「あっ、水が入れてあるぞ」
と、大きな声で叫んだ瞬間、他の三人もどやどやと入ってきて、箱の中をのぞき込んだ。
「あー、ほんとだ」と三人は同時に言った。
「まえ、これなかったよなぁ」
「うーん」と三人は頷いた。
「じゃ、誰かが入れたんだ」
「うん」と三人。
「誰だろう」と言って、みんなで箱の中をがさがさ動かした。
すると中から
「ミャー」と弱々しく小さな声がした。
 ここに子猫が入っていたのだ。この声を聞くまで私は不安にかられていたが、少しほっとした。事によって、とんでもないものが入っていたら、とんでもない事になってしまうところだった。と言っても何がとんでもないか分からないけど、とにかく一安心した。

 彼らは「これどうしよう」と言って悩んでいた。
 どうするのだろうと私も他人(ひと)事ながら心配になってきた。
 やがて話がまとまったらしく、四人で仲よく段ボール箱の蓋の端をつまんで運びはじめた。と言っても一番小さな子は持ち上げるというよりは、蓋に掴まっていると言った方があっている。でもみんなで仲よく運びはじめた。しかし立入禁止の垣根の手前のところで止まって、また下ろしてしまった。いったい今度はどうしたのだろう。また何やら相談をはじめた。今度はときどき私の方を見ながら顔を寄せあっている。一番小さな女の子も頭を大きく上下にふって参加していた。一瞬の沈黙があって、四人が一斉にこっちを見た。そして二番目の男の子がつかつかと私に走りよって言った。
「おじさん。あの猫の水あげたの、おじさんですか」と、とてもしっかりとした口調で、きかれた。
「いや、知らないよ」と答えた。私は彼の真剣さに圧倒されていた。
そこに猫がいること自体知らなかったのだからと、自分の中で言ってしまっていた。
「そうですか」と彼は弱々しく返事をして三人のところへ戻って行った。
 私は本当にさっきまで、そこに猫が居るなんて知らなかったのだから。とまた自分の中で言っていた。
 もし私がその猫を見ていたら、どうしていただろうか。私も小さい頃、捨ててあった犬や猫をよく拾って帰って母を困らせたものだ。だからどうにかしたい気持ちは良く分かる。でも今は持って帰るわけにはいかない事情がある。私は知らなくて良かったと言うのが正直な気持ちだった。私はここですれちがった男を思い出していた。もしかしたら彼が何か知っているかもしれないけれど、これを彼らに話しても彼らの助けになるはずはなかった。

 彼等はしばらく相談をしていた。いろんな意見が出たみたいだけれど、結局立入禁止の芝生の中へ運びはじめた。一人で持っても軽々と持ち上げられそうなものを、四人で仲よく持っていた。みんなで持つというところに彼らの結論があるのだろう。右に折れて私の視界から消えて行ったので身を乗り出して見ると、段ボール箱は右の奥の緑色のフェンスの下に置いてあった。それから少しすると、なにやら蓋を開けて騒いでいた。きっと猫が糞でもしたのだろうか。その周りをみんなで「わーっ」と言いながら走り回っていた。私は元の位置に戻った。ここからはとなりの芝生畑の小屋に遮られて段ボール箱は見えない。でも時々視界に彼らが入ってくる。一人のときもあれば、二人のときもあった。何か決まった遊びをするというわけではなく、ただ単にはしゃぎ回っていた。
 しばらくして静かになったかと思ったら、彼らは行進をするように足並みをそろえ、上手から下手へ一列になってゆっくりとその場を離れて行った。そして又歩きながら私の方を見ていた。そして四人は代わるがわる段ボール箱を振り返りながら公園を出ていった。
 それから五分もしないうちに彼等が戻ってきた。駆け足で戻ってきて、段ボール箱を開けて様子を見ていた。そして一番最後から、上の女の子が歩いてやってきた。ここからは良く見えないが、手に何か持っていて、それを注意深く運んでいるようだった。
 それからまた少しすると、蓋を閉めてそこを離れた。今度はさっきよりも確かに帰っていくという雰囲気だった。また彼等は私と段ボール箱とを振り返りながら歩いていった。

 そして段ボール箱に入った子猫と、私が残った。
と言うより、取り残されたと言った方が今の私の気持ちに合っている。太陽はだいぶ傾いて、夏の空にふさわしい青い空と、天に広がった雄大な雲が、ほんの少し赤みを帯びてきた。一体どうすればいいのだろう。そこに猫が居るのを知っているのは、もう今ではここにいる自分しかいなくなってしまった。何かとんでもない公案を与えられたようだった。
 この東屋の前を親子連れが何組も公園を去っていった。しかし誰もあの猫に気づかない。それもその筈で、立入禁止の芝生には誰も足を踏み入れないからだ。段ボールのゴミがあるくらいにしか思わないだろう。
 彼らはわざとそうしたのだろうか。東屋に置いておけばきっと誰かが拾って行ってしまうと考えたのだろうか。いや待てよ、もしかしてあの話し合いの中に、私のことが入っていたのだろうか。こっちをチラチラ見ていたのは、私が持って行ってしまうと思っていたのだろうか。私に盗られてしまうと思っていたのだろうか。もしそうだとしたらショックだ。私はとんでもない勘違いをしていたことになる。何と私はおめでたい人間なんだろう。いつも自分は善人だと思っている。

 私には彼等はもう戻ってこないという確信があった。
何とかしたいという思いで一杯だった。でも私は彼らの決断に敬意を払い、何も手を出すまいと心に決めていた。私は後ろ髪を引かれる思いでそこを去った。
 もう辺りは暗くなりはじめていた。

          ※

 やはり次の日も来てしまった。昨日と同じくらいの時間になっていた。
ここに来る途中、遠くから立入禁止の芝生は見えていたが、段ボール箱そのものは垣根の影になっていて見えなかった。私は早く結果が知りたいと思っていたのだが、怖くもあった。まだそこに在ったらどうしようと思っていた。
 すぐ近くまで来て結果が出た。無かったのだ。私はほっとした。きっと彼らがどこかに運んだに違いない。きっと今は誰かの親が困っているのだろう。もしすぐにオーケーが出ていたら彼らは何もあんなに悩まなかっただろうから。
 でも私は少し残念な気がしている。もしその猫を見てたら道で会った時に「どうしてる?元気?」と尋ねることができただろうに。

 

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ブレッシング・レコード/杉浦 正
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