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◆市町村合併問題に関する覚書 その2(改)
2002.12 丸田 勉
はじめに
本来市町村合併は手段であって目的ではない。自らの市町村や地域が、将来に向けてどうあるべきかが問われて初めて考えられる手段の一つである。よって、これからの市町村像あるいは地域像の論議があってしかるべきであるが、現在の状況は差し迫っていてその余裕がない。のっけから合併「するかしないか」、「するならどこと」というような論議にならざるを得ないとしても、常に「将来の地域はどうあるべき」で、「どんな地域として後世に伝えていくか」というビジョンを視点としてすえながら、論議をしていくことが肝要と考える。
何故に今、市町村合併を論議せねばならないのか
一般的な市町村合併有効論議ではなく、小川村に則して考えてみよう。
小川村に大きな課題があってその解決のために、近隣市町村と合併を考えるようになったのか? 近隣市町村がその必要性から小川村に合併を呼びかけているのか?
そうではない。合併に向けた支援措置(合併特例法にある)の適用期限(平成17年3月)が間近に迫ってきたということ、そして小規模自治体を解消し、合併をしない自治体の事務を限定する地方制度調査会の西尾私案などが提示され、他の市町村と同様、その対応として考え始めたというのが正直なところだ。
さて、合併特例法は1965年に制定され、以後10年毎に時限立法として延長されてきた。1995年の3度目の延長で大幅に内容が改正。中立的な色合いから合併を支援・奨励していく法律へと性格がかわったといわれている。1999年に再び改正され、合併特例債が登場してその色合いが濃くなっている。
バブル崩壊以後、政府は経済政策(内需拡大政策)として、地方債と地方交付税をセットにした補助政策による地方単独事業(地域総合整備事業など)を推進し、国と地方の財政悪化をもたらしてきたと言われている。
これを打開するために政府は今、再び地方債と地方交付税を組み合わせた合併特例債で強力に市町村合併(平成の大合併)を推進しようとしているが、財政悪化の上塗りにならなければいいと危惧するのは私だけではないだろう・・・。
平成の市町村大合併の背景
日本の国の財政は破綻寸前だと言われる。財政が悪くなっても中身を考えず、大きな改革なしに、ただ借金を繰り返し膨張させてきたのは一体誰なのか?
現在国を動かしている人々の論理は都市の論理である。地方出身の代議士といえどもそのほとんどは都市生活者だ。その二世は、顔は田舎的でも都市出身者である。今、政府は財政難を、地方交付税を減らすことで緩和しようとしている。地方つぶしである。そのひとつが市町村合併なのである。合併しても、しなくても、地方つぶしの大きな流れの中に取り入れられようとしているのにかわりはない。このところをしっかりと認識しておく必要があるだろう。
県の総務部市町村課財政係の担当者は、農民一揆ではないが、筵旗を掲げて国会を取り巻かざるを得ないような深刻な状況であると言っている。平成の市町村合併問題は単にメリット、デメリットなんて問題ではなく、都市対地方の闘いのような気がしてきた。だったら、先ずはノーと立ち向かうのが道理である。
私が知る限りでは、小川村の人たちの多くは自立を望んでいる。が、村の財政がどうしても立ち行かないなら合併も仕方がないだろうけど・・・でもなあ・・・というところが偽りの無い心境のようである。
合併問題を考えるのに大切な視点は
今回の「平成の大合併」での合併論議は詰まるところ財政問題に尽きる。財政的にやっていけるか否かである。誤解を恐れずに言えば、「合併のメリット・デメリットは?」なんて比較議論する必要なんか全くない。誰も好き好んで合併を望んでいるわけではないのだ。何度も言うようだが、政府の地方つぶしの攻略の前に立たされているだけなのである。
そんな状況の中で数値だけのシュミレーションを示されて、「何年後に赤字になります。ですから小川村はもうやっていけません。合併しかありません」で、合併を決めるのでは淋し過ぎる。まさに敵の思う壺である。そこには生きている人々の「思い」みたいなものが反映されてこない。
昨今、効率が優先されて、やや観念的な「思い」「願い」みたいなものが軽視されがちだが、日常の生活心情を左右する市町村合併の場合、単純に効率のみで判断してはならないと思う。そうでないと後々にしこりを残したり、やる気を失ったり、諦めてしまったりで、結局は悲劇の地域づくり、国づくりとなるだろう。
財政的に今後の村の運営が困難とするのなら、どこまですればやっていけるのか。例えば、職員の給料を減らす。様々な補助金を減らしたり無くす。道路の補修は最小限にする。村民税を少し上げる。産業を興すなり、何らかの方法で村が積極的に事業に乗り出し、お金を稼ぐ…というように、これだけのことをすればやっていけそうですよという具体的な村のあり様を村民に提示してみる必要があるかもしれない。あるいは、これだけの歳入しか見込めないので、この程度の行政サービスになりますよと示して欲しいと思う。村民にとってはその方が具体的でわかりやすいし、実感としてイメージできるだろう。
村民一人一人がそうした村での暮らしを受入れ、新しい村づくりを進めていこうとする気になれば、無理に合併はしなくてもすむ。しかし、おらそんな村いやだ、というならとりあえず合併を選ぶということになるだろう。しかし、合併しても財政的に良くなる保証はない。これからの村のあり方は、単なる数字やグラフではなく、具体的な事柄の中で生活心情を大切にして判断したいものである。
合併しないことを宣言している福島県の矢祭町や長野県の青木村、小布施町などはこれまでに自立に耐え得る行財政基盤を築いてきているから、それができ、過去そのような基盤を築いてこなかった小川村には無理だとの見方もあるが、そう簡単に諦めないで、どうすればできるかを考えたいものだ。
しかし、西尾私案に見られる、合併特例法が失効する2005年3月までに合併しなかった場合の締め付けは厳しい。自治体の解消をも余儀なくさせる勢いだが、問題は、いつ、どう現実化されるかである。現実のものにはならないかもしれない。今はただ影に怯えているだけである。栄村の高橋村長は、来年の3月までは自立の道を探るといっているがそこには何か根拠がありそうだから、参考にするのもいいかもしれない。
平成4年、32億円の赤字を出し、企業でいえば倒産にあたる「財政再建団体」に転落した福岡県の赤池町は、行政だけでなく町全体が同じ意識と危機感をもって努力した結果、予定よりも2年も早い平成13年に再建を成し遂げたという事例もある。
これからの日本、そして小川村
自然のことや環境のことや、人間の生き方などを考えたとき、右肩上がりの「拡大再生産」の時代は終焉を迎えつつあるのではないか、そして「大きいことはいいことだ」は死語になり、10年後はファーストフードに飽きて、スローフードな時代になると思っていたら、平成の市町村大合併は完全に逆行してしまっている。
地方制度調査会の西尾副会長はその私案で、住民に対するサービスを充実するには自治体は大きくなることが望ましいとする。都会に住む学者の考えそうなことだ。サービスの満足度は量ばかりではない、質だって左右する。大きなスーパーマーケットで時々見かけるレジ係の、あの無表情でお客の目も見ないで言う「いらっしゃいませ」より、小さな店のばあちゃんの「元気だったかい?」の応対の方がよっぽど嬉しい。
成熟社会に向かうこれからの日本は、「大きいこと」より小さい方がいいのだ。早くその価値観に気づいて欲しい。
地方分権推進改革の進展の中で、地方自治の新しい取り組みをしているのは、人口数千人から2〜3万人の小さな自治体が多い。規模の小さいのを逆手にとって機動力をフルに生かしながらチャレンジする自治体の存在。それが21世紀の自治の新しい姿の先導役を果たすのではないか…と言う人もいる。
私はこれからの時代、中山間地が輝かしく生き残れる道は、都市を志向するのではなく、より徹底的に田舎を志向することだと思っている。
そのためには、自立した村として生き残れる独創的なビジョンと、人材的力量と、村民一人一人の夢と覚悟が必要であり、役場職員と村民が一体となって協働していくことが不可欠かもしれない。
<参考までに>
地方交付税交付金について
合併しないと地方交付税が打ち切られるとか、大幅に縮減されると思い込んでいる人たちがいるが、それは憲法、法律を変えなければできないことで、多少の減額はあっても地方交付税は交付されるだろう。
自立しようと一生懸命に模索している小規模市町村の地方交付税をカットするなどということは、まさに法律違反であるから、社会的に許されないことであるし、そんな事をしたら国としての施策(義務教育、生活保護、福祉の水準確保など)が不可能になるのである。
合併したら地方交付税が増えるわけではない
主な特例措置に合併算定替特例と合併特例債がある。
合併算定替特例…合併しても新しい算定をせず、合併前の市町村の交付税額を10年間保障し、その後の5年間で暫時新しい算定による額にしていくというもの。別に増えるわけではないし、小川村分が小川村に入るわけではない。
合併特例債…合併後のまちづくりのための建設事業に対する財政措置では合併から10年間の事業の合算額が、「標準全体事業費」として算定される。その95%が「起債可能額」として借金できる。その額の70%が「普通交付税算入額」として交付される。
というものだが裏を返せば30%は何らかの形で工面しなければならず、新たな借金が増える可能性もある。
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