(バック・ナンバー…2001.6.28)
   

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●農村風景に思う


お帰り桜と石碑

 ビオトープの前、道を挟んだ小さな広場に「平成のお帰り桜」と刻印された石碑がある。  明和5年(1768年)の地震による地すべりで流されたという山桜が、数百メートルほど下方の上野地籍にあって、村指定の記念物になっている。平成10年、成就地区の分館を中心とした仲間たちが、その老木から枝分けした桜を、元あったであろうと推測される地に植樹した。それが「平成のお帰り桜」である。植樹と石碑の建立を契機にその辺り一帯を整備して丸太のベンチなどを置いた。  そのミニ公園の草取りを、間もなく85歳を迎える母の役目とした。痴呆が進みつつある母はその役目を忘れることも多く、というよりその都度命令しないと動かないのだが、始めれば異常なほど几帳面 にやってくれる。石碑の周りには半径2メートルぐらいの幅で芝生が植えられていて、その芝生の周りの草取りがメインの作業である。  先日その作業も終わったので、その横のもっと広い範囲の草取りを頼んだ。ところが母はなにを勘違いしたのか、芝生をむしり取り始めてしまった。私がそれに気付いたときにはもう既に2割程度の芝生が掘り返されていた。私たちが植えて育てている芝生ならともかく、いわば公的なものなので私は慌てふためいて「芝生をとれなんて、いつ、だれが言ったか」と怒鳴り叱りつけてしまった。母は恨めしそうな顔をしてなにか言いたげだったが、私の形相に怖れをなしたのか、口を閉ざした。しっかり根付いた芝生を削り取る作業は結構大変で、それが無駄 に終わったこと、それにもまして、やってはいけないことだったのだから、その恨めしさは想像に難くない。次の朝、母は頭が痛いといって起きてこなかった。


長野県庁政策秘書室発行広報誌「ながのけん」」より

 そのミニ公園辺りからの風景は農山村の趣があって絶景である。晴れた日は鹿島槍ヶ岳を中心とした北アルプスの山並みの下方に農村風景が広がり、曇っていてもそれなりで、朝は朝で様々な顔を見せてくれる。右の写 真は長野県庁政策秘書室発行の広報誌「ながのけん」に紹介されたものであるが、このミニ公園辺りからの、雲って北アルプスが見えない時の風景である。長野県を代表する「ふるさとの自然風景」として紹介されている。  それぐらいのビュウポイントだからカメラやキャンバスを抱えて訪れる人も増えてきた。中には清涼飲料水の空き缶 を平気で置いていく人もいたり、その場を我が物顔に利用して、「お邪魔様でした。ありがとう」の気持ちもなく去っていく人もいる。そんな人たちに接すると彼らはいったい何のために自然風景を撮影したり、絵として描いているのだろうかと、頭を傾げてしまう。  靄がたなびく山々、赤い屋根の大きな農家、青い屋根の牛舎、杉木立、基盤整理された水田、手前のりんごの木々。「ふるさとの自然風景」を構成するそのほとんどが人間が作り出したもの、もしくは人間の手が入ったものである。しかし、自然風景として、「絵になる」景色と感じさせ、私たちの心を和ませてくれる。

 農村風景に強い関心をもつ徳山女子短期大学学長の勝山文夫氏はその著書「農の美学」(論創社)で「景観の評価は、美意識の問題に関係し、農村風景が多くの日本人にとって、メ原風景モ的存在であってみれば、秩序ある農村景観がそれなりの美を感じさせ、人々の心に安らぎを与えることは間違いない。そして、以上のことは、基本的には、すべて農業が農産物を生産するという本来的行為の結果 として出てくるものであることを忘れてはならない」と述べており、また雑誌「風景」創刊準備号(風景社)では「それでは農村のメ眺めモ=景観の作者は誰だろうか。いうまでもなく、農民を中心として、農村に住み生活する人々である。今日の荒廃を考えると、外からの侵害が大きく、農村景観の作者が農民というには、若干の躊躇もないことはないが、やはり基本的には、農民が歴史を踏まえて、自然への働きかけのうちに、生活風景の対象としての農村景観を作っていくものと考えねばならない」と述べている。

 風景はただ風景としてそこにあるのではないのである。そこに生活する人々が、意識するしないに関わらず、作り上げ、維持してきているのである。もっと言えば、永い歴史を経て血の滲むような努力で維持されてきた生活(風景)であるのかもしれない。さらに言えばそこに住む人々の財産かもしれない。そういう「生活的風景」の中へ土足で踏み込んで写 し取り、描き取っていく人々に、いけませんとは言いたくはないが、せめてそういうことにも思いを馳せていただきたいものである。  かつて私も「風」であった頃、トタン屋根の農家を見て、「茅葺屋根だったらなァ」なんてて身勝手に思ったりしたものだが、この地に20年余り暮らすようになって、ちょっぴり「土」になりかけた今日では、茅葺の屋根を見て、「大変だろうなァ」と維持している農家の苦労に思いを馳せてしまう。

 今日もまた、初老の集団がカメラを持ってわいわいガヤガヤ徘徊している。「ここが良い」「あの木が邪魔」「良い景色だ」。  彼らが、美しいと思う風景をじっくり見詰め、その美しい風景を維持している人たちがいることに思いを馳せ、風景の奥にある物語を読み、歴史の重みを感じてシャッターを切ることができるならば、いつもとは一味違ったワンショットを、手に入れることができるだろう。  そして、ちょっぴりでいいから思い起こしてもらいたいものだ。ミニ公園の草取りをしてくれている誰かのことを・・・。

2001年6月28日 丸田 勉 

次回をお楽しみに… 

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