このビオトープ物語第一部は2000年9月に執筆しました。
第2部は同時進行の形をとり2005年までに完成させる予定です。
  目  次
第1部 序 章  
第一章 創 生
第二章 ビオトープ通信
第三章 リンゴのオーナー制度
第四章 ここはビオトープ、お客様は神様じゃない
第五章 日本型グリーンツーリズム
第1部 終 章  
  ※ちょっと長いのでプリントアウトして読んだ方がお得かも
※上の「◯章」をクリックすると、その章へジャンプします

ビオトープ物語
<序 章>

 私たち夫婦が民宿経営という思ってもみなかった人生を歩み始めて5年の月日が流れた。
 今年は梅雨の晴れ間にやっとのことで板壁全面に木部保護塗料キシラデコールを塗ってみた。3年に一度は塗りなおした方が良いと忠告を受けながらも実行できないでいた代物で、板面 が少し黒く変色し始めたため、やむにやまれず重い腰を上げた。二連梯子と塗料を購入して丸4日がかりの大仕事となった。
 かつて2〜3年前に「このままにしておいたら、木が可愛そうだ」と言って自ら塗料を買ってきて建物の一部を塗装してくれたお客さん(友人の仲間)がいたが、この度の経験で「可愛そうだ」という感情が私にもなんとなく理解できるようになった。刷毛で一振り一振り塗り込めることは、いとし子の頭を撫でるにも似た感覚があった。そしてすべてが終わってみると、ただなんとなく「ハード」と感じていた建物がいとおしくさえ思えるようになった。愛情とは行為を通 して育まれるものかもしれない。
 民宿ふるさとハウス・ビオトープは五年ぶりの化粧を施し、次なるステップを迎える。子供でいうと義務教育課程を修了したといったところか。いよいよ物語は第二部に入る。その前に第一部をここに記させていただくのも何かの縁である。

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<第1部> 第一章 創生
  1994年1月、私たち夫婦は100人ほどの知人には年賀状と共に1枚の写真付きの企画書のようなものを送った。ふるさとハウスビオトープの建設趣意書である。そこには6年前の私たちの思いや経緯がことごとく読み取れるのでここに全文を記してみたい。

ふるさとハウス「ビオトープ」建設趣意書
 私たちが長野県小川村に移住して丸12年が過ぎようとしています。時計ではありませんが、ちょうど一回りしたという感じです。この間、多くの友人たちに支えられ、村の生活にも馴れ親しみながら、数々の活動と様々な経験をし、今日を迎えました。 そんな折、村のある方から、宅地550平方メートルを紹介戴きました。ちょうど一年前のことです。
 「我が家」を持つなどという気がさらさらなかった私たちは突然降って湧いたような話に戸惑いましたが、その場所は集落を眼下に、眼前には北アルプスの雄姿が望める絶景の地で、私たちの心は動きました。北アルプスの雄姿に憧れて小川村に来ながら、全く北アルプスの見えない谷間に住んでいた私たちへの、天からの大きな大きな贈り物のような気がしました。
 これも人生の一つの「流れ」かも知れないと思った私たちは、その方の好意を喜んで受けることにし、土地を購入しました。
 村の方々から「あそこはいい所だ。最高だ」なんて良く言われます。私たちも素晴らしい場所だと思います。何しろ景観の良さに加え、住所が小川村大字瀬戸川字酒盛場909、地区名は成就ですから。私たちが独り占めしては申し訳なく思いました。多くの人たちが小川村のその場所の素晴らしさを味わい楽しむことができないだろうか……。 そこで考えたのが、ふるさとハウス「ビオトープ」です。

 「ふるさとハウス」とは…勝手に命名しているだけですが、ペンションというよりは「農村民宿」的なものを目指しています。ドイツのバイエルン州やバーデンビュルテンヴェルグ州に多い農家民宿のように、低料金でのんびりと長期滞在できるアットホームな民泊施設です。
 都市にすむ友人やその家族は、いつかきっと田舎に来て自然に親しみ、のんびりと時を過ごしたくなるだろう……その場を準備するのが、都会を離れ、勝手に田舎暮らしを始め、ご無沙汰している私たちのせめてもの償いであり、義務かも知れないと私たちはいつしか思うようになっていました。その思いの場がふるさとハウス「ビオトープ」です。
 ドイツ、フランス、イギリスではグリーンツーリズムの時代を迎えました。グリーンツーリズムとは日本ではまだはっきりとした定義はありませんが、一口でいえば「農村でゆとりある休暇をとる」といった意味に理解していただければと思います。  ドイツでは1970年代に「農家で休暇を」という事業が展開されました。人々は1週間から2週間、農家民宿と豊かな自然の中でゆったりとした時を過ごし、再び仕事に戻っていきます。日本でも10年か20年後には、物見遊山的な観光旅行ではなく、グリーンツーリズムを楽しむ人々がきっと増えてくるでしょう。
 ところで、「おやき」で有名になった(株)小川の庄では「花と味街道・美しい村づくり構想」を提唱し、新しい農村づくりの研究に着手しています。そのお手伝いをする中で、私は今年の6月と10月にドイツ(グータッハ村)を取材し、この12月から1月にかけて再び渡独する予定ですが、このふるさとハウス「ビオトープ」はそうした新しい農村づくりの試験的施設として位 置付けられるかもしれません。

「ビオトープ」とは…もともとは生態学用語(ドイツ語)で「野生生物群が安定して生息できる空間単位 」という意味があります。体よく言えば「在りのままの自然」とか「いのちの場」というような意味になりますかどうか……。
  構 想
* 宿泊料金を安くして、長期滞在が可能となるようにする。
* 母屋とは別に喫茶・レストランスペースを設け、食事の場とすると同時に催しものや小川村の人々との交流の場とする。
* 部屋数は3〜5部屋位で共同炊事場のようなスペースを設け、自炊もOKとする。
* 車椅子の方も利用可能な施設を心掛ける。
* 醤油、味噌、食用油は自家製を使用。(現在もそうです)その他の食材もできるだけ自家(無農薬)もしくは地場産のものを使用する。
* 農作業をしたい人のためには畑も提供する(借用済み)

 現在、喫茶・レストランスペースとして、この夏開催された信州博覧会のミニFM局を移築しました。そしてその他のスペースについては小川村の友人たちが様々な意見を出し合い、設計を手掛けてくれています。
 尚、建設(一部)完成予定は今年1994年の秋頃です。
 さて、そこで  私たち2人は相変わらずの貧乏暇なしで、今回の事業を実現させる程の自己資金を持ち合わせていません。金融機関から資金を借りるのも良いのですが、利息がどうもバカらしい。その利息分も建設費に回せたら少しでも理想に近付くのではないか。と思って、思いついたのが皆様への融資(出資ではありません)のお誘いです。下記のように考えてみました。
   * * * * * * * * * *
 お借りした資金は必ずお返し致します。
 7年以内には融資金の半額返済
 15年以内には融資金の全額返済
 但し、利息はつきません。その代わり融資金返済完了までふるさとハウスビオトープを無料(但し食事は別 )でご利用いただけます。これが利息とお考え下さい。
Aコース…融資金…50万円 毎年無料一泊宿泊券3枚
Bコース…融資金…100万円 毎年無料一泊宿泊券5枚とお楽しみプレゼント
Cコース…融資金…200万円 毎年無料一泊宿泊券10枚とお楽しみプレゼント
Dコース…融資金…10〜40万円 毎年無料一泊宿泊券1枚 その他特典を考案中です。
   * * * * * * * * * *
 以上、突然のお願いですが、私たちの主旨をご理解いただき、ご融資をしていただけるようでしたらその旨をご連絡ください。詳しくは追って連絡いたします。 また、上記以外の形でのご融資やご協力がございましたら、喜んでお受けしたいと思いますのでお申し出ください。
 いずれにせよ、ふるさとハウス「ビオトープ」完成の折には、融資の有無にかかわらず是非ご利用いただきたく、ご案内申し上げますので宜しくお願い致します。
                     長野県上水内郡小川村瀬戸川1067-1
                             丸田勉・真里子

 1995年1月1日午前零時、ふるさとハウス・ビオトープはオープンした。
 当初は喫茶スペースのオープンで、未完成の2階を完成させ民宿として正式に営業を始めたのは翌年の11月である。

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第二章 ビオトープ通信
 融資してくれた方に現状報告をしようと始まったビオトープ通信は、まだNo.9である。年2回発行の予定が、今や年1回となり年賀状と一緒に同封される。通 信の執筆、編集は連れ合いの真里子さんが担当している。
 記事の一部を紹介して5年間を振り返ってみよう。

ビオトープ通信No.3 1995年4月
 拝啓  信州・小川の里にも春がやって来ました。雪国の春は一気にやってきます。
 お変わりありませんか。ご無沙汰いたしました。
 1995年1月1日オープンした「ふるさとハウス・ビオトープ」はまあまあ順調で、長い冬に耐え、春を迎えました。この間、村内のいくつかの会議や集まりに利用していただき、喜ばれている(?)ようです。特に女性の方々に利用されているのは望んでいたことでもあり、嬉しい限りです。
 当方の企画としては信州大学名誉教授・玉井袈裟男氏を招いて「これからの農村を考える集い」を開いたり、兵庫淡路大震災の被災地におやきを運ぶ「信州・あったかおやきプロジェクト」の事務局として利用されています。
 過日、23名ほどの宴会がありましたが、その中の数名の方から「いいなあ・・・ 高い天井に回るファン(扇風機)、そして暖炉(薪ストーブ)、カウンター・・・これは俺たちの夢なんですよ。自分の家に作りたくてもなかなか実現できない夢なんですよ」と言われました。「夢が実現できたと思えばいいじゃないですか。自分の家だと思って使ってもらっていいですよ」と答えると「ギターをここに置いておきたいなあ。それに手塚治虫なんかの単行本、揃っているのを持って来ますよ」
 様々な人々の自分の空間として利用していただく、そんなビオトープでもいいと思っています。ただ、いろいろなものが集まってどんどん手狭になっていくのが心配です。
[後略]

ビオトープ通信No.4 1996年11月
[前略]
 今年4月初め朝日新聞の全国版に北アルプスの写真と小川村のことが紹介されてから、全国各地から小川村を訪れる人が多くなり、ビオトープにもたくさんの人が立ち寄ってくださいました。何も無い山村なのに遠くは海外のドイツ、南アフリカ、スリランカ、シリア、韓国、オーストラリアの方にも利用していただきました。お蔭で私たちも様々な方と出会い、いい思い出もたくさん作ることができました。そして何よりも20年ぶり、15年ぶり、10年ぶりの旧友たちと懐かしい再会をしたり、連絡をいただいたりの出来事は、ビオトープをオープンした私たちへの思いがけないプレゼントと感じています。[後略]

ビオトープ通信No.5 1997年7月
[前略]
 恒例の味噌作りも5月18日、賑やかなうちに終わりました。今年は初めて我が家で作った大豆を使いました。醤油は現在もろみ熟成中で11月ごろ搾ります。ドクダミも今、太陽の下で乾燥中です。
 そして、わが畑はといいますと、トマト、キュウリ、ナスなどの夏野菜、ジャガイモ、タマネギ、キャベツ、スイカ、ごぼう、大根、チンゲンサイ、ミニ大根、大豆、変わったものではズッキーニなどなど、ベンさん(注・筆者)が一生懸命作っています。私は収穫するだけの人ですが、「夫が丹精こめて育てた野菜です」と言ってお客様にお出しするよう心掛けています。
[後略]

ビオトープ通信No.6 1997年12月
[前略]
夏の思い出
 一年を通じてご利用が多いのはやはり夏です。今年は昨年よりご家族での利用が増えました。幅広い年齢層に満足していただくおもてなしには私たちも随分と気を使います。特に中学生、高校生には・・・。でも彼らを軽トラックの荷台に乗せ野菜採りに連れて行ったり、犬の散歩をしてもらったり、夜、真っ暗闇の中を散歩したり、家族で木のパズルで遊んだり・・・とそれぞれ充分楽しんでくださったように感じました。それからもう一つ心配したのは料理です。果 たして野菜中心のビオトープの料理を食べてもらえるだろうか・・・。でもそれも安心しました。チェックアウトの時、ある男子中学生のお母さんから「野菜嫌いの子が、・・・ここの野菜は美味しい。作り方を教えてもらおう。家で僕が作る(料理する)から・・・って言うんですよ」と告げられたときは思わず万歳と叫びました。実は野菜料理の中心となったのはズッキーニという野菜です。(我が家は太く大きく育てます)ズッキーニは中華、洋風、和風、どんな料理の味にも見事に馴染む素晴らしい素材です。これをきっかけに私も、工夫して料理を作る楽しさを、少しですが覚えました。こうしてビオトープの夏は、多くの家族とのふれあいと、ひたすら作りつづけたズッキーニ料理で明け暮れたのです。[後略]

ビオトープ通信No.7 1998年7月
 [前略]
高齢者の方々の笑顔があふれた・・・
 5月中旬から6月初旬までの10日間(1日20人前後)、長野市のデイサービスセンターを利用しているお年寄りたちがビオトープで昼食をとってくださいました。満足していただけたかとても不安ですが、私はいろいろなことを学ばせていただきました。『折角の旅だもん、一杯やるかな』と美味しそうにお酒を口にし、北アルプスを眺めながら『命の洗濯ってぇのはこのことじゃな』と何度も頷いていらしたおじいちゃんの姿。現在ビオトープの玄関にはその方たちが作ってくださったウサギのお人形(軍手で作った)が二つ仲良く並んでいます。
[後略]

ビオトープ通信No.8 1998年12月
[前略]
新しい家族が増えました。それはなんと・・・
 今、ビオトープの朝は烏骨鶏の振り絞るような「コケコッコー」の鳴き声で始まります。7月初め、長野市の友人の知合いからつがいで2組分けてもらいました。(烏骨鶏の卵は栄養価も値段も高く、中国では肉も薬膳料理に使われることは知っていました。なるほど羽の間から見える肉は黒っぽい)ところが、いつまでたっても雌は卵を産む気配が全く無い。餌(雑草から野菜屑、残飯となんでも食べてくれるのは有り難い)をやりながら、早く卵を食べてみたい、ドイツの2人にも食べさせたいと烏骨鶏にお願いする日々が続きました。
[中略]
念じていたらピアノがやってきた
 ビオトープにもピアノがあれば・・・と思っていたところ「ピアノいらない?」との電話。ベンさんは二つ返事でいただくことに。ベンさんの高校時代のガールフレンドとその友人の紹介で11月10日にグランドピアノが運び込まれました。持ち主の金沢さんはピアノの先生。下取りに出すよりは大切にして下さる方に使ってもらいたいとのことで、晴れてビオトープへお嫁入り。
[中略]
念じればなんとスモーカー(燻製器)までやってきた
 燻製を始めようと2冊の本は買い揃えたものの、なかなか燻製器は作れないでいたところ、りんごの木のオーナーでもある鹿股夫妻より「一度だけ使ったものですが」と立派な燻製器が送られてきました。ベンさんは大喜び。早速色々と挑戦してみました。虹鱒の燻製・・・上出来。スモークチーズ・・・まあまあ。豆腐の燻製・・・珍しさで合格。卵の燻製・・・まあまあ。スモークサーモン…うまい。豚バラのベーコン・・・美味。いずれにせよお客様と一緒に楽しむのが目的。
[後略]

ビオトープ通信No.9 1999年12月 
[前略]
今年も念ずればなんとビデオプロジェクターもやってきた
 映画会のことは前の号でもお知らせしましたが、その頃は機械を借りてきて上映していたのですが、ベンさんの仲間がなんとビデオプロジェクター(勿論中古ですが)を手に入れてくれました。スクリーンを常設しましたので、これでいつでも映画を見ることができます。上映用のビデオも少しずつ揃えていますが、もしご覧になりたい作品がありましたら、ご持参ください。また映画上映以外のことにもご活用いただければ幸いです。
[中略]
春、素晴らしい食材との出会い
 3月末に広島から若い女性が宿泊してくださいました。彼女は古代米の研究集会に参加するために長野を訪れたそうで、赤米と黒米をお土産にいただきました。早速炊いてみました。白米にちょっと入れて炊くだけで、ほんのりと紅色に炊き上がったご飯は、美味しいか美味しくないかとか言うのでなく、「あっ、体によさそうだな、よし、これを朝食の定番にしよう」と、素晴らしい食材に出会ったことを直感しました。それから長野の街中を赤米と黒米を求めて駆け回りました。こうして自然食品・健康食品の店に足を運んでいると、もう一つの素晴らしい食材と出会うことができました。「そば米・そば粒」です。それは、そば雑炊、そばの実入り赤米ご飯、そばの実スープなどに工夫して、私も大いに楽しんでいます。
[後略]

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第三章 りんごの木のオーナー制度
 小川村の中でもビオトープがある成就地区はりんごの産地である。46戸の内18戸がりんごの栽培をしている。傾斜地で、第三期層の粘土質の土が効果 的なのか・・・とにかく美味い。成就のりんごは知る人ぞ知るで、ほとんどが贈答用に消費されている。 私たちが成就に居を構えて間もなく「りんごをやらないか」と矮化の木50本のりんご畑に案内された。だからといって全く経験の無いものが「はい、そうですか」とすぐさま腰を上げて出来るほど、りんご栽培は生易しいものではない。いくら物好きな私でもお引き受けするわけにはいかなかった。
 近年りんご農家も高齢化して、喬木を矮化に換えたり、栽培面積を縮小せざるを得ない状況になってきている。とはいっても折角育て上げてきたりんごの木を伐採してしまうのも忍びない。少しでも労力を軽減して今まで通 りに栽培を続けることは出来ないだろうか。
 そこで考え、取り組んだのが、りんごの木のオーナー制度である。オーナーには5月の花摘みと摘果 と11月の収穫をしてもらい、剪定と消毒と一般管理は農園主が受け持つという体制で出発した。
 矮化は1本が1万円、喬木は1本5〜7万円のオーナー料を設定。ビオトープは募集と広報、名簿管理をお手伝いしてオーナーと農園主の仲立ちをする。遠方の方は勿論ビオトープに泊まっていただく。農園主とふるさとハウス・ビオトープの関係は持ちつ持たれつといった関係で進めてきた。だが正直言ってそううまい話でもなくなってきた。りんご作りの作業は花摘み、収穫何れも時季というものがある。オーナーは週末を利用しての作業となるから必然一時期に集中してしまうのである。五部屋の小部屋で宿泊客は10名がベスト。最大で15名の小規模民宿ではどうしても対応できない事態が生じてきたので、この時期だけは他の宿泊施設に協力してもらっている。宿泊さえ出来ればというお客様ならば問題は無いが、ビオトープの環境や雰囲気、真里子さんが作る手料理を楽しみにしている方には誠に申し訳なく、心苦しい限りである。
 現在、オーナー制のりんごの木は矮化36本、喬木5本、オーナーは34人でそのうち障害のある人が4名で、車椅子での作業を楽しんでいる。
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第四章 ここはビオトープ、お客様は神様じゃない
 ビオトープとは先の建設趣意書の中で前述したように「野生生物が安定して生息できる場」、転じて「子供もお年寄りも、男も女も、障害のある人もない人も誰もが集えて、ホッとできる空間・場でありたい」と願い、命名された。
 最初のお客様はなんとタヌキだったらしい。残念なことに私はお目にかかれなかったが、友人が「あっ、タヌキがいる。庭にタヌキがきた」と騒いでいた。最初の客がタヌキとは、これぞ「ビオトープ」ということで、このことは私が気に入っている事柄の一つである。その反面 、可愛い女の子に化けて現れてくれたらもっと良かったのに・・・と歯軋りするのは、欲張りか?閑話休題。
 それにしてもいろいろな方たちに利用していただいた。と言ってもたくさんの利用者があって経営的に楽になったと言うことではない。それこそ維持するのに精一杯の現状に変わりはない。ただ、様々な方に様々な形で利用していただいたという、人数ではなく種の数においてのことである。
 障害をもった人たちも良く来てくれる。毎年G・Wに訪れていた克郎君家族は昨年からりんごの木のオーナーとなり、春秋年2回、それも同僚2家族を誘って来てくれるようになった。脳性麻痺の彼を混浴の露天風呂に連れて行くという約束を、私は未だ果 たせないでいるが近いうちに実現させるつもりだ。 登校拒否のS君(中学生)を2週間ほど預かったこともある。
 大学受験に総て失敗したウッチャンは1ヶ月半ほど滞在して、酪農の手伝いをしたり、村の若者たちとサッカーをするなどして気分転換をはかり帰っていった。そのウッチャンはやっと自分を生かせるだろう道を見つけて、今は放送関係の専門学校に通 い始めたという。
 ドイツの大学生男女2人を2ヶ月ほど預かったこともある。何れも子供のいない私たちにとっては、いい思い出である。
 地域づくりを考える人たちのグループや、農業改良普及所関係の会合などにも利用していただいたり、合唱団や少年サッカーの合宿も行われた。私が県の老人大学の講師もしていることから、生徒さんたちが時々訪ねてくれたり、同級会を開いてくれる。去年は絵をたしなむ人たちが結構多かった。ドイツからきた20人ほどが、地元の人たちと一緒に輪になって踊って盛り上がった曲が舟木一夫の「高校三年生」だったことも、懐かしい思い出の一つだ。
 近所の人たちを招いての結婚披露の場になったこともある。時々コンサート会場になったり映画館になったりもする。そうした面 では、私たちが意図した方向に向かっているといってよいだろうし、「ふるさとハウス・ビオトープ」はそれなりのアイデンティティーを持ち合わせてきたように思う。
 常々私は、お客様が民宿を選ぶ権利があるように、民宿にもお客様を選ぶ権利があっていいと思っている。お客様は神様でない。結縁家族のようなものである。どうせ一時を共に過ごすのなら気持ちよく過ごしたい。金を稼ぐには小規模民宿やペンションは向いていない。金以外のものと出会えるから、細々ながらも何とかその場を維持しているというのが実情である。
 宿泊申し込みする電話の向こうの声がどうも印象が悪くて、要警戒と感じてしまう、そんな人も、会って見れば話の合う人だったりして、実際には選ぶことは難しい。だが、こちらが気に入らないとお客様もなんとなくそれを感じとってしまうもので、多分リピーターとはならないから、これが宿側の選択といえば選択である。
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第五章 日本型グリーンツーリズム
 もう一度建設趣意書に目を転じてみよう。ふるさとハウスとは・・・の項にグリーンツーリズムの意味を「一口で言えば農村でゆとりある休暇をとるといった意味に理解していただければと思います」とある。そう、農村(田舎)でゆったりとした時間を過ごす旅のことかと思っていたのだが、日本はちょっと違う。やっぱり勤勉なのである。
 財団法人農林漁業体験協会(ビオトープも加入)のいうグリーンツーリズムは、農山漁村でさまざまな体験学習することを奨めている。何もしないでボケ―とすることは日本人には向かないらしい。  私がドイツのシュバルツバルツ地方で出会ったツーリストたちは、とにかくよく歩いていた。そして1箇所で1週間ぐらいの滞在は普通 だった。我がビオトープもそのことを思って連泊割引を用意した。だが2日以上の宿泊は希である。
 年末年始に1週間ほど滞在するカップルが来るようになったのは2年程前から。彼らは毎日白馬へスキーに出かける。その帰りに必ずワインを一本買ってくる。彼らと一緒に夕食を囲みワインの講釈(といっても、カリフォルニアワインが美味いか、五一ワインが美味いかといった程度)をのたまいながら、「幻想的なドイツのファイヤーツァンゲボーレのホットワインもたまには飲めよ」と誘うのだが、一向に興味を示さぬ のに業を煮やして「五一ワインもいける」と彼らが買ってきたワインをガツガツ飲んで、酔いつぶれて寝込んでしまう毎日も、年に一度の邂逅となれば許されて、また楽しいものがある。

 友人である酪農家の康孝氏がかつて私に言ったことがある。 「生き物を飼っていれば、何処にも出かけられねえ。だから、人を呼ぶのよ。こっちに来てもらうしかねえわけよ」 康孝夫妻は村への訪問者を大切にする。二人ともホスピタリィティの精神が旺盛である。 撮影や写生する人たちに声をかけて、息が合って話が弾めば野菜のお土産だ。何気ないそんな出会いから、りんごの贈答を頼まれたり、季節季節の野菜の売買などして、関係は深まっていく。彼らは親戚 の家に来るように、再び訪れる。そんな関係の中から酪農家の康孝氏は新しい情報やニーズを掴み取っている。
 出会いを求めて出かける人があれば、出会いを求めて受け入れる人がいる。康孝氏は農家民宿を経営しているわけではない。酪農一本の専業農家だ。だが、彼の家族と旅人との間にグリーンツーリズムの原点をみる思いがする。
 ビオトープの宿泊者に子供がいると、私は決まって彼らを軽トラックの荷台に乗せて、康孝氏の牛舎を訪れる。夫妻はいつも快く迎えてくれる。
 旅がもつ要素の中に出会いというものがあるならば、康孝夫妻は旅をしないで旅をしていることになる。動くだけが旅ではないことを私は知った。
 そうすると、ビオトープで多くの人たちに出会える私は、居ながらに多くの旅をしていることになる。その旅も、互いに心が通 い、やっぱり気持ちが良い方がいい。
 訪れる者にとっても迎える者にとっても、旅を感じる…そのゆとりが、グリーンツーリズムの真髄なのかも知れない。

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第一部 終章
 「明日に向かって撃て」という映画と「俺たちには明日はない」という映画を同時期に観たような気がする。だからというわけではないが、ロバートレッドフォードとポールニューマンとキャサリンロスの3人の主役がいたのはどっちだったかと、ハタと考えてしまうことがある。どちらの映画も最後は主人公が殺されてしまったような気がする。1970年代のことだ。 21世紀の「ビオトープ」は義務教育期間を終えて社会の荒波に船出する。
 老体に鞭打って、「明日を創れ」と叫ぶのも気恥ずかしいが、第2部が始まることだけは確かなようだ。殺されないようにしよう。
                                     2000年9月

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