| このビオトープ物語第一部は2000年9月に執筆しました。 第2部は同時進行の形をとり2005年までに完成させる予定です。 |
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| 目 次 | |
| 第1部 序 章 | |
| 第一章 | 創 生 |
| 第二章 | ビオトープ通信 |
| 第三章 | リンゴのオーナー制度 |
| 第四章 | ここはビオトープ、お客様は神様じゃない |
| 第五章 | 日本型グリーンツーリズム |
| 第1部 終 章 | |
| ※ちょっと長いのでプリントアウトして読んだ方がお得かも ※上の「◯章」をクリックすると、その章へジャンプします |
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ビオトープ物語 私たち夫婦が民宿経営という思ってもみなかった人生を歩み始めて5年の月日が流れた。 |
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<第1部> 第一章 創生 「ふるさとハウス」とは…勝手に命名しているだけですが、ペンションというよりは「農村民宿」的なものを目指しています。ドイツのバイエルン州やバーデンビュルテンヴェルグ州に多い農家民宿のように、低料金でのんびりと長期滞在できるアットホームな民泊施設です。 「ビオトープ」とは…もともとは生態学用語(ドイツ語)で「野生生物群が安定して生息できる空間単位 」という意味があります。体よく言えば「在りのままの自然」とか「いのちの場」というような意味になりますかどうか……。 現在、喫茶・レストランスペースとして、この夏開催された信州博覧会のミニFM局を移築しました。そしてその他のスペースについては小川村の友人たちが様々な意見を出し合い、設計を手掛けてくれています。 1995年1月1日午前零時、ふるさとハウス・ビオトープはオープンした。 |
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第二章 ビオトープ通信 ビオトープ通信No.3 1995年4月 ビオトープ通信No.4 1996年11月 ビオトープ通信No.5 1997年7月 ビオトープ通信No.6 1997年12月 ビオトープ通信No.7 1998年7月 ビオトープ通信No.8 1998年12月 ビオトープ通信No.9 1999年12月 |
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| 第三章 りんごの木のオーナー制度 小川村の中でもビオトープがある成就地区はりんごの産地である。46戸の内18戸がりんごの栽培をしている。傾斜地で、第三期層の粘土質の土が効果 的なのか・・・とにかく美味い。成就のりんごは知る人ぞ知るで、ほとんどが贈答用に消費されている。 私たちが成就に居を構えて間もなく「りんごをやらないか」と矮化の木50本のりんご畑に案内された。だからといって全く経験の無いものが「はい、そうですか」とすぐさま腰を上げて出来るほど、りんご栽培は生易しいものではない。いくら物好きな私でもお引き受けするわけにはいかなかった。 近年りんご農家も高齢化して、喬木を矮化に換えたり、栽培面積を縮小せざるを得ない状況になってきている。とはいっても折角育て上げてきたりんごの木を伐採してしまうのも忍びない。少しでも労力を軽減して今まで通 りに栽培を続けることは出来ないだろうか。 そこで考え、取り組んだのが、りんごの木のオーナー制度である。オーナーには5月の花摘みと摘果 と11月の収穫をしてもらい、剪定と消毒と一般管理は農園主が受け持つという体制で出発した。 矮化は1本が1万円、喬木は1本5〜7万円のオーナー料を設定。ビオトープは募集と広報、名簿管理をお手伝いしてオーナーと農園主の仲立ちをする。遠方の方は勿論ビオトープに泊まっていただく。農園主とふるさとハウス・ビオトープの関係は持ちつ持たれつといった関係で進めてきた。だが正直言ってそううまい話でもなくなってきた。りんご作りの作業は花摘み、収穫何れも時季というものがある。オーナーは週末を利用しての作業となるから必然一時期に集中してしまうのである。五部屋の小部屋で宿泊客は10名がベスト。最大で15名の小規模民宿ではどうしても対応できない事態が生じてきたので、この時期だけは他の宿泊施設に協力してもらっている。宿泊さえ出来ればというお客様ならば問題は無いが、ビオトープの環境や雰囲気、真里子さんが作る手料理を楽しみにしている方には誠に申し訳なく、心苦しい限りである。 現在、オーナー制のりんごの木は矮化36本、喬木5本、オーナーは34人でそのうち障害のある人が4名で、車椅子での作業を楽しんでいる。 |
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| 第四章 ここはビオトープ、お客様は神様じゃない ビオトープとは先の建設趣意書の中で前述したように「野生生物が安定して生息できる場」、転じて「子供もお年寄りも、男も女も、障害のある人もない人も誰もが集えて、ホッとできる空間・場でありたい」と願い、命名された。 最初のお客様はなんとタヌキだったらしい。残念なことに私はお目にかかれなかったが、友人が「あっ、タヌキがいる。庭にタヌキがきた」と騒いでいた。最初の客がタヌキとは、これぞ「ビオトープ」ということで、このことは私が気に入っている事柄の一つである。その反面 、可愛い女の子に化けて現れてくれたらもっと良かったのに・・・と歯軋りするのは、欲張りか?閑話休題。 それにしてもいろいろな方たちに利用していただいた。と言ってもたくさんの利用者があって経営的に楽になったと言うことではない。それこそ維持するのに精一杯の現状に変わりはない。ただ、様々な方に様々な形で利用していただいたという、人数ではなく種の数においてのことである。 障害をもった人たちも良く来てくれる。毎年G・Wに訪れていた克郎君家族は昨年からりんごの木のオーナーとなり、春秋年2回、それも同僚2家族を誘って来てくれるようになった。脳性麻痺の彼を混浴の露天風呂に連れて行くという約束を、私は未だ果 たせないでいるが近いうちに実現させるつもりだ。 登校拒否のS君(中学生)を2週間ほど預かったこともある。 大学受験に総て失敗したウッチャンは1ヶ月半ほど滞在して、酪農の手伝いをしたり、村の若者たちとサッカーをするなどして気分転換をはかり帰っていった。そのウッチャンはやっと自分を生かせるだろう道を見つけて、今は放送関係の専門学校に通 い始めたという。 ドイツの大学生男女2人を2ヶ月ほど預かったこともある。何れも子供のいない私たちにとっては、いい思い出である。 地域づくりを考える人たちのグループや、農業改良普及所関係の会合などにも利用していただいたり、合唱団や少年サッカーの合宿も行われた。私が県の老人大学の講師もしていることから、生徒さんたちが時々訪ねてくれたり、同級会を開いてくれる。去年は絵をたしなむ人たちが結構多かった。ドイツからきた20人ほどが、地元の人たちと一緒に輪になって踊って盛り上がった曲が舟木一夫の「高校三年生」だったことも、懐かしい思い出の一つだ。 近所の人たちを招いての結婚披露の場になったこともある。時々コンサート会場になったり映画館になったりもする。そうした面 では、私たちが意図した方向に向かっているといってよいだろうし、「ふるさとハウス・ビオトープ」はそれなりのアイデンティティーを持ち合わせてきたように思う。 常々私は、お客様が民宿を選ぶ権利があるように、民宿にもお客様を選ぶ権利があっていいと思っている。お客様は神様でない。結縁家族のようなものである。どうせ一時を共に過ごすのなら気持ちよく過ごしたい。金を稼ぐには小規模民宿やペンションは向いていない。金以外のものと出会えるから、細々ながらも何とかその場を維持しているというのが実情である。 宿泊申し込みする電話の向こうの声がどうも印象が悪くて、要警戒と感じてしまう、そんな人も、会って見れば話の合う人だったりして、実際には選ぶことは難しい。だが、こちらが気に入らないとお客様もなんとなくそれを感じとってしまうもので、多分リピーターとはならないから、これが宿側の選択といえば選択である。 |
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第五章 日本型グリーンツーリズム 友人である酪農家の康孝氏がかつて私に言ったことがある。 「生き物を飼っていれば、何処にも出かけられねえ。だから、人を呼ぶのよ。こっちに来てもらうしかねえわけよ」
康孝夫妻は村への訪問者を大切にする。二人ともホスピタリィティの精神が旺盛である。 撮影や写生する人たちに声をかけて、息が合って話が弾めば野菜のお土産だ。何気ないそんな出会いから、りんごの贈答を頼まれたり、季節季節の野菜の売買などして、関係は深まっていく。彼らは親戚
の家に来るように、再び訪れる。そんな関係の中から酪農家の康孝氏は新しい情報やニーズを掴み取っている。 |
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| 第一部 終章 「明日に向かって撃て」という映画と「俺たちには明日はない」という映画を同時期に観たような気がする。だからというわけではないが、ロバートレッドフォードとポールニューマンとキャサリンロスの3人の主役がいたのはどっちだったかと、ハタと考えてしまうことがある。どちらの映画も最後は主人公が殺されてしまったような気がする。1970年代のことだ。 21世紀の「ビオトープ」は義務教育期間を終えて社会の荒波に船出する。 老体に鞭打って、「明日を創れ」と叫ぶのも気恥ずかしいが、第2部が始まることだけは確かなようだ。殺されないようにしよう。 2000年9月 |
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