本州のHESO(長野市民新聞「善光寺平」2008年4月18日付)
時は昭和14年、糸価の大暴落で南北小川村の農家の経営は行き詰まり、生活が苦しかった頃、国策にしたがって満州移民が勧められ、南北小川村と津和村(今の信州新町の一部)の3ヶ村は協議会を開き単村分村計画を満場一致で決議した。計画によると南北小川村からはそれぞれ200家族が4回に分けて移民する予定であった。
しかし、現地視察をして帰った南北小川村の松本三男、松本和禧両村長が勇断を持って移民計画を中止したことが小川村誌に載っている。
敗戦と同時に展開された満州移民の悲劇は述べるまでもないが、この先見と英断によって、南北小川村400家族の悲劇が回避されたのである。
当時最も重要な国策に背き、村民の命と生活を守るため、満州移民の分村計画を中止したという輝かしい気骨と先見の眼が、小川村にはある。先人たちが厳しい生活に耐えて今日まで残してくれた、小川村。私はそんな小川村が好きである。
長野市が嫌いで合併を拒むわけではない。
国民が同じ幸福感を得るためには、不便な山間地域に住む人々にはそれなりの行政施策が必要なのであり、都市は都市なりの施策が必要なはずである。それを同じものさしで処理しようとするのは、均一化の国づくりである。違いは違いとして認め合うことは大切なことだ。
日本の農山村を守るためにも、小川村は小川村であらねばならないと思う。そのくらいの気概がなければ、戦後の日本は「国破れて山河なし」ということになってしまうだろう。
まして、小川村は本州の重心地点、「へそ」である。臍はきちんと守らねばならない。
長野市の皆さんの中に、小川村を応援しようという動きもあるようだ。嬉しい限りである。(マルタ・ベン)
マスメディアの功罪?(長野市民新聞「こだま」2008年4月15日付)
かつて私はこの欄で「長野市民の勇気」と題して拙文を載せてもらったことがある。2003年のことである。
「寄らば大樹の陰」的発想で擦り寄ってくる町村に対して、「あなた方も独自な地域づくりを目指しなさい。それが日本のためですよ」と言ってやることも、長野市民の勇気というものかもしれない。
大それたことを書いたと思うが、あれから5年。還暦前の貴重な時間を合併問題に費やしてきた。村内に対立の構図も生まれてしまい、地域づくりも一枚岩ではいかなくなった。合併した町村の話を聞いても、あまりいいことは聞かない。私個人にとっても平成の合併問題の罪は大きいと言わざるを得ない。
そうした中で近隣町村は長野市との合併を決断し、わが小川村は現在マスメディアの注目するところとなっている。いまだかつてこれ程までに、小川村の行政が取りざたされたこともあるまい。
よく考えてみればこれはチャンスだ。小川村を知らしめ、印象付ける千載一隅のチャンスである。
とは言っても、マスメディアとのお付き合いは、いいことばかりではない。
某新聞は、きちんと資料を調べれば解かることを、聞き取りをそのまま書いて正反対の誤記事にしたり、取材を受けていない私のコメントを捏造する始末。これにいたってはさすがの私も、キレた。抗議しようと思ったが、思いとどまった。苦い経験があるからである。
マスコミは怖い。それに、マスメディアを小川村の敵に回したら申し訳ないとの思いもある。還暦を迎える男の、つまらぬ我慢である。
そんな中、小川村では長野市民新聞の株が上がっている。これは決して「よいしょ」ではなく、合併問題に関する取材に真摯な姿勢が感じられるというわけだ。村民の要望が功を奏しついに村内の新聞店が、長野市民新聞を扱ってくれることになった。
これで、長野市民になれなくたって、長野市民新聞が読めるぞ!(マルタ・ベン)
本州のHESO(未掲載)
あるチラシを見せていただいて吃驚した。
〈村議会からのお願い〉と題するそのチラシには「アンケートは、家族・隣近所みんなで長野市との合併に『賛成』に○をお願いします。」とあり、「長野市との合併しか選択肢はない」と言い切っている。このチラシを議員全員が一丸となって配って歩いたという。
これが「議会」のやるべきことかと大いに疑問だが、こうした大政翼賛会的事実にマスコミが疑問を発しないのはなぜか不思議である。・・・が、よその町村の話はこれくらいにして、最近またまた合併問題で周辺も騒がしくなってきた我が小川村の話をしよう。
「早くしないと合併できないぞ」と外からの攻勢も日増しに強くなっている。大きなお世話だといいたいが、「合併」を金科玉条として遂行しようとしている方々には、小川村の存在は目の上のたんこぶらしい。
小川村もいずれは住民投票をするだろう。しかしそれは、合併のための住民投票ではなく、自立の意思確認のためのそれであって欲しい。日本の農山村を守るためにも、小川村は小川村であらねばならないと思う。そのくらいの気概がなければ、戦後の日本は「国破れて山河なし」ということになってしまうだろう。
まして、小川村は本州の重心地点、「へそ」である。臍はきちんと守らねばならない。
長野市の皆さんの中に、小川村を応援しようという動きもあるようだ。嬉しい限りである。(マルタ・ベン)
ネズミの逃亡 (2008.1.19付・長野市民新聞「こだま」掲載・丸田 勉)
去年の暮れに洗濯機が壊れた。部品を取り替えなければならないが、もはやその部品はないという。
「13年も経っていますから・・・」
壊れて当たり前という言い方にカミさんは腹を立てていたが、物の年齢は10年が相場らしい。電気製品のほとんどは、修理するより結局は買った方が安いと思わせる時代である。
戦後日本は完全な消費社会になってしまった。いまや産業の発展は消費が前提の経済構造である。
作ったものはどんどん消費したり捨てていかなければ、社会が成り立っていかない構造なのである。
そうした中で地球温暖化に警鐘が鳴らされ、ごみの問題も深刻化している。そして、「小さなことからはじめよう、できることから始めよう」というキャンペーンがマスコミを通して流れるようになった。マスコミのスポンサーである企業も、地球環境を問題にするようになった。
しかし、本当に地球環境を考えるのならば、私たちの生活の基盤としている現在の近代資本主義の経済構造にメスをいれ、見直し、修正をかけていく必要がある。事態はそこまで来ていると思うのだが、経済構造を変えようとする声は少ない。そんなことをしたら企業は、崩壊したり、存在基盤が失われることになるからだ。だから一連のキャンペーンは、こうしたことから目を背けさせるための隠れ蓑になる可能性は充分にある。
私は企業が悪いといっているわけではない。地球上での人類の生き方、経済構造を含めた社会のあり方を考え直して、変えていかなければ、真の解決はないだろうと思うだけだ。その覚悟がなければ、京都議定書も絵に描いた餅に過ぎない。
森の火事に一滴の水を運ぶハチドリの寓話に共感を持つ人は多いと思うが、火事になりやすい森の構造を改良したり、火に油を注ぐものの存在にも目を向けなければ、一滴は火に到達する前に蒸発してしまい、自己満足に終わるだろう。
と、のたまう私は自省をこめて言えば、とりあえず森から逃げるネズミといったところか。
怒りの歌 (2008.1.19付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
♪許す、素敵なことよね 忘れる、私にはできそうもない 時がすべてを癒してくれるってみんなは言う だけどわたしは今も待っている♪
という歌詞で始まる歌がある。
「NOT READY TO MAKE NICE」そちらが望むようにいい子になる気はないというようなタイトルの歌だが、歌っているのはディクシー・チックスという女性3人のグループである。
不勉強な私はその存在をある本で初めて知り、早速CDを買い求めてみた。
解説によると、グラミー賞もこれまで9個を獲得しているという、米国音楽史上最も成功した女性グループとのことである。が、2003年、ロンドン公演のステージで「合衆国の大統領が(自分と同郷の)テキサス州出身で恥ずかしい」と発言した。この発言はイラク戦争の回避を願う気持ちから出たものだったが、彼女たちはすさまじいバッシングを受けるという大騒動になったということだ。残念ながら私の記憶にはない。それから3年間の沈黙を破って発表された曲がこれである。
♪ちやほやする気にはなれない 撤回する気にはなれない わたしは今もめちゃくちゃ怒りまくっているし・・・・♪
叩きのめされた彼女らが再び立ち上がれたのは、彼女たち自身の力もさることながら、イラク侵略戦争の結果を認めざるをえない世論の後押しがあるからだろう。世間に向けた彼女たちの闘いがアルバム全篇にわたって繰り広げられている。そこには日本のミュージック界から消えてしまって久しい怒りや叫びがある。
わたしは米国が好きではない。では自国はどうかというと、腑抜けた極楽トンボの歌はもういい・・・といった気持ちだ。
年賀状 (2008.1.12付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
今年も多くの年賀状を戴いた。喪中につき・・・というのも暮れにたくさん戴いている。どちらのハガキも多くなってきたのは、私が歳を重ねてきたことによる。
ちなみに私の今年の賀状は
*****
二人の師 逝き
喪を決め込む
元日に
「君が師となれ」空の声
還暦・厄年・年男
*****
というように、元日に作った五行詩でまとめてみた。
ところで、最近は元日に配達される賀状が減って、三が日が過ぎて戴く枚数が多くなった。ということは、新年を迎えてから筆を執る人が多くなったことによるのだろう。
私もここ十年来そのようになってしまったが、別に深い理由があるわけでなく、元日に間に合わないだけなのだが、「年賀状はやっぱり新年を迎えてから出すものではないか」などと勝手に慰めている始末である。さて・・・。
「市民新聞読みました」と知人の小学校の先生から賀状を戴いた。「おたよりに取り上げている先生もいましたよ」とあり、私の拙文も世のため人のためになっているのかなと思ってチョッピリ喜んでしまった。
どのように取り上げられているかも知らずして、単純に喜ぶのは生まれつきのおめでたさの何物でもないが、しかし、理由はどうあれ、コミュニケーションのきっかけになることは、書き手としてはやっぱり嬉しい。だからこそ書くことの責任もひしひしと感じるのである。
読者の皆様、今年もよろしくお願い致します。
主催者側の関心ごと (2007.11.15付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
11月3日のこの欄で「創年力を生かして」と題して、シニアリーダー実践講座主催の世代を超えた意見交換会の話を書かせていただいたが、ちょっと誤りがあった。講座の主宰は詳しくは県ではなく、長野地方事務所厚生課内の財団法人長野県長寿社会開発センター長野支部ということであり、訂正しお詫び申し上げます。
ともあれ、早速その意見交換会に数人の方々から参加の申し込みがあったと聞いた。ありがたいことである。
一般的に、イベントを企画した主催者の最大の関心事は、「どれだけの参加者があるか」である。かといって、人さえ集まればそれで成功と小躍りする主催者もいるが、それはちょっと違う。先日もある講演会に参加したが、二人の方の講演は内容も希薄で、時間も長くなり、ブーイングもかなりあった。予想以上の聴講者で主催者側は満足していたようだが、私は満足できなかった。
いうまでもなくイベントの成功か否かは参加者がいかに満足できたかである。ところが、参加者の満足度というのは非常に個人的で尺度も曖昧ではあるから、判断は難しい。が、主催者側に立ってみれば、人を参加させるということはその人の時間を奪うことなので、それに見合ったものが提供できたかどうかが鍵となる。まして料金を戴く場合はなおさらのことである。
私事で恐縮だが、この18日に小川村の成就地区でりんご祭が行われる。45軒の地域の小さなお祭だが、毎年県外からの参加者もある。主催者側の懸念は、参加人数は勿論のことだが、どれだけホスピタリティーが発揮できるかである。野外の場合は天候が最大の心配事となる。これだけは天に任せるしかないが、胃が痛くなる。
創年力を活かして (2007.11.3付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
老人、高齢者、熟年というような言葉の中にソウネンと発音する言葉を耳にしたことがあって、その意味するところは「壮年」とばかり思っていたら、創年という言葉が使われ始めていることをつい最近知った。
創年とは「高齢者、老人などと呼ばず、いつまでも現役で、周囲に自己の能力を活かそうとする積極的な生き方を主張する成人」だそうで、年をとっても、常に自分を創り変え、また自分の力を周囲に活かしていこうとする積極的な生き方を目指している。
鹿児島県の志布志市では「創年団」や「創年市民大学」といったものがあり、「創年の志」という焼酎まであるそうである。
ところで、県主宰で長野県シニアリーダー実践講座という、まさに創年の方々が学ぶ講座がある。その受講生たちがこの度「世代を超えて語り合おう」ということで、若い人達との意見交換会を企画した。
若い人たちは何を考えているか解らないと批判することから一歩進んで、解り合いたいという思いで発案され、未来を担う若者の考え方を知ることでお互いの理解を深める機会になればと、参加者を募っている。
日時は11月23日、会場は長野合同庁舎別館2階会議室。問合せは(財)長野県長寿社会開発センター長野支部、рO26-235-3994。 新聞記事のような書き方になってしまったが、実は私もその講座の講師の一翼を担わせていただいている。こうした企画は初めてで楽しみだが、読者の皆さんともお会いできればこれまた望外の喜びである。
低価格競争の果て (2007.10.30付・長野市民新聞「こだま」掲載・丸田 勉)
私は典型的な「安物買いの銭失い」である。「良い物はやっぱり良い」と分かっているつもりで、一度は逡巡しても、いつの間にか安い方に手が出ている。
そんな私であるが、昨今の低価格競争は異常ではないか、いや、問題ではないかと思うようになった。
大型電気店の価格競争は、競争を通り越して戦争に近いし、電気製品一つとってみてもどうしてこんなに安くできるの?と思ってしまうことがしばしばだ。衣料品もそうだし、百円ショップにいたっては感謝どころか吃驚である。
かつて価格設定は必要経費を算出して、そこに利潤を加えて設定したものであるが、今日では、いくらなら売れるかという、販売価格が優先するらしい。先ず価格を決めて、その価格に見合うような材料を選び生産方法を決めるというわけだ。となると低価格は必然質の低下を生むことになりそうである。
すぐに壊れたり、減りが激しい商品が多くなった。文句を言うと、「お客さん、この値段ですから」と、若気(にやけ)ながらのそんな言葉が返ってきそうである。
製造業もサービス業も受注価格を低下させ、数をこなさなくてはならなくなった。長時間労働が強いられ、ただただ忙しさが増すばかりで、質の低下はゆがめない。
舞台や映画やテレビ番組もそうかもしれない。制作費の切り詰めは作品の質の低下を生むだろう。
買い手市場は安物をたくさん作り、ごみだけが増えていく。「長持ち」という言葉がなつかしい。かつては質の競争だった気がする。
「いい仕事するねえ」は職人に対する最大の誉め言葉だった。
高くて質のいいものはあるのだろう。しかし、それはやはり一部の人たちしか享受できない世界なのかもしれない。高いか、安いか、良いか、悪いか、物の世界も両極端になっていくようだ。「そこそこ」というものならば私も何とか手を伸ばしたい。 買い手市場、あるいは低価格競争は文化そのものの低下も余儀ないものとしていくだろう。
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コラボレーション (2007.10.4付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
小川村立小川中学校は全校で生徒は67名。このほど学園祭である「若鷹祭」が行われた。
写真は中庭に制作されたアルミ缶アート。縦40個、横250列、合計1万個のアルミ缶で表現された学園祭のテーマ「夢〜無限 大の未来へ〜」である。
空き缶集めから始まってデザイン、製作まで全校生徒が関わった文字どおりの大作である。全てビール缶で、色は付けずに、缶のデザインをそのまま使って適材適所に並べられている。
1万個を決められた場所に配置していく・・・気の遠くなるような話である。夏休みを返上して作業をしていた彼らの完成の喜びはひとしおだろう。
全校生徒67名の小さな学校だけど、これだけのことが出来るんだと見せつけられたような気がする。しかし、生徒会長は「地域の人たちのおかげで完成させることが出来ました」と謙虚である。
確かに自分たちだけでは集めきれなくて、有線放送で缶集めを呼びかけた。地域の人々によってアルミ缶が運ばれ、結局予定の1万個を上回る数が集まった。勿論教師の力も見逃せない。
多くの人たちのコラボレーション(共同製作)で出来上がったアルミ缶アート「夢〜無限大の未来へ〜」は破壊することより産み出す喜びを中学生たちに教えてくれたに違いない。
改訂版「劇場政治 (2007.9.20付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
「劇場政治」というタイトルの原稿を用意していたのだが、安倍総理の突然の辞任劇で大幅な変更を余儀なくされた。
心情を察するに気の毒で、今から追い討ちをかけるのは私の流儀に反するから、必然的に批判のトーンも下がってしまうのは致し方ない。
前稿では内閣改造に触れ、次のようにしたためた。
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新聞を開くと安倍新内閣の顔ぶれが紹介されていた。厚生労働大臣に舛添要一氏。やっぱり・・・勘は当たった。彼の安倍批判はパフォーマンスだったに違いない。
絵に描いたようなバレバレのストーリーを臆面もなく演じのけてしまうところは二人ともたいしたアクターだ。批判分子も手中に収める適材適所の組閣といわんばかりで、目立ちたがり屋が遂に大臣の椅子を手に入れて、安倍劇場の第2幕が始まった。
実質は何も始まらないのに役者が登場しただけで拍手が起こる。支持率10%上昇はそんなところか。本質を隠してしまう政治の劇場化は危険だ。
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第2幕が始まったと思ったら、幕が下りてしまった。三日天下の舛添大臣はさぞ悔しがっているだろう。
阿部さんはアクター(役者)というより、小道具さんや照明さんのようなスタッフタイプの人だ。なのに小泉流パフォーマンスを引き 継ごうとしたところに無理があったのだろう。アクターは引き際がうまいことからしても、安倍さんはやっぱり違った。
舛添要一氏はアクタータイプと思うが、さてどうだろうか。
蘇れ!協同の志 (2007.8.7付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
長野市から小川村に入ると最初に「夏和」という地区がある。この地区に20aほどの芝桜の山があり、ちょっとした名所になっていたのだが、先日、一枚のチラシが新聞折込みされた。
「夏和の芝桜復元に向けて、芝桜公園再生ボランティア募集!」
実は、この名所を育て上げたのは一個人だが、志半ばで亡くなってからは家族がその維持管理に努めていた。しかしその苦労も並大抵のことではなく、草が覆い、もはや諦めざるを得ない状況になったのである。
そこで、地域が立ち上がった。事情を知った区長、副区長が動き、故人の仲間だった小川山岳会が動いて、全村に呼びかけたのである。
事務局長を引き受けたのは山岳会の福島晴雄さんだ。「携わる者の深い思いやりと“ずく“がない限り、継続して、旅行く人の目と心を楽しませることはできないのです。今なら復元も間に合いそうです」と訴える。そこには故人の意思を継ごうという単なるセンチメンタルな動機ではなく、訪れる人を楽しませようとするホスピタリティの精神がある。
35名ほどのボランティア登録があり、7月22日、雨上がりの朝、第2回目の草取りが行われた。
集まったのは、20数名、2時間余り斜面を這いつくばりながら手で草とりをした。腰が痛くても冗談を言い合い笑いながらの楽しいひと時だった。
小川村にもまだまだコミュニティがあって、「助け合う仲間作り」ができる。それができる限り、地域は生き永らえるに違いない。
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打てば響く関係((2007.7.19付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
このたびは編集部に無理を言って写真を2枚載せていただいた。
@の写真は小川村役場正面に掛けられた垂れ幕である。
「祝 小川中学校水泳部(名前略)県大会出場おめでとう!(以下略)」と書かれていて、北信地区中学校水泳競技大会に男子フリーリレーに優勝、メドレーリレーに準優勝したことも示されている。
中学校の吹奏楽部が県大会で準優勝したときや、国体に出場する選手がいた時などもお祝い垂れ幕が下がった。小川村では度々このような垂れ幕が下げられるが、教育委員会の粋な計らいである。
同僚ばかりでなく、村のみんなが応援してくれているんだと子どもたちは「地域」を意識する。
Aの写真は主要地方道長野大町線、通称オリンピック道路のチェーン着脱場に据えられた看板である。
ここは夜間長距離トラックなどが駐車して仮眠をとることが多く、ごみが散乱していた。村民も時々ごみ拾いをしていたが、見かねた小川中学校生徒会が数年前から花を植えたプランターを置くようになった。
今年は107個のプランターが並べられ、写真のように看板も立てられた。
「あなたの心づかいで、小川村がきれいになります。小川中学校」と書かれている。
「ごみを捨てないで!」といった看板よりも、なぜか心に響く。そして、何よりも「地域」を意識した標語が嬉しい。
村民と子どもたちのいい関係が続いてくれることを願う。
私の風林火山 (2007.7.10付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
かつて私は本紙「こだま」欄に2度ほど市町村の合併について書かせていただいたことがある。今から4年半前のことである。
平成の大合併の狂乱をへて、私が住む小川村は現在、自立の道を歩み始めているが、残念ながらそこに落ち着いているわけではない。
村を二分した村長選の後遺症は根深く、長野市との合併を画策する動きが見え隠れしている。
平成の大合併の折、西山3町村は自立に近い合併と銘打って3町村の合併を目指した。しかし、住民投票の結果は小川村が合併反対、信州新町が合併賛成、中条村が長野市との合併に賛成という三者三様となり、3町村の合併は破綻した。
その後、中条村と信州新町は首長が長野市との合併に方針を定め、ラブコールを送り、市長に約束を取り付けたとの噂も飛び交っている。
かつて、戦国の武将たちは、権謀術数もあったが、戦いを通して領土を増やしていった。現代は負け戦はしないということらしい。
今、西山3町村が向かおうとしているのは、発展的合併ではなく、地域を捨てた白旗合併である。
私は合併することなく、長野市とは対等の形で、互いにあるものは提供しあえる関係を保てれば良いと思っている。
それは小さな小川村にとっても、大きな長野市にとっても、住民にとっては決してマイナスになることではない。
合併しなくても、長野市の皆さんとどうしたら良い関係を作っていけるか、その課題にこれから私は挑戦していくことになるだろう。
癖者(くせもの) (2007.7.6付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
沖縄から送られてきたという大きなゴーヤを、お裾分けでいただいた。好物であるからその日に早速頂戴したが、あまり苦くなかった。
そういえば苦くないゴーヤの話を小耳にはさんだことがあるし、「ゴーヤも苦くなければいいのにね」などと言う若い女性の言葉を耳にしたこともある。沖縄では、いち早く消費者ニーズに応える品種を開発して栽培を始めたのだろうか。
ゴーヤが苦くて嫌ならば食べなければいい。苦味をなくしてまで食べる必要はさらさらない。トマト臭さが嫌ならば食べなければいい。それぞれの野菜の癖をなくしてもらいたくないと心底思う。
かつて私は仕事で鹿児島に三ヶ月ほどいたことがあるが、その時、芋焼酎(乙類・単式蒸留)の味を覚えた。癖があったが、慣れたら美味しく感じるようになった。それからというもの、甲類(連続式蒸留)の焼酎は味気なく感じる。
二十五年ほど前に小川村に暮らすようになったが、その時、村人たちは癖のある乙類を嫌がって甲類の焼酎を好んで呑んでいた(価格が安いこともあって)。しかし、最近は「こんな癖えやつ」と嫌がらないで乙類焼酎を呑むようになり、無下に排斥しなくなった。私はこの傾向を好ましく思っている。
田舎ではとかく癖っぽい人は嫌われる傾向がある。しかし、癖っぽい人ほど味のある人も多いと私は感じている。
野菜の味も人の様も受け入れやすく改造するのでなく、違いを受け入れることができるよう、常に自分を改めていたい。
たかが杉、されど杉 (2007.5.22付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
杉は今や人気のない樹木の筆頭である。花粉はばら撒くし、根が張らないから地すべりの予防にもならない。おまけに伐採してもらっても一銭にもならない。常緑樹で、林は一年中暗い。
わが地域では景観を良くしようと家の周りの杉木立を伐採する家が多くなった。
先日、Tさんの家の周りの杉が数十本切られたというので行ってみた。
なんと、別の場所に来たと錯覚するくらいに風景が変わっていて、ちょうど天気の良い日だったので北アルプスのパノラマが眼前に広がっていた。まさに絶景の場所になった。杉木立を切るぐらいでこんなにも風景が変わるものかと感動さえ覚えて、早速シャッターを切った。
おばあちゃんが畑にいたので近寄って声をかける。
「景色がよくなったねえ、すごいじゃないの」と同意を求めた私の言葉への返答は、どこか暗いおばあちゃんの表情だった。
「アルプスが・・・」
「おら、景色なんかどうでもいいよ」おばあちゃんは続ける。
「風が当たるし」
なるほど、丸裸にされた感がしないでもない。どこか恥ずかしいような感じもしてくる。
「木がなくなって淋しいよ」
その杉は家を守るようにしておばあちゃんと生きてきた。
「頼んでさ、あれだけは残してもらっただ」
指差す方に、切り残された3本の杉が申し訳なさそうに立っている。
94歳のおばあちゃんの言葉が、ずしんと重く私にのしかかってきた。
成就のYUKIKOの裏話 (2007.5.22付・長野市民新聞「こだま」掲載・丸田 勉)
「成就のYUKIKO」とはかぼちゃ焼酎の名前である。
小川村の成就地区に「明日の成就プロジェクト」というグループがあり、私はその事務局長を仰せつかっている。
そのグループが昨年、縁あって契約栽培でカボチャ作りに乗り出した。そして故あってカボチャの焼酎も企画した。その「縁」と「故」は語れば長くなるので割愛する。
さて、焼酎のネーミングもあれこれ考えたが、シンプル・イズ・ベスト、地域名とカボチャ名そのままの「成就のYUKIKO」として、ラベルもできた。
ところが、届いたYUKIKOはスッポンポンの無色透明だった。酒造会社に問い合わせたら、指定されたビンに間違いないという。カタログ写真のビンが白っぽく、私たちがスリガラス系と見間違えたということに落ち着いた。
ビンがイメージしていたものと違ったショックはかなり大きかったが、もはや後戻りするわけにはいかない。追加のラベルをビンに貼ろうということになった。
そのコピーは「丸見えでお恥ずかしい・・・初登場で慌ててしまい、衣装(ビン)を間違えてしまいました。でも、中味は正真正銘の私です。ウ〜ンYUKIKO」から「小太りが丸見えでお恥ずかしい・・・包み隠しのない私です。YUKIKO」に変わり、最終的には、「透明で包み隠しのないわたしです。ストレートがお奨めよ。YUKIKO」ということになった。コピーの変化は、マイナスをプラスに転じようとする私たちの心境の変化を如実に表していて面白い。
発売から半月余が経過した。今では小太りで透明なYUKIKOを愛し始めてしまっている私だ。そのうち、「YUKIKOは透明なビンがいい」と言い出すかもしれない。
消費者にとってはどうでもいい生産者のこだわりなんて、概ねそんなものかもしれないなと思う。
それにしても昨今、見せ掛けの「こだわり商品」が多く出回っていると感じるのは、私だけだろうか。
この春の出来事 (2007.5.3付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
昨年の秋のことだ。トラクターのロータリー(回転歯)のアップ・ダウンが利かなくなった。
農機具店の技術者に診てもらったところ、電磁弁の故障で部品はもう無い。よって修理不可能との宣託をいただいた。しかし、次の中古トラクターを購入する財政的余裕もない。トラクターは、一冬畑の中に放置されたままの状態で春を迎えた。
友人の紹介でW君がやってきて、別の形で利用したいから、トラクターが欲しいという。役立つならこんなに嬉しいことはない。W君に引き取ってもらった。
その後、私は畑を区切って、小さな耕運機でこつこつと耕し始めた。
そんな矢先に先の友人から電話が入って、「トラクターが直ったから取りに行こう」と言う。私は耳を疑ったが、弾んで嬉しそうな友人の言葉は嘘ではなかった。
W君は壊れた電磁弁を使わずに別な方法でロータリーの上げ下げができるようにしてくれたのである。
農機具技術者がさじを投げたものを直した技術力もさることながら、手に入れたものを修理して再び私に返してくれたW君の度量の広さに感服し、感謝した。
「捨てる神あれば拾う神ありだな」と一緒に喜んでくれた友人の笑顔。ひょっとしたら一連のことは彼のシナリオだったのでは、とハタと気づく。何気なく私を助けてくれる人がいる、その思いは、「そろそろ運も尽きたな」と思うようになってきたこの頃の私に希望を与えてくれる。生かされている・・・そんな感じの春である。 (マルタ・ベン)
貧乏人の想像力(下) (2007.4.17付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
東京六本木に新しく誕生した東京ミッドタウン然り、規制緩和を受けて、多くの外資系企業が日本に進出し始めている。
今後も東京には、六本木ヒルズのようなビル群が何箇所にも計画されていることは前回述べた。
ところで、振り返ってみるに、江戸城の無血開城に始まった明治維新後の日本は、あまた(この言葉は田中前長野県知事がよく使ったなァ)の西洋文明を吸収しながら侵略戦争を開始したが、結局はアメリカに敗れた。
日本はアメリカの傘の下で再び東南アジアに経済進出を果たし、敗戦後60年余、今、再び先進国の攻撃を受け始めている。状況は違うが、戦前を彷彿させる。いずれ経済戦争にも敗れ、アメリカの属国となるやもしれぬ。
それは東京の摩天楼化と地方の画一化された大型チェーン店の乱立を見れば明らかではあるまいか。やがて人心も変わっていく。それが一部の人たちが考える「美しい国」づくりなのである。
市町村合併や道州制もその線上にある。
縄文時代から営々と磨き上げられた緻密な心情を、大雑把な心情に改悪していくシナリオに他ならない。その物差しは、「経済効率」である。
「国のため」と叫び、保守を自称しながら、実は日本を売り渡しつつある現況に、日本人は早く気がつくべきである。
私は国粋主義者でも排他主義者でもない。只の貧乏人であるが、釜の中の魚や、豆腐の中に逃げ込むドジョウたちの悲劇的な結末を迎えないためにも、冷静に想像力を発揮していかねば・・・と思う昨今である。(マルタ・ベン)
貧乏人の想像力(上) (2007.4.14付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
六本木にまた新名所ができたと報じられている。東京ミッドタウンがそれで、コンセプトは「上質な日常」である。
その中のホテルは1泊最低6万円から最高210万円だという。1泊7000円の民宿オーナーでもある私にはその世界が想像できない。貧すれば鈍するってことかいネ・・・。
ちょっと待て待て。宿泊料が1泊1万円の場合は210万円稼ぐためには210日もかかるし、部屋の掃除も210回しなくてはならないが、一泊210万円だと掃除は1回で済む。なるほどなァ。
日本経済も多くの庶民を相手にするより、一部の金持ちを相手にして楽をするようになったなァと思いきや、なんと外資系だと・・・。
和風な要素を取り入れて、ビルの中に竹林もあるんだと。たまげたねェ。そんなまがいモンで、東京のわけぇもんはキャアキャア言ってるだと。そういった、何とかヒルズといったようなモンがこれから東京には何十もできるだと。
バベルの塔ならず、バブルの塔か、はたまた、砂上の楼閣か。いずれにせよ、大地震がくればもろくも崩壊してしまうに違いないと思うのだが、原発と同じように、絶対にそうあって欲しくないという「願望」の上に成り立っているだけのような気がする。
1泊210万円の宿泊料を払う人々の生活と心は想像できないが、大地震による超高層ビルと原発の悲劇は容易に想像できる。
金持ちの想像力と貧乏人の想像力、あなたはどちらを信じますか?
次回に続きます。(マルタ・ベン)
「戦争と平和」(下) (2007.3.31付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
前回からの続きである。
戦争の対語は〈戦わない、不戦〉とする類語検索大辞典「日本語大シソーラス」の視点は、〈話し合い・外交〉とする漫画家小林よしのり氏の視点と似ている。
例によって広辞苑を見てみると、「戦争」は・たたかい、いくさ、合戦。・武力による国家間の闘争とある。他の辞典も似たり寄ったりで大差はない。
戦争を〈状態〉で捉えると反対語は「平和」と言えなくもない。しかし、戦争を〈行為・手段〉として捉えると、反対語は平和ではなく、〈戦わない、つまり武力に寄らない国家間の交渉〉ということになるのではないだろうか。
交通戦争、受験戦争という言葉もあるが、こちらは戦争に似た状態という意味での使い方であり異論はないが、「戦争」という言葉は人間の〈行為、手段〉として捉えるべきだと思っている。
だから戦争反対を唱えるなら、国家間の矛盾や軋轢は〈話し合いや、外交〉で解決するよう訴えるべきで、「平和・平和」と叫んでみたところで、それは平和という〈状態〉をおねだりしているに過ぎないのである。
平和は、「不戦」の結果としての〈状態〉なのである。
よって「戦争」の反対語は「平和」とする視点ではいけないと思っている。
中国、呉の孫武の兵法書「孫子」には次の一説がある。
「百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」(マルタ・ベン)
「戦争と平和」(上) (2007.3.29付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
トルストイの長編小説について論じようというのではない。今回は「戦争」の反対語は「平和」という解釈でいいのかについて考えてみようという訳である。
反対語辞典が手元になかったので、県立図書館に行ってみた。そこにも2冊しかなかったが、いずれも「戦争」の反対語は「平和」とありがっかりした。
東京堂出版の反対語大辞典には戦争=〈たたかい、たたかう〉とあり、反対語の平和は〈戦争がなく穏やか〉とある。新星出版社の受験・就職・日常生活に役立つ反対語新辞典には戦争=〈国家間の武力による争い〉とあり反対語の平和は〈戦いのない平穏な状態〉とある。
がっかりしたというのは目論見に外れたからに他ならない。
漫画家の小林よしのり氏がある本で、戦争の反対は「話し合い」と書いていたのが私にとっては目から鱗だったので、その裏づけが欲しかったのである。が、反対語辞典は無用だった。押してもだめなら引いてみるのが私の信条。類語辞典から攻めてみた。
大修館書店の類語検索大辞典、日本語シソーラスの「戦争」の項には類似語がいろいろ示されているが、対語も紹介されていて〈戦わない、不戦〉とあった。この解釈は私にとっては満足のいくもので早速、ポケットから県民手帳を取り出して書きとめた。
因みに今年の県民手帳見開きのアルプスの平和な写真は私の拙作である。閑話休題。本論は次回に続きます。(マルタ・ベン)
マスメディアひき逃げ論 (2007.3.6付・長野市民新聞「こだま」掲載・丸田 勉)
久しぶりに2〜3日続けて朝のワイドショーを見た。東国原宮崎県知事を追いかける記者の質問の横暴さと稚拙さが気になった。
「しがらみがないと言っておきながら、自民党の支持した候補、又は官僚出身の候補を副知事にするのはおかしい」といった内容である。
おかしいと決めてかかる記者の方がおかしいと私は思う。世間に迎合した価値観で対象(知事)を攻めても、真実は見出せないだろう。
相反する二者の戦いだけが政治ではない。自党、自派、あるいは自分の考えを押し通すことだけが政治であったなら、いつまでたっても庶民は救われない。呉越同舟も県政運営の選択肢の一つではあるまいか。
結局、「昨日の敵も今日の友」とする試みは実現しなかった。その後のケアも検証もなく、それで終わりそうだ。
それが私の言う「ひき逃げ論」の一端である。
正義を振りかざして、非難しまくるマスメディア(特にテレビ)の日頃の横暴さは目に余るものがあるが、納豆効果の偽装事件に見られるように時々は化けの皮も剥がれることもある。
私の知人は、某局の取材を受けたが、発言する言葉も押し付けられてうんざりしたと嘆いていた。
それらは氷山の一角である。
今や巨大な力を持ったマスメディアを批判したり抑える者はいないらしい。
頼みの「世論」も所詮マスメディアの産物であり、偽装であることも多い。
最後の砦は、マスメディアが増長せずに常に自省の念を忘れないことだが・・・。
加えて「マスメディア=正義」の幻想を捨てて、マスコミに翻弄されることがないように、私たち自身がしっかり物事を見極めて、監視するというルート・体制を築くことも必要だ。そうして互いの質を高め、信頼を回復しておかないと、いずれ国家権力に対して抵抗すらできなくなるだろう。
それは双方にとっても悲劇の始まりではなかろうか。
気になる言葉「個性」 (2007.3.1付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
「障害を個性ととらえ」と前回書きましたが、個性とは何か?
解剖学者の養老猛司さんに言わせれば単純明解で、「身体を作るのは、遺伝子の作業。その遺伝子の組み合わせは一人ひとり違う。それが個性で「自然」である。心や意識に個性を求めたがるが、それは個性ではなくて共通性そのものではないか・・・」と言う。
広辞苑によると「個性」とは@個人に具わり、他の人とは違う、その個人にしかない性格・性質。A個物又は固体に特有な特徴あるいは性格・・・とある。
養老さんの言う個性はAの意味に近く「違い」をも意味する。
茨城県筑西市のしもだて美術館で開かれている展覧会のことは前回でも述べたが、障害という個性をもつ3人の女性たちが生み出した作品は、足で打つタイプアートであったり、口にくわえて書いた書であったり、足で描いた詩画であったりするが、それらの作品は個性ゆえの作品と言える。
しかしその個性が生み出す世界(心・意識)は養老さんに言わせれば個性ではなく、共通性ということになる。共通性があるからこそ多くの人々の共感が得られるのかもしれない。
3人の一人である風子こと冨永房枝さんは最近私にこんなことを言った。
「ねえ、マルタさん、今は私、終点じゃないよね、通過点だよね。そう思えば、私、まだ、がんばれるし、生きられる」
共通性(心)を磨くことに終点はない。たとえ個性(身体)が終わっても、個性が生み出したものは生き続けていくに違いない。共通性がある限り。(マルタ・ベン)
気になる言葉「障害者」 (2007.2.24付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
茨城県筑西市のしもだて美術館では「はーとtoはーと展・おっことケイコと風子の展覧会」が1月20日より3月11日まで開催されている。チラシには・・・それぞれが身体に障害を抱えながらも、前向きに人生を歩み、得意な分野で作品を制作し続けることで自分の美の世界を拓き、多くの人々に感動を与えて輝いている3人のジョイント展を開催します・・・とある。そのチラシの中に「障害者」という言葉がなくてホッとした。
長野県からは風子こと冨永房枝さんの大きな絵足紙が15点ほど出品されて、私も関わっているが展覧会も盛況だ。
私は「障害者」と言うひとくくりの言葉が前々から気になっている。
「しょうがい」という言葉を広辞苑に見ると、@さわり。さまたげ。じゃま。A身体に何らかのさわりがあって機能を果たさないこと・・・と解説されている。@は「障害物」で、「障害者」はAの方の意味ということになるのだろう。因みに「障害者教育」という言葉はあっても「障害者」という言葉は見当たらなかった。
「障害物」という意味合いからすれば、「障害者」はさまたげ、じゃま者ということになる。かつてはそうだったかもしれない。そうしたイメージからすれば、「障害を個性ととらえて」というような前向きの言葉は出てこない。この場合はやっぱりAの意味なのだろう。しょうがいには「障碍」という漢字もある。Aのイメージとしては「障碍者」と書いて分けてもいいなと思う。(マルタ・ベン)
白衣の天使 (2007.2.10付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
1泊2日の検査入院をした。
「Kさん、ご飯食べないの、どうしたの。さあ、食べようね」という元気な看護士さんの声の後に「うん」というか細い声が隣のカーテンの向こうで聞こえる。
入れ替わり立ち代り看護士さんたちがそれぞれの任務を携えて病室に現れ、大きな声でやさしく患者たちを諭していく。そんなやり取りを聞き、看護士さんたちの容姿と表情を想像することは結構楽しいことだった。
何度も同じことを質問されても決して怒ることなく、子供を諭すように対応している彼女たちの忍耐力は何処から来るのだろう。訓練か、それともやさしさか?幼児言葉は気になったが、単純な私はやっぱり看護士さんは「白衣の天使」だと思ってしまう。
「鼾で迷惑をかけるかもしれませんが」と私。「大丈夫ですよ。気にしないで下さい」と担当看護士は微笑みかける。「はあ」と一瞬納得してしまったが、私と同室に寝るのは看護士さんではなく、他の患者さんたちなのだ。「大丈夫」ってどういうことだろう?
それはさておき、翌朝、二人の看護士さんが誰はばかることなく不満たらたら言いながら隣にベッドを移動してきた。カーテンの陰にいた私に気づいて「あっ、聞かれちゃった」とおどけて見せた。「ちゃんと録音しておいたぞ」と返してやった。やはり看護士さんも人間で安心した。
部屋を出て行く際に一人がカーテンの端から顔を出し「内緒よ」とにっこりした。その表情がとても可愛く、看護士さんはやっぱり天使でいいかなと思った。(マルタ・ベン)
嫌いな言葉 その3 (2007.1.25付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
差出人が特定できない手紙や怪文書を戴くことがある。
去年は「君たちよりもっとこの村を思っている者」とか「一善良な村民」と自称する方々からのお小言を戴いたが、相手が分からない以上返事を書くことも難しい。
他人に宛てたり、公表する文章はきちんと責任を持つべきだというのが私のポリシーである。
マスコミの影響力を考えれば、本来新聞記事も署名入りとし、書き手がそれだけの責任を持つべきだと思う。よく言われることだが、ペンは暴力にもなるからである。ひき逃げはよくない。
話を主題に移そう。自分を「善良な」村民や市民だと言える人々の感覚が私には信じられない。それどころか危険だとさえ思っている。
同じように「何の罪もない市民を巻き添えにして・・・」という表現の中の「罪のない市民」という言葉も不思議な言葉で、私の嫌いな言葉である。
本当に罪のない市民なんているのだろうか。そう思っている人がいるとしたら、それはやはり危険なことかもしれない。自分を見つめ、自分の罪にきちんと気付き、その罪を軽くしていく努力なしでは、現代のおかしな社会はその加速度を増すだけだろう。
本当に住民のことだけを考えて、自分のことはこれぽっちも考えていないと公言しながら、全くその逆で、自分のことだけを考えていた首長を私は知っている。
罪の多い市民ほど「罪のない市民」と言いたがるのかも知れない。(マルタ・ベン)
嫌いな言葉その2 (2007.1.20付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
嫌いな言葉の二つめは「地球にやさしい」である。どれだけ氾濫しているかヤフーで検索してみた。「地球にやさしい」はなんと297万件の項目があった。
洗剤、Tシャツ、雑貨、カードなどなど。「地球にやさしい県民運動」なんてものもある。
同じような意味で「地球を救おう」とか「地球に良いことしよう」などという言葉もある。
CO2が地球にとって良くないことかどうか、私には分からない。人間にとって良くない(不都合な)ことは分かる。CO2の削減のために電気の使用を減らすことは、悪いことではない。石油製品のリサイクルも悪くはない。が、いずれも「良くないこと」の度合を減らしているだけで、決して「良いこと」をしているわけではないのである。マイナスを少なくしているだけでプラスにしていることではない。ここを見誤ると大事なことを見過ごしてしまう。
地球をいじめていることの軽減はできても、良くすることはできないのだ。
人間が地球上で生きている限り「地球にやさしい」ことはありえない。だから「地球にやさしい・・・」という修飾語に、どうしてもまやかしと人間の驕りを感じてしまうのだ。
やはり「地球にやさしい」という言葉に疑問を持っている人のホームページが見つかった。長崎の後藤さんだ。「地球を救おうなんてきれい事で行動するよりも、自分たちが生き残るために行動するんだという意識が、環境問題を解決する鍵だと思います」と彼は言っている・・・。(マルタ・ベン)
嫌いな言葉 その1 (2007.1.6付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
転寝(うたたね)から目覚めるとFM放送の男性の声が耳に入った。
「感動をありがとうと言う人がいるけれど、私は気に入らない」というような内容であった。
わが意を得たりの内容で、同じ思いの人がいることで安心した。12月26日朝6時過ぎのことだった。
「感動をありがとう」。この言葉が氾濫し始めたのはいつの頃からだろう。
たとえば、マラソン選手が倒れてもなお起き上がり、ふらふらしながらゴールする姿を見て「感動をありがとう」などと平気で言えるだろうか。たとえ「感動」はしても、死に物狂いの姿を見て軽々しく「ありがとう」などと言ったらそれは失礼というものだ。
スポーツ選手本人たちの「感動」は、練習に練習を重ねて、苦しい体験を経ての、勝利の喜びであったり、敗北の悔しさだったりするのだ。その感動が次なる行動を呼び起こしていく。だからこそ感動が人を成長させていくのである。
「感動した」人の様を観て感動したら、その感動のエネルギーを自分のエネルギーに変えることなしに、「ありがとう」という言葉で終わらせてしまってはいけない。
「感動をありがとう」は傍観者たちの言葉である。疑似体験で済ましてよしとしている人たちのごまかしである。
この生ぬるい一言を、青春の真っ只中の男たちが発していることに及んではもう、最悪だ。傍観者たちに成長はない。(マルタ・ベン)
サンタの味噌 (2006.12.14付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
アメリカ在住の女性からクリスマスカードが届いた。
* * *
マルタさん、今年もいろいろありました。でも、つらい事がたくさんおきるとほんとうに人のやさしさが心にしみとおります。前に送っていただいた〈おみそ〉少しお友達にあげたら、とってもおいしいとすごくよろこんで下さいました。
マルタさんの心のこもった〈おみそ〉には味があり、本当にからだが弱って食べられなかった時、ただ熱い〈おゆ〉の中に入れただけの〈おみそ〉の汁が本当においしく心から強く強く感じました。
〈おみそ〉の中にはたくさんのやさしい熱い気持ちが入っているのを私は強く感じました。本当にありがとうございます。
* * *
また、同封の別の紙には〈生きがい〉と題して「私は日本が心から大好き。たとえどんなに自分のからだが弱っても絶対にあきらめる事ができない。私の命のあるかぎり、生きているかぎり、どうか神様、私が日本に行かれる日、体力を下さい(後略)」と長文がしたためられていた。
若くしてアメリカに渡った日本人のM・Sさんは癌を患いながらも時々日本に帰ってきている。東京の下町の安旅館に泊まってただ寝ているだけのこともあった。
今年もやって来たが、成田空港で倒れ、遂に成田から一歩も出ることもなく、アメリカに戻った。私は会うことができなかったので、手づくりの味噌を彼女に送った。
熱い湯に味噌を入れて、すすりながら日本を思い出している病床の彼女の姿を想像したら涙が出てきてしまった。
サンタさんに託してまた、味噌を送ろう。転地返ししたばかりの出来立ての味噌を。
人間を取り戻せ (2006.12.5付・長野市民新聞「こだま」掲載・丸田 勉)
何十年振りになるだろうか、長野電鉄本郷駅から電車に乗ってみた。
切符は自動販売機で購入、改札口にも駅員は見当たらなかった。高校生時代、定期券を示しながら改札口を通った頃が懐かしく思い出された。
切符を切るという仕事がなくなって久しい。仕事がないということは、働く場が無くなったということだ。定期バスの車掌さんもいなくなった。タバコ屋さんの看板娘もいなくなったし・・・、などと考えていると、日本の近代化は人間の職業を奪ってきた歴史かなと思い始めた。
人間社会は仕事を互いに分担して成り立っている社会だと素直に思っていたが、機械化や合理化はそんな分担としての仕事を奪ってしまった。
生きていくことは仕事をすることだとこれもまた能天気に思い込んでいたが、仕事が無くなっていく、奪われていくということは、人間自らが生きていく場を狭めていくことにならないだろうかとの危惧が頭を持ち上げる。
このようなことはチャップリンでなくても風刺や警告を発している映画もあり、今や多くの人々が気づき始めていることだが、誰も止められない進歩・発展だと諦めきっているようだ。
人間を必要としない状況を作りながら、人間社会を維持していくということはパラドックスのようで気色が悪い。
今に、医者もいなくなるかもしれないぞ。病を故障と捉え、故障は機械が治す「無医社会」の時代が来るかもしれない。
ベルトコンベアに乗った人間が様々な検査を受けながら、流れていく。やがて故障の種類ごとに分かれたカプセルに入れられ、故障(病気)は修理(治療)される。修理できないものや失敗したものはジャンクボックス(棺おけ)に入れられる。
そうした社会で人間が生きるということはどういうことになるのだろう?
何もすることがなくなり、自ら命を絶つことしかなくなる。今がその前兆なのかもしれないぞ。
りんごの話-その2 (2006.11.28付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
剪定と枝片付けから始まるりんご作りの一年の前半は、消毒と草刈に明け暮れる。一回の消毒もおろそかにできない。
花摘みも摘果もいかに間引いていくかの作業である。形の悪いもの、成長の遅いものを落としていく作業で、良いものを作るとはこういうことかと、チョッピリ寂しくもなる。そればかりではなく、様々な状況(間隔・日当たりなど)を判断して、どれを残していくかを決める。人間社会に置き換えて考えてみたら、ゾッとした。
実りの秋には、りんごのお尻にも陽が当たるようにシルバー(反射材)を敷き、周りの葉を摘んだり、玉回し(日影部分を陽に当てる)などの作業があって、いよいよ収穫期を迎える。
しかし、カメムシが取り付くと黒く斑点ができるし、鳥も突きに来る。
今年は熊も頻繁にやってきた。枝ごとむしりとり食べる。手間隙懸けて育て上げたりんごが奪われる悔しさは、想像するに余りある。
我が成就地区では今年はほとんどの生産者がりんご畑の周りに電気柵(6000Vの微弱電流が流れる)を施して、防御し始めた。思わぬ大出費である。だからといって、その経費をりんごの値段に加えることはできない。農業はいつまでたっても儲からない。
りんご一つにも汗と涙の様々な物語がある。そんな物語をかみ締めて食べれば不味いりんごも美味く感じる・・・などと綺麗ごとを言う気は毛頭ない。不味いりんごは不味い。自然相手の農業で「商品」を生み出すということは大変なことだとしみじみ感じる。
りんごの話-その1 (2006.11.25付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
私は小川村の成就という地域に住んでいる。因みに我が家の住所は瀬戸川字酒盛場という。酒盛場とは珍しい地名で、名刺を見たほとんどの方々は、私が冗談で命名したと思うらしいが、れっきとした字名である。飲兵衛の私は大いに気に入っている。
最初から脱線してしまったが、今日はりんごの話でした。で、この成就という地区では三分の一以上の家でりんご作りをしている。ここのりんごを食べたら、他所のりんごは食べられない、なんてオーバー?なファンもいる。知る人ぞ知る名産地といえよう。
この45件ほどの小さな地区で毎年りんご祭りが行われて、今年で10回目を迎えた。節目の記念すべきイベントもあいにく肌寒く、雨にもたたられてしまったが、それでも例年の八割がたのお客さんが来てくれたのではないかと思っている。
遠くは東京の八王子から来てくれたご夫婦もいた。実は今年はNHKが取り上げてくれて「おはよう日本」という番組の中で告知放送してくれたおかげである。
長野県の小さな村の小さな地区の小さなイベントに、わざわざ関東から駆けつけてくれた人は他にも何人かいたようだ。
そんな方々にイベント内容が満足していただけたかどうか、それ以上に、もぎ取り、買い求めていただいたりんごが満足いただけたかどうかが気になるところだが、手間隙懸けた「りんご」だもの、美味しくあってほしいと願う。
次回も引き続きりんごの話をします。
過剰な一言 (2006.11.9付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
ビンゴゲームでジャーズドラムという小さなおもちゃの太鼓をいただいたが、その包装袋には次のように記されていた。
保護者の方へ、必ずお読みください。
●投げたり落としたり乱暴に扱わないで下さい。ケガや破損の原因になります。
●スティックを口の中に入れないで下さい。のどに刺さると危険です。
●小さな部品がありますので誤って飲み込まないようにご注意ください。
思わず笑ってしまいそうだが、笑い事ではない。何故こんなことまで・・・と思うかもしれないが、書いておかないと大変なことになるらしい。
例えば、子供がスティックを口に入れてのどに突き刺さったとすると、のどに入れた子供も、そうさせてしまった保護者も、自らの責任を問うことなしに裁判に訴えて、その責任は「のどに刺さると危険です」と注意を促さなかった製造販売会社にあるというわけだ。
気になることがある。埼玉県のある中学校が毎年小川村を訪れるが、全生徒の前に挨拶に立つと、次のような号令がかけられる。
「姿勢を正して礼」
挨拶が終わったときも同じ号令がかかる。一見規律正しいと錯覚しそうだが、実はとても恐ろしいことに思える。彼ら中学生は号令をかけられなければ礼も挨拶もできない人間に育っていくかもしれない。
「何故挨拶しないのか!」「挨拶しろとは言われなかった」
自分の責任において行動する子供たちを育てていかなければ、社会はとんでもないことになる。
アメリカの刀狩 (2006.10.28付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
国連安保理、全会一致で北朝鮮制裁決議を採択。こんな見出しが新聞紙上に躍った。北朝鮮の核実験に対する世界の抗議である。
聞くところ、見るところ、異論を挟む人も政党も国もないようだ。ただ当事者の北朝鮮だけが全面拒否をしているだけである。
こうして皆が一斉に同じ方を向くと、別の方を向く悪い癖が私にはあって、疑問が頭を持ち上げる。決して北朝鮮を養護しようというわけではないけれど、核保有国の論理は傲慢といえないだろうか。早い者勝ちの強者の論理がまかり通っていると思うのは私だけだろうか?
アメリカを始めとする先進国などが許されて、イラク、北朝鮮がどうして核を持ってはいけないのか、私にはその理由が分からない。
こうした先進国の早い者勝ち論理は環境問題にも見られる。産業優先で勝手放題にCO2を撒き散して経済発展を遂げておきながら、「環境を考えて、地球規模でCO2の排出を規制削減しましょう」と言い出すのは、「発展途上国は、はい、そこまでよ」というに等しい。
核も環境も戦争も平和も、世界はアメリカの身勝手な「刀狩」政策を許してしまっている。
アメリカは先住民の抹殺という恥じずべき行為の上に成立した国であるが、その自分たちの文明を問おうとしない(内山節)と同じように、軍事力と経済力で世界をアメリカ化しようとする秩序を、先進国は自ら問おうとしない。自ら核を放棄してから、核を持つなと言うのが筋だと私は思う。
プレゼント (2006.9.12付・長野市民新聞「こだま」掲載・丸田 勉)
ある会合で私が紹介された時のことである。
「えッ、どんぐりの監督さん?」と叫んで近くの男性がこちらを向いた。頷いたその目は優しく、「観ましたよ」と語っていた。
かつて私は長野市民を中心とした皆さんと「DONGURI」という映画ビデオを作ったことがある。2001年。あれから早くも5年が過ぎたことになる。年をとると月日の流れは俄然早くなる。
年といえば、9月5日、私の母は90歳の誕生日を迎えた。
「おばあちゃん、いくつになったか分かる?」という弟夫婦の質問に「80歳かな」と答え始めてから幾年月が経っただろうか。母はそれ以上の年を重ねようとはしない。
「私、頭が悪いから」と若い頃から常に自分を卑下していた母は今、軽い認知症である。が、70代に肺がんの手術をして、「5年がヤマですね」と医師に言われたとは思えないほどに、足腰身体はまめったい(元気だ)。
早くして夫を亡くし、5人の子供を女手一つで育ててきた苦労は想像するに余りあるが、そんな苦労話はあまり聞いた事がないように記憶する。
私は母に何をプレゼントしようかと思いあぐねていた。洋服を買ってプレゼントしても、2〜3日すると、「これ、私のではない」と言い出すにきまっていて、身に着けてもらえることは稀である。自分の古い洋服は覚えていても、新しい洋服の情報は、インプットされないようだ。
結局、月並みだが、ケーキとアレンジメントされた花と、我が家のブルーベリーを持って弟宅を訪ねた。
「わー、きれいな花」と素直に喜んだ母は「近所の人(老人)は腰が曲がってくるけど、80歳になっても私はピンとしているよ」と背筋を伸ばせて見せた。「寝込むことなく、元気な母でいてくれる」という何ものにも代えがたい大きなプレゼントを、私が貰った。
ズッキーニとゴーヤ (2006.9.9付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
ズッキーニに関してはこれで4回目の拙文になる。今回で打ち止め。
我が家のズッキーニは私が勝手に命名して、「大顔成就」と呼ばれている、いや、呼んでいる。
家(民宿)が小川村の成就という地区にあることから「大願成就」にあやかっての命名である。初めは「大瓜成就」としていたが、瓜をイメージしてもらっては困るので、「大きな顔」とした。
その大きな顔も、最近になってやっと認知されるようになり、小川村の農産物直売所「さんさん市場」の店頭に並ぶようになった。私の知人がようやく理解して、自分でも栽培して出荷するようになったのだ。私としては嬉しい限りである。大げさだが、苦節10年といった感がある。しかし、一本100円は安すぎる。因みに我が家の「大願成就」は店頭には出ない。総て差し上げている。
ズッキーニと並んで早くから栽培し始めたものにゴーヤがある。今では畑とは別に、家の南面にゴーヤ棚を設けて、日除けとしても栽培している。最近では朝顔やへちまの代わりにゴーヤを植える人が多くなったようだ。
これはお勧めである。日除けの効果ばかりでなく、匂いもまたセラピー効果を感じるし、黄色い可憐な花から結実し、育っていく様を観察するのは実に興味深く、わくわくする。
熟れて黄色くなって割れてくると、そこから覗きだす真っ赤な種の表皮が、何故にこんなに甘いのかに思いを馳せることもまた、自然界の理解につながる。
さて、次はどんな新物に挑戦しようか?
再びズッキーニ (2006.9.5付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
「読者からズッキーニのレシピを知りたいという要望が来ておりますが・・・」と編集部からFAXが入った。
了解しました。早速ご紹介しましょう。
但し、これは私の創作ではなく我が家のカミさんからの伝授です。夫婦仲が悪くなり、夫作る人、妻料理と分業が進んでいます。(閑話休題)
さて、先ずはなんといっても・ラタトゥーユです。ズッキーニ(中のワタは取り除きます)、長ナス、たまねぎ、カラーピーマン等を適当な大きさに切り、さっと素揚げをする。次にフライパンでみじん切りにしたにんにくをオリーブ油でいため香りが出たら完熟トマトを入れて炒める。その中に素揚げしたズッキーニなどの野菜を入れて赤ワイン、塩、コショウなどで調味します。水は一切使いません。
・これにカレー粉を入れるとこくのある野菜カレーになります。
・漬物や酢の物にしてもシャキッとした食感が新鮮です。皮付きのままスライスして、塩もみをし、甘酢で和える。ゴマ、しらす干し、わかめなどを入れても美味しい。
・ズッキーニ型目玉焼きは子供たちに好評です。太いまま1センチほどの厚みに輪切りにし、中のワタを取り除き、フライパンで両面をサッと焼く。輪切りの穴の中に卵を落とし目玉焼きにする。
その他・中華風あんかけや・韓国風てんぷら(ジャン)も良いし、・スライスして塩もみをして野菜サラダに加えるのもいいし、・味噌汁の具としてもいけます。次の機会には再びズッキーニの話をします。
旨い甘さ (2006.8.31付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
先日このコーナーでズッキーニのことを書いた。ちょっぴり反応があったようで、長野からわざわざ訪ねてくれた人もいた。その方はなんと高校の一年先輩で40年以上の歳月を経ての再会となった。
さっそく野菜談義に花が咲き、我が家のブルーベリーをお茶請けに出したら、「酢っぱ味もあるし、こんな旨いブルーベリーは久しぶりだだ」とパクパク食べてくれた。その様子に、お世辞ではないことが見てとれて、嬉しかった。
「最近、糖度○○%とか数値を示すようになったが、糖度が高いからといって甘いとは限らないんだよね。糖度だけではなくて、酢っぱさや塩気やいろいろの要素があって初めて甘く感じたり、おいしく感じたりするものだと思うよ」
先輩のこの言葉には、なるほどと思う節がある。最近糖度だけを追い求める風潮があって、宣伝の割には旨くない果物に出会うことも多くなった気がする。それは糖度という数値だけを追い求めているからだろう。
畑に案内した。ズッキーニを初め、キュウリなどの夏野菜はピークを過ぎ、惨めな姿になってきた。雨も少ないからなおさらだ。
ゴウヤは今が旬。悪戯心でゴウヤの葉を食べてみた。苦い。「これもいけるね」と先輩。その後食べたミニトマトにも「旨い」と一言。
そういえば、「甘い」と書いて「うまい」とも読む。糖度だけでなく旨い甘さを求めたいものだ。
次回はズッキーニのレシピを紹介します。
ズッキーニ (2006.8.19付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
ズッキーニを作り始めて10年になるだろうか。我が家のズッキーニはヘチマのような大きさに育てる。育てるというよりは育ってしまうといった方が謙虚な言い方だが、私はそれを良しとしているし、そこまで収穫しないのだから、やはり「育てる」が適当だろう。
市場では、ズッキーニといえば、キュウリを少し太くしたような大きさの、未成熟な野菜の商品名である。
かつて私は大きなズッキーニをコンテナに入れて10ケースほど直売所に置いてもらったことがある。それもレシピ付で。しかし、一つも売れずに返された。
「丸田さん、ズッキーニはこんなに大きくするものではないよ」と馬鹿にされたものである。が、10年経った今も、同じように大きなズッキーニを育てている。毎年レシピ付で、ご近所、知人、民宿のお客様に差し上げている。
先ごろ茨城県つくば市から若い夫婦が我が家に泊まった。150・ほどの畑に野菜を作るのが楽しみで、ズッキーニも作っているという。
「そうなの。すぐ大きくなっちゃいますよね」と若奥さん。私は待ってたとばかりに自説を説く。
「ズッキーニはかぼちゃの仲間。ヘタも太いでしょう?大きな体を支えるに十分です。あなた、小さな未成熟のかぼちゃを食べますか?」
鈍行列車の旅をしていたその夫婦は、収穫した我が家のズッキーニを箱いっぱいに詰めて、宅配便で自宅に送った。
亡国を憂う (2006.6.20付・長野市民新聞「こだま」掲載・丸田 勉)
いつだったか、ふと見たテレビ番組が、韓国に新しくできたカジノを紹介していた。ちょっと気になり見ていると、私の直感が騒ぎ出した。
韓国の経営者は日本人にターゲットを絞っていて、日本の旅行会社は、会社の利益のために率先して日本人を送り込み、テレビ番組自体も、そのカジノの宣伝に一役買っているという始末だった。
その裏に、とても怖いものを見たような気がした。自国のお金を持ち出すことになんら罪悪感が無い。その結果どうなるか、私の直感が杞憂であって欲しいと願う。
市場原理主義で哲学の無い日本経済の行く末・・・。
それを思った時、アメリカの「年次改革要望書」なるものを想起した。
アメリカ政府は毎年日本政府に年次改革要望書というものを突きつけているそうである。郵政民営化もその一つ。小泉・竹中ラインの改革と称するものは何のことは無い、そのアメリカ政府の要望に沿っているだけのことなのである。
金融監督庁設置、独占禁止法改正、商法改正、更に医療制度改革、司法制度改革が着々と進められてきている。これらがアメリカ政府の要望にこたえる形で成し遂げられようとしていて、実はそれがアメリカ企業が日本市場に参入しやすくするためのものであるとの見方は想像以上のものがあり、頷ける。
そういえば数年前から外資系の某生命保険会社のテレビCMの頻度は群を抜いている。
規制緩和、競争社会の激化、それは本当に日本国民が望んだものだったのだろうか。
日本人の感性や、常識や道徳や価値観までもが、今アメリカに占領されつつあることに、早く気がつくべきである。
今、日本が向かいつつある先の危うさに、早く気がつかないと、日本は大変なことになるだろう。
アメリカ追随で哲学の無い日本の政治の行く末を憂う。
地球の温度 (2006.6.1付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
日照不足で野菜が値上がり始めているという。
今年は5月10日に夏野菜の苗を購入し定植したが、気がつけば例年より10日も早かった。
よくよく考えてみると、桜の開花時期は例年より1週間以上も遅かったではないか。ならば定植も逆に遅らせてもよかった筈なのに、珍しく人様より先に行動してしまった。
その結果は惨めなもので、あれから半月以上も経っているのに一向に成長しないどころか、キュウリ、スイカのほとんどは萎れてしまった。
「丸ちゃん、それは霜にやられたんだわ」と隣人は言うが、遅霜がおりた記憶は無い。仮に霜がおりたとしても、今年は初めて白いパオパオという物も掛けてみたから、そんなことも無かろうにと思う。パオパオは温室効果もあるというが、この日照不足では効果が無い。今年はやることなすことが裏目に出ているようだ。
それにしても自然界、とりわけ植物界は温度に敏感である。人間が感知できない微妙な温度差の中で、芽を出し成長し花を咲かせ、実を結ぶ。ゴーヤとズッキーニは毎年育苗しているが、早く撒いたから早く成長するわけでもなく、総て時期(温度)が問題だ。
人間はその微妙さを「差」として感じなくなっているようだ。それもそのはず、夏は冷房、冬は暖房で、むしろ「差」を埋めようとしている。
その結果が、地球の温度を狂わしているとすれば、総ての原因は我にあり・・・である。
危険は何処に?(その1) (2006.5.13付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
「子供の安全」が問題視されるようになった。誘拐、殺人、性犯罪・・・人間が人間に危害を加えることから、どうしたら子供が守れるかということのようだが、小川村という山村に住んでいる私にとってはピンと来ない問題だ。
しかし、一つ事件が起きるとマスコミは大々的に報道し、まさに子供が大人から狙われているような不安感を煽り、社会問題化していく。
社会問題化されるとすぐに動くのが経済界で、セキュリティ産業がにわかに活気を呈してくる。社会正義を旗印に堂々と金もうけができる。その上、政府もバックについているから、鼻息は荒い。
ICタグを使った最新防犯機器の実験もなされている。ICタグの市場規模は拡大中で、ある試算では二〇一〇年にはその経済波及効果は十七兆円に達するといわれている。
子供たちのみならず大人たちもICタグをつけて常に監視される日が来るかもしれない。
経済が、物が、人間や社会の在りようを変えていく時代の流れは、哲学を失った日本の姿を象徴している。
警察庁の統計によると、なんと殺害された小学生の数は、過去三十年間で四分の一に減っているという。二〇〇四年には二〇余人。カウントの仕方は違うが、同年の児童虐待に係る事件では三十三人が親などに殺されているという。
危ないのは、地域ではなく家族ではないかの疑問がわいてくる。
危険は何処に?(その2) (2006.5.13付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
朝七時、隣の五年生のあかねちゃんはカラコロと鈴を鳴らして、我が家の前を小川小学校へ登校していく。
ランドセルに取り付けられた鈴は熊除けのそれで、その音は、「クマさん、私は何も危害を加えたりしないから、あなたも私の前に現れないでね」と告げているようだ。
私が女の子を狙うとしたら(目的は無いが)下を向き、ひっそりと歩いている子にするだろう。カラコロとその存在を鼓舞しているような女の子にはちょっぴり気後れがする。
私の反応は熊並みということになるが、それはさておき、鈴(カウベル)はかなり安価な防犯グッズといえるかもしれない。
「子供の安全を守れ」と国もかなりな額の予算措置を始めているようである。監視カメラを増設したり、ICタグをつけて子供を守ろうと巨額な金が動き出そうとしている。
そんなお金があったら、子供たち全員に柔道や空手などの武術を習得させた方がずっといいと私は思っている。武術は「身の安全は自分で守る」ことを教え込み、その技術の習得は「人と人との関り」を認識し、「礼節」をも身に付けることができ、一石三鳥だ。
防犯設備や防犯システムで温室的な環境を整えることは、「安全は、人様や社会が守ってくれるもの」という人頼み意識を助長させるだけだ。
小さな猿だって、本気になったら、怖い。
自律に向かった村長選挙 (2006.4.4付・長野市民新聞「こだま」掲載・丸田 勉)
私が住んでいる小川村では、このほど村長選挙があった。現職に対する新人の争いで、どちらの方が良いかではなく、どちらの方が悪くないかの選択だと揶揄(やゆ)する声もあったが、争点は長野市との合併か自立(自律)かがクローズアップされた。
結果は自立(自律)を目指す新人候補が辛勝した。たった35票という僅差での勝敗をどう捉えるかは、見解の違いで様々だが、私は新人候補の善戦と捉えている。
昨年暮れに出馬表明し、完全な組織選挙を繰り広げてきた現職に対して、告示一ヶ月前に立候補を表明した新人候補は、がんじがらめの所謂(いわゆる)田舎選挙の網の目をくぐるような戦いを余儀なくされたからである。
さて、争点が「合併か自立か」であったとはいえ、この度の選挙の結果が即、住民意思と捉えるには危険がある。田舎の選挙結果は、必ずしも争点の判断結果ではなく、人間関係が大いにものをいうからだ。純粋に争点に絞って判断を請えば、むしろ差は広がるだろうというのが私の見方である。
小川村の自律を目指す私は、もちろん新人候補を応援したが、村づくりへの夢がつながり、正直ホッとしている。
今から1年数ヶ月前、西山3町村の合併が破綻した。その後、中条村、信州新町は長野市との合併を議会決議し、両者は「一緒に長野市に行きましょう」と小川村にラブコールを送ってきた。
村内の合併賛成派は、一緒に長野市に合併しなければ小川村は孤立すると危機感を煽った。私は「個立」だと反論した。
都市と山村は地形も違えば生活様式も考え方も違う。それを一緒くたにして同じ条例で縛ろうとするのは土台無理な話で、日本の画一化につながる。小川村は小川村らしく、とことん山里を目指してこそ長野市と共生することができると思っている。長野市の皆さん、よろしくね。
金(マネー)メダル (2006.2.18付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
トリノオリンピックの競技の様子が連日マスコミで報道されている。
拙文をしたためている今日は2月14日。「メダルが取れない日本、どうした?」とのコメントが目立つようになってきた。
意地悪な私は、「当たり前でしょ」と冷ややかに見ている。
マスメディアは「○○はメダルが狙える」と断言して絶叫しているが、それは客観的な判断ではなく、えてして願望であることが多いようだ。最近は「メダルを狙える位置にいる」という表現もなされるようになったが、裏を返せば、運がよければメダルが転がり込んでくるというぐらいの意味でしかない。
だから若い選手は実力の程も知らないで、平気で「メダルを狙います」なんて豪語する。
十分な実力を出し切り、世界の強豪に競り勝ったときに、その対価としてメダルがいただけるのである。にもかかわらず、メダルを得るために競技に参加しているのではないかとさえ思えてくる。
それは金(マネー)が、物や労働の対価であったはずなのに、近年、金を得るためだけに物を作ったり労働するようになってしまった図式に似ている。
金で金を動かすマネーゲームに狂奔する日本では、オリンピックもまたメダルゲームなのかもしれない。そんな日本から選ばれた選手が簡単に世界一になれるはずがない。
将来、金(マネー)で金(メダル)を買うことが無いよう、祈りたい。
金融市場の行方 (2006.2.7付・長野市民新聞「善光寺平」掲載・丸田 勉)
確定申告の時期になった。私は数字に弱い。弱いというよりなぜか好きではない。できれば数字に関することは誰かに任せてしまいたい。
そんな私だから、株式に代表される市場経済とやらが、どうして景気というものを左右することができるのか、理解できないでいる。
つまり、我々市井の消費を含めた経済活動や景気の動向は、一部の経済学者や政治家や経済人や日銀の施策や株取引なんかで左右できる筈がない。できると思うのはそうした人々や機関の思い上がりで、机上の理論とさえ思っていた。
そこに今回のライブドア事件。ますます分からなくなった。
株と言うものは企業活動の結果としての企業価値だと思っていたが、今やそこに働く人々の意思とは別に、他人による株の取引によって企業の存続が左右されてしまうらしい。
物々交換から始まった交換経済の知識しかない私は、いまだに市場経済の仕組みに疎いが、直感的には何かが変だと思う。
あるもの総てが商品化されつつある現代、お金も商品とみなせば、お金でお金を売買することも道理かもしれない。だが、労働でお金を得ること無しに、お金でお金を得ることができる社会は果たして持続可能なのか。立ち止まって考えてみるべきだ。
私は架空の金を動かして利益を得るよりも、人様が喜ぶものを提供して対価を得たいと思う・・・なんて見得を切ってみる。が、人様が喜ぶものとは・・・お金?
どうしよう。あーあ、判らなくなった。助けて〜。(マルタベン)
大雪の日々 (2006.1.17付・長野市民新聞「こだま」掲載・丸田 勉)
去年から寒気団が立続けに日本列島を襲った。襲ったという表現は適切でないかも知れないが、大雪に悩まされた者にとっては実感だ。
私の住む小川村も雪害対策本部が豪雪対策本部に変わった。年末年始は屋根の雪落しと雪片付けで私も結 構忙しかった。
私の友人は他家の雪落しをしている間に、自分の倉庫が雪に押しつぶされてしまった。それでも彼は公民館や病気で寝ている家などの屋根の雪落しをやったりして、私の何倍も働いた。だから危険な目にあうことも多かった。
極めつけは神社の屋根の雪落しで、彼は神楽殿の屋根から落ちた。足下の雪が屋根を滑ったのである。幸い雪の上に落ちたから怪我はなかったが、こんなにも献身的な彼を落とすなんて神も非情である。いや、ご利益があったというべきか。
「非常の時こそお互い助け合うことが大事なんだ」と彼は屈託がない。
災害の時こそ、行動にその人の人間性が表れるし、その地域も試される。
職員の悪戦苦闘の除雪作業に「ご苦労さん」と声を掛ける住民。「遅くなってすまないねえ」と詫びる職員。「助かるよ。ありがとね」と住民。こんな地域はきっと災害にも強いだろう。だが、「いずれ溶けて無くなるものに労力を掛けるなんて、考えてみれば無駄なものだな」との愚痴も聞こえてくる。
たとえ記録的な豪雪でも人間以外の動植物はじっと春を待つことだろう。だが、たとえ大雪でも活動しなければ人間社会は成り立たない。だから雪を排除する。自然と闘うのは人間だけかな。縄文人はどうしていただろうかな、なんて考えてしまった。
今冬、柿の木は熟したまま凍りついて鈴なりに実を保ち続けている。雪片付けの後、その柿シャーベットをもぎ取り、かじる醍醐味はまた格別である。
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