(バック・ナンバー…2002.1〜2002.12)

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●喝!市町村合併(2002.12.19付)
 私の住む小川村は今、全国の市町村同様、「平成の大合併」の狂乱のさなかにある。
 長野市の皆さんは編入(吸収)合併の、言ってみれば受入れの方だから、少し太って大きくなる位にしか思っていないでしょうが、周辺の町村は、自分のふるさとが失われるか否かの大問題なのです。
 私は問題になっていることを嬉しく思っている。「寄らば大樹の陰」ですんなりと長野市に合併せずに、国の脅しに抵抗する村民を誇りに思う。村を見直し、地域を考えるいいチャンスともいえるからだ。
 そもそも平成の大合併は、市町村が自ら望んで模索し始めたことではない。合併特例法を振りかざして、優遇措置という飴玉をちらつかせ、「自主」と言いながら、「強制」する政府の地方攻勢の一つなのである。そこには、住民の地域に寄せる思いや共同体意識を無視した、数(人口)と効率を優先する都市の論理がまかり通っている。
 本来、市町村の合併は手段であって目的ではない。自らの市町村や地域が、将来に向けてどうあるべきかが問われて初めて考えられる手段である筈だ。が、今回の平成の大合併は国の財政破綻の責任の所在を隠蔽し、地方分権という錦の御旗を掲げて地方交付税を削減していこうとする政府の地方軽視の政策に対して、詰まるところ財政的に耐えられるか否かだけが問われてしまっている。そして「大きいことはいいことだ。小さいものはぶっ潰せ」とする、地方制度調査会の西尾私案の脅しに、耐えられるか否かである。
 昨今、政治家も二世のほとんどは都会育ち。住んでみなけりゃわからない田舎は今、平成の大合併で揺れているというのに、地元出身の国会議員さんたちは一体どこへ行ってしまったんでしょうねえ。

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●遠い命、近い命(2002.10.31付)
 彼女たちの手や手首は白く、か細かった。触れることを躊躇うほどに華奢で、人間ではない異種動物の一部のような錯覚さえ覚えてしまった。飢餓に苦しむアフリカの少女のことを言っているのではない。日本の普通の女子中学生たちの話だ。
 一昨年同様、埼玉県越谷市立富士中学校の農業体験学習の生徒たちを受入れた。
 わが家は事情あって前日12名に増えた。3クラスにまたがる12名の女子中学生との2泊3日間のおじさんの奮闘記は別稿に譲るとして、今回は彼女たちの体の話だ。
 白魚のようなその手で味噌の天地返しの作業を体験してもらった。
 わが家では仲間の分を含めて300kg以上の味噌を仕込む。7個の桶の味噌を移し変えることによって上下を逆にする作業だ。作業自体は単純で、桶の底をめがけて味噌を叩きつけるのだからキャーキャー叫んで喜んでやったが、数人の手や腕が赤くなり、中には湿疹が出始めた子もいた。皮膚が味噌(塩分)に負けてしまったのである。
 彼女たちの食も細かった。
 私は遂に「食べることは生きることであり、他者の命をいただくことである。その命も、姿が見えないスナック菓子などのような遠い命ではなく、姿が見える近い命をできるだけいただいた方が良い」などとのたまう羽目になったが、子供たちのために大人は食べることの意味を真剣に教育していかなければならないだろう。
 食べることは空腹を満たすことではない。体を作ること、生きること、命を繋げていくことだ。だから食欲はイコール生命力といってよい。
 「食」を真剣に考えていくと、「命を大切にすることの意味が見えてくるのではないか」の予感がある。

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●9月1日(2002年9.5付)
 9月1日の県知事選挙後にこの原稿を書こうと心に決めていた。
 結果は周知のとおり田中康夫前知事の圧勝に終わった。
 予想はしていてもふたを開けるまで分からないのが選挙だ・・・という常套句も、昨今では口幅ったいほどに、事前調査は当たるし、出口調査に至っては完璧に近い。だから当確の早いこと。てぐすねを引いて8時を待っていたメディアのはやる気持ちもわからないではない。
 私は小川村役場の開票所にいたが、開票作業の前に結果が分かってしまうものだから「マスコミも少しは俺達の気持ちも察してよ」と愚痴る役場職員の気持ちもわからないではない。
 それにしても田中前知事の得票が、長谷川さんの2倍以上と言う結果は私の予想外の嬉しい誤算だった。こうした事実は何を物語るかは、新聞やテレビで紹介しているから改めて私が言うこともない。ただ、私はこれで長野県以外の知人達から馬鹿にされないですむ。1年8ヶ月前の潮流が、本流だったことが証明されたからだ。
 この日、一人のドイツ人男性がわが家に泊まった。
 ぶり返した猛暑の中を彼は歩いてやってきた。「信州新町から小川村の山の中、自動販売機がなくて喉、渇いた」という彼は、それでも清清しい道程だったと強調した。
 今回の二泊三日の旅は別所を出発し大岡村、信州新町、小川村、鬼無里村を経て、戸隠村まで歩くという。太平洋から日本海までの日本横断の旅が彼の取敢えずの最終目的である。
 翌朝、出発する彼に凍らせたペットボトルを手渡すと、にっこり笑って歩き始めた。歩いてこそ見えるものがある。後ろ姿が、一瞬田中新長野県知事に重なって見えて、ふと気が付くと、長身のドイツ人が振り向いて手を振っていた。

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●少子化万歳(2002.7.25付)
 今、最も多く使われている言葉の中に「高齢化」と「少子化」がある。
行政関係者の挨拶には必ずといってよいほどに現況を表現する言葉として季語のように登場してくる。いずれも憂いこととして論じられている。
 「高齢化社会の問題点は・・・」とこうも臆面も無く言われると、気が小さい私なんかはそっと老人たちの顔色を窺ってしまう。「年寄が多くて困っているんだ」とあからさまに言われているのに、大半の老人たちは怒らず小さくなるばかりである。
 高齢化社会と少子化は私個人にとって本当に困ったことなのだろうか。否である。医療費の高騰とか税収入の減少とか列挙される問題点はいずれも為政者にとって困るというだけなのである。なぜなら、従来どおりの規範の中で物事を考え、処理しようとするからであり、高齢化も少子化も人間社会の自然な流れと捉えた新しい方法論を持たないからである。
 為政者がマイナスと捉えて公報しているだけなのに、マスコミも無批判に取り上げ吹聴するものだから、人々も困った問題だと思い込んでしまっている。年寄が多くて困ったと思いながら、子供が少ないといって嘆いている。そこに矛盾はないだろうか。
 子供たちが多ければ未来は明るく安心かも知れないが、それはせいぜい二〜三十年余りの目先のことで、半世紀後には多くの子供たちは多くの老人たちになる筈である。
少子化は地球の、いや、神のみぞ知る生命の大きな流れの中では当然の一過程なのかもしれない。
 私はかつて気象庁関係者からこんな言葉を聞いたことがある。「地球温暖化の一番の原因は、公にはいえませんがヒトが多くなってしまったことなんです」

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●万華鏡の楽しみ(2002.6.6付)
 わが家が「ビオトープ」という民宿であることは前回述べたと記憶する。その民宿に半年ほど前から万華鏡が置かれるようになったが、今ではその数も十種類を数えるまでなっている。その作品はみな小川村に移住してきた中村和正・ミエ子夫妻の作品である。
 今やアートとしての展開を見せている万華鏡だが、もとはといえば科学の世界から誕生した。イギリスの物理学者デービット・ブリュースターが、灯台に使うレンズの研究中に発見した。1816年のことである。製品化するとたちまちヨーロッパ中の大評判となり、一家に一台置かれ、富める者も貧しき者もこれを楽しんだというから、現代のテレビみたいなものだ。
 万華鏡は英語でカレイドスコープという。カレイドスコープの一種には違いないのだが、筒の先にレンズ(水晶玉やアクリル玉)をつけたものをテレイドスコープという。筒の先にある景色がオブジェクト(具)になるわけで、これまた実に楽しい曼荼羅である。
 先日、4歳の少年から一枚の絵が送られてきた。「この絵を万華鏡で見てみてください」とのこと。それはクレパスで描かれた何の変哲も無い殴り描きのような抽象画だったが、テレイドスコープの中には正に「華麗なる夢の世界」が出現した。こんな楽しみ方もあったのかと目からうろこの出る思いで、私はその筒先をテレビのブラウン管に向けてみた。相手が変化してくれるから、次々と万華鏡の世界が展開されて飽きることが無い。
 今、正にサッカーW杯の真最中。その楽しみ方も色々で、ビジュアル系選手お目当ての楽しみ方もあるぐらいだから、私は万華鏡でサッカーを楽しもう。そこにはそれとわかる選手の顔も無ければ、勝敗も無い。
※中村和正・ミエ子夫妻のHP…「アトリエ★星の谷
」http://www7.ocn.ne.jp/~kazunak/

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●手前味噌(2002.4.20付)
 先日16日に醤油の仕込みを終え、今夜から明日にかけてわが家では味噌作りが始まる。毎年4月の第三日曜日と決めているのは、互いに忙しい中を縫って共同でやるからで、年中行事化した。
 わが家が味噌作りを始めたのは1988年のことだから、かれこれ14年になる。仲間と共同で始めたのだが、いつしか仲間が多くなりすぎたのと、村に加工施設ができたこともあって、一度解散した。
 再編成して再び4家族で始めたが、そのメンバーは同じ村中のシイタケ栽培農家夫婦と神奈川県藤沢市の鍼灸医夫婦、そしてこのこだまの執筆者でもある内山二郎さん夫婦。
 私の家は「ビオトープ」という民宿でもあるから必然その日の泊り客も体験参加して、毎年お祭り騒ぎである。
 その上、今年は是非ということで東京や甲府や長野から5〜6人の参加者が加わるというから、例年に増して賑やかになるだろう。正に手前味噌になるが、皆で作る無添加で五割麹の一年熟成味噌は確かに美味いのだ。
 昨今、日本では食うために働くという言葉を聞かなくなった。もっと大切なことがあるようだ。だから食べるものを自分の手で作らなくなったし、農業も軽んじられる。しかし私は食べることこそ動物である人間の原点だと思っている。生命が誕生して以来、細胞たちは自らが生き延びるために食べるという仕組みを築き上げてきたのである。
 生きるために汗水流して食べ物を探したり作ることが大切にされなくなった頃から、世の中、狂ってきた。そうした人たちが社会を牛耳っているからその傾向に拍車がかかる。
 でも自分の手で味噌を作ろうとする人たちが多くなってきたのは好ましいことだ。私は演出家ではある。だが百姓でもいたいと思う。

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●なごり雪(2002.3.16付)
 「なごり」を広辞苑で調べてみると漢字では「余波」又は「名残」と書き、風が静まった後も暫く波が立っていること、総じて物事の過ぎ去った後もなお、気配や影響が残っていることとある。
 更に見ていくと「なごりの雪」という言葉があり、春になってから冬のなごりに降る雪とある。別名「忘れ雪」ともいう。春の雪といえば大きな結晶で、積もった雪は湿っていてぽってり重い。
 私ぐらいの年齢の人たちは伊勢正三が作詞・作曲して、イルカが歌った「なごり雪」を思い出すが、今回はもう一つの「なごり雪」を紹介しよう。
 埼玉県川越市に小野食品という豆腐屋さんがある。そこで作られている名物のざる豆腐が、「なごり雪」という。
 1つ3キロもあり、値段は2,200円。日に150個だけの限定販売で、全国に発送しているが、2〜3ヶ月待ちという時もあるらしい。この「なごり雪」を生み出したのが小野食品二代目、小野哲郎さん(42歳)。悩みぬいた末「自分が食べたい豆腐を作ろう」と決心して到達した逸品である。
 「国産大豆と、天然にがり使用、水は井戸水」はこだわりではなく当たり前ですという小野さんが、全国を駆け巡って出会った大豆の一種に「ナカセンナリ」がある。小野さんは昨年その大豆の生産者、川又康孝氏に会うために小川村にやってきた。二人は初めて顔の見える関係になった。
 何を隠そう、私も川又氏や仲間達と一緒に「ナカセンナリ」を作っていて、一部は自家製味噌になり、大半はその「なごり雪」に姿を変えている。食感はモッツァレラチーズ、味わいはカマンベールといわれる「なごり雪」をそろそろまた賞味したい季節がやって来た。春を呼ぶ忘れ雪を見ながら…。

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●帽子美人(2002.2.9付)
 私の数少ない女性友だちの一人に「ふうちゃん」こと冨永房枝さんがいる。その彼女から数ヶ月前に帽子をプレゼントされた。「母と私からです」数日後、彼女からのメールに「生まれてこのかた一度も一致したことのない私と母の趣味が、期せずして一致した記念すべき帽子」だと記されていた。  垢抜けない私にはちょっぴり派手かなとも思うが、ファッション感覚の違う親子がその 帽子を見て互いに私を思い出してくれたのだから、自信を持っていいだろう。因みに顔写 真の帽子はそれではないが、これも知人が米国取材の土産としてプレゼントしてくれたものだ。
 先日外出しようとして、冨永母子からいただいた帽子がないことに気が付いた。家中の思い当たる場所を彼方此方と探しているうちはいいが、やっぱりなことが判明したときのショックはまさに血の気が退く思いだ。家の中になければ、あの蕎麦屋か、居酒屋か?思いをめぐらし、帽子探しの旅が始まる。
 結局WANTEDは一日で終わり、帽子はいつもの置き場所近くの雑誌の下に隠れていたところを発見された。ホッとしたその時の気持ちも言いようのないもので、誰にともなく感謝して、「こんなドキドキはもう沢山だ。これからはたとえ酔っていようとしっかり管理しよう」と決心する。
 この緊張感は物忘れがひどくなった今日この頃、きっと呆け帽子(防止)に繋がるだろう。
 そしてこの帽子は、私がどんなに威張ってみても、結局は他人によって活かされていることを常に意識させてくれるに違いない。
 冨永さんの詩の中にに「障害美人」という言葉が出てくるが、これから私は「帽子美人」を目指そうかなと思う。次回の顔写真をお楽しみに。

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●権兵衛さんの出発(2002.1.3付)
 新しい年を迎えた。昨年、私は私信で「年明けて 気が急くだけの 新世紀 残したものを 拾い集めて」なんて自らを揶揄して年頭の挨拶をしたものだが、恥ずかしいかな今年も全く同じ状況になってしまった。それどころか、輪をかけてしまっている。
 私は昨年「DONGURI…権兵衛さんの出発(たびだち)」というビデオドラマの制作に携わった。この制作については本紙でも度々紹介していただき、ご存知の方もいらっしゃるかと思う。昨年末に完成し、今月にはパッケージ化されて販売される予定である。
 今年も間もなく成人の日が訪れる。各地で様々な成人式が催されることだろう。最近はその成人式に出席する若者たちの傍若無人の態度が度々問題になる。この日に限らず若者たちの生態に首を傾げてしまうことも多々ある。だがそうした現象を生み出してきた背景には社会状況があり、それを築いてきた私たち先輩の責任を回避してはならないことを知りつつ、それでも、若者の全部が全部そうじゃないぞという思いで、見ず知らずの一人の老人に関わる若者たちを描いてみた。
 このドラマに出演した若者たちも多種多様だった。不登校の女子中学生、お母さんと喧嘩状態の女子高校生、離婚されたばかりの青年などなど、彼らはそんな私的状況を抱えながら、ドラマの役を演じた。彼らの熱演を是非多くの人たちに見ていただきたいと思う。
 どんぐりを拾い集めた昨年だったが、今年はそのDONGURIを一つ一つ植えていく年である。ビデオの販売の他に各地での上映会やテレビ放映の運動も始まっている。「権兵衛さんが種蒔きゃカラスがほじくる」ことがないよう、ワイワイガヤガヤ騒ぎながら、一つ一つ植えていく"これは権兵衛さんの出発である。

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2001年ボランティア国際年ながの推進協議会制作のビデオドラマ
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