浄土式庭園は、平安時代以降に発達し、その形態としては、仏教世界観を表現した池泉回遊式庭園であることが最大の特徴です。
原始古代の人々は、石や水を神が宿るものとして崇拝していました。
石は永遠性のシンボルでもあり、水は、生命の源であり、またすべての物を洗い清めることから、俗世間の邪悪から神聖の地を区画する手段として用いられました。
神域に蓮池をめぐらしたり、池の中島とその先の対岸を神域としたのです。 すなわち、この世とあの世を分ける「三途の川」であり、あの世を「彼岸」と呼び、海や川である水がこの世との間に形成されていると、信じられていました。
日の沈む西方に阿弥陀如来の極楽浄土を、日が昇る東方に薬師如来の浄瑠璃世界をみるという考え方は、浄土教の基本的な理念です。
太陽は西に沈む、いかし一夜明ければふたたび新しく東から昇る。いったん没したものが確実に新しく生まれ変わってくる。西方にこそすばらしい未来の入り口がある。
そのすばらしい世界での再生を念じて往く。極楽往生とはそういうことなのです。
末法思想の到来と共に発生した浄土式庭園は、寝殿造庭園の平面プランに浄土の世界を当てはめるような形で発展しました。
寝殿の位置に阿弥陀堂、対屋位置に五大堂や薬師堂、釣殿に鐘楼や経楼を配し、渡廊の代わりに回廊をまわす。池泉は神仙島の浮かぶ大海から、極楽浄土の黄金池を意味するようになった。
中島も蓬莱島から、極楽浄土における舞楽会などの舞台となり、中島に渡された橋は現実世界から極楽浄土へ渡る橋となったのです。